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Ⅶ 禍星の剣、月に架かる夜闇を断ちて * 3 *

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「初日からよくやってくれた。こっちもスムーズに『星』を手に入れることができた。この調子で、『夜』の斎のちからも手に入れられるよう、謡子に手配させよう」

 万暁は満足そうに昼顔の前で笑顔を見せる。初日から『夜』の騎士と彼に引っ張られていく『夜』の斎であろう少女の姿を目撃したことを報告すると、万暁は嬉しそうに昼顔を褒めてくれた。たぶん、謡子が椎斎の結界に傷をつけて『星』の斎を施設から連れ出すことができたことから万暁は上機嫌なのだろう。
 昼顔はクラスメイトの少年を思い出す。名前は留萌智路。どこかで見たような雰囲気だったが、彼もコトワリヤブリの一員のようだからきっと同じようなちからを持っているのだろう。こっちがコトワリヤブリを壊す、と宣戦布告めいたことを口にしても、感情的になることもなく、じっとこちらを窺っていただけだったが……

「どうした。何か不安なことでもあったか」
「クラスメイトにコトワリヤブリの少年がいました。どこに属しているかはわかりませんが不審に思われたのは事実です」
「どうせ傍流だろう。放っておけ」

 万暁はそう言い捨てて昼顔の前から姿を消す。眠りつづける『星』の斎のもとへ向かうのだろう、昼顔は頭を垂れたまま、そっと唇を噛みしめる。
 主さまは前世から探し続けていた愛する少女をついに手に入れたのだ。これでいいはずなのに、なぜ、胸が苦しくて、しくしくと痛むのだろう。

「苦しい?」

 何を莫迦なことを。主さまは最初から昼顔を見ていないのだ。見ているのは『星』の斎に封じられている鬼姫の魂だけ。器が誰であろうがきっと、前世の記憶を色濃く引き継ぐ彼は探し出して自分のものにしたに違いない。

「あ、昼顔。こっちに来てたんだ」
「謡子」

 椎斎市内にあるアパルトメントの一室に、万暁たちはいる。彼が医師として勤めていた鎮目医科学研究所からもそう遠くない場所だったため、昼顔も授業を終えてから赴いたのだ。

 ――まさかすでに主さまが『星』の斎を手に入れているなんて。

 昼顔が見た『星』の斎は物語の世界にでてくるお姫様のように可憐だった。金に近い髪色に白磁の肌。気を失っていたから瞳の色は確認していないが、きっと美しいに違いない。自分とは大違いだ。

「その様子じゃ、『星』の斎とご対面したね」

 あっさり謡子に指摘を受け、昼顔はこくりと頷く。

「でも、まだ『夜』の斎がもつ神のちからを手に入れてないわ。主さまが『星』と添い遂げるためには『夜』の斎神を降臨させる必要があるんでしょう?」
「そのために手を打っておいたわよ。いま、鎮目医科学研究所は椎斎だけでなく、外からも集められた瘴気をもろに浴びている状態なの。彼らは瘴気を祓うためにコトワリヤブリに助けを乞うに違いないわ。そこで『夜』の斎をここまで連れてくれば……あとは主さまが保管している『夜』の宝珠をつかえばいいでしょ?」

 そう言って、謡子は昼顔へ手を差し出す。

「だから、一緒に現場に行って『夜』の斎がどの少女か教えて、昼顔」

 差し出された手を掴むと、ぱぁっと青白い光に包みこまれる。そのまま、ふたりの姿はかき消え、昼顔が瞳を開けたときには、鎮目医科学研究所の建物の前に立っていた。
 真っ白なお城のような外見だが、雨に煙っているからか、瘴気が渦巻いているからか、とても不気味で不吉な感じがする。

「いくよ」

 怯えた表情の昼顔に、謡子が声をかけ、あらためて握っていた手にちからを込める。


   * * * * *


「それじゃあ、ジークに呼ばれて学園に行っている間に、せのんは襲われたんですね」
「たぶん、見計らっていたんだろう。眠っている間ならすこしくらい離れていても平気だと思ったが……黒幕が担当医だったとは」

 口惜しそうなクライネに同意しながら、智路も毒づく。

「俺は何度か顔を合わせただけだから詳しいことはわからないけど、せのんはきっと裏切られたと思うだろうな」

 せのんが教えてくれた担当医の名前は万暁。どうやら鎮目一族の人間だと思い込んでいたせのんは苗字についてあらためて訊こうとは思わなかったらしい。

「たぶん、簡単な目くらましの術でもかけられたんだろう。セノンは自分が思っている以上に他者から発信されるちからを敏感に察知する体質だからな」
「ところで、御神木が焼かれたってのは」
「左右で瞳の色が異なる少女が夜明け前に亀梨神社を急襲したそうだ。『月』の影が撃退したそうだが、その際に傷つけられたらしい」
「それで、こんな状態に陥っているわけか」
「だろうな」

 黒いのは煙ではなくひとに害を与える瘴気の靄だが、施設内はまるで火災現場のようだ。
 破魔のちからを持つクライネがせのんの病室のある五階から浄化作業を試みているが、黒い靄はそれを嘲笑うかのようにすり抜けて下の階へと潜り込んでいく。まるで、靄自体が意志を持って動いているみたいに。

「さいわい、人型に化してはいないが、固まるのは時間の問題だろう。それよりチロルくん、先に下階の様子を見てきてくれないか? 研究所の人間はさきほどの銃声で自主的に避難していると思うが、誰か残っているかもしれないからね」

 実質、研究者の大半は鎮目一族の人間なので多少の瘴気なら免疫はあるはずだが、ここまで瘴気が膨れ上がると耐えられずに発狂して自ら命を投げ出しかねない危険性がある。

「わかりました、先に行ってますね」

 気をつけて、と零しながら智路が非常階段の方へ駆けていく。それを見送り、クライネはポケットからボールペン程度のおおきさの黒檀の杖を取り出し、軽く振り上げる。

「――『月』の子が助力を乞う、きたれ、我らが当主よ」

 振り上げられた杖の先に、男もののスニーカーが乗っかる。見上げれば烏羽色の翼を拡げた『月』の切り札であり戦女神の影である不老の少年が、「呼んだー?」と気の抜けた声をあげて舞い降りていた。
 黙って首を振るクライネを見て、景臣はああ、と思いだしたように手を叩く。

「誰かと思えばクライネくんじゃないか! てっきり『月』の一族のことなんか忘れて『星』の愛娘の傍にいるんだと思ったけど、オレをお呼びということは、何か困ったことが起こったんだね!」
「そのとおりです。オイラの愛娘が連れ去られました」

 景臣の妙なテンションにも動じず、クライネは事実を淡々と告げる。景臣はふーんと頷き、「それで?」と続きを要求する。

「この施設へ逆斎の人間が関与することは原則禁じられていますがいまは緊急時です。助けてください」

 率直なクライネの求めに、景臣も頷く。

「他の一族といがみ合っている場合じゃないのはこの瘴気の濃さで理解できるよ。それに、御神木を傷つけられた個人的な恨みもあるからね……『オレ』のちからを貸してあげよう」

 ただし、と景臣はクライネに見返りを口にする。傍流とはいえ破魔のちからを持ち、『星』を擁する鎮目一族と親密なクライネが『星』の斎のために隠された『月』の当主切り札を使うのだから、それなりの報酬が必要なのだ。

「なんなりと、当主さま」

 いまにも跪きそうなクライネを見て、景臣は苦笑を浮かべる。

「すべてが終わったら、オレにもその可愛い愛娘を紹介してくれ」

 月架や理破はせのんと面識があるが、景臣は『星』の斎となった少女のことを知らない。父親代わりのクライネに了承を取り付けることができれば、問題ないだろうと踏み、口にしたのだ。
 てっきりもっと難しい要求をされると思っていたクライネはきょとん、とした顔で景臣を見つめている。

「そんな、オレは悪魔じゃないんだから人間の魂なんか食わないって」

 そう言われて、クライネもホッとしたように笑みを浮かべる。

「よろこんで。当主さま」

 そうして、瘴気が淀む下の階へとふたりは足を踏み入れていく。
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