亡国の公女の恋

小ろく

文字の大きさ
上 下
10 / 22

10

しおりを挟む
 ルカは一刻も早くジンクロエを出たかった。
 ここにはスヴェトラーナを傷つけるものがある。
 スヴェトラーナを馬に乗せ、出来る限り早く歩いた。
 スヴェトラーナにもルカがそう考えて足が速くなっていることがわかったが、自分は馬に乗せてもらっているが歩きのルカはひとりで疲れてしまう。

「ルカ、急ぐなら馬で走りますか?」
「いえ、昨日だいぶ走らせてしまったのでこいつも疲れています。負担をかけすぎて途中で止まったらそれこそ進めませんので」

 ルカは微笑んで見せた。なんでもないとスヴェトラーナにわからせたかった。
 スヴェトラーナはルカの微笑みに微笑み返したが、ルカを心配した。

 ルカが頑張り予定よりもだいぶ進んだおかげでもう少しでジンクロエを超えられそうなところまで来れたが、足を止めた。
 湖を見つけたのだ。
 ジンクロエを超えてからにしようと思っていたが、この先水辺はない。
 早く越えたいがスヴェトラーナのことを考えると水辺は貴重だ。
 グレタゴの老婆にも言われた、女性は身体を拭いたり着替えられないことが辛いと。
 少し逡巡したが湖の畔で野営することに決めた。
 ここならば誰もいないし、何かあっても林の中にすぐ逃げられる。

「姫様。冷たいかもしれませんが身体も拭けますし、今日はここで野営しましょう」
「わかりました」

 スヴェトラーナを馬から下ろし、自分の荷物も下ろした。
 スヴェトラーナは馬に積んでいた老婆から貰った下着と身体を拭くものを出した。

「俺は後ろを向いているので、ゆっくりしてください」

 水際まで行くとルカは剣を持ちスヴェトラーナに背中を向けて立った。
 スヴェトラーナは躊躇した。身体を拭くには全裸にならずともドレスは脱ぐ。
 ルカが振り返って覗くことはないと信じているが、 好きな男性のすぐ近くで服を脱ぐ行為はかなりの緊張を要する。
 しかしこんなことで躊躇して煩わせたくもないので、思い切ってモゾモゾと上半身を脱ぎコルセットを緩めた。

 ルカはスヴェトラーナの安全のためとはいえ居た堪れない気持ちで緊張していた。
 すぐ後ろで布が擦れる音がする。スヴェトラーナが脱いでいるからだ。
 顔が急に熱くなり恥ずかしくなって口を一文字に結んだ。
 そんなに恥ずかしいのなら離れればいいのだが、それは別の緊張があるので出来ない。
 昨日あったことがスヴェトラーナから離れることを恐れさせるのだった。
 これは安全のためだ。やましい気持ちじゃない。なにも考えるな。
 顔を顰めて気恥ずかしさを消すために全方向に神経を張った。
 だからすぐに気が付いた。
 何かが林の奥で動いている。

「姫、身体を隠して」

 ルカが腰を落とし身構えた。
 スヴェトラーナが振り返り見上げたルカの後姿が殺気立っている。
 急いで服を抱えなるべくルカの後ろに縮こまり身体を隠した。
 林の中からガサガサと音がして木々の枝が揺れている。緊張してその正体が去っていくのか現れるのかを待つ。
 息を詰めてその正体をの行方を見守る。
 それは出て来た。若い女性だった。
 赤く長い髪が波打つルカと変わらない年齢に見えるその女性はひとりで林の中から出て来た。
 ウールのコートにブーツを履いて、背中には大きな荷物を担いでいた。

「あ、先客ありか! 私にも少し水使わせて。すぐ終わるから」

 ルカに明るく声をかけ、荷物を下ろす。
 拍子抜けなその正体に、ルカは大きくため息を吐いた。
 女はルカに屈託のない笑顔を向けている。
 ルカのマントに隠れていたスヴェトラーナが陰から覗くように顔を出すと、女性が更に破顔した。

「あ、なんだ女の子もいたの? ってことは、あなたが彼女を隠して護衛してたの? そりゃありがたいわ! 私も身体を洗いたいのよ。お兄さんその子と一緒に私も隠してよ」

 スヴェトラーナを見つけた女性は言うが早いかコートを脱ぎ、コルセットドレスを脱ぎ靴と靴下もポイポイと脱ぎ始めた。
 あまりの速さと脱ぎっぷりに止める間もなく呆気にとられ、目を反らすのが遅れたルカは急いで俯いた。
 後ろを向くとスヴェトラーナがいるので下を向くしかないのだ。
 シュミーズとドロワーズ姿になった女性は身体を拭く布を持って小走りで走ってくる。
 スヴェトラーナのことで熱くなった顔が物音で冷めたのに、再び突然現れた女性の下着姿で熱くなる。
 女性は真っ赤な顔をしたルカを平気な顔で通り過ぎ、笑顔でスヴェトラーナの前にしゃがんだ。
 そんな姿ではなにもできないとは思うのだが、下着でも武器が隠せないわけではないので念のため女性に神経を向ける。

「仲間にいれてねー。水冷たい?」

 女性は悪意のまったく感じない明るい声でスヴェトラーナに話しかける。
 ごそごそと動いている気配が背後でしてなにかがルカの足元に投げられたのでつい見てしまうと、女性が先ほどまで着ていた下着のようだった。
 ルカは急いで顔を上げた。
 これは不可抗力なのだが、やはり女性の下着を見るのは良くない。
 いや、下着を男の足元に投げる方も悪いと思う。まったくどんな倫理観を持ったじょせいなのかとルカは思った。

「冷たいですよ。中には入れそうにありません」
「そうかー、寒いから脱がないで拭いてるの? 私は脱いでさっさと拭いちゃう方が楽でいいわ」

 楽でいいかもしれないが素性の知れない男のすぐ後ろで全裸に脱ぐのはどうなのか。
 危機感が欠落しすぎていて緊張した自分が馬鹿らしいとさえ思えてくる。
 寒い寒いと言いながら水音がしてスヴェトラーナと女性が身体を拭いている気配がする。
 必死で冷静さを取り戻そうとしたルカだったが足元にあった下着が引きずられ、暫くすると下着姿で背後から女性が出てきたので再び顔を赤くして俯いた。
 しかも目の前で脱いで放り出したものを着出したので、顔はまったく上げられない。
 ルカが困惑している間にスヴェトラーナも事が終わったようで、ルカの背後から出て来た。

「終わりました」

 ルカは俯いたままで頷きスヴェトラーナと並んで馬まで戻る。女性は着替え終わっていた。

「もしかしてここで野営する? 私も一緒にしてもいい?グレタゴから逃げてきたのよ。マシナまで行こうと思って一人旅なの」

 マシナはルカとスヴェトラーナの向かうノノの隣の都市だ。
 ルカはこの女性がここに野営するなら場所を移動しようと思っていたが、スヴェトラーナが返事をしてしまった。

「わかりました。じゃあ、今晩は一緒に」

 女性の一人旅を気の毒に思って了承してしまったのだ。
 スヴェトラーナほどの危機感で旅をしてはいないだろうが、女性がひとりで暗闇を過ごしながら旅を続けるのはどれほど心細いものだろうと思ったのだ。
 男だけなら不安もあるかもしれないが、スヴェトラーナという女も一緒なので安心して休めるのではないかと思った。
 ルカにしてみればこれだけ危機感のない女性ならば心細さの心配はいらないのではないかとも思うのだが、スヴェトラーナが決めたなら従うしかない。

「ありがとう! 私はアクサナ、あなたたちは?」

 スヴェトラーナは答えに詰まった。本当の名前を言っていいのか迷ったのだ。

「俺はルカ。こっちは妹のスヴィだよ。」

 ルカはもし名前を聞かれたらこう答えようと考えてあった。
 老婆の所では老婆も名乗らなかったしルカとスヴェトラーナも名乗らなかった。
 スヴェトラーナに気が付いた老婆の配慮だったのだろう。
 老婆が名乗ればスヴェトラーナも名乗らなくてはならないだろうと考えてくれていたのではないかと思っていた。

「兄妹だったの。よろしくね、ルカとスヴィ」

 アクサナは本当に明るい女性だった。
 ルカはスヴェトラーナが傷つくかもしれない事をサラッと言ってしまうのを心配したが、アクサナはひたすらマシナにいるという親戚の話をペラペラと喋った。
 彼女の持ちネタらしいその親戚の可笑しな酒の失敗話はスヴェトラーナを笑わせた。

「まー、コースリーが入ってきたから怖くて逃げて来たけど、実は叔父に逢えるのが楽しみだからまっいっかーって感じなのよ」

 あまりにもけろりとして言うので、本当に怖くて逃げてきたのか疑わしいほどだ。
 なんにせよスヴェトラーナが笑顔なので、ルカはほっとした。

 老婆から貰った菓子を分けて食べ、明日も長いからとスヴェトラーナをマントに包み寝る準備をする。
 アクサナもスヴェトラーナの隣で自分の毛布に包まった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

はじめまして、期間限定のお飾り妻です

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【あの……お仕事の延長ってありますか?】 貧しい男爵家のイレーネ・シエラは唯一の肉親である祖父を亡くし、住む場所も失う寸前だった。そこで住み込みの仕事を探していたときに、好条件の求人広告を見つける。けれど、はイレーネは知らなかった。この求人、実はルシアンの執事が募集していた契約結婚の求人であることを。そして一方、結婚相手となるルシアンはその事実を一切知らされてはいなかった。呑気なイレーネと、気難しいルシアンとの期間限定の契約結婚が始まるのだが……? *他サイトでも投稿中

夢見る乙女と優しい野獣

小ろく
恋愛
王子様のような男性との結婚を夢見る、自称ロマンチストのエマ。 エマと婚約することになった国の英雄、大きくて逞しい野獣のような男ギルバート。 理想とはまるで違う婚約者を拒否したいエマと、エマがかわいくて楽しくてしょうがないギルバート。 夢見る伯爵令嬢と溺愛侯爵子息の、可笑しな結婚攻防のお話し。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】貧乏令嬢は自分の力でのし上がる!後悔?先に立たずと申しましてよ。

やまぐちこはる
恋愛
領地が災害に見舞われたことで貧乏どん底の伯爵令嬢サラは子爵令息の婚約者がいたが、裕福な子爵令嬢に乗り換えられてしまう。婚約解消の慰謝料として受け取った金で、それまで我慢していたスイーツを食べに行ったところ運命の出会いを果たし、店主に断られながらも通い詰めてなんとかスイーツショップの店員になった。 貴族の令嬢には無理と店主に厳しくあしらわれながらも、めげずに下積みの修業を経てパティシエールになるサラ。 そしてサラを見守り続ける青年貴族との恋が始まる。 全44話、7/24より毎日8時に更新します。 よろしくお願いいたします。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

処理中です...