奇文修復師の弟子

赤星 治

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二章 作品世界で奔走と迷走と

5 走って走って、また走る(前編)・祖父の趣味

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 冬の寒さが肌身に沁み始めた頃の事。

 デビッドはソファの上で仰向けで横たわり、右腕で目を抑えて唸っていた。
 二日酔いでも風を拗《こじ》らせたのでもない。走り疲れたからである。
 なぜ普段から運動をしないデビッドが走り疲れる事態に陥ったか。それは三日前に遡る。


 三日前。

 応接室に招かれた依頼人は、机に十冊の小説を積み上げて見せた。
 一冊一冊は五百ページはある小さい本である。

「……え、これ全部……ですか?」
 デビッドは呆気にとられつつ、依頼人に訊き返してしまった。
「ああ。儂の祖父が残した小説だ。今じゃ誰も読まんから変な文字が書かれても大して問題はないのだがな。妻や使用人が夜中に誰かが走る足音を聞いて不気味がっているんだ」

 依頼人は隣街の富豪・メイガスと執事のロベルト。
 奇文が憑いたのは小説十冊。

 メイガスが話した通り奇妙な現象は夜中に屋敷を走り回る足音が響くという。その現象と関係があるかどうかは不明だが、偶然使用人の一人が本棚から落ちた一冊の本を見てみると渦巻く奇文が憑いていたという。
 小説は全十巻の伝奇小説。尚更奇怪性が強く感じられ、今では祟りだなんだという始末である。

「お願いします。どうか此方の小説に憑く怨霊を祓って頂けないでしょうか」
 ロベルトは見事にデビッドを祓魔関連の者だと勘違いしている。
「屋敷に来ていただけるなら宿泊も許そう。徹底的に怨霊を祓ってもらいたい」
 口ぶりからメイガスも誤解している。
「一つ、誤解を訂正させて頂きます。我々は聖職者でないため祓魔関連とは無関係です。此方の小説に描かれた奇妙な文章や文字を消す修復作業を生業としていますので。もしお屋敷に怨霊がいるかなどが気になるのでしたら、そちらの街の聖職者を頼るほうが良いかと」
 一応、メイガスもロベルトも納得してくれた。その様子を伺い、デビッドは更に訊いた。
「奇妙な現象は走り回る足音だけですか? 他に奇妙な現象は?」
 訊いたが二人は特にないと答えた。
「では、この小説を購入したメイガス殿の御爺様はどういう経緯で購入したとか、何か思い入れがあったとかは?」

 流石に何一つ知らないメイガスはロベルトに目配せして返答を望んだ。

「はい。確かな理由では御座いませんが、メイガス様の御爺様・エリック様は、幻想譚を好んでおりました。不可思議な世界観に興味をお持ちになられたのでしょう。御屋敷も、エリック様がお亡くなりになるまで専用に所持していた三部屋は、不思議な世界観を作り上げようといろんなものを置く次第でした」
「差し障り無いのでしたら、その『いろんなもの』とやらがどのようなものかお聞かせ願えますか?」
 メイガスが代わって答えた。
「本当に色々だ。大小様々な歯車、動物や街の模型、いろんな形の硝子細工、色んな色の壁板とか、まあ色々だ。儂も幼少期は御爺様の部屋が楽しく、よく忍び込んだものだ」
「それは、見つかればさぞや怒られた事でしょう」

 趣味用に拵えた部屋を子供の遊び場と誤解されて暴れ回られると、逆鱗に触れるのは容易に想像できたが、返答は全く違った。

「いんや。御爺様は喜んでいたぞ。何より自分の造った世界観が子供相手でも喜んでもらえたのだから、嬉しかったんだろうと思う」
「それに、客人の評判も宜しかったので。更にエリック様の世界観創造に拍車がかかりました。そして四つ目の部屋を造る途中、病に倒れてしまい、数日後にお亡くなりに」
 一応、重要と思われる情報を入手したデビッドは最後に訊いた。
「走っている足音。何人ぐらいか分かりますか?」

 これもロベルトが答えた。なぜなら、メイガスは一度もその足音を聞いたことがないらしい。

「私がお聞きしたのは一人が行ったり来たりを。他の者は二人や三人と。まあ少数人ですが、その人数は定かではありません」
「では最後に。聞いてない御方はメイガス殿以外、他におられますか?」
 答えは”いない”であった。


 話し合いが終わり、修復作業に移ろうとしたが、依頼人は用事があるため小説だけ残して帰ると言った。さらに五日後、ここの街に用事があるためその時に取りに来ると要望を加えて。
 全十巻の奇文は、ある一冊を解決すれば連鎖的に解決されるため、すぐ終わるものと思い、デビッドは了承してしまった。

 これが苦難の始まりであった。



 メイガスとロベルトが帰った後、早速デビッドとモルドは修復作業に取り掛かった。
 修復作業は基本、一つの作品しか手を付けることが出来ない。そのため小説を一冊ずつ修復する事となった。

 作品の中に入った二人は、まるで大広間程ありそうな広々とした幅の通路の上にいた。
 天井は無く、雲一つない青空がある。まるで夏の様に燦々さんさんと陽光は注がれている。
 前方にも後方にも突き当りとなる壁も曲がり角もある。そこから先の通路がどのような広さになっているかは検討がつかない。

「この広さ、何か意味があるのでしょうか。それに……」モルドは上空に目を向けた。「まるで夏みたいな空なのに気温が高くない。……秋か春のように清々しい感じが……」体感であるため正確かどうかと問われれば悩ましくある。
 珍しくデビッドが環具を煙管に変えていない。それが気がかりであった。
「どうしたんですか師匠。いつもなら煙管を」
「あー、いや。なんか……嫌な予感しかしないな」
「嫌な予感?」
「この小説は渦上に奇文が憑いていた。それでこの広さ、この快適さ、いつぞやの絵画を思い出すよ」

 言ってる傍から予感を的中させる音が、まるで押し寄せる波の如く迫って聞こえた。

「……これって……足音……」
 二人が振り返ると、半透明な人間の群衆が次々に押し寄せて来た。
「――走るぞ!」
 デビッドは先行して前を走った。
「師匠! なんで半透明なんですか!?」
「わっからーん! だが、とにかく走ってみるべきだ!」

 見るからに追われている状況。
 迫る者達は半透明だし自分達を追う意図が不明である。
 前に未来都市の絵画で同じように群衆に追いかけられたが、横に外れれば僅かばかり休憩が可能だった。
 今回も似たような状況なのでは? と考えた矢先、二人が走る前方に飛びついてよじ登れそうな四角い台を発見した。
 台の横には広い道が続いている為、もしかすれば台の上で休憩できると思い、デビッドが昇る指示を下した。

 二人は勢いを増し、台に飛びついた。

 若く細身なモルドだが、日々の習慣の賜物か、すんなり登ることが出来たが。
 一方、不摂生な生活、力仕事とは無縁の日々、三十代後半という年齢のデビッドは、台にしがみ付く事は出来るが上には登れない。

「師匠頑張ってください!!」
 モルドは急いでデビッドを引き上げた。
 台の上でデビッドは四つん這いになって、モルドは立って周囲を見渡しながら、それぞれ息を切らせていた。
 前回同様、デビッドの息切れは激しくモルドはすぐに呼吸が整った。

「師匠、この際、運動する習慣つけたほうがいいですよ」
「はぁ、はぁ、はぁ……考えとく」
 きっとしないであろうと思われる。

 自分達の傍らを半透明な群衆が通過していくのが二人の目に映った。見た途端、二人は背筋に悪寒が走った。
 次々と走っていく群衆は全員二人の事を見ながら走り去っていった。
 表情は目を見開き、薄ら笑いを浮かべている。

「……師匠……あれどういう意味でしょう」
「分からん。が、前回のよう、群衆に巻き込まれて同じように走るというものではなく、巻き込まれると色々と面倒ってことじゃないか? こんな台が設けられてるんだ」言いながら台を叩いた。

 何も分からないまま、群衆全てが走り去るのを待っていた二人だが、濁流の如く群衆が途切れる事は無かった。
 手も足も出ず、デビッドは現実世界に戻ることを決断し、二人はこの作品世界を後にした。



 戻った途端、デビッドは積まれた小説と向かい合う所で腰かけた。
「どうなってるんだこの小説は」現実世界でも煙管は控えている。

 シャイナがモルドに事情を訊き、モルドは作品世界での出来事を説明した。
 糸口もきっかけも分からない、ただ不気味な半透明の群衆に追いかけられる内容。三人共悩んだ。

「……もしかしたら、十冊全て入れば何かしらのきっかけが分かるのではないでしょうか」
 呟くようなシャイナの提案をきっかけとし、デビッドは考えた。
「かもしれないな。あんな不気味な群衆に追われるだけで、結局は何も分からずじまいだからな」
「ですが師匠。あの群衆に紛れてみる可能性はないのでしょうか?」
 デビッドは環具の先で頭を掻いた。
「可能性が無いとは言いきれんが、ああも不気味な存在、飲まれんほうが賢明だ。群衆のある一地点が解決のきっかけとなるならまだしも、印象から、こちらが危険と判断するならそれは素直に従うべきだ」
「そうなんですか?」

 この疑問にシャイナが答えた。

「作品世界では、修復師の感性は奇文に触れている影響で敏感になります。その反応は好意的に感じれば踏み込んでも触れても構いませんが、拒絶や防衛的な反応を示せば、それは従うほうが賢明です」
「でもそういうのって、向こうが嘘つく場合はないのですか? こっちをおびき寄せる感じで、友好的に見せて実は罠だった。とか」
「作品世界は作品や制作者や関係者の想いを素直に表してます。その為全てが正直に現れ、修復師の感覚も素直に反応する。それが奇文の憑いた世界です」

 嘘のない正直な世界。
 奇文により不可思議な現象が起き、作品に害を与える反面、憑かれた世界は素直というのは皮肉としか言いようがない。

「よーし。んじゃ、次の作品に入るぞぉ」
 デビッドが二巻目の小説を手に取り、絨毯上の机の上に広げて置いた。その頁の模様も渦を巻いている。
「……また、走りですね」

 モルドがデビッドの方を向くと、”悲壮感漂う脱力した顔”という言葉がはまりそうな表情を小説に向けていた。


 そして、二巻目三巻目と続き、四巻目を終えた。

 小説から帰還したデビッドは一目散にソファへ向かい、倒れて動こうとしなかった。
「疲れたぁぁぁ……」と、言葉が漏れる程に彼は疲弊している。

 その日は奇文修復をこれにて終了し、翌日に持ち越された。しかし今度はデビッドに異変が起きた。

 筋肉痛。
 取れない疲れ。
 治まらない眠気。
 頭痛。

 色んな症状を訴え、モルドが熱を測ったが平熱である。
 結論から言うと、走り慣れていないデビッドがいきなり走り回ったための疲労である。
 デビッドがこうなら、回復するまで何も出来ないと思っていた。しかしデビッドはシャイナに環具を渡した。

「え? シャイナさんが?」
 答えたのはデビッドである。
「元々モルドがいない時は二人同時だったり交互に修復してたんだ。運動系はシャイナに任せるのが一番なんだぞ」

 そんな事をするからこういう事態を招くのでは? と言いたいところだが、今の弱ったデビッドを見ていると言えなくなってしまった。

「では行きましょう。モルド君」
 シャイナと一緒に入るのは初めてであるモルドは、少し緊張した。
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