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【四章:冬の樹海と各々の想い】
セシリー=カロッゾ(*セシリー視点)
しおりを挟む「フェア、いる……?」
ベッドの上で目覚めたカロッゾ家の三女"セシリーは"侍女の女騎士フェアを呼んだ。
声はシンと静まり返った自室へ溶けて消えてゆく。どうやら今、そばに居ないらしい。
いつもそばに居てくれる人がいないのは寂しかった。こと更に、病のために寝ていることが多いセシリーにとっては、フェアがほとんど唯一交流できる人だった。
しかしそんな暗い気持ちを吹き飛ばすように、窓からは燦々と明るく暖かい陽光が差し込んで来ている。
だからなのか、今日はいつも以上に体が軽く感じた。自然と体から良い熱が沸き起こって、胸の奥が踊り始める。
籠の中の鳥も、たまには自由に空を飛び回りたい。
そんなことを思いつつ、セシリーは意を決して豪奢なベッドから起き抜けた。
ベッドの脇に立てかけてある太い樫木の杖を持ち、それを支えにして、足を踏ん張ってみる。
辛うじて立てたものの、足が震えた。どうやら運動不足らしい。そうえいばこうして歩くのは二週間ぶりだったと思い出す。
「寝てばっかりいると、こうなるのよねぇ……」
セシリーは嘲るようにそう言って、杖をついて歩き、そしてなんとか部屋を出て行った。
「お出かけですか、お嬢様?」
聞き覚えのない声がした。扉の脇には、弓を背負った少しみすぼらしい若い男がいた。
セシリーは風貌が怪しい彼に警戒心を抱き、やや身を引いた。
「自分はクルス。冒険者です。今日一日、あなたを見守るようフェア=チャイルド殿から仰せつかったものです」
彼はカロッゾ家からギルドへ送られた依頼書と、真鍮へ文字を打った冒険者ライセンスを提示する。
Eランク冒険者弓使いのクルス――という名前で間違い無いらしい。
「フェアはいないの?」
「はい。本日は終日、聖王都に行っておられます。他の皆様も所用でほとんど出払っています」
「そっ。わかったわ」
セシリーはそれ以上何も言わず、杖を突いて歩き出す。
(私を放っておいて、出かけるなんてフェアは酷いわ……)
心の中でそう文句を言いつつ歩いていると、背中に気配を感じ続けていることに気がついた。
セシリーは杖を突いて、カクカクと踵を返す。
「なに? なんで付いてくるの?」
「あなた様を今日一日見守るのが俺の仕事ですので」
「あなた冒険者でしょ? ずいぶんつまらない仕事を受けたのね」
セシリーの辛辣な言葉を受けても、クルスはにっこり微笑むだけで真意が見えなかった。
「私は大丈夫だから放っておいて」
セシリーはクルスに構わず、再び杖を突きながら歩き始めた。
外へ続く二枚扉をセシリーは全身を使って押し開ける。
瞬間、麗かで暖かい陽光が、彼女を包み込んだ。
広い中庭には日の光を浴びた草木の葉が青々しく燃えている。薄暗く、年中室温が変わらない、死んでいるような自分の部屋とは大違いだった。世界は自分の部屋だけではなく、こんなにも広く、そして命の輝きに満ち溢れているのだ思った。
早く命の息吹を全身で感じたい。そう思ったセシリーは流行る気持ちで杖を突き出し、一歩を踏み出す。
「あっ!?」
しかし気持ちに衰えた体が付いて行かず、足がもつれた。
足元は芝生で柔らかいが、転んだらきっと痛いに違いない。セシリーはせめて、少しでも痛くならないよう体に力を込める。
すると体が芝生の目の前でピタリと止まった。
「急がなくても晴天は逃げません」
影のように現れたクルスが、セシリーを抱き止めていた。
「わ、わかってるわよ!」
変なところを変なやつに見られて恥ずかしい。そう思ったセシリーは彼を払い除ける。
とは言っても、セシリーの力の掛け方に、クルスが従って離れた、というのが正しい状況だった。
それでもまるで自分の力で払い除けた、といった具合に"ふん!"と鼻を鳴らして歩き出す。
セシリーはまっすぐと大好きな花壇へと向かってゆく。
自分のように自由には動けないが、凛として咲き誇る花。そんな自分にはない強さと美しさを持つ花がセシリーは好きだった。
ふと花壇の隅にまるで"風車"のような形をした花が密集して咲いていることに気がついた。
自分の部屋から毎日花壇を眺めていたが、角度のせいで気がつかなかったらしい。
その花が咲く場所は決して日当たりが良くない。更に花の茎が傷ついていて、乳白色の液体を涙のように滴らせている。
「かわいそう……」
頑張って咲いているのに可哀想。傷は直してやれないが、せめて涙ぐらいは拭ってやりたい。そう思って指を伸ばす。
そんなセシリーの指を、再び現れたクルスが掌で制した。
「だからさっきからしつこいのよ! なんで付き纏うわけ!?」
セシリーは怒鳴るが、クルスの表情は変わらなかった。その態度が余計に腹が立った。
「触ってはいけません。カザグルマソウの樹液には毒があります。見ていてください」
クルスは腰にぶら下げた雑嚢から木片を取り出した。それへ乳白色の樹液をつけ、皮膚の硬い肘へと塗る。
やがて樹液を塗った肘が赤く腫れて、虫刺されのようにぷっくりと膨らむのだった。見るからに痛そうだった。
「本当だ……って、あなた大丈夫なの!?」
「これぐらいは特に。こんなので痛がっていては冒険者などできませんので」
「そ、そうね……」
「お邪魔をして申し訳ありませんでした。俺の見たところ、他の花は触れても大丈夫なようなので、ごゆっくりお楽しみください」
「待ちなさい!」
立ち去ろうとしたクルスをセシリーは止めた。
「なんでしょうか?」
「クルス、だったかしら? あなたお花には詳しいの? ここにあるお花のことは全部わかる?」
「こちらの花程度でしたら」
「なら教えなさい! これはなんて花なの?」
セシリーは精一杯威勢を張って、赤い花を指し示す。
クルスはにっこりと微笑んだ。
「それはゼフィランサスです。その花は多年草で……」
クルスはまるで図鑑のように次々と花の話をセシリーに聞かせてくれた。
セシリーは興味深そうにクルスの話へ耳を傾ける。自分の大好きなことを彼は延々と聞かせてくれた。屋敷の中が世界の全てであるセシリーにとってクルスが聞かせてくれる様々な話は、とても充実したものだった。
フェア以外の人間のことをあまりよく知らないセシリーにとっては、家族や従者以外で初めて言葉を交わす相手だった。
「そういえばカロッゾ家の領地に樹海がありますが、あそこには巨大な赤い花をつける"ラフレシア"というものがあるそうです」
「どれぐらい大きいの?」
「そうですね、お嬢様の頭がすっかり花に埋もれてしまうほどなようで」
「へぇ!」
「しかも噂では生き物に寄生して、魔物にしてしまうという噂もあります」
「お花が!? それ本当ですの!?」
「あくまで噂です。ラフレシアを体に咲かせた動物がいたと、聞いたことがありまして」
自分の頭よりも大きく、そして魔物にしてしまうというラフレシアという花。その妖しい存在にセシリーは強く心を惹かれる。
「ならクルス、今度そのラフレシアを摘んできなさい! これはカロッゾ家の三女としての依頼よ!」
クルスは穏やかな笑みを浮かべて、
「善処しましょう。幻の花なのでいつになるかはわかりませんが」
「さっさとなさい! さっさとするのよ! てか。さっさとしないと承知しないからね!!」
「が、頑張ります……」
クルスは困った顔をする。そんな彼の様子がおかしくて、セシリーはケラケラと笑う。
生まれて初めて、心の底から笑ったように思う。
クルスがカロッゾ家へ来たのは、これが一回きりだった。
しかし幼く、まだ自分で歩くことができた頃のセシリーは、ずっと彼が約束通り"ラフレシア"を持ってくる日を心待にしていたのだった。
……
……
……
樹海の住処である洞窟で"ラフレシアのセシリー"は目覚めた。
出口には闇が張っている。どうやらまだ真夜中で、目が覚めてしまったらしい。
「クルス……か」
ラフレシアのセシリーは彼の名前を呟く。すると、胸の奥が高鳴り、そして息苦しくなった。
それは心地よく、そして幸福感に溢れるものだった。
ここ最近、クルスと過ごすと既視感を抱いていた。これはおそらくセシリー=カロッゾの体に刻まれた記憶。
その結果、幼い日に抱いた感情を思い出し、その時のことを夢に見たのだと思った。
しかし今抱いている"想い"は、セシリー=カロッゾの記憶に引きづられたことで生まれたわけではなかった。
自分を可愛いと言ってくれた彼の声。頼りに感じる大きな背中。そして彼の匂い。
これまで共に過ごし、そのどれもが彼女にとっては好ましいものだった。
セシリー=カロッゾとしての記憶。ラフレシアのセシリーとしての体験。
その二つが重なって――気づけば、クルスを欲する気持ちへ代わっていた。
彼が欲しい。自分だけを見てほしい。自分だけのものになってほしい。
そう考えると決まって、いつもそばにいる"アルラウネのロナ"の姿が浮かんだ。
この衝動へ、一人の女として従うならば、ロナの存在は邪魔となる。
しかし彼女は今や樹海に深く根を張り、更に危険を察知する耳目的存在である。
樹海の守護者としては、クルスを奪うために、彼女と対峙するなどあってはならない。
ならばクルスをセシリー自身が魅了して心を奪うか? その自信もなかった。
「私はどうすれば……」
セシリーとしての想いと、樹海の守護者としての使命がぶつかり、葛藤を呼ぶ。
判断がつかず、セシリーは頭を抱える。
その時袖の奥で自分の蔓が激しく蠢いていることに気がついた。
この体になってから初めて、湧き上がるような力を感じる。
もしかすると、先日の戦いで、こっそりキングワームから生命力を吸収したのが原因なのかもしれない。
「あっ、うっ、くぅっ……!!」
袖の奥の蠢きが更に強まった。もう我慢ができない。
たまらずセシリーは洞窟を飛び出した。
途端、目の前にあった木へ向かって、袖から怒濤のように無数の蔓が飛び出た。
蔓は木へぐるぐると絡みつき、すっかりと覆い尽くす。木は蔓に絡まれ、不気味な様相を呈する。
そしてセシリーの頭に咲くものと同じ、真っ赤な大輪の花が咲き誇る。
幼い日、クルスが聞かせてくれた、自分と同種の"ラフレシア"だと思った。
ラフレシアに変貌した木は、まるで意志があるかのように蔓を木々の間へ飛ばす。
茂みの向こうから獣の悲鳴が聞こえた。やがて茂みから蔓に緊縛された様々な獣が引き釣り出された。
獣は蔓に何かを吸われて、皮と毛を残す。
すると騒ぎを聞きつけたのか、今度はセシリーへ向かって、複数のブレードファングが迫る。
しかし彼女は臆することなく、僅かに金色に輝いた棘の鞭を打ち付けた。
「キャウ! キャキャ……!」
鞭で打ち据えられたブレードファングがみるみるうちに"石化"し、そして崩れ去った。
どうやらキングワームからは"石化"の力も吸収したらしい。
「お嬢様、これは……?」
いつの間にか起きて、セシリーの後ろにいたマタンゴのフェアは、状況を見て声を震わせている。
「この力を使えば、もしかして……」
セシリーの中で一つの答えが浮かび上がるのだった。
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