亡国の公女の恋

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 一晩を森で過ごしてグレタゴを抜け、次の都市ジンクロエに入った。
 グレタゴよりも人が多いのはコースリーから首都キヌルまでの通り道から外れるからだ。
 むしろキヌルやグレタゴから逃げた民達がここジンクロエに来ているようだ。
 スヴェトラーナを馬に乗せルカは手綱を引きながら歩いた。
 逃げ場のない田園が続く道は不安だったが、グレタゴを抜けるのにだいぶ走らせた馬を労るのとスヴェトラーナとの密着を避けるためだった。
 田園にはのどかに畑仕事をしている者もいて、数日前のあのキヌルの動乱が嘘のようにも思えてくる。
 ここも今後はコースリーのものとなるのだと思いながら、スヴェトラーナはその景色を馬上から見ていた。



 もともと無口なルカだが、スヴェトラーナに感情が溢れた日からなおさら喋ることが上手く出来なくなった。
 一度溢れたものをもとに戻すのは難しい。
 なにも望んでいるわけではないが、ルカにとっては光の存在であるスヴェトラーナに弁えない感情を抱くこと自体が自分を許しがたい。
 自分が恥ずかしくてスヴェトラーナを真っ直ぐ見ることが出来ない。

 スヴェトラーナもルカを見られなかった。
 こんな状況でこんな気持ちを抱いてしまった自分に驚きを隠せない。
 しかもルカが自分に尽くしてくれている事を別の意味に勘違いしてしまったように思えて恥ずかしかった。
 ふと、ルカとの主従関係はいつまで続くのかと思った。
 レイルズに着いたら、ルカはどうするのだろうか。
 レイルズでの自分の待遇どころか受け入れすらまだわからない状況で、ルカがその先をどう考えているのか。

「姫様、街を抜けて少し山を登ったらそこで今日は休もうと思っています」
「わかりました」

 スヴェトラーナは頷き、ルカもスヴェトラーナの頷く気配を感じ頷いた。


 街も普通に人々が歩き店も開いている。
 通り過ぎる食堂からスープのいい匂いがしている。
 火の熾せない野営なので暖かいものには飢えている。
 特に老婆の所で暖かさの癒しを知った後では、欲してしまうのも仕方のないことだ。
 こっそり馬上のスヴェトラーナを見上げると、スープの匂いに店の中を覗いていた。
 買っていくだけなら、数分店主に関わるだけで済む。
 今日も冷たく硬い地面で眠るスヴェトラーナに暖かいものを取らせてあげたかった。
 ルカは一件の食堂の前で止まった。

「スープを買っていきましょう」

 スヴェトラーナを馬から下ろし、ルカは荷物からスープを入れられるポットを出してから少し迷った。
 スヴェトラーナを一緒に食堂に連れて入るか、ここで待たせるか。
 周りにコースリーの兵がいるようには見えないが、今のスヴェトラーナは自国の民にも注意を払わなくてはならない。
 マントのフードを深く被っているが、不安要素があるなら離れるべきではない。
 ルカは馬を店先に繋いだ。

「念のために一緒に中へ」
「わかりました」

 本当は腕を掴んでいて欲しかった。何かあった時に対処しやすいからだ。
 数日前はそれを頼めたのに、下心があるように思われたらと思うと頼めなかった。

「野菜スープをこれにください」

 カウンターでポットを出し頼むと、ルカはスヴェトラーナを背に隠しながら店を見渡した。
 大人が数人座っているのと、子供が三人店内を走り回っていた。
 ポットを受け取った店の女がルカに話しかけて来る。

「お兄さんもキヌルから逃げて来たのかい? 最近多いよ。大公も死んだし、この国はどうなるのかねー」

 ルカは身体を固めた。背後にいるスヴェトラーナも同じだ。

「あんなやつ死んで当然だよ! 戦争行ったにいちゃんが死んだのアイツのせいだって父ちゃん言ってたもん」
「なー、きらいきらい!」

 子供が悪意を持って亡き国王を罵る。
 荒んでいる。戦争は子供までこんな風にするのだ。
 外で待たせるべきだった。
 背後にいるスヴェトラーナを振り返ると、俯いたまま固まっていた。
 背中に手を回し外に連れて行こうと押すと、スヴェトラーナは首を振ってひとりで歩き出した。
 子供がスヴェトラーナに具合が悪いのかと聞きながら付いて行く。
 返事を返しているようだったが、ルカには聞こえなかった。
 視線だけでスヴェトラーナの姿を追い、馬の元に戻ったのを確認した。
 ルカは情けなくなる。
 仕方のないことだったが、外で待たせる決断をすればよかった。
 街に同じような感情が充満しているかもしれないなら、さっさと出なくては。

 子供がウロチョロと行き来する。
 スヴェトラーナは馬の前で小さな男の子の背丈まで腰を屈め喋っている。

「お兄さん出来たよ」

 カウンターから呼ばれて振り返り金を置き、ポットを受け取ろうとした。
 手に取ったが店の女がポットを離さない。
 ルカが女を見てポットを引くが、女は離さずルカの目を見て言った。

「あんたのせいじゃない。命は命で償うもんだ」

 ルカの全身が総毛立った。
 咄嗟に振り返ると馬の場所にスヴェトラーナがいない。
 それを確認する前から走り出していた。
 邪魔な椅子を片手で払い飛ばし表に出る。
 さっきまでスヴェトラーナと話していた子供の目がつり上がってルカを睨んでいた。
 それを無視してそこにいる全員の顔を一瞬で見渡し、人々の視線でスヴェトラーナの行方を推測して走り出す。
 二件先の店の角で立ち止まる人を見つけ、そこがスヴェトラーナの居場所だと確信し曲がり角に滑り込み先にある光景を見る。


 こんな悪夢は許さない。


 地面に座り込み身構えるスヴェトラーナが見えた瞬間、ルカの恐怖が冷たく燃えた。
 腰に下げた剣を鞘ごと抜く。
 手入れの行き届いたそれは小さな金属音を出して危険を警告した。
 スヴェトラーナの手前に三人の男、ひとりはマスケット銃を持っている。
 更に女がひとり腕を組んでいる。

 スヴェトラーナがルカに気が付いた。
 男たちがスヴェトラーナの視線に気付き振り向こうとするがもう遅い。
 ルカの身体が本能で動く。
 突進し低い姿勢から剣を薙ぎ払い一人目の男の背に打撃する。
 返す力でもう一人の男の腹を打撃し。
 翻って最後の男のこめかみに剣の柄頭を叩きこんだ。
 残ったひとりの女の肩を掴み乱暴に地面に払い飛ばす。

 全てがほんの数秒の出来事で終わった。
 打たれた男が地面に転がり、女は座り込みながら後ずさった。
 あまりの速さにそこにいる誰もが声を出す間もなかった。
 静かに、しかし轟々と燃えた冷たい炎を纏うルカが地面に転がる男たちを見下ろす。
 殺気を隠さない目が男たちに二度と立ち上がることを許さないと言っているようだった。

 息のひとつも切らさず振り切った剣をベルトに戻しルカはスヴェトラーナを向いた。 
 初めて見る姿に気圧されたスヴェトラーナが息を呑んでいると、ルカはフラフラと歩み寄り全身を確認するように見た。
 とても同一人物に思えないほど殺気立った目が緩み、膝が折れ地面に座り込むスヴェトラーナの前に崩れ落ちるように跪いた。
 見開かれたスヴェトラーナのグリーンの瞳がルカを見つめる。
 それを見つめ返し顔をゆがめると、地面に頭を落としルカは蹲った。
 震えている。ルカの身体が震えている。
 スヴェトラーナは愕然とした。
 この場で一番強いだろう男が蹲って震えているのだ。
 スヴェトラーナも本能だった。
 ルカに手を伸ばし、覆いかぶさって抱きしめた。
 蹲る身体から直に震えが伝わり、スヴェトラーナは必死で背中を擦った。

「ルカ。大丈夫。大丈夫です」

 助けたのは確実にルカだったのだが、スヴェトラーナがルカを助けるために震えた身体を擦り声をかける。
 ゆっくりと起き上がるルカの顔は真っ青で、見つめる目は怯えている。

「大丈夫。私は生きています」

 ルカが微かに頷いた気がした。しかし怯えた目は変わらない。
 黙ったまま立ち上がりスヴェトラーナを抱き上げる。
 倒れた男たちはうめき声も上げず茫然として、ふたりを黙って見送るしかなかった。
 スヴェトラーナのためならここに居る全ての人間を皆殺しにだって出来るだろう男にどうすればいいというのか。
 馬まで戻るふたりを立ち止まる人々も息を呑んで見ていた。
 ルカは馬にスヴェトラーナを乗せるとその後ろに跨り足で腹を蹴った。
 店にいた子供が目に涙をためて睨んでいた。
 なにも言わなかったのは睨むだけで精いっぱいだったからだろう。
 子供はルカが前を通るとじりじりと後ずさった。
 ルカは身体の中にスヴェトラーナを閉じ込め、子供から隠すようにして走り去った。

 片手でスヴェトラーナの肩を抱いたまま、ルカは何も言わずただ馬を走らせた。
 辺りが暗くなり予定していた山に入り、林の中をひたすら走った。
 馬が疲れて止まらなければ月明りだけでまだ走り続けたかもしれない。
 やっと止まるまで、スヴェトラーナも黙ってルカにしがみついていた。

「すみません……」

 止まった馬に乗ったままルカが小さな声をやっと出した。
 絞り出したような声は震えていて、ルカはまだ怯えたままだったのだ。
 馬を降りスヴェトラーナを抱きかかえて降ろす。

「ルカ」

 名前を呼んで見上げると、ルカは口を引き結び俯いたままスヴェトラーナを見ない。
 ゆっくりと跪き、拳を膝に置いて頭を下げる。

「本当に、すみませんでした……」

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