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十章 暗躍と思惑と

Ⅷ ヌガの池

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 ミジュナと魔力が合わさったものがニルド本城から二ノ門まで広がった。それは薄らと黒く、さながら黒い大湖のような状態である。

【ヌガの池】
 ネルジェナがヌガが泳ぐ水域を現世に引き上げた特異な術である。現在、この術を扱えるのはリブリオス、ゾーゴル合わせてもネルジェナしかいない。

 一ノ門付近の地中に位置するゾーゴルの領土。そこでネルジェナはヌガの池を起こしていた。
 数日前から池の下地を拵える為に魔力を漂わせており、ヒューガ達がニルド入国後に感じた冷ややかな魔力はその反動であった。
 ヌガの池が安定域に達するとネルジェナは勝利を確信した。
「女王陛下、ご覧ください! もう暫しすればニルドなど容易く墜ちます。こうも易々と、何一つ抵抗を見せぬ国。やはりニルドは腰抜け共の集まりでありましたぞ!」
 歓喜するネルジェナを余所に、フィーゼルはまだ勝利を確信出来ない何かを感じ取っていた。それは“嫌な予感”と思う感覚である。
「気を許すなよネルジェナ。如何に優位とはいえ、この無抵抗は何かの予兆かもしれん。なにせクーロの王もいるのだからな」
「ヒューガごとき、単に呪いを生まれながらに扱えるだけのボンクラにございます。ルダ程度に劣るカミツキなど、ヌガの池の敵では……――?!」
 何かがヌガの池に衝撃を起こした。それはあまりにも些細だが、ジワジワと何かがすり込まれるように広がっていく。術師であるネルジェナの身体に微かな痺れとザラついた肌触りを与えた。
「ええい気色悪い! なんだっ!」
 円陣内でヌガの池へと意識を飛ばす。地上の風景をみることは出来ないが、池内部の光景は見えるようになっている。
 気味悪い感触がするところを探っていると、二ノ門付近でヒューガの気配を感じる。

(あの愚王が? いや、奴ではない!)
 カミツキの魔力でも呪いでもない。全く別の、どこか清廉とした魔力に近い力が。
 それはスビナの巫力であった。
(何者だ!?)
 広げられる巫力は、紙ほど薄く、それでいて丈夫。広がる速さは馬の早足ほどだが、次第に速度を増していく。
 この薄い巫力がヌガの池へ与える影響は、今のところ大したモノではない。例え広がりきったところで支障は無いはずだ。そう思わせるも、ネルジェナの直感が危険と判断し、フィーゼルもスビナを警戒した。
「この局面にて見知らぬ術……。その力が広まるとヌガはどうなる」
「現時点では支障は無いかと。しかし、無意味とは思えず」
「であろうな、誰ぞの入れ知恵と考えるべきだ」
 真っ先にネルジェナの頭に浮かんだのは、師でありヌガを授けたコルバであった。
 思わず名前を口にし、フィーゼルがどのような人物かと尋ねた。
「長年ジュダ最大の岩山山頂に住む世捨て人のような老爺です。物知りで怪しい術の数々を知りながらも、全く振るわぬ体たらく。術の大半を私に教え、ヌガを貰い受けましたが……、ここで来る理由が分かりません」
「しかしヌガの池はおぬししか使えぬ大技だ。それを妨害する術を教えるとあらば、コルバなる老爺しかおらぬ。あの小娘が勘でヌガの池へ妨害を働くとあらば、内蔵する魔力が著しく計り知れぬもののはずだが、そうではないのだろ?」
「はい。ヌガの池の力を謀るなど不可能です。あの娘の魔力は他のモノよりは多いですが、池を阻むほどのものでは」
 まだ何かある。
 作戦に不穏な影を落とした。


 本城の大部屋へルバスとシオウは入った。
 つい先ほど、城周辺に黒い魔力の湖が出来ていると騒然となっていたが、唐突にコルバから念話をかけられ、幹部である二人は誘導されて大部屋へ訪れた。
「王よ、今ニルドに起きている事態を御存知で!?」
 ルバスは外に向かって声を上げた。
『説明は後だ。今は対処に当たらねば、日暮れ前にはニルドに生きる者全てが食われてしまう』
 それほど危険な存在だと知り、ルバスもシオウも言葉を失った。
「何か、手があるのでしたらお知恵を賜りたく御座います」
 シオウの問いかけへの第一声の返答は、『今、基板を作ってる』であった。
「王はこの事態を予期していたのですか?!」
『いや、異国の巫女の力を借りておる。そしてガーディアンの力もな。しかしこれでは足らん、本命の術師と拮抗した挙げ句、恐らくはこちらが力尽きて果てるだろうな』
「では、トドメの一押しは、どのように」
『シオウの天海魔術、ルバスの光輝の紋章を使う。トウマと呼ぶガーディアンは知っておるな、その者が力を発揮した際、場所はすぐに分かるだろう。ワシが効果を繋げる役を担うからお前達は力を注げ。黒い魔力の池が決壊するまでだ』
 指示はそこまで。
 ルバスとシオウの使う術は大がかりであればあるほどすぐには発動出来ない。溜めの時間、波長を整える時間と必要になる。
「ゆくぞシオウ、いつ指示があるか分からんからな」
 二人は大部屋の両端に分かれ、術を発動する準備にとりかかる。


 巫力の範囲を広げているスビナは、どうにか本城まで届いた時点で限界を感じる。すると、じんわりと負荷が緩むのを感じ、それが次第に大きくなる事態に驚いた。
「え、どうなって……」
 呟くと再びコルバの念話が聞こえた。
『スビナよ伝わったか?』
「今のは、コルバ様の?」
『いや、ガーディアンの神力だ。後に追い打ちの助力があるだろう。スビナは陣を維持し、巫術をもってこの池を祓え』
「ですが、どういった術で」
『穢れを祓う術を、自らで思案せよ。ワシでは巫術は分からん。おぬし次第だ』
 念話が途切れ、焦りでどんな術を使うか迷い、術の詠唱がなかなか思い出せなくなる。
 あれでもないこれでもないと悩むうちに、今度は地面から圧す力を感じた。それが追い打ちの助力ではないと実感した。巫力の膜を破るかの如く、荒々しく刺々しい気質と感じたからだ。
(まずい……、こうなったら、いくしか)
 腹を決め、立て直し、巫術にとりかかった。

「エルベ、セルグ、エザ、レイグ、カローネズ」
 足下の円陣が輝き、さらに二重三重と陣術の文面が刻まれた。
「暁の陽よ、精霊の歌よ、蔓延るミジュナに印を刻め。聖王の槍よ、天帝の剣よ、根付く杭を砕け。霊獣の爪をもって剥がせ、清廉なる霊鳥の息吹により飛ばせ」
 詠唱により張り巡らせた巫力の力が増す。加えてトウマの神力により密度を増した。
「生者の足枷たりうる禍き力よ、祓われん!」
 術を発動すると、スビナを中心に風が吹き、ヌガの池が上空へと舞い上がった。

 一方、巫術によるヌガの池を崩されたのを感じ取ったネルジェナは焦った。
「何者だあの娘は!?」
 冷静に恵眼にてスビナ、トウマ、そしてルバスとシオウを見たフィーゼルは、四人を繋げた人物まで行き着いた。
「あの老爺……やつがニルドの王か」
「ニルドの?」
「この奇襲においてこうも段取りよく事を進めるには、予期し、すぐさま知恵を働かせたのだろう。しかし常人であればいくら手立てを考えたとて何も出来んよ」
 それを成し得たコルバの実力を読み、これ以上の深入りが危険と判断した。次いで、確証の無い憶測を働かせるとヌガの池を祓いきる寸前、逆に利用されるとも。
「もうよいネルジェナ。ここは退くぞ」
「なりませぬ!」
 自信を持ち、この日のために粛々と広域のヌガの池の準備を整えてきたネルジェナにとって、失敗に終わり、その理由が見知らぬ巫女の術というのは自尊心を酷く傷つけられたに等しかった。
「今日この時をもって、我らゾーゴルは地上へと陣取り、地上の連中を根絶やしにするのです! 何処ぞの巫女風情に、私のヌガが破れはしません!」
 魔力を籠めた、ミジュナを籠めた、呪いを混ぜた。
 ネルジェナの強い意地を知るフィーゼルは、その気持ちを承知していた。だから強く止めなかった。

 地上にて、巫力を破る力が増したのを感じたスビナは、冷静に、巫力に集中した。
 巫力を破る力を抑えるのは、力を増すだけではない。原理として、荒ぶる力の波長の隙を突き、緩やかな波長へと変えてゆく術もある。
 現時点での巫力量がネルジェナの放つ力に劣るスビナは、波長のを鎮める方法でしか対抗出来ない。
 抵抗され、酷く苛立つネルジェナに対し、スビナは着実に波長を緩めつつあった。
「なぜだ! なぜ私のヌガの池を!」
 まだまだ続けようとした矢先、フィーゼルは強大な力を感じ取った。
(――なぜ今になって!?)
 驚くも、その力の主がこれから起こそうとする未来を読み取ったフィーゼルは急いでネルジェナへ命令した。
「今すぐヌガの池を解け!」
「嫌に御座います!」
「命令だぞ!」
「これはゾーゴルの!」

 言った矢先、強大な力を持つ存在。クーロより現われた、とてつもなく巨大な怪鳥が姿を現わした。
 赤と黒が入り混じるその巨体は、巨大な翼を広げ、見る者の心を惹きつける中、上空目がけて嘶いた。
「――ギェアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
 重厚感のある奇声が、生物全ての動きを止めるほど重くのしかかる。
 ヌガの池は瞬く間に弾け飛び、反動が、術師の身体に手酷い傷を負わせた。
「あああああ!!!」
 身体に切り傷を負い、肌のあちこちは爛れた。
 フィーゼルは傷の進行を緩める術と治癒術を同時に発動し、ネルジェナを介抱する。
「魔力と呪いが邪魔をする、無理やりにでも緩めよ!」
 忠告されずとも分かっているネルジェナだが、激しく力を使用した後はなかなか緩まらない。
「おのれ……小娘め……許さんぞぉ!」
 スビナへの憎しみの強さは、進行する傷の痛みを感じさせないほどに凄まじくなる。


 ◇◇◇◇◇


 ルダがヒューガから逃げた後のこと。
 そこは台地の不毛地帯の荒野。所々、大小も形状も様々が岩が転がっている。
 冷たい風が吹き付けては止みを繰り返し、時折強風が混ざる。
 崖付近の岩に腰かけ、眼下に広がる森や田園地帯や平地を眺める者がいた。エベックである。
 背後から誰かが歩みよる気配を感じて振り返ると、合わせたかのように風が吹き付けた。
「あら、意外と早かったわねルダ。貴方だったら気配を消して忍び寄ると思っていたけど」
 ルダはジェイク達へ向ける飄々とした様子であった。
「なんで俺が共犯者に気配消して近づくよ」
「共犯者だなんて物騒な呼び名。お仲間、でもいいじゃない」
「バレたら惨殺確定みたいな大ごとしでかそうとしてんだぜ。しっかりと犯罪じゃねぇか。“お仲間”なんて綺麗な言葉は、十英雄昔のツレがうってつけだろ」
「のらりくらりって生き様のくせに、考え方は堅いのね。それより、ここからがいよいよ本番よ、やり残したことはないかしら?」
「つっても、俺はあいつを連れてくるだけでお役御免だ。あんたこそ覚悟はいいのかよ」
「ええ。……としか言えないわね、どう足掻いても仕方ないことだし。ルダが最後の約束を、ちゃぁぁんと護ってくれれば本望かなぁ?」

 その約束は護ろうと破ろうと、ルダには問題ないことであった。このまま逃げおおせてもエベックは追わないし、報復もない。事実上、ルダはエベックとの協力関係をここで切っても良いのだ。
「安心しな。ここまで甘い汁吸わせて貰ったんだ。あんたの為に約束守ってやるよ」
 ルダの決心は固い。微塵も裏切るなんて考えは無かった。
「あら嬉しい言葉。土壇場であたしに惚れちゃった?」
「安心しろ、それはねぇよ。俺は恩義には恩義で、礼儀には礼儀をもって返すタチでな。とは言っても、俺には真似できねぇあんたの生き様には惹かれちゃいるんだぜ、この程度の雑用、完璧に遂行してやるよ」
 ルダは踵を返し、手を振って歩いた。
「そこであいつへ向ける言葉、しっかり考えとけよ」
 言いつつ、姿を消していった。
「嘘つきな男。それとも無自覚かしら? あたしも貴方も、信念の前で忠実に動いてるのよ」
 呟くと空を見上げた。
「そうは思わないかしら? “無限”ちゃん」
 呼びかけると、さらに強い風が吹き付けた。

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