上 下
50 / 52
第二章 始動

50

しおりを挟む

 「聞いた?今の音……」

 「はい。窓を何かが叩いたような……!」

 イエティムの太い喉が、ごくりと鳴った。彼女の四角い頬から、雫のような汗が一筋流れる。

 「ちょっと確認してきますね」

 「危ないわ、イエティム。誰か人を呼びましょう」

 エカチェリーナの部屋は、城の上の方にある。城壁をよじ登って侵入者がやって来たとは考えにくい。雪国の為、城壁の表面が凍るのだ。それに暗殺者であれば、エカチェリーナよりも皇帝や皇太子を狙うはず。まぁ、その暗殺者をヴァルヴァラやエヴァが雇っていなければの話だが。今夜ここをイヴァンが訪れる事になっていることは、どうせ把握しているだろうから、それはないだろう。だが、万が一もある。イエティムを案じて声をかけたが、彼女は胸を張って首を横に振った。

 「いえ、それには及びません。私、こう見えて逞しいんですよ!」

 フンと鼻息荒く腕を捲るイエティムは、見たまんま逞しかった。腕に掃除用のモップを握って、そろりそろりと窓へ近付く。その足取りはまるで東洋の国の忍者のごとく。

 ーーイエティム……!頼もしいわ!

 両手を握り締めて、イエティムの大きな後ろ姿を見守るエカチェリーナ。第三者から見ればなかなか珍妙なシーンであるものの、それを突っ込む人間はその場にはいなかった。




 冷たい風。芯から凍り付きそうな空気。ハインツは、ぎこちなく自らの両腕を大きく広げ、銀世界が広がる白い空を飛翔していた。粉雪が身体にまとわりつき、飛びづらい。鷹であるハインツの大きな体の下で、九官鳥のヘンリーが雪から身を守るようにして飛んでいる。

 『お前さァ……俺の体を雪よけにすんなよ』

 『このくらい、良いでしょう。貴方のワガママに付き合って差し上げているのですから。九官鳥が寒さに弱いのは、ご存知でしょう?』

 『鷹だって寒いの苦手だっての。俺が獣人じゃなくて、本物の鷹だったら死んでるね』

 『ええ。激しく同意します』

 皇城の窓は、特殊加工がされているのか、白く曇ること無く部屋の中が窺える。切り立った崖の高い位置に、そびえ立つ皇城だ。外から覗かれる心配がないという傲慢さが垣間見える。ハインツ達、鳥の獣人からすれば、もろ見えの丸見えなのだが。

 『おい、あれ見ろよ』

 『何です……?あれは』

 ハインツが嘴でしゃくって示した部屋は、どうやら皇帝の部屋らしい。大きな窓にはカーテンが設置されていないようだ。まさに、丸見えである。部屋の中は明るい為、暗いこちらからは、まるで今流行りのシアターでも見ているかのように、中の様子がギラギラと鮮明に映し出された。部屋の中では、皇帝であるセルゲイが、複数の女性達と戯れていた。ヘンリーが不快そうに、丸い黒目を歪めてみせる。

 『おやおや、あんなに沢山の女性と一気にあんな事やそんな事を……お盛んですね』

 『好色えろジジィめ。気持ちわりィ』

 『調べによると、エカチェリーナ様があの好色狸を誘惑したとかで、皇妃に糾弾されたそうですよ』

 『フーン。笑える。どうせあのジジィが迫ったんだろ』

 どうせなら皇妃の姿も見ておきたかったが、数ある窓を流し見ても、見当たらなかった。

 エカチェリーナの部屋だと思われる窓は、慎ましやかな彼女のように、ピッタリとカーテンが閉められていた。近くに降り立ち、寒さで霜焼けになりつつある鉤爪でコツコツと窓を叩く。その横でヘンリーが、雪だらけになった体をブルブルと震わせて、払っていた。

 部屋からは人の気配がするものの、それが動く様子はなく、じっとしている。むしろ、息を潜めているかのような……。

 『不審者だと思われたのでは?』
 
 こうなると思ってましたと言わんばかりのヘンリーの言葉に、ハインツはぐっと喉を詰まらせる。

 『どうするんです?人を呼ばれたら面倒ですよ』

 『今は鳥なんだから大丈夫だろ』

 『やれやれ。害獣だと思われて、駆除されなければいいのですが』

 黒い翼をもたげて、やれやれと首を振る九官鳥の姿にイラッとする……が、ハインツはどうにか我慢して部屋の中の様子を窺った。すると、気配の一つがそろりとこちらへ近付いて来ているではないか。もしかして、エカチェリーナが……?ドキドキ。ワクワク。さぁ、可憐な顔がカーテンから、そっと現れるぞー!そう期待したハインツは、シャッとカーテンを開けて現れた大きな影に、思わずズコーッと鉤爪を滑らせて転んだ。



 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

【第二部連載中】あなたの愛なんて信じない

風見ゆうみ
恋愛
 シトロフ伯爵家の次女として生まれた私は、三つ年上の姉とはとても仲が良かった。 「ごめんなさい。彼のこと、昔から好きだったの」  大きくなったお腹を撫でながら、私の夫との子供を身ごもったと聞かされるまでは――  魔物との戦いで負傷した夫が、お姉様と戦地を去った時、別チームの後方支援のリーダーだった私は戦地に残った。  命懸けで戦っている間、夫は姉に誘惑され不倫していた。  しかも子供までできていた。 「別れてほしいの」 「アイミー、聞いてくれ。俺はエイミーに嘘をつかれていたんだ。大好きな弟にも軽蔑されて、愛する妻にまで捨てられるなんて可哀想なのは俺だろう? 考え直してくれ」 「絶対に嫌よ。考え直すことなんてできるわけない。お願いです。別れてください。そして、お姉様と生まれてくる子供を大事にしてあげてよ!」 「嫌だ。俺は君を愛してるんだ! エイミーのお腹にいる子は俺の子じゃない! たとえ、俺の子であっても認めない!」  別れを切り出した私に、夫はふざけたことを言い放った。    どんなに愛していると言われても、私はあなたの愛なんて信じない。 ※第二部を開始しています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

気付いたのならやめましょう?

ましろ
恋愛
ラシュレ侯爵令嬢は婚約者である第三王子を愛していた。たとえ彼に子爵令嬢の恋人がいようとも。卒業パーティーで無実の罪で断罪されようとも。王子のその愚かな行為を許し、その愛を貫き通したのだ。己の過ちに気づいた第三王子は婚約者の愛に涙を流し、必ず幸せにすることを誓った。人々はその愚かなまでの無償の愛を「真実の愛」だと褒め称え、二人の結婚を祝福した。 それが私の父と母の物語。それからどうなったか?二人の間にアンジェリークという娘が生まれた。父と同じ月明かりのような淡いプラチナブロンドの髪にルビーレッドの瞳。顔立ちもよく似ているらしい。父は私が二歳になる前に亡くなったから、絵でしか見たことがない。それが私。 真実の愛から生まれた私は幸せなはず。そうでなくては許されないの。あの選択は間違いなかったと、皆に認められなくてはいけないの。 そう言われて頑張り続けたけど……本当に? ゆるゆる設定、ご都合主義です。タグ修正しました。

もう二度とあなたの妃にはならない

葉菜子
恋愛
 8歳の時に出会った婚約者である第一王子に一目惚れしたミーア。それからミーアの中心は常に彼だった。  しかし、王子は学園で男爵令嬢を好きになり、相思相愛に。  男爵令嬢を正妃に置けないため、ミーアを正妃にし、男爵令嬢を側妃とした。  ミーアの元を王子が訪れることもなく、妃として仕事をこなすミーアの横で、王子と側妃は愛を育み、妊娠した。その側妃が襲われ、犯人はミーアだと疑われてしまい、自害する。  ふと目が覚めるとなんとミーアは8歳に戻っていた。  なぜか分からないけど、せっかくのチャンス。次は幸せになってやると意気込むミーアは気づく。 あれ……、彼女と立場が入れ替わってる!?  公爵令嬢が男爵令嬢になり、人生をやり直します。  ざまぁは無いとは言い切れないですが、無いと思って頂ければと思います。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...