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第37話 受け取れない手紙

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 ベアトリーチェとダンテは他人になった。

 それはダンテが望んだことでは決してなく、今までダンテが積み重ねた人生故に他人にならなければならなかったのだ。

 かたや貴族。

 かたや詐欺師。

 その上ふたりは皇帝の血を受け継いでいる。

 なにがどうあっても危険な未来しか待ち受けていなかった。

「ダンテさま、本日はどのようになさいますの?」

 授業が終わり、ようやく勉強から解放されたアンジェリカが無邪気な笑顔をダンテへと向ける。

「ん、そうだね」  

 ダンテは首を傾げ、開け放たれた窓から外を伺う。

 空は厚い雲に覆われ、雨こそ降っていないものの気温も低く、外で運動を楽しめるとはいきそうになかった。

「今日は私が教科書を運ぶ当番だからね。ついでに図書館で勉強でもしようかな」

「勉強……ですの?」

 ダンテとしては、今までなかなか出来なかった勉強が出来るチャンスなのだから、盛大に利用するつもりだったのだが、アンジェリカは違ったようだ。

 胸の前で手を軽く合わせ、苦笑いを浮かべていた。

「歴史に少し興味があってね」

 算術、国語、政治、経済、天文学。

 学ぶべきことはいくらでもあるのだが、今のダンテは歴史に興味を示していた。

 理由はもちろん、両親について。

 如何に家を取り潰し、記録を抹消しようとも全てを消しきれるわけではない。

 家名、親族、祖先と、辿れる記録はいくらでもあるだろう。

「どうかな?」

「……ダンテさまが行くとおっしゃるのなら」

 渋々といった感じにアンジェリカがうなずく。

 アンジェリカはこの鳥かごに囚われて長いのだから、図書館など飽き飽きしているのかもしれなかった。

「アンジェはまだ読んでいない本を探してみると面白いかもしれないね」

「もう、ダンテさまったら」

 ダンテとアンジェリカが話している間に、ダンテの前に学生たちがやってきて教科書を積み上げていく。

 その中には当然ベアトリーチェも居たのだが、ダンテは顔どころか目線すら向けなかった。

 これは意地悪をする意図でやったのではない。

 アンジェリカがダンテとベアトリーチェとの仲を疑ったのはつい昨日のことであり、これ以上アンジェリカに誤解を与えないためにやったことだ。

 ただ、それでもダンテの胸は、ズキズキと痛んだ。

「さて、それじゃあ行こうか」

「ええ」

 ダンテは平気なふりをして笑うと、積み上げられた教科書の山を、たった一人で全て持ち上げてしまう。

 ベアトリーチェでなくとも二回に分けて運ぶのが普通だったが、体を鍛えているダンテにとっては朝飯前であった。

「……ん?」

 ふと、指先に奇妙な感覚を覚える。

 視線を下に動かして確認すると、教科書の間に折りたたまれた紙が挟まれており、それがダンテの指先に当たっていたからだ。

「どうかされましたの?」

「……いや、ちょっと思ったよりも重くてね」

 当たり障りのない言い訳をしつつ、ダンテはその紙を抜き取ってポケットに収める。

 貴重な紙を使ってまで誰がこんなことをしたのかは、簡単に推測できた。

「それでしたら今すぐに――」

「いや、私が当番制にしようと提案したんだ。これは私のやるべき役目だよ」

 アンジェリカの助け舟を断り、ダンテは教科書を持ち直すふりをする。

「アンジェはいつも優しいね、ありがとう」

「そんなことは……」

 恥じらうアンジェリカをダンテは更に褒めそやしつつ、ふたりは並んで図書室へと歩いて行った。





「私は返してくるよ。その間アンジェはなにか面白そうな本を見繕っていてくれないかい」

「ダンテさまのお眼鏡にかなう本となると……難しそうですわね」

 かなりの時間をこの学校内で過ごしたダンテは、相応に知識を身に着けている。

 そのダンテを満足させる本を見出すとなると、いささか難易度は高かった。

「そんなにりきまなくともいいんだよ、別に試しているわけじゃないんだから」

 ダンテは笑いながら「それじゃあ」と言い残して本棚の奥へと進んでいく。

 本来ならばこの図書館に勤めている司書へ返却すればよいのだが、ダンテはいつも手ずから返していた。

 目的地である大きく隙間が空いた本棚にたどり着くと、ダンテは急いで教科書を並べていく。

 返却作業を終えてから、ダンテは念のために視線を走らせ、周囲に人が居ないことを確認する。

 特にアンジェリカのものがないことを確かめてから、ダンテはポケットから紙片を取り出した。

「……やっぱり、か」

 紙片には、本人の性格を表しているかのように、小さくて丁寧な文字で「話の続きを。今日の放課後、待ってます」とだけ書かれていた。

「ベアトリーチェ……ダメだって言っただろう」

 アンジェリカによってベアトリーチェの告白は阻まれた。

 それはダンテも望んでいたことだ。

 もしベアトリーチェ本人から直接決定的な言葉を告げられてしまったら、きっとダンテは全てを捨てて彼女を選んでしまうだろう。

 それほどダンテはベアトリーチェを愛してしまっていた。

「ダメ、なんだよ……」

 ダンテの脳裏にベアトリーチェとの思い出が走馬灯のように過ぎていく。

 純真すぎるベアトリーチェに呆れたこともあった。

 一緒に食べたバゲットは、驚くほど美味かった。

 ふたりで話をしていると、あっという間に時間が過ぎていった。

 ダンスはくだらない貴族のやり取りが塗り潰されるほど楽しかった。

 ベアトリーチェはダンテにとって、何ものにも代えがたいほど大切で、愛おしい存在となって行って……。

 そして運命の悪戯によって真実が明かされ、ダンテが愛してはいけない存在だと知ってしまった。

 天国から地獄に落とされた方がまだましなくらいだろう。

 そのくらい、辛いことなのだ。

 好きで好きでたまらない相手を、愛してはいけないということは。

「なんで、あいつが血のつながった家族なんだよ……」

 ダンテの手の中で、紙片がくしゃりと音を立てる。

 本当はダンテも応えたかった。

 俺も愛していると言い返して、ベアトリーチェを思いきり抱き締めたかった。

 だがそれは絶対に許されない。

 法が、周囲が、常識が、家族を愛してはならないと戒めるからだ。

「くそっ」

 ダンテはくしゃくしゃになってしまったベアトリーチェからの手紙を、まっすぐ伸ばしてからポケットにしまった。

 ここで捨てたら誰かに見つかってしまうかもしれない。

 そんな言い訳を胸の内で呟きながら。

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