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第16話 素直になれなくて
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土曜日の午後ともなれば、校内の人気は一気に少なくなる。
日曜日に行われる舞踏会の準備に追われ、学校から出て行ってしまうのだ。
己の目立つ容姿を自覚しているダンテにとって、そんな土曜日は自由に出歩くことの許される数少ない日と言えた。
「ふむ、やはりここの蔵書は素晴らしいな。そう思わないか、アル?」
読書漬けの日々が三週間目に突入してようやくダンテ自身が気付いたのだが、ダンテは読書が好きだった。
新たな知識を得て、同時にそれを如何にして活用するか考えるだけで、彼の胸は奇妙な興奮で満たされるのだ。
「…………おい、アル?」
ステートスクールに併設された本棚が乱立する図書館にはダンテしか声を発する者が居なかったことにようやく気付く。
慌てて本から目を離し、頭を巡らせたのだが、茶髪で頼りになる相棒の姿はまったく見当たらなかった。
「まったく、逃げたな」
アルは本を借りてくることにすら飽き飽きしていた。
そんなアルが、本にまみれた図書館でおとなしくしているはずがなかったのだ。
今頃は情報収集か、街へ気晴らしにでも行っているのだろう。
ダンテは軽く肩を竦めてから本の世界へと戻って行った。
「あのっ」
誰かに呼ばれ、ダンテは顔を上げ――。
「……気のせいか」
再び本に視線を落とす。
「気のせいじゃありませんっ」
ダンテの視界の中で、茶色い頭が揺れる。
顔が見えないのは彼女の背が低すぎて、ちょうど手に持っている本の死角に入って見えないだけだ。
「もー、無視しないでくださいっ」
実はダンテは気づいている。
ただ、彼女に対して「他人だ」と宣言した手前、目の前に現れられても反応に困るだけだ。
それならば気のせいにして互いに避け合おうとしたのだが、地味で17歳に見えなくて子どもっぽい少女には通じなかった。
「……なんだ、ベアトリーチェ……さん」
「不本意そうに言わないでくださいっ」
図書館にいる自覚はあるのか、ベアトリーチェは出来る限り声をひそめながら不満をぶつける。
仕方ないとダンテはため息をつき、ベアトリーチェと目を見て向き合った。
「言ったはずだ。俺とお前とは見ず知らずの他人だと」
「……それは他の人の目がある時だけでいいんじゃないですか?」
「…………」
確かにベアトリーチェの言う通り、ダンテは己の本性が周り、特にアンジェリカにバレなければいいだけだ。
だからダンテとベアトリーチェが必ずしも他人として一切接触をしなくなる必要はない、のだが……。
「誰かに見られているかもしれないだろ」
ダンテはなんとなく素直になれず、視線を逸らすと心にもない言い訳を口にした。
「……そうですけど、ダンテさんにはお礼を言いたいですから」
「必要ない」
ダンテは冷たく言い放つと、それまで読んでいた本を閉じて本棚に戻して歩き始めた。
ダンテ自身、なぜベアトリーチェに対してだけ、ここまで素直になれないのか不思議で仕方がなかった。
しかし、出来ないものは出来ない。
理屈では説明できないのだ。
「ま、待ってください」
大股で歩くダンテを、背の低いベアトリーチェはちょこちょこと小走りで追いかける。
「いじわるが減ったお礼だけでも」
「いらな――」
い、と断ろうとして、ダンテはある事に気づいて足を止める。
「わぷっ」
ダンテが急に立ち止まったため、その後ろを小走りでついてきていたベアトリーチェは、止まり切れずにダンテの背中に追突してしまう。
そんなベアトリーチェを、ダンテは背中側へ手を伸ばして転ばないように支えてやる。
「あ、ありがとごじゃまひゅ……」
ベアトリーチェはぶつかって赤くなった鼻をさすりながら体を離す。
「いや、それよりも今なんて言った?」
「はい?」
ダンテが気にしたのはベアトリーチェの言葉「いじわるが減った」だった。
減った、ということはまだあるということだ。
ダンテは嫌がらせの芽を全て摘むつもりだった。
アルが見張り、ダンテが根回しをしたことで、かなりベアトリーチェの受ける被害は少なくなったはずなのだが、ベアトリーチェの口調からは、さほど劇的な変化があったようには見受けられなかった。
「まだあるのか?」
ダンテが尋ねると、ベアトリーチェはバツが悪そうに苦笑いをする。
それがすべての答えだった。
ダンテが把握しきれていない場所でベアトリーチェはまだ傷ついている。
それを知ったダンテの胸は、今までにない痛みを訴え始めた。
「……すまない、まだ代金を支払い切れていなかったみたいだな。今すぐ――」
「違いますっ」
いつもは素直になれなかったダンテの口から謝罪の言葉があふれ出すが、ベアトリーチェ自身によって断ち切られる。
「違いますよ、確かに意地悪はされなくなったんです。それはダンテさんのおかげですから……ありがとうございます、って感謝しかないです」
でも、とベアトリーチェは続ける。
「何も、無くなったんです」
あの取り巻き連中は、確かにベアトリーチェをいじめなくなったのだろう。
彼女たちはベアトリーチェに話しかけないし目も向けない。
何もしないという嫌がらせに切り替えただけだった。
「楽にはなったんですけど、少し……」
寂しい、と口だけが動く。
ベアトリーチェの瞳がわずかに潤んだのを、ダンテは見逃さなかった。
「……じゃないや、うん。ダンテさん、気にしないでください。とにかくお礼を言いたかっただけですから」
ベアトリーチェは笑う。
しかしその笑顔の裏には様々な感情がない交ぜになって押し込められている。
それはダンテがそうさせてしまった。そんな感情をベアトリーチェに与えてしまったのだ。
なら、それを拭い去るのもダンテが最後まで責任を持ってやるべきだろう。
「気にするなと言われて、はいそうですかとうなずけるほど素直な人間じゃねえんだよ、俺は」
ダンテは毒づきつつベアトリーチェへと向き直り、琥珀色の左目とサファイア右目でもって、ベアトリーチェの琥珀色の瞳をしっかりと受け止めた。
「代金支払いきれてねえんだから、あの約束はなしだ」
「…………」
一瞬、ベアトリーチェの顔に歓喜の感情がよぎったのだが、またすぐに寂しげな表情に戻ってしまう。
「……やっぱりズルいですね、私」
「どこがだ?」
「だって、ダンテさん優しいから……」
ベアトリーチェの言葉を聞いた瞬間、ダンテの顔が苦虫を嚙み潰したようなものへと変わった。
ダンテは優しいという評価はスラムの子どもたちや売春婦から何度も貰っている。
しかし、裏で別の言い方でも評されていた。
それは――甘い、だ。
優しさが相手を許容することならば、甘いのは非情になれないだけの弱さでしかない。
似ている様で全然違うのだ。
「――違うっ」
だからダンテは嫉妬した。素直になれなかった。
ダンテが必死になって求め、嘘で塗り固めてそう在ろうと作って来たものを、ベアトリーチェはただ在るだけで持っていたから。
「お前はズルくないさ。お前がズルいなら、自分を偽ってアンジェリカに取り入ろうとしている俺はどうなる?」
これは明らかな失言である。
アンジェリカなど愛していないと、彼女でなく金を愛していると、告白してしまったようなものだからだ。
案の定、ベアトリーチェは何かを察したような顔をみせる。
彼女は口を開き、結局なにも言わないままに閉じて頭を振った。
「……いまのは忘れてくれ」
ダンテは頭をガシガシと掻きむしり、大きなため息をひとつ吐き出す。
ベアトリーチェを前にすると、なぜかいつものダンテであり続けることができないでいた。
日曜日に行われる舞踏会の準備に追われ、学校から出て行ってしまうのだ。
己の目立つ容姿を自覚しているダンテにとって、そんな土曜日は自由に出歩くことの許される数少ない日と言えた。
「ふむ、やはりここの蔵書は素晴らしいな。そう思わないか、アル?」
読書漬けの日々が三週間目に突入してようやくダンテ自身が気付いたのだが、ダンテは読書が好きだった。
新たな知識を得て、同時にそれを如何にして活用するか考えるだけで、彼の胸は奇妙な興奮で満たされるのだ。
「…………おい、アル?」
ステートスクールに併設された本棚が乱立する図書館にはダンテしか声を発する者が居なかったことにようやく気付く。
慌てて本から目を離し、頭を巡らせたのだが、茶髪で頼りになる相棒の姿はまったく見当たらなかった。
「まったく、逃げたな」
アルは本を借りてくることにすら飽き飽きしていた。
そんなアルが、本にまみれた図書館でおとなしくしているはずがなかったのだ。
今頃は情報収集か、街へ気晴らしにでも行っているのだろう。
ダンテは軽く肩を竦めてから本の世界へと戻って行った。
「あのっ」
誰かに呼ばれ、ダンテは顔を上げ――。
「……気のせいか」
再び本に視線を落とす。
「気のせいじゃありませんっ」
ダンテの視界の中で、茶色い頭が揺れる。
顔が見えないのは彼女の背が低すぎて、ちょうど手に持っている本の死角に入って見えないだけだ。
「もー、無視しないでくださいっ」
実はダンテは気づいている。
ただ、彼女に対して「他人だ」と宣言した手前、目の前に現れられても反応に困るだけだ。
それならば気のせいにして互いに避け合おうとしたのだが、地味で17歳に見えなくて子どもっぽい少女には通じなかった。
「……なんだ、ベアトリーチェ……さん」
「不本意そうに言わないでくださいっ」
図書館にいる自覚はあるのか、ベアトリーチェは出来る限り声をひそめながら不満をぶつける。
仕方ないとダンテはため息をつき、ベアトリーチェと目を見て向き合った。
「言ったはずだ。俺とお前とは見ず知らずの他人だと」
「……それは他の人の目がある時だけでいいんじゃないですか?」
「…………」
確かにベアトリーチェの言う通り、ダンテは己の本性が周り、特にアンジェリカにバレなければいいだけだ。
だからダンテとベアトリーチェが必ずしも他人として一切接触をしなくなる必要はない、のだが……。
「誰かに見られているかもしれないだろ」
ダンテはなんとなく素直になれず、視線を逸らすと心にもない言い訳を口にした。
「……そうですけど、ダンテさんにはお礼を言いたいですから」
「必要ない」
ダンテは冷たく言い放つと、それまで読んでいた本を閉じて本棚に戻して歩き始めた。
ダンテ自身、なぜベアトリーチェに対してだけ、ここまで素直になれないのか不思議で仕方がなかった。
しかし、出来ないものは出来ない。
理屈では説明できないのだ。
「ま、待ってください」
大股で歩くダンテを、背の低いベアトリーチェはちょこちょこと小走りで追いかける。
「いじわるが減ったお礼だけでも」
「いらな――」
い、と断ろうとして、ダンテはある事に気づいて足を止める。
「わぷっ」
ダンテが急に立ち止まったため、その後ろを小走りでついてきていたベアトリーチェは、止まり切れずにダンテの背中に追突してしまう。
そんなベアトリーチェを、ダンテは背中側へ手を伸ばして転ばないように支えてやる。
「あ、ありがとごじゃまひゅ……」
ベアトリーチェはぶつかって赤くなった鼻をさすりながら体を離す。
「いや、それよりも今なんて言った?」
「はい?」
ダンテが気にしたのはベアトリーチェの言葉「いじわるが減った」だった。
減った、ということはまだあるということだ。
ダンテは嫌がらせの芽を全て摘むつもりだった。
アルが見張り、ダンテが根回しをしたことで、かなりベアトリーチェの受ける被害は少なくなったはずなのだが、ベアトリーチェの口調からは、さほど劇的な変化があったようには見受けられなかった。
「まだあるのか?」
ダンテが尋ねると、ベアトリーチェはバツが悪そうに苦笑いをする。
それがすべての答えだった。
ダンテが把握しきれていない場所でベアトリーチェはまだ傷ついている。
それを知ったダンテの胸は、今までにない痛みを訴え始めた。
「……すまない、まだ代金を支払い切れていなかったみたいだな。今すぐ――」
「違いますっ」
いつもは素直になれなかったダンテの口から謝罪の言葉があふれ出すが、ベアトリーチェ自身によって断ち切られる。
「違いますよ、確かに意地悪はされなくなったんです。それはダンテさんのおかげですから……ありがとうございます、って感謝しかないです」
でも、とベアトリーチェは続ける。
「何も、無くなったんです」
あの取り巻き連中は、確かにベアトリーチェをいじめなくなったのだろう。
彼女たちはベアトリーチェに話しかけないし目も向けない。
何もしないという嫌がらせに切り替えただけだった。
「楽にはなったんですけど、少し……」
寂しい、と口だけが動く。
ベアトリーチェの瞳がわずかに潤んだのを、ダンテは見逃さなかった。
「……じゃないや、うん。ダンテさん、気にしないでください。とにかくお礼を言いたかっただけですから」
ベアトリーチェは笑う。
しかしその笑顔の裏には様々な感情がない交ぜになって押し込められている。
それはダンテがそうさせてしまった。そんな感情をベアトリーチェに与えてしまったのだ。
なら、それを拭い去るのもダンテが最後まで責任を持ってやるべきだろう。
「気にするなと言われて、はいそうですかとうなずけるほど素直な人間じゃねえんだよ、俺は」
ダンテは毒づきつつベアトリーチェへと向き直り、琥珀色の左目とサファイア右目でもって、ベアトリーチェの琥珀色の瞳をしっかりと受け止めた。
「代金支払いきれてねえんだから、あの約束はなしだ」
「…………」
一瞬、ベアトリーチェの顔に歓喜の感情がよぎったのだが、またすぐに寂しげな表情に戻ってしまう。
「……やっぱりズルいですね、私」
「どこがだ?」
「だって、ダンテさん優しいから……」
ベアトリーチェの言葉を聞いた瞬間、ダンテの顔が苦虫を嚙み潰したようなものへと変わった。
ダンテは優しいという評価はスラムの子どもたちや売春婦から何度も貰っている。
しかし、裏で別の言い方でも評されていた。
それは――甘い、だ。
優しさが相手を許容することならば、甘いのは非情になれないだけの弱さでしかない。
似ている様で全然違うのだ。
「――違うっ」
だからダンテは嫉妬した。素直になれなかった。
ダンテが必死になって求め、嘘で塗り固めてそう在ろうと作って来たものを、ベアトリーチェはただ在るだけで持っていたから。
「お前はズルくないさ。お前がズルいなら、自分を偽ってアンジェリカに取り入ろうとしている俺はどうなる?」
これは明らかな失言である。
アンジェリカなど愛していないと、彼女でなく金を愛していると、告白してしまったようなものだからだ。
案の定、ベアトリーチェは何かを察したような顔をみせる。
彼女は口を開き、結局なにも言わないままに閉じて頭を振った。
「……いまのは忘れてくれ」
ダンテは頭をガシガシと掻きむしり、大きなため息をひとつ吐き出す。
ベアトリーチェを前にすると、なぜかいつものダンテであり続けることができないでいた。
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