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第66話 きな臭い匂い

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 王都に着いた私達は、さっそく謁見の申し入れをしにグラジオスと私の二人でカシミールの執務室にまで押し掛けたのだが……。

「どういうことだ!?」

「ですから、父上が倒れられたのです」

 グラジオスが勢い込んで問いかけるが、カシミールはすましい顔を一切崩さずに話を続ける。

「謁見はしばらく行えません。ですので兄上にはしばらく王都に留まっていただきます」

 その言葉に私は酷くショックを受けてしまう。

 何故なら私はグラジオスと共にオーギュスト伯爵の所領、あの音楽の都に行くと約束していたからだ。

 王都に留まるという事は、あの町に顔を出すことも、ただいまコンサートを開くことも出来ないという事になる。

 私は目の前に真っ黒いとばりが下りてくるのを感じた。

「ち、父上の容体は? 原因はなんだ? 怪我か? 病気か?」

 グラジオスの心配そうな様子を見て、私は少し反省する。

 あれほど元気だったんだし風邪でしょ、くらいに軽く考えてしまっていたのだが、よくよく考えてみれば、医療技術のあまり発達していないこの世界では風邪ですらも死因になりうるのだ。

「ご病気です。これは医師の見解ですが、帝国から誰ぞ流行り病を連れてきたのではないかということです」

 カシミールはそう言いながらチラリと私達の方を見る。原因はお前たちに在るのだとでも言いたげに。

 もちろんそんなのはこじつけだし嫌がらせでしかない。

「誰かが持ち帰ったというのなら、その誰かも病気にかかってなきゃおかしいですよね」

 私はそんな風にやり返してみるが、カシミールは華麗にスルーしてくれた。私も喧嘩することが目的ではないので構わないのだが。

「兄上、謁見は父上の体調が回復なさってからという事でよろしいでしょうか」

「……分かった」

 グラジオスは頷いた後、しばらくそのまま何かを思案している様にその場を動かなかった。

 やがて考えがまとまったのか、カシミールを正面から見据える。

「せめて父上のお顔だけでも拝見することは出来ないか?」

「聞いていなかったのですか? 父上は帝国からの流行り病にかかっている可能性が高いのです。帝国から帰ったばかりの兄上がお傍になど……許可できるはずがありません」

 私はほんの少し、カシミールの言葉に引っ掛かりを感じてしまった。

 許可を出すのがカシミール? つまりカシミールは陛下の下へ自由に行くことが出来るという事になる。

 帝国に行ってきたのはカシミールも同じだと言うのに。

 いつもの嫌がらせ。そう断じてしまうのは簡単だったが、ルドルフさまとの会談で感じた嫌な空気のせいで、私は嫌な考えを完全に否定できずにいた。

「そこを何とか出来ないか。俺も父上の事が心配なのだ」

「……現時点では難しいかと。一応私も父上に伺ってみますが」

「頼む」

 カシミールは手元の紙にさらさらっと何かを書き記すと、それを横に退けておく。

「では手筈が整いましたら遣いを寄越しますので」

「分かった。……父上に、グラジオスが早く良くなりますよう祈っておりますと伝えておいてくれないか?」

「分かりました」

 グラジオスはそれから何か言い忘れが無いか思案して、要件を無理やりひねり出す。

「会談の結果は……」

「それは兄上よりも二月も早くに書状が届いていますので。手続きも滞りなく進行中です」

 何も用事が無くなり、グラジオスはどうしようもなくなってしまった。

 最終的にグラジオスは、頼んだ、とだけ言い残すと執務室を出て行くために後ろを向いて歩きだす。

「雲母、行くぞ」

「……う、うん」

 私も遅れないようにグラジオスの後を追って執務室を出て扉を閉める――。

 それはほんの一瞬だったが私は見逃さなかった。

 閉じる扉の影に隠れて、カシミールの口元が笑みの形に歪んだのを。

 バタンッと音を立てて扉が閉まる。

 だが私は先ほどの笑みが網膜に焼き付いてしまって、ドアノブを掴んだまま硬直してしまっていた。

 知らず知らずの内に息が荒くなり、冷や汗が私の頬を伝い、頭の中ではガンガンと警鐘が鳴り響いている。

 予感は確信に変わり始めていた。

「雲母、どうした」

 グラジオスの問いかけで私はようやく我に返る。

「……何でもないよ。すぐに行く」

 こんな事、周りに衛兵の目が、カシミールの息がかかった人間が大勢いるのに言えるはずがなかった。気取られる事すら悪手だ。

 だから私は……。

「……待たなきゃいけないんでしょ? オーギュスト伯爵の町、行けなくなっちゃったじゃん」

 不謹慎だと分かってはいても、不自然の無いように誤魔化すしかなかった。

 当然、グラジオスの表情が険しくなる。

「父上がご病気なのだ。仕方がないだろう」

「……それは分かってる。ごめん」

 グラジオスはわざと大きなため息をつくと、少し荒々しい足取りで先へと進んで行ってしまう。

 あからさまに不機嫌になったグラジオスの背中へ、私は心の中でもう一度謝罪をすると、グラジオスを追ったのだった。





「あ、あの……雲母さん?」

「なんっすか姉御」

「いいから黙ってついてきて」

 私は久方ぶりにメイドの格好をしているエマ(とはいっても、何もすることは無かったようだが)と、ハイネの手を掴み、廊下を早足で移動していた。

 目的地は盗み聞きの心配が少ない私の私室だ。

 数日しか利用した事は無かったが、一応楽士としての私室がこの宮殿内にも用意されていた。

 グラジオスの私室を過ぎ去り、私の私室に入る。

 中は掃除もされていなかったのか、ずいぶんと埃っぽい。

 楽器や楽譜の類は全て持ち運んでいたため、埃をかぶって困るというほどのものは置かれていないのだが。

 机と椅子、それにベッドという女の子にあるまじき殺風景な部屋に二人を招き入れた後、外に誰かいないか壁に耳を当てて慎重に探る。

「あの~、姉御?」

「しっ」

 幸い何の物音もしなかったため、誰もいないと判断して私は二人の方へと向き直った。

「……二人に協力してほしいことがあるの」

 私の不可解な行動で困惑している二人に、私は先ほど見た事をありのまま告げる。

 ただしその先、最悪の予想までは口にしなかった。

 それでも二人は私が何を言いたいかくらい推察できただろう。

「私の考えすぎって思ってるでしょ?」

 当惑した二人の顔を見れば分かる。

 でも、自分にはそんな不幸は起こらないはずだ。なんて思いこみに何の根拠もないってことは私が一番よく理解していた。

 オルランド商会によって拉致されてしまった私が。

「何もなければそれでいいの。私達も何も無しに終わるから。でももしあった時は……」

「用意が無ければ死ぬだけっすね。爺さんがよく言ってたっす。最悪に備えろって」

 ハイネは半信半疑ながらも私に協力する選択をしてくれたみたいだった。

「雲母さん。それは時に、考えるだけで罪になる行為だと理解していますか?」

 エマは見たこともない様な鋭い目つきで私を射抜く。

 私達がその疑惑を前提として動けば、当然グラジオスの立場は悪くなる。場合によっては反逆の汚名を被せられることだってあるだろう。

 私達の行動が、グラジオスを殺すかもしれないのだ。

「分かってる。でもこのままだとグラジオスが……ちゃうかもしれないんだよ」

 これは間違いなくグラジオスの不興を買う行動だ。

 何せあれほど大事に思っているグラジオスの家族を疑う行為なのだから。

 エマが怒るのも、躊躇するのも当たり前だった。

「…………私は、協力出来ません」

「……そう」

「私の家族は、この王都に住んでいるんです」

 何かあったら、真っ先に狙われるアキレス腱を抱えているエマに協力を頼むのは不可能そうだった。

 いや、そもそも何も抱えていない自分だけでやるべきことだったのだ。

 私はそう思い直して……。

「でも、この一年間に何があったのか、噂を集める程度であれば普通のことでしょうから出来ると思います」

「エマ……」

「私はあくまでも噂を聞くだけです」

「それで十分だよ。ありがとう、エマ」

 感極まった私は、思いっきりエマに抱き着いて柔らかい感触をひたすら楽しむ。きっと今頃ハイネが羨ましそうな顔をしている事だろう。

 私はさんざんエマの抱き心地を堪能した後、手を放した。

「それでハイネは貴族の人から情報を集めて欲しいんだけど」

「あ、それは自分には無理っす」

 ハイネは何故か目の前でパタパタと手を振って話の腰を折る。

「え、なんで?」

「自分、なんかただの楽士と思われたみたいで、使用人の部屋をあてがわれたっす」

 なんで自分はモンターギュだって言わないのよ……。あ、いや、でも大丈夫かも?

 手札は伏せておいた方が効果的な場合もあるし。

「分かった、じゃあ貴族の人たちから情報を集めるのは私がやる。確かオーギュスト伯爵は王都に来てたよね?」

「そうっす。じゃあ自分は兵士達から情報収集して、逃走方法を確保しとくっす」

 協力しないと決めたのに何故か・・・話を聞き続けるエマ(たまたま私達の話が聞こえちゃっただけだし仕方ないよね)を横に置いて、私とハイネは計画を手短に話し合った。
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