春嵐に黄金の花咲く

ささゆき細雪

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忠三郎の敵意

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「ご迷惑をおかけしてすみません」
「なぜ謝るの。酔っ払ったのは屋形様の責任でしょう?」
「でも、こうなることを知っていながら対策をしていなかったのは事実ですから」

 酔いつぶれた信長を連れていくと、そこには側室のなへが待機していた。お鍋の方、と呼ばれる彼女は帆波にくっついたまま意識を飛ばしてしまった夫を新米侍女の美萄みどとともに容赦なくひきはがしながら、困った方ねと呟くと、本日の主役であった忠三郎をやさしく労う。

 生まれてすぐに母と死別した冬姫は信長に寵愛されていたという生駒御前に面倒を見てもらっていたそうだ。しかし、彼女も二年ほど前に病気で亡くなり、彼女亡き後、なへが信長の側室として城へ来て、冬姫の母親代わりとなったという。冬姫はなへを慕ってはいるものの、必要以上に彼女を頼ろうとはしていないため、帆波もなへのことはよく知らない。だが、信長を慈しむ彼女を見ているうちに、しぜんと親近感が湧いた。

 それは夫婦というより家族に近い愛情の形だ。帆波は思わず懐に隠し持っている十字架を握りしめていた。豊後国にいたころの自分の姿が、目の前の光景に重なったから。

 ……脳裡を一瞬過ったのは、ゼウスとともに生きようと誓った、獅子の洗礼名を持つ少年のこと。帆波を冬知らずの姫と呼んでくれた彼はいま、何をしているのだろう。

 そんな帆波に気づくことなく、なへは声をかける。追憶に想いを馳せていた帆波は想うだけ無駄だと彼の名を思い出すのを諦め、なへの言葉に耳を傾ける。

「あなたたちも戻りなさい。いまごろ冬姫が心配しているはずよ」
「はい」

 帆波と忠三郎が素直に頷くと、よろしいとなへは母性溢れる笑顔をふたりに向ける。
 その横に侍る美萄は無表情のまま、懐に入れられたままの帆波の手を見つめ、やがて何事もなかったかのようにふたりから背を向けた。


   * * *


『あなたも、ほんとうは信長さまの側室になることを望んでいらしたの?』

 なへと初めて顔を合わせたとき、帆波はたしかにそう言われた。冬姫が違うわ、と咄嗟に言い返し、帆波もそれに頷き事情を説明すると、そうなの、と呆気にとられた表情で納得してくれていたが……

「――信長さまの側室になれなくて残念だったな」

 なぜこんな見当違いなことを言われなくてはならないのだろう。
 帆波はついさっきまで微笑みを絶やさずにいた公家装束の少年の豹変に戸惑いを隠せない。

「な」
「冬姫はお前のことを気に入って侍女にしたんだろうが、お前はほんとうは信長さまにとりいるために岐阜に来たのだろう? その珍しい容姿を利用して」

 信長さまは珍しくて美しいものがおすきだからな、とぼそりと零してから、忠三郎はキッと帆波を鳶色の瞳で睨めつける。

「信長さまも素姓のわからぬお前をすぐさま側室に置かないだけ賢明であったが……いくら冬姫にとりいったって無駄だぞ。信長さまの弱みを握ろうったってそうはさせない」
「ご、誤解よ!」

 忠三郎の言っている意味が帆波にはまったく理解できない。いったい彼は帆波をなんだと思っているのだろう。諸国から送られてきた間諜か何かと勘違いしているのだろうか。だとしたらその誤解をとかなければ。

 ーーけれど、どうやって?

 目の前で激昂する少年に、帆波は自分を証明する手段がない。いくら自分が信長に対してそういった気持ちを持っていないと訴えても、納得してくれるとは思えない。冬姫は信長本人から正しく説明を受けていたから帆波を受け入れてくれたけれど、岐阜城にいる人間すべてが帆波を同じように認めているわけではないのだ。
 追いうちをかけるように、忠三郎の声が内耳に響く。

「冬姫は心優しい方ゆえ、お前のような女を侍女に迎えたのだ。お前が邪なことをするのなら、冬姫の将来の夫となるおれが厳罰を与えてやる。それでもここにいるというのなら、覚悟しておくんだな」

 ふん、と捨て台詞を残して早足で去っていく。帆波は何も言い返せず、廊下に突っ立ったまま、彼の姿が消えていくのを見つめることしかできなかった。
 忠三郎が帆波に向けたのは、敵意だ。豊後国にいたときに散々浴びせられた悪意を思い出し、帆波は口を噤む。
 それは祖国を滅ぼした忌わしい娘などこの国には必要ない、消えろと養父の妻である奈多夫人を中心とした一部の人間による罵倒。忠三郎が見せたのは、それに近い。きっと、冬姫や信長を大事に想うがゆえの感情なのだろう。けれど帆波は素直に忠三郎の言葉を飲み込めない。

「……なによ、それ」

 冬姫の前では猫を被っていたくせに、得体のしれない侍女にはずけずけと言いたいことだけ言って逃げていく。あれが、未来の冬姫さまの夫となるひと?

É incrível信じられない

 目を疑う光景に思わず信じられないと外つ国の言葉で吐き出して、帆波は姿を消した忠三郎の方向から視線をそらすのだった。
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