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+ 2 + Side of Haruma

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 俺が幼馴染の真垣まがき風歌ふうかを異性として意識しはじめたのは小学校五年生の頃のことだ。それまではお互いに乗馬クラブでどっちが速いかとかどっちが多く障害物をクリアしたかとかくだらない言い争いを繰り返しており、幼い頃から俺たちの様子を見せつけられていた兄からは呆れられたものである。

「お前、フーカちゃんに張り合いすぎだっての。相手は女の子なんだぞ」
「はっ? 近年じゃ女性騎手だってメジャーだろ。それに向こうが突っかかってくるんだ。俺は悪くない!」

 俺より九つ年上の兄の昌馬しょうまは父親と同じ大学に入り、いまでは馬術の国体選手としても活躍している。当時十歳の俺は兄には敵わないと理解していたから、そのときから馬術ではない、レースで活躍する騎手になりたいと考えるようになっていた。
 その一方で、ずっとフーカと馬に乗っていられたらと願う自分がいるのも事実だった。

「クイーンシュバルツの青い瞳を見てると、自分がちっぽけだなって思えてくるんだ」

 フーカが自分のベストパートナーとしてクイーンシュバルツを選んだのもちょうどこの頃。地方競馬を引退し、種馬としての役割を終えた牝馬は、漆黒の毛並みが美しい馬だった。フーカをちいさな女主人と認め、ともに風になって馬場を駆けていた。
 彼女のしなやかな疾走に、俺は惹かれた。速いだけではない、彼女だから操ることのできる軽やかな風。名前のとおりに歌っているかのようだった。フーカが楽しそうに馬を走らせていると、俺も嬉しい。
 彼女がクイーンシュバルツに向ける熱のこもった眼差しを見ていると、自分が見つめられているわけでもないのに胸がときめいた。俺に張り合って馬を走らせていた彼女が、老いたパートナーを優先するようになったのを見て一抹の寂しさも感じた。あれはもしかしたら嫉妬だったのかもしれない。当時の俺は牝馬に嫉妬するなんて思いもしなかったけれど。

 馬を走らせながら風と歌うフーカはきれいだった。
 中学校に入ってからようやく自分の気持ちに気づいた俺は、ずっと前から彼女のことがすきだったのだと、痛感した。

 けれど――俺は初恋を封印した。
 落馬事故でクイーンシュバルツと死に別れた彼女は、乗馬を諦め、俺のことを避けはじめたから。


   * * *


 そして彼女との接点を失ったまま、中学三年生になった。俺は相変わらず地元の乗馬クラブに毎日顔を出して馬に乗っていた。プロ騎手になりたいと両親に告げれば、わかっているとばかりに家族は応援してくれた。ほんとうならフーカにも伝えたかった。けれど臆病な俺はけっきょく声をかけることができなかった。

「ハルマ、競馬学校に進学するってほんと!?」

 年明けの試験に合格した俺のことを家族の誰かが彼女に伝えたのだろう。クイーンシュバルツの死から一年と三ヶ月が経っていたその日、フーカが俺に問い詰めてきた。そうだ、と頷く俺を見て、彼女はどこか安堵した表情をしていた。
 騎手になるには中学卒業後に競馬学校へ入学する必要がある。募集は年に十人ちょっとという狭き門だ。彼女も競馬好きの父親を持っているから、騎手になる方法については知っていたのだろう。

「おめでとう。ずっとプロ騎手になってダービーに出たいって言ってたものね」
「まだ、スタート地点に立ったばかりだよ」
「それでも。すごいことじゃない。ショーマお兄ちゃん鼻高々で教えてくれたよ」
「兄貴か」

 フーカが乗馬をやめてからも、兄は彼女のことを気にかけていたらしい。俺との仲がぎくしゃくしていたことにも気づいていたくらいだ。俺がなにも言わずに競馬学校へ進学するとでも思ったのだろう……余計なことを。

「だけど、中学卒業したらしばらく会えなくなるね」
「そうだな」

 競馬学校は全寮制だ。早朝から馬の世話を行いながら、勉強と実技を三年で身につける必要がある。三年間の厳しい寮生活の後にプロ騎手実技試験を受け、卒業できたものだけがプロとして認められる。
 恋愛などもちろんする暇もない。世界的には女性騎手も注目されているが日本ではまだまだ男性騎手の数が多い。プロになれば出会いの場は増えるだろうが、それでも馬が恋人だと宣言する騎手もいるくらいだ。

「フーカは?」
「あたしは、まだこれからだよ」

 彼女の本命だという公立高校の受験は三月上旬だという。一月のうちに決めてしまった俺を恨めしそうに見つめて、彼女はくすりと笑う。

「ハルマが夢に向かってるってわかったから、あたしも頑張れそう」
「フーカの夢?」
「うん。あたし、ようやく自分のやりたいことを見つけられた気がするんだ」
「フーカのやりたいこと?」
「ん。うまくいけば、ハルマみたいなひとたちを支えられるお仕事」

 幼い頃から馬を通じてしかかかわることのなかった俺は、馬とともにいるフーカのことしか見ていなかったことを悟る。彼女がすきなことややりたいことなど、気にしたこともなかった。

「え」
「……やっぱり内緒」
「なんだよそれ」
「ハルマがプロ騎手になるまで教えないっ」

 自分で支えたいと言いながら頬を赤くして、フーカは顔を背けてしまった。
 そんな彼女を見て可愛いと、俺もまた、顔を赤くしながら思うのだった。
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