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壱
元服の儀
しおりを挟む年齢の近いふたりは、すぐに打ち解けた。帆波にとって、年齢の近い女の子を主人と仰ぎともに生活を送るというのは初めてのことだったが、冬姫は帆波の主でありながら旧来の友人のように、または姉妹のように扱ってくれた。
「周囲の人間がなんと言おうが、わたしが許すわ。帆波、あなたはわたしに仕える侍女だけど、もとを辿れば周防国の守護を担っていた方の姫君なのだから。お願い、わたしの前でかしこまったりしないで」
いくら帆波が自分は望まれて生まれた姫君ではない、父親も定かではない罪の子で大内氏の滅びを呼んだ忌み子なのだと訴えても、冬姫は意に返さなかった。
「それがなんだというの? 言いたいひとには言わせておけばよいのよ」
冬姫は身の上話を語る帆波にたいしたことじゃないわと言い捨て、肩をそっと抱く。
「あなたが憂い疎むほど、この世は儚くも愚かでもなくってよ」
室町政権へ十五代将軍を擁立させた織田信長の娘であるという自信からなのだろうか、威厳ある冬姫の言葉は、流されてばかりの帆波の耳には突き刺さるほどの痛みすら伴う。
「この時代だからいつ何が起こるかなんてわたしにもわからないけれど、だからって怖がって立ち止っていることはできないもの。帆波。わたしが進む道を、共に歩きましょう?」
自分より年下の少女に諭される日が訪れるなんて思いもしなかった。帆波は冬姫の真摯な言葉を心に刻み、この地で彼女のために自分ができる精一杯のことをしようと、決意する。
冬姫は、宣教師の通詞としての役目を断たれた帆波の、新しい道標となったのだ。
* * *
「忠三郎さまの凛々しいこと! 帆波、あなたも見たわよね?」
元服の儀を滞りなく終えた織田信長の烏帽子子となった少年は、鶴千代という幼名から、忠三郎という名で呼ばれるようになっていた。冬姫は慣れない名前を何度も口に出しながら、帆波を連れて宴の間へと入っていく。すれ違いざま、酒盃を慌ただしく運んでいく端女に訝しげな表情をされてしまったが、城下町の方から臨時で雇われた女性だったのだろう、冬姫は帆波に「気にしないで」と通り過ぎながらちいさく囁く。
「冬、こっちだ」
酒宴に興じている男たちの中心に、信長の姿がある。冬姫は父親に招かれ、空いていた場所へ腰を落とす。
「そなたも座れ。今宵は宴、雑務は下女にさせるゆえ、冬とともに祝いの席に混じるがよい」
赤ら顔の信長は帆波を呼び、冬姫の隣に座らせる。城主の傍に現れた娘と異相の侍女に周囲は注目するものの、城内ではすでに南蛮趣味の屋形様が取り寄せた宝物を娘に与えたのだというあながち嘘ではない話が出回っていたからか、ざわめきが途切れるようなことはなかった。
冬姫の隣に隠れるように座る帆波を信長は面白そうに見つめている。三十六歳ですでに幾人もの子の父でありこの戦乱の世で天下統一という大それた野望を成し遂げつつある偉丈夫は今宵、またひとりの少年を大人にさせたのだ。
信長を烏帽子親として元服した彼の名は蒲生忠三郎教秀。ただいま絶賛人質生活中でありながら、信長に気に入られて小姓をしているという世渡り上手な、帆波と同い年の少年である。
……そして、帆波が仕える冬姫の、許婚者。
「此度は、おめでとうございます」
「ありがとう。弾正忠さまの忠の字をいただけたんだ。この名に恥じぬよう、精進していくことにするよ」
人質として岐阜城に連れられてきたころから、冬姫とは面識があったようで、ふたりの婚約はずいぶん早くから決まっていたように見える。
現にふたりが和やかに語らう様子は初々しく、帆波は公家装束を身にまとった忠三郎の言葉に頬を赤くする袿姿の冬姫を見て微笑ましい気持ちになる。政略結婚で見ず知らずの殿方に嫁ぐというのが殆どであるなか、幼いころから顔を合わせている冬姫と忠三郎。ふたりは自分たちが恵まれていることに気づかないまま、互いを想い合う関係を育んでいる。
忠三郎が元服を終えたことで、冬姫との結婚もまた一歩近づくのだろう。信長が人質である彼を解放した暁には、彼女が彼の故郷へ嫁入りすることになる。そうなれば、冬姫の侍女として、帆波もまた、彼女についていくことになるのだろうか……
「何を考えておる?」
冬姫と忠三郎を見つめていた帆波は、背後からの声に気づき、小声で言い返す。
「飲みすぎではありませんか?」
絵巻物に描かれるような麗しい冬姫と貴公子然とした忠三郎の姿とは裏腹に、ふたりの親である信長はにやにやしながら裃をはだけさせ帆波の方へすり寄ってくる。吐き出される息が、くさい。
「なに。このくらい大したことないわ。それより帆波よ、祝いの席で湿気た顔など見とうない、ともに酒に溺れようではないか!」
「……酔っ払ってますね、お父さま」
帆波に絡む父親を見て、冬がぼそりと呟くと、申し訳なさそうに忠三郎が頭をかく。
「では、おれが信長さまを送ってきます。宴ももう落ち着いているから、席を外しても大丈夫ですよね?」
忠三郎が配膳を片しはじめているのを確認して、冬姫に提案する。
信長の小姓でもある忠三郎の言葉に冬姫は安心したように頷く。信長だけが不服そうに頬を膨らませている。まるでこどものようだ。
帆波がそう思っているのを察したのか、虚ろな瞳の信長は一瞬だけ正気にかえったような鋭い一瞥を返してくる。そして。
「そなたも来い。褥をともにしようではないか!」
などと吹聴するような大声をあげて抱きついてくる始末。
「な……」
ふるふる拳を震わせる帆波に、冬姫が困ったような表情で囁く。
「同行してもらった方がいいかもしれないわ。たぶん、途中で寝ちゃうと思うけど……忠三郎さま、わたしの帆波も連れて行ってくださる?」
「姫がお望みでしたら……」
にこやかに忠三郎は頷き、帆波にひっついたままの信長を力強く支えながら、すたすたと歩き出す。
「ちょ、ちょっと……っ」
主人である冬姫の父親を無下に振り払うこともできず、帆波は仕方なく信長に抱きつかれた状態のまま、忠三郎が案内する城主の閨まで連行されていく。
帆波にくっついたままぐちゃぐちゃと小言を漏らしていた信長の声が寝息に変わったのは宴をあとにして間もなくのことだった。
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