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 夏の盛りを過ぎた京都に涼しい風が吹く。
 唯子は正妻とともに穏やかな日々を過ごしていた。
 ちいさいながらも趣のある屋敷には、梅や桃などの花木が植えられた庭もあり、いまの季節は小ぶりの菊花が見ごろを迎えている。菊の黄色と言っても黄金色のように眩しいものもあれば、鶸色に近い優しい色合いの花もあり、見る角度によって異なることを唯子は初めて知った。ほかにも大輪の紅色の菊や純白の一重の花などが並んでいるため、いつ見ても飽きることがない。

「長月は、菊見月とも紅葉月とも呼ばれているわね」
「はい」

 実朝の正妻である信子は実朝が十三のときに京都から迎えられた坊門家の娘だ。先年に亡くなった公卿であった彼女の父は後鳥羽天皇の外叔父だったこともあり、朝廷における鎌倉幕府の交渉役として重宝されていたという。この屋敷も信子の父、信清が所有していた邸宅のひとつで、いまは異母兄が管理している。

「年が明けたら、梅を見にいらっしゃい。実朝も、満開の梅を見るのが大好きなのよ」
「そうなんですか」

 小柄でぽっちゃりとした体型の信子は齢二十八、実朝と同い年で、いまもなお少女のようなあどけなさを持っている。自分の夫が新たに側室を迎えるというのに、信子は唯子を妹のように可愛がってくれている。嫉妬深いことで有名な祖母の政子とは大違いだ。

「わたくしは熟した梅の実をそのまま食べる方が美味しいと思うのだけど」

 おっとりとした信子が嬉しそうに梅の実について語る姿は微笑ましくて、唯子もくすりと笑ってしまう。

「そうですね、甘くて酸っぱい梅の実は美味しいだけでなく健康にも良いですもの」

 実朝の妻として鎌倉へ赴いた際、信子もまだ十二歳だった。結婚してまもなく十六年になるというが、ふたりの間に子どもはひとりもおらず、このまま跡継ぎができなければ皇族から養子をもらおうかという話もあるのだという。

「実朝は梅の実を食べるよりも花を愛でる方がすきなのよ。花盛りを過ぎたわたくしより唯子姫のようなお若い方に目がいくのも仕方のないことだわ」
「そんな、わたしだって鎌倉ではいきおくれって言われていましたよ? それに信子さまだってまだまだお綺麗じゃありませんか」
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