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第五話
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「なんだか恋愛相談室の室長になったような気分だよ」
「先生に相談しているわけじゃありません」
これは相談じゃなくて報告だと楢原に告げる柚木。どこからどう聞いても愚痴から生じた恋愛相談だと思う楢原。
水槽の中で暢気に漂っているウーパールーパーの群れを見つめながら、どうして自分は教え子の恋愛相談を受けているんだろうと、肩を落とす。
それから視線を、とぼけた顔したウーパールーパーから真面目な表情の柚木へ移す。断じて恋愛対象として捉えたわけではないと自分に言い訳しながら。
意識してはいけないと思う。自分は今、ただの一介の教師にすぎない。深入りもいけない。だけどそれが積み重なるにつれて、歯車は狂っていく。
自分に愛する妻と子どもがいるのは事実だし、二人を護るのは自分であると理解もしている。
――じゃあ、目の前にいる彼は?
曇りのない、柚木の双眸に見つめられるのが苦手だ。ひとりぼっちになっても、精一杯生きようと輝いている彼。家族を失った彼がここにいたがる理由も、知っている。
……俺が、ここにいるからだ。
昔は年の離れた兄弟みたいに思えた関係が、今では教師と生徒という複雑なものになっている。それでも彼は……柚木は自分を慕っている。
それが心地いいことだと知っていて、何もしなかった。一足先に結婚した楢原を素直に喜んでくれた彼だ。恋を実らせることはできないから、傍にいてあげようと思った。
それなのに。
いつまでも水を怖がる彼を放っておけない、いとおしいと思ってしまう矛盾。
最初は同情だと思った。今もそうだと思いたいと。でも心の奥底で「なんか違う」と。
彼の声で囁かれた。
「先生」
突然黙り込んでしまった楢原の、深刻な表情に不安になる柚木。ゆのき。
違う、って何が?
ゆのき、と苗字を呼ぶ声が霞む。霞んで、暗闇に溶けそうな、懐かしい呼び名を、柚木は確かに耳にする。
「呼べ」
俺の名前を呼べ。先生なんて堅苦しい役職名で呼ぶな。あの時のように笑顔を見せろ。そうしたら抱きしめてやれるから。と。
彼がそう望むならと。挑むように両手を差し出す。破滅へ繋がるかもしれないひとつの未来を乗せて。
柚木は差し出された楢原の手に、おそるおそる近づいて。
* * *
ここ数日晴れ渡っていたからつい油断していた。今朝も太陽が顔を出していたが、午後から急に曇ってきた。にわか雨が降るかもしれないなぁと、橋上はアイボリーブルーの哀しげな空を見上げて考える。
校門を抜けて、バスに乗り込む。窓越しに見える空の色はだんだんと黒ずんできている。これは一雨くるぞ。
そのとき、ふと浮かんだのは柚木の淋しそうな表情。快晴の空の下で自転車を思いっきり漕いでいた彼とは正反対の、神経質で無愛想な、それでいて放っておけない水嫌いの少年の幼さが残る顔。
幸い、鞄の中には折りたたみ傘が一本入っている。完全防水にはならないだろうが、彼を濡れさせないことくらいならできるだろう。余計なお節介かもしれない。でも。
暗雲の隙間から真っ白な春雷が煌く。同時にぽつん、ぽつんと窓を叩きだす雨粒。
さぁぁぁ、という春雨の音が、橋上を急かす。緑潤す天からの恵みの雨が、なぜか忌々しいものに感じられるのはどうしてだろう。
――会いたい。
会えるかどうかもわからないのに、橋上は柚木の通う学園前の停留所で、タラップを踏む。
「先生に相談しているわけじゃありません」
これは相談じゃなくて報告だと楢原に告げる柚木。どこからどう聞いても愚痴から生じた恋愛相談だと思う楢原。
水槽の中で暢気に漂っているウーパールーパーの群れを見つめながら、どうして自分は教え子の恋愛相談を受けているんだろうと、肩を落とす。
それから視線を、とぼけた顔したウーパールーパーから真面目な表情の柚木へ移す。断じて恋愛対象として捉えたわけではないと自分に言い訳しながら。
意識してはいけないと思う。自分は今、ただの一介の教師にすぎない。深入りもいけない。だけどそれが積み重なるにつれて、歯車は狂っていく。
自分に愛する妻と子どもがいるのは事実だし、二人を護るのは自分であると理解もしている。
――じゃあ、目の前にいる彼は?
曇りのない、柚木の双眸に見つめられるのが苦手だ。ひとりぼっちになっても、精一杯生きようと輝いている彼。家族を失った彼がここにいたがる理由も、知っている。
……俺が、ここにいるからだ。
昔は年の離れた兄弟みたいに思えた関係が、今では教師と生徒という複雑なものになっている。それでも彼は……柚木は自分を慕っている。
それが心地いいことだと知っていて、何もしなかった。一足先に結婚した楢原を素直に喜んでくれた彼だ。恋を実らせることはできないから、傍にいてあげようと思った。
それなのに。
いつまでも水を怖がる彼を放っておけない、いとおしいと思ってしまう矛盾。
最初は同情だと思った。今もそうだと思いたいと。でも心の奥底で「なんか違う」と。
彼の声で囁かれた。
「先生」
突然黙り込んでしまった楢原の、深刻な表情に不安になる柚木。ゆのき。
違う、って何が?
ゆのき、と苗字を呼ぶ声が霞む。霞んで、暗闇に溶けそうな、懐かしい呼び名を、柚木は確かに耳にする。
「呼べ」
俺の名前を呼べ。先生なんて堅苦しい役職名で呼ぶな。あの時のように笑顔を見せろ。そうしたら抱きしめてやれるから。と。
彼がそう望むならと。挑むように両手を差し出す。破滅へ繋がるかもしれないひとつの未来を乗せて。
柚木は差し出された楢原の手に、おそるおそる近づいて。
* * *
ここ数日晴れ渡っていたからつい油断していた。今朝も太陽が顔を出していたが、午後から急に曇ってきた。にわか雨が降るかもしれないなぁと、橋上はアイボリーブルーの哀しげな空を見上げて考える。
校門を抜けて、バスに乗り込む。窓越しに見える空の色はだんだんと黒ずんできている。これは一雨くるぞ。
そのとき、ふと浮かんだのは柚木の淋しそうな表情。快晴の空の下で自転車を思いっきり漕いでいた彼とは正反対の、神経質で無愛想な、それでいて放っておけない水嫌いの少年の幼さが残る顔。
幸い、鞄の中には折りたたみ傘が一本入っている。完全防水にはならないだろうが、彼を濡れさせないことくらいならできるだろう。余計なお節介かもしれない。でも。
暗雲の隙間から真っ白な春雷が煌く。同時にぽつん、ぽつんと窓を叩きだす雨粒。
さぁぁぁ、という春雨の音が、橋上を急かす。緑潤す天からの恵みの雨が、なぜか忌々しいものに感じられるのはどうしてだろう。
――会いたい。
会えるかどうかもわからないのに、橋上は柚木の通う学園前の停留所で、タラップを踏む。
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