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第一章 心の崩壊
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しおりを挟むふくふくとした頬を林檎色に染めた少女だった頃、エカチェリーナは結婚に夢を見ていた。
幼い少女なら、誰もが想い描くだろう……いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると。美しい白馬に乗って、金色の髪の毛を靡かせた王子が、手を取り自分を連れ出してくれるのだと……。
やがて大人になった時……それは所詮、物語の中だけなのだと知った。自分は、お姫様なんかじゃない。王子様なんて、迎えに来ない。
両親が見繕った婚約者と結婚し、恋を知ること無く生涯を終えるのだろう。そう思っていたのに……本当に王子様が迎えに来た。
白馬ではないけれど、美しい金栗毛の馬に乗り……金髪ではないけれど、砂漠の砂のような髪をサラサラと靡かせて、彼はやって来た。この国の皇子であり、次期皇帝である彼は、エカチェリーナを正妃に迎えたいと申し出たのだ。
夢見ていたことが、本当に起こるだなんて!と夢見心地になるも、正妃になる自信も、城で上手くやっていける自信も無かった。そんなエカチェリーナの元へ、イヴァンは諦めること無く通い詰めた。ヒョウが降っても、吹雪になっても、彼はエカチェリーナの元を訪れた。
彼の甘い言葉が、エカチェリーナを翻弄する。あまりに、蕩けそうなほど甘美な声で名前を呼ぶのだから。耳から芯まで痺れそうになる。
そのエメラルドの瞳と、目を合わせるのが恥ずかしい。勝手に頬が熱くなって、勝手に心臓が暴れ出すの。頬に手をやったら、火傷しそうなほど熱くて驚いた。
皇太子妃になる自信なんてなかったのに、いつの間にか、彼の傍にいたいと望んでしまうようになってしまった。
彼の隣を独占したくて。彼との未来を夢見てしまって。彼の想いを本物だと信じて……エカチェリーナは、イヴァンを受け入れた。
サラサラと風に揺れる、イヴァンの髪の毛が好きだった。太陽に当たり輝く砂漠の砂のような色は、エカチェリーナの大好きなキャラメルの色とよく似ていた。肩で切りそろえられた彼の髪は、触れるとサラサラと指の間を通り抜けていく。彼に抱きついた時、その感触をこっそりと楽しむのだ。
エメラルドの宝石のような、美しい新緑の木々を思わせる彼の瞳が、好きだった。深い緑が、慈しむかのように自分を見つめてくれる。エカチェリーナはそれを見つめ返して、彼の宝石に映る自分の顔を眺めては、こっそりと喜んだ。彼の瞳いっぱいに、自分の顔が映っている。それが、何だかとても嬉しかったのだ。
甘くて優しい彼の匂いが好きだった。彼が好んで身に付けるコロンの香りの中に、彼独自の香りを探してた。
エカチェリーナを包み込む、大きな手が好きだった。ベルベットのような甘い声を発す、薄い唇が。抱きついた時の、逞しい胸が。エカチェリーナよりも、長い指が。エカチェリーナよりも、ずっと大きな足が。彼の全てが、愛しくて。彼の事を愛していた。
王子様の迎えを夢見ていたエカチェリーナは、やがて彼の子供を沢山産んで、幸せに暮らす事を夢見るようになった。
……それなのに。
エカチェリーナは、暗闇の中でじっと座り込んでいた。膝を抱えて丸まる彼女は、自身の精神世界で、固い殻に閉じこもっていた。目を覚ましてと呼びかけるイヴァンの声に、答える気にもなれない。
彼女の流す涙で、殻の中は溢れかえり、それは彼女の顎先まできていた。空っぽになってしまった腹を撫でても、あの時確かに感じていた温もりはもうない。それを思い知らされる度に、涙がどっと溢れ出るのだ。
ーーもう、このまま死んでしまいたい。
我が子を守れなかった自分が、このままのうのうと生きていくなんて……。そこまで考えて、彼女の中で何かがバチンと弾けた。
いや、どうして自分が死ななくてはならないのだ。
エカチェリーナは、伏せていた顔をガバッと上げた。彼女を包んでいた殻がぐしゃりと破けて、溢れていた涙の海が流れていく。
「起きなきゃ」
エカチェリーナが、意識を失って一週間と少し。彼女は、ようやくそのまぶたを持ち上げた。
いつも自信なさげに垂れていた眉は、スっと吊り上がり、垂れ目がちの瞳には、意志の強さを感じさせる輝きがある。
「……私……?」
常に下がり気味であった口角は、キュッと上を向いていた。彼女は瞳をウロウロと彷徨わせ、自身の手の平に目を落とした。
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