上 下
5 / 41

第5話 アメリス、逃げる

しおりを挟む
「えっと、その……」

 想定外にも程がある出来事に頭が真っ白になってしまう。何を話していいか分からず思考が止まる。

「どうしてマハス公国の令嬢がこんなところにいるんですか⁉︎ しかも普通の町娘みたいな格好をして。どうしたんですか?」

 しかし思考が止まっても時間は止まってくれない。ロストスは次々と質問を投げかけてくる。

「靴だってすごく汚れてるじゃないですか。一体何があったんです?」

 ロストスは立ち上がって、夢中になっていた食事などそっちのけで私に詰め寄ってきた。彼は私よりも少し小柄であり、私のことを下から見上げるような形になる。彼の目はしっかりと私のことを捉えていた。まるでヘビに睨まれたカエルみたい。

「ひ、人違いですっ!」

 私は言葉に詰まってしまい短くそう言うと、ロストスからすり足で少し離れてから、彼に背を向けて店の入り口付近で待っているヨーデルの元へ一気に駆け出した。

「待ってください、人違いならどうして逃げるんですか!」

 後ろからロストスが声を張り上げて私に叫ぶのが聞こえた。他のテーブルで食事をとっている客の視線が集まっているような気がする。

「ヨーデル、このお店から出るわよ。私を知っている人に見つかった!」

 私は店の中を走りながらヨーデルに向かって呼びかける。彼は状況が掴めていないのか、ポカンとしてドレスの残骸の入った袋を抱えていたが、私の言葉を聞いて「だから言ったじゃないですか!」と言いつつ大通りの群衆の中へと走り出した。右手でくいくいと手招きをしているのでどうやら俺についてこいということらしい。

 ヨーデルの進む方向に従って私は全力で走った。

「落ち着いて話しましょう、アメリスさん!」

 群衆の中に入っても私を呼ぶ声は後ろから聞こえてくる。まずい、このままではいずれ追い付かれてしまう。

「アメリス様、こっちです!」

 するとひたすら人の群れの中をまっすぐ走っていたヨーデルが方向転換をして大通りからそれた横道に入った。私もそれに追随する。

 しばらく横道を走っていると、先ほどの薬屋に向かう道と同様にどんどん人通りは少なくなり、薄暗くなっていく。

「ヨーデル、こっちで大丈夫なの? 闇雲に走るのはかえって危険じゃない?」

 私は前を走るヨーデルに問いかける。

「マスタールのこの商業地区なら何度も来てますし、多少の裏道も知ってます。安心して俺についてきてください」

 袋を抱えたまま走るヨーデルはこちらを振り返らずに言った。守るべき領民だと思っていた彼の背中が妙に逞しく見える。

 細い道を何度も曲がり、二股に分かれている道を三回ほど右に進んだところで行き止まりに来てしまった。だがロストスの姿はいつの間にかなくなっていた。どうやら撒くことに成功したらしい。

「ここまで来れば大丈夫じゃないですか。全くアメリス様はとんでもないことをやらかすんだから……」

 ロストスが追いかけてこなくなったことで少し気が緩んだのか、ヨーデルはしゃがみ込むとふぅと息をついた。

 その姿を見て、私もずっと走っていた疲れが急に襲ってきて地べたにお尻をつけて座り込んでしまう。

「私が悪いんじゃなくて本当に運が悪かったのよ。だってあんな偶然ありえる? たまたま声をかけた相手が知り合いだなんて」

 本当にまいっちゃう、こんなに走ったのいつぶりだろう。

「わかりましたよ。それで、あの人は一体誰なんです?」 

 ヨーデルは「はぁ」とため息をついたあと、私に問いかけてきた。

「彼はロストス。マスタールの若い実業家よ。貧民街から成り上がった手腕を買われてパーティーに出席していたの。その時知り合ったのよ」

 ふーん、俺とはだいぶ身分が違うみたいですね。ヨーデルが少し口角を下げて言った。だがその時であった。

「そうだね。見たところ君はただの農民のようだし持っている財産に天と地ほどの差があるだろう。そんな君がアメリスさんを連れているなんてどういう風の吹き回しだい?」

 背中から会話に参加する声が聞こえた。私と向かい合う姿勢で座っているヨーデルの顔が急に強張る。

 私も恐る恐る後ろを見た。そこにはあり得ない光景が広がっていた。

「うそ、どうして……!」

「アメリスさん、確かに俺は貧民街からの成り上がりですが一言忘れてますよ。マスタールの地下貧民街の出身なんです。マスタールの地下に広がる地下道を駆使すればあなたたちにバレないよう追跡するなんて朝飯前です。さあ話してもらいますよ、なにがあったかを」

 そこには撒いたはずのロストスがいた。ここは行き止まりだ、逃げ場はない。

 ロストスが少しずつ近づいてくる。その動作はゆったりとしていたが、一歩一歩と私たちを追い詰めていく。

 せっかくここまでなんとかなっていたのに……。

 緊張で体が動かない。だがヨーデルは違った。ロストスと私の距離が二歩分ほどになった時、ヨーデルは素早く立ち上がり私に背を向けて手を広げた。

「アメリス様には手出しはさせない!」

  ヨーデルの声が響き渡り、道を塞ぐようにしてロストスの前に立ちはだかる。空気は張り詰め、まさに一触即発である。

先に動いたのはロストスであった。ヨーデルも身構え、体がこわばっているのが背中越しにわかる。

 だがロストスは殴ったりするわけでなく半歩ほど前に出ると、

「なにか勘違いしてませんか? 僕は別にアメリスさんをとって食おうってわけじゃないんですよ? ただ事情があるならその手助けをしたいだけです」

 と言った。想定外の言葉に驚いて少し横にずれてロストスを見ると、やれやれといった表情で手をひらひらとさせていた。

「「え?」」

 私とヨーデル、二人して間抜けな声を出してしまう。

「だってそうでしょう。捕まえてロナデシア家につきだすとでもいいましたか? 僕はただ事情が知りたいだけです。そうしたらあなたが急に逃げたんですよ」

 そうだ、よく考えてみれば知り合いに会ったからといって必ずしもその人物が私にとっと都合の悪い人物とは限らない。

「それじゃあ、逃走したのはアメリス様の早とちりってことですか?」

 通せんぼの体勢のままでヨーデルは座り込む私を見た。

「……そうみたい」

 少し目を逸らして私は言った。じっとりとしたヨーデルの視線が痛い。でもあなただって私の正体がバレたら大変だって心配してたじゃない、私だけが失敗したみたいに言わないでよ。

「で、でもロストスがこんなに親身になってくれるなんて思わなかったのよ。さっきも言ったけど私とロストスは一回パーティで会っただけの関係よ? しかも誘われた食事会はお母様が勝手にキャンセルしたし。逃げるのが無難じゃない?」

 ロストスと私はそれだけの関係だ。特別親しいわけでもない。言い訳がましい口調になるが、事実なのだ。

「それは本当ですか?」

「ええ、正直ね。あなたが私の手助けをするって言うなんて思わなかったもの」

 私がそう答えると、ロストスは「いえ、そっちじゃなくて」と前置きしてから、

「食事会の方です。僕のことが嫌になってキャンセルになったとテレースさんから聞いたのですが」

 と言ってきた。

 テレース、お母様の名前だ。思い返してみるが、そんなことを言った覚えは一切ない。完全なる彼女の捏造である。

「私はそんなこと少しも思ってないわよ」

 と返したところ、ロストスは突然笑みを浮かべ、くくっと声にならない声をあげた。

 どうしたのかしら、私そんなに面白いこと言った?

 ロストスが急に笑い出したので不思議に思っていると、彼は言った。

「アメリスさん、僕があなたに手助けしたいと言った理由を教えましょうか?」

 ロストスはヨーデルの横を通り私の前まで来てひざまずき、依然として座っている私と目線を合わせてから、

「それは僕があなたに惚れているからですよ、アメリスさん」

 と告げた。やはり彼の目は私をまっすぐ捉えていた。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく
ファンタジー
 「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。  さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。  失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。  彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。  そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。  彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。  そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。    やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。  これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。  火・木・土曜日20:10、定期更新中。  この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。

魔力無しだと追放されたので、今後一切かかわりたくありません。魔力回復薬が欲しい?知りませんけど

富士とまと
ファンタジー
一緒に異世界に召喚された従妹は魔力が高く、私は魔力がゼロだそうだ。 「私は聖女になるかも、姉さんバイバイ」とイケメンを侍らせた従妹に手を振られ、私は王都を追放された。 魔力はないけれど、霊感は日本にいたころから強かったんだよね。そのおかげで「英霊」だとか「精霊」だとかに盲愛されています。 ――いや、あの、精霊の指輪とかいらないんですけど、は、外れない?! ――ってか、イケメン幽霊が号泣って、私が悪いの? 私を追放した王都の人たちが困っている?従妹が大変な目にあってる?魔力ゼロを低級民と馬鹿にしてきた人たちが助けを求めているようですが……。 今更、魔力ゼロの人間にしか作れない特級魔力回復薬が欲しいとか言われてもね、こちらはあなたたちから何も欲しいわけじゃないのですけど。 重複投稿ですが、改稿してます

聖女は祖国に未練を持たない。惜しいのは思い出の詰まった家だけです。

彩柚月
ファンタジー
メラニア・アシュリーは聖女。幼少期に両親に先立たれ、伯父夫婦が後見として家に住み着いている。義妹に婚約者の座を奪われ、聖女の任も譲るように迫られるが、断って国を出る。頼った神聖国でアシュリー家の秘密を知る。新たな出会いで前向きになれたので、家はあなたたちに使わせてあげます。 メラニアの価値に気づいた祖国の人達は戻ってきてほしいと懇願するが、お断りします。あ、家も返してください。 ※この作品はフィクションです。作者の創造力が足りないため、現実に似た名称等出てきますが、実在の人物や団体や植物等とは関係ありません。 ※実在の植物の名前が出てきますが、全く無関係です。別物です。 ※しつこいですが、既視感のある設定が出てきますが、実在の全てのものとは名称以外、関連はありません。

【完結】特別な力で国を守っていた〈防国姫〉の私、愚王と愚妹に王宮追放されたのでスパダリ従者と旅に出ます。一方で愚王と愚妹は破滅する模様

岡崎 剛柔
ファンタジー
◎第17回ファンタジー小説大賞に応募しています。投票していただけると嬉しいです 【あらすじ】  カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。  聖女の名前はアメリア・フィンドラル。  国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。 「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」  そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。  婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。  ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。  そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。  これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。  やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。 〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。  一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。  普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。  だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。  カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。  些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。

自由気ままな生活に憧れまったりライフを満喫します

りまり
ファンタジー
がんじがらめの貴族の生活はおさらばして心機一転まったりライフを満喫します。 もちろん生活のためには働きますよ。

婚約破棄と追放をされたので能力使って自立したいと思います

かるぼな
ファンタジー
突然、王太子に婚約破棄と追放を言い渡されたリーネ・アルソフィ。 現代日本人の『神木れいな』の記憶を持つリーネはレイナと名前を変えて生きていく事に。 一人旅に出るが周りの人間に助けられ甘やかされていく。 【拒絶と吸収】の能力で取捨選択して良いとこ取り。 癒し系統の才能が徐々に開花してとんでもない事に。 レイナの目標は自立する事なのだが……。

婚約破棄ですか? ありがとうございます

安奈
ファンタジー
サイラス・トートン公爵と婚約していた侯爵令嬢のアリッサ・メールバークは、突然、婚約破棄を言われてしまった。 「お前は天才なので、一緒に居ると私が霞んでしまう。お前とは今日限りで婚約破棄だ!」 「左様でございますか。残念ですが、仕方ありません……」 アリッサは彼の婚約破棄を受け入れるのだった。強制的ではあったが……。 その後、フリーになった彼女は何人もの貴族から求愛されることになる。元々、アリッサは非常にモテていたのだが、サイラスとの婚約が決まっていた為に周囲が遠慮していただけだった。 また、サイラス自体も彼女への愛を再認識して迫ってくるが……。

戦地に舞い降りた真の聖女〜偽物と言われて戦場送りされましたが問題ありません、それが望みでしたから〜

黄舞
ファンタジー
 侯爵令嬢である主人公フローラは、次の聖女として王太子妃となる予定だった。しかし婚約者であるはずの王太子、ルチル王子から、聖女を偽ったとして婚約破棄され、激しい戦闘が繰り広げられている戦場に送られてしまう。ルチル王子はさらに自分の気に入った女性であるマリーゴールドこそが聖女であると言い出した。  一方のフローラは幼少から、王侯貴族のみが回復魔法の益を受けることに疑問を抱き、自ら強い奉仕の心で戦場で傷付いた兵士たちを治療したいと前々から思っていた。強い意志を秘めたまま衛生兵として部隊に所属したフローラは、そこで様々な苦難を乗り越えながら、あまねく人々を癒し、兵士たちに聖女と呼ばれていく。  配属初日に助けた瀕死の青年クロムや、フローラの指導のおかげで後にフローラに次ぐ回復魔法の使い手へと育つデイジー、他にも主人公を慕う衛生兵たちに囲まれ、フローラ個人だけではなく、衛生兵部隊として徐々に成長していく。  一方、フローラを陥れようとした王子たちや、配属先の上官たちは、自らの行いによって、その身を落としていく。

処理中です...