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第肆幕 嫌いと嘯く声音の行方
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しおりを挟む「僕と一緒に、逃げよう」
真摯な瞳が翡翠を射抜く。皓介は翡翠がいやいや歌姫として舞台に立ったのだと思い込んでいる。そうではないと翡翠が言おうとしても、彼はきく耳を持たない。
「ちが」
「翡翠が消えてしまって、僕はすべてを失った。春には医師免許を取得して、きみとの結婚に弾みをつけるはずだったのに……大学だって留年が決まったし、父男爵には呆れられたよ。お前なんか息子じゃない、だって」
絶望に満ちた皓介の昏い声に、翡翠は何も言えなくなる。
「翡翠を金で攫って行った金城氏が何者なのか調べようにも帝国大の名簿は膨大で調べるのが大変だったよ。みどりさんが言っていた金城朝周なんて名前、どこにもなかったし」
あったのは金城周、という男だか女だか理解できない名前だけだと、皓介は零す。
「――あまね」
そういえば、帝国大学を休学中だと彼自身が口にしていた気がする。彼の名を耳にした翡翠が明るい表情をしたのを不服に思ったのか、皓介は悔しそうに口をひらく。
「小鳥遊愛間音……なんだな」
魔法のように声音を変えられる中性的な歌姫を思い出し、皓介は舌打ちをする。
舞台の上でアマネが翡翠に注いだ視線の熱さに、皓介は気づいていた。あれは彼女に恋するものの視線。自分だけが彼女の隣にいたと思っていたのに、気づけば翡翠はアマネに花が綻ぶような笑顔を向け、咲っていた。
もはや自分は過去のものでしかないのか。
「皓介さま、わたしを歌劇団に返して」
「いやだ」
「もう、彼方との婚約は破棄されたんです、いまさら一緒になど行けません!」
「金か? 金なら僕が金城氏に払う。そうすればすべて元通りじゃないか。翡翠が歌姫になって働く必要なんかどこにもない」
たしかに、はじめのうちは翡翠もそう考えていた。自分が働いて父の借金を完済し、自由になって家族のもとへ戻り、皓介とやり直すのだと。
けれど、翡翠は金糸雀歌劇団に出逢ってしまった。アマネに出逢ってしまった。個性的な仲間や楽しい歌と躍りに魅せられ、自分もまた舞台に立つ楽しさを知ってしまった。アマネに愛される悦びも知ってしまった。翡翠のなかで歌劇はすでに、お金を稼ぐための手段ではなく、生きていくうえで必要な呼吸のような存在になってしまったのだ。
――きっとこれが、アマネが言っていた『すきで鳥籠のなかにいる』ということ。
歌姫として金糸雀歌劇団にとどまる彼は、舞台の虜囚だ。そしてまた翡翠も囚われたのだ。アマネのいる華やかな歌劇の世界という名の鳥籠に。
あのときめきを知ってしまったいまは、もとの生活になど耐えられそうにない。退屈な女学生に戻って良き妻になるための礼儀作法など学ぶくらいなら、アマネと一緒にもっと歌って躍りたい――……!
「……アマネの嘘ツキ」
きっと、アマネは皓介が来ることを知っていたのだ。だから、奪われないように翡翠を抱いた。彼の求愛は嘘じゃない、けれど、彼は翡翠が嫌々抱かれたことにして、元婚約者との再会を演出したのではないだろうか。翡翠を諦めきれない皓介のもとに戻る選択肢を、わざと与えて……?
だけど……嫌いでいる、なんて嘘、もう誰にもつきたくない。
「翡翠?」
「――ごめんなさい、皓介さま」
一言ひとこと、噛みしめるように口にしてから、翡翠はすぅぅっと、深呼吸する。
そして。
「たすけて、人攫いぃぃぃいぃいいい!」
翡翠は発声練習の成果を実践した。
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