1 / 7
わたしとねずみ 1
しおりを挟む薔薇の花束が軽やかな音を立てて床に落ちた。絨毯の上に散った真っ赤な花弁は血痕のように鮮やかで、霞色の世界をまだら模様に染めている。灰梅色の寝台の上で横になったまま、その様子を眺めていれば、彼はつまらなそうに近づき、上掛けの上からわたしにのしかかり、乾いた笑みを浮かべて告げる。
「子を産めぬ身体なら、別の女に産ませるまでだぞ」
淡々とした表情で唾棄すべき言葉を口にしたねずみは、寝台に横たわるわたしが怯えることなく睨みつけているのを見て、何を思ったのかコツンと自分の額をわたしのそこへぶつけてきた。
発熱している婚約者の額の温度を直に確認した彼は、まだ熱があるなと納得した素振りを見せながらも、ふん、と顔を赤くして去っていく。不機嫌であることを隠すことなく背中からも怒りを滲ませているねずみを見送り、ふぅと溜め息をつけば、扉の前でおとなしく待っていた百冨が恐縮しきったようすで入れ替わりに入ってくる。床に落ちた薔薇の花束を拾い上げ、花瓶に入れて飾りましょうとわたしの顔色をうかがいながら。
ねずみの罵詈雑言など今にはじまったことではないというのに彼女はわたしのかわりにあの男の言葉に一喜一憂し、わたしのかわりに次になすべきことを提案し、すこしでもわたしがあの男と人生を共にする気にさせようと一生懸命になっている。そのしぐさがいっそうわたしを憂鬱にさせていることにも気づかずに。
「お嬢様、あのような言葉を真に受けてなどおりませんよね?」
「残念だけど、百冨が考えているより状況は悪化しているのよ。あの男が欲しているのはわたしではなくわたしについてくる男爵家からの持参金。病弱で後継ぎを産むことすら儘ならないわたしの存在など、彼にとってみれば煩わしいだけ」
「ですが、たとえ両家によって決められた政略結婚だとしても、うまくやっている家だってあるではありませんか。忍耐強い緋鞠さまならば小岩崎こいわさきさまの奥方として立派に任をこなせると百冨は思うのです」
「忍耐強い、ね……」
わたしからしてみれば自分の傍にずっと仕えている彼女の方がしぶとく見える。だが、そんなことを言っても彼女はやんわり否定するだけだろう。それに、結婚するのは彼女ではなくわたしなのだ。
「そうですよ。緋鞠さまの献身的な愛情があの頑なな小岩崎さまのお心を時間をかけてやわらかく溶かしていくのが百冨には目に見えるようです。いまはまだお互い知り合ったばかりで反発もされるかと思いますが、ほんのいっときの辛抱でございます」
「時間をかけられる余裕があればいいんだけどね。あいにく、時間がないから彼も苛立っているのよ」
ねずみは早くわたしと婚儀をあげて田中男爵家の財産の一部を自分のものにしたいのだ。後継ぎなど二の次。だけど病で臥せっているからと婚儀を伸びに伸ばしているわたしに嫌気がさしているのも事実で、ここ最近はちょくちょく見舞いと称して現われてはわたしに対して冷たい言葉ばかりを浴びせかけていく。わたしが病を理由に決められた結婚を取りやめようとしていると疑心暗鬼に陥っているから。その行為が更にわたしを幻滅させているとも知らずに。
小岩崎由郎。生まれた頃から決められていたわたし、田中緋鞠の婚約者。だけど、彼などねずみで充分だ。爵位をもたない成り上がり貴族が偉ぶってもしょせん、まがいものでしかない。
これで偉そうにしていても貫禄はまったくついていないのだから滑稽きわまりない。若いから仕方がないのかもしれないが、わたしからすれば虚栄心だけが目立つねずみの王様にしか見えないのだ。
「たしか、商売で失敗されたんでしたっけ」
「本人の前では禁句よ、百冨」
父親の事業を引き継いだはいいが、新たに規模を拡げようとして金を使いすぎたときく。借金をすればいいだろうにねずみは高い利息を支払いたくないからと必死になって資金集めに翻弄している、とか。
損得勘定はできても実行に移すとなるとまだまだ未熟な彼は、窮地に陥って気づいたのだ。いっそ名ばかりの婚約者を正式に娶れば自分の懐に大金が転がり込んでくるという事実に。
「でしたらなおさら不思議です」
百冨は首を傾げてわたしに問う。婚約者であるわたしをなぜねずみは優しく扱わないのかと。
「知らないわよそんなこと」
生まれた頃から決められたという婚姻の約束。十五歳の時にはじめて出会った時から、彼はことあるごとにわたしを苛めている気がする。
自分より倍近い年月を過ごしているくせに、妙に子どもっぽくて、会うたびに憎まれ口を叩く。そんな彼が自分の夫になることが、わたしは未だ信じられない。
しょせん、両家の利益のためだけに仕組まれた縁組だ。男爵家に生まれたわたしに自由恋愛が認められるわけもない。お互いが好意を持って結ばれるなど夢のはなし。諦めは幼いころからついている。
「ですが、ご主人さまもそろそろ緋鞠さまの嫁入りについて本格的に考慮されていますし……これ以上病を理由に遠ざけつづけるのは最早難しいと思いますよ?」
「そうみたいね」
ねずみの窮地を知ったからか、父はわたしの結婚式を今年中に執り行うと言い出した。虚弱体質でしょっちゅう寝込んでいることを知っていながらそんなことを口にした父を裏切り者だと罵りたくもなったが……百冨のいうとおり、家長の命令ならば、従わざるおえないのも事実。
だから結婚式の日取りを決めるという名目でねずみはわたしに逢いに来たはず。なのに。
結局、具体的な話は何もできないまま、彼は怒って帰ってしまった。
「わたしも彼も、踊らされているのはおんなじなのよね」
いやなら断ってくれればいいのにとも思うが、ねずみはわたしの父に頭があがらない。だからきっと、虚弱体質の娘を押しつけられても彼には文句が言えないから、わたしにやつあたりをしているのだろう。
……だけど、いつもやつあたりされているわたしの気にもなってほしいものだ。
遅かれ早かれ、夫婦となるのだから。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜
船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】
お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。
表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。
【ストーリー】
見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。
会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。
手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。
親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。
いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる……
托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。
◆登場人物
・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン
・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員
・ 八幡栞 (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女
・ 藤沢茂 (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。
快楽のエチュード〜父娘〜
狭山雪菜
恋愛
眞下未映子は、実家で暮らす社会人だ。週に一度、ストレスがピークになると、夜中にヘッドフォンをつけて、AV鑑賞をしていたが、ある時誰かに見られているのに気がついてしまい……
父娘の禁断の関係を描いてますので、苦手な方はご注意ください。
月に一度の更新頻度です。基本的にはエッチしかしてないです。
こちらの作品は、「小説家になろう」でも掲載しております。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
情事の風景
Lynx🐈⬛
恋愛
短編集です。
Hシーンだけ書き溜めていただけのオムニバスで1000文字程度で書いた物です。ストーリー性はありませんが、情事のみでお楽しみ下さい。
※公開は不定期ですm(>_<)mゴメンナサイ
※もし、それぞれの短編を題材に物語を読みたいなら、考えていきますので、ご意見あればお聞かせ下さい。
壁の花令嬢の最高の結婚
晴 菜葉
恋愛
壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。
社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。
ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。
アメリアは自棄になって家出を決行する。
行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。
そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。
助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。
乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。
「俺が出来ることなら何だってする」
そこでアメリアは考える。
暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。
「では、私と契約結婚してください」
R18には※をしています。
女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集
春
恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。
【女性向けR18】性なる教師と溺れる
タチバナ
恋愛
教師が性に溺れる物語。
恋愛要素やエロに至るまでの話多めの女性向け官能小説です。
教師がやらしいことをしても罪に問われづらい世界線の話です。
オムニバス形式になると思います。
全て未発表作品です。
エロのお供になりますと幸いです。
しばらく学校に出入りしていないので学校の設定はでたらめです。
完全架空の学校と先生をどうぞ温かく見守りくださいませ。
完全に趣味&自己満小説です。←重要です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる