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第19話.眠るアリス
しおりを挟むあからさまに、少年がぎくり――と肩を強張らせた。
「え、ええと」
目が泳いでいる。先ほどまで貪るような勢いで人の膝を舐めていたのと同一人物とは思えないくらいに、動揺していた。
私はその分かりやすい反応で、確信する。
(本当に魔塔の人だわ!)
こんなところで会えるとは、なんて運が良いのだろうか。
居るかも分からない魔塔の人に向けて、自分の魔法の有用性をアピールして魔塔入りを果たす――ほとんど机上の空論じみていた私の願望が、一気に現実味を帯びてきた。
もはや彼の手を取って小躍りしたいくらいだったが、そんなことをすれば、魔塔を使って良からぬ企みでも抱いているのではないかと疑われてしまう。そもそも彼らは表舞台には関わらず生きる存在なのだ。私のような小娘に正体が知られてしまい、かなり焦っているはず。
私はあえて、にやりと笑ってみせた。
「能力を使わなければ、私にばれなかったのに」
「……自分のせいで転んだ女の子を、放っておけないだろ」
「ああもう、ボスに怒られる」などとぶつぶつ呟き、苛立たしげに彼は自分の頭をかいている。その返しは意外で、私は目を丸くした。
思いがけず彼は――善良な心根の人物らしい。
私は彼をノヴァと同一視しかけたことを、心の中で謝った。膝を舐めるなどというぎょっとするような手段ではあったものの、この子は私の傷を治してくれたのだから。
「ありがとう。あなたの正体は、誰にも言わないからね」
「…………」
疑い深げな目を向けられる。無論、私の言葉はここで終わりではない。
「だから――私と一緒に、エリーシェ姫の生誕を祝う夜会に出席してくれない?」
誕生祭の最終日は、広場の前でスクロールの披露目があり、その日の夜は宮殿でパーティーがある。私にとって、どちらも重要な行事だ。
スクロールの披露は滞りなく行うとして、パーティーで彼にエスコート役を頼めば、ノヴァに笑われずに済むし、「魔塔的に私ってどうですか?」と直接訊ねる機会にもなるではないか。
(まぁ、この子が本当に私のスクロールを見に来たのかは分からないんだけど……)
彼の目的が分からない以上、まだ私の名を明かすのは得策ではないだろう。いずれは知られてしまうが、今は言う必要はない。
「……それってつまり、口止め料としてってこと?」
疲れ込んだように、少年がその場に横になる。美しい顔に土埃がつくのも気にしていない。
私は呆れつつ、また彼の前に屈み込んだ。
「そうよ。怪我を治してもらって、こんなこと言いたくないけど……どうしてもパートナーが必要なの」
彼ほどの美貌の持ち主であれば、皇女のパートナーとして申し分ない。身分については、適当な貴族の名でも借りてやり過ごせばいいだろう。
しばらく、考え込むような沈黙があった。
「いいけど」
その素っ気ない返答に、心の底から安堵する。
微笑んだ私は首を傾げた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
また、少しの沈黙を挟んでから。
「アリス・エル」
(アリス・エル……)
きれいな響きの名前だ。
「じゃあアリスって呼んでもいい?」
なぜか返事がなかった。
あれ? と思った私の手が、勢いよく引っ張られる。
かと思えば私の身体は、アリスに抱きしめられていた。それはもう見事に、彼の両腕の中に閉じ込められていたのだ。
「ちょ――っ、なに!?」
「…………うるさい。眠いから」
なんの説明にもなっていない。
じたばたと暴れても、意外と力強い手に押さえ込まれて身動きが取れない。
「ア、アリス! ねぇってば!」
また返事がない。
まさかと思って目線を上げると、向かい合う顔についたふたつの目は、しっかりと閉じていて……薄い唇から、寝息まで聞こえてきている。
(ね、寝ちゃった……!)
私の怪我を治すのに魔力を使って、また睡眠欲に襲われたということなのだろう。
理由は分からないが、どうやらアリスは、私を抱き枕にしているらしい。
彼の身体は柔らかく、何やら良い香りまでしている。気持ち悪さは感じなかったけれど、男の子と密着する私の顔はどんどん熱くなっていく。
心臓の音がうるさい。
ばくばく、ばくばくとやかましいくらいに騒ぐのに、アリスは目覚めないまま。
(本当になんなの、この人――!)
その後――ほとんど泣きそうになりながら彼を引きずっていた私は、数時間後にマヤたちに発見され、事なきを得るのだった。
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