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わたしとねずみ 2

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 明治維新と同時に長崎藩士だった祖父は陸軍の陸相となり、後に男爵位を授位され、晴れて田中家は華族の仲間入りをした。


「要するに、長女であるお嬢様の母君がお嬢様を出産されたときに亡くなられたことで、お父様は後妻を迎えられたわけですよね。そして後妻とのあいだにめでたく息子を授かったと」


 田中家にはいま、前妻のひとり娘であるわたしと後妻が生んだばかりの息子、義勝よしかつがいる。女であるわたしは爵位を継ぐ資格がないため持参金とともに他家へ嫁ぐことが生まれた時から決定していたが、後継の男児が生まれるまでは長子ということで大切に育てられていた。
 わたしを産んで母が亡くなったため、父は後妻を迎えたが、なかなか子宝に恵まれなかった。ようやく生まれた息子は、この家を救う英雄として多くの人間に生まれた頃から傅かれている。

 それに対して前妻の忘れ形見でやっかいな虚弱体質のわたしは眼の上のたんこぶのように扱われるようになった。後妻の懐妊を機に父がわたしとねずみの結婚話を実現させようと会ったこともなかった婚約者を家に招いたことからもそれはうかがえる。そのときは顔を合わせただけだったけれど、あれから一年、無事に息子も生まれ、ねずみも金を必要としている、もはやわたしは男爵家から必要とされることもなく、かねてからの約束どおり新興財閥と手を結ぶための政略結婚を実行へ移すところまで迫ってしまった。


「それで、お嬢様はいつ結婚式を行うんですかい?」
「結局、今年中に式を挙げることは難しいってことで、十二月二十四日に結婚のお披露目会だけ行うことになったわ。この日は体調が思わしくなくてもけして休めないから覚悟するようにとお父様にきつく言われちゃった」
「へぇ、クリスマスの夜会にお披露目されるのですか。そいつは豪勢なことでしょうなぁ」


 侍医はわたしの熱をはかりながら天気の話をするようにわたしの婚儀について尋ね、そのこたえにまんざらでもなさそうに首を振る。


「お金がないから結婚を急いでるくせに、お披露目のためにお金をつかうなんてまったくもって理解できないわ」
「お嬢様のためでしょうに。ふだん、ともに外出する機会のない婚約者に、外国から伝えられた聖なる夜のお祭りを見せてあげたいんですよ」
「まさか」


 明治六年にキリシタン放還令がだされて早二十年。キリスト教の祝い事であるクリスマスも解禁され、いまでは外国人居留地を中心にこの時期になるとごてごてした装飾でぃすぷれいがここ、長崎でも溢れているときく。
 外国との貿易で名を轟かせるようになった小岩崎家が外国人を中心とした顧客を招いてクリスマス会を開くというのも、毎年の恒例行事となっているそうだ。


「わたしをそんな場所に連れ出すなんて何を考えているのかしら」
「それは小生にはわかりかねますなぁ」

 初老の侍医は子どもの頃と同じようにわたしの髪を撫で、やさしく微笑う。

「でも、お嬢様が憂えるほど、小岩崎の坊ちゃんは悪い人じゃあないと思うんだけどねぇ」
「どうかしらね」

 侍医はわたしの気のない返答を耳に入れても平然と笑顔を保ちつづける。虚弱体質のわたしを十年以上診ている彼からすれば、わたしがこうして困惑しているのも結婚する女性特有の症状にしか見えないのだろう。西洋のある国ではマリッジブルウなどと呼ぶのだと侍医はわたしを宥め、うたうように優しく声をかける。


「そうだ。お嬢様にこれをあげよう」


 黒い皮鞄からでてきたのは、赤い軍服を纏った無骨な兵隊の人形。どことなく中世の騎士を彷彿させる金髪碧眼の人形はこの国のものではないことを暗に知らしめている。


「これは……?」
「いま、土産物として注目されている、くるみ割り人形という名の、木の玩具だよ」


 一般的な蘭医学だけでなく維新後に注目され始めた独逸ドイツ医学も修得している侍医は、在日外国医師の知り合いも多い。そのうちの誰かがお土産に渡したのだろう、侍医は自分が持っているより愛らしい女の子が持っていた方が人形も喜ぶだろうよと言って、半ば押しつけるようなかたちでわたしの手にそれを握らせる。いいの? と視線を向けると、侍医はひらひらと手を振りながら首肯する。


「小生からのささやかな結婚祝いさ。この人形はなぁ、悪いねずみの王様を退治してくれるって逸話もあるからね。お嬢様がいうねずみの王様がほんとうに悪い奴なら、この人形がやっつけてくれるだろうよ」


 そうはならないと思うけどね。と言いながら、侍医は帰っていく。
 布団に横になったまま、わたしは手の中におさめられたくるみ割り人形をじっと見つめる。
 ねずみの王様をやっつける? この人形が?
 侍医のひとをからかうような物言いはいつものこと。


「……ただの、木でできた玩具よ。人形が悪い奴をやっつけるなんて、お伽噺でしかないんだから」


 そう呟いて落ちつこうとしても、手の中のくるみ割り人形は、わたしの動揺を見抜いているかのようにまっすぐな瞳で射ぬき返していた。
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