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【三章:羊狩りと魔法学院の一年生たち】

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「やはり切り札はリンカが良いか……」

 クルスの独り言が薄闇に沈んだ樹海へ溶けてゆく。
 彼はビギナの指導で羊皮紙上へ再作成された冒険者実習の内容を見ながら、ハインゴックの効果的な撃退方法を考えていた。

「周囲の警戒終わりました! ここでキャンプをして問題ありません!」

 元気な声と共に、木々の間から小走りでビギナが戻って来る。

「お疲れ様」
「何をなさっていたんですか?」

 ビギナは肩越しに、地面に置いた羊皮紙を覗き込んでくる。
 顔が異様に近く、意図せず心臓が跳ね上がった。

「どうかしましたか?」
「い、いや……今、対ハインゴックの想定をしていたのだが、俺はやはりリンカが決め手だと思う。ビギナはどう思うか?」
「そうですね。でも逆にリンカちゃんに引き付けて貰って、サリスちゃんにとどめを刺してもらっても良いかもです。魔力の安定性はたぶんサリスちゃんの方が上だと思うので」
「なるほど、確かに……」

 突然ビギナはくすりと笑った。その愛らしい笑顔に、胸の奥で心臓が強く脈を打つ。

「先輩楽しそうですね?」
「そうか?」
「先輩は良い先生だと思います」
「先生? 俺がか?」
「はい! 自分以外の誰かのために一生懸命になってくれる。これ以上の素質はないですよ。私だって先輩からたくさんのことを教えて頂きました。だから今の私があるんだと思います」

 そう言われてかつてビギナに色々と教えていた日々を思い出す。
 可食のできる草花のこと、魔物によっての対処法、そして冒険者としての心得。
ビギナはその全てに聞き耳を立てて、教えを請いてくれた。遥か格下の冒険者等級である彼の言葉に耳を貸し、そして頼ってくれた。それは荒んだ冒険者生活の中でもっとも輝かしく、そして幸福な時間だった。
しかし同時に、そんな心地よい記憶は、辛い瞬間を思い出させた。

 クルスがフォーミュラからクビを宣告された時、ビギナは精一杯彼のことを庇った。
そのために傷つけられた。辛い思いをさせてしまった。

 過去の出来事ではある。だが、その瞬間を思いだすと、今でも胸が痛んだ。
あの時、さっさと自分が解雇通告を受け入れていれば、ビギナは傷つかずに済んだのではないか。
ちっぽけなプライドにこだわらなければ、彼女の深く傷つけなくても済んだのではないか。

あの日、あの時、あの瞬間に――もっと自分に強さがあったなら。
それは今でも深い後悔としてクルスの胸の中にトゲとして突き刺さっている。

「先輩……?」
「いや、なんでも……」
「あ、あの、先輩……」

 ビギナは先ほどの元気な様子とは打って変わり、おずおずと声を上げる。

「どうかしたか?」
「……」
「ビギナ……っ!?」

 背中越しに柔らかい感触を得る。ビギナのわずかな熱がしっかりと伝わってくる。

「もう誰も先輩を捨てたりしません……」
「……」
「安心してください。私がずっと側にいます。いつまでも貴方のことを必要とします。約束します……」

(やはりビギナは俺のことを……)

 共にいるときは自分の勘違いだと思っていた。年も離れすぎているし、冒険者としてのランクも決して釣り合っているとはいえない。しかしこうして2人でいると喜びや安らぎを覚える。きっとそれはビギナも同じ。もはやそうではない、と判断してしまう方がおかしい。

「先輩? 本当に大丈夫ですか……?」

 ビギナは少し背中から離れて、伺うように聞いてきた。

「ああ」
「そう、ですか……」

 それっきり彼女は黙り込んでしまった。
 クルスも何か声をかけたいと思うが、なにも浮かばず黙り込んでしまう。
 
 ビギナが痛いほど強い気持ちで彼を欲してくれているのはわかった。そのために危険を顧みず、ずっと樹海にいたこともわかった。今この場で差し伸べられた手を取り、永遠を誓うことは、きっと呼吸をするよりも容易い。

 しかしここで判断してしまって良いのか。いま、この場で決断を下すのが最善なのか。
クルスにはわからなかったのである。

「ク、クルスさん! ビギッち! 来てほしいっ……うわぁ!? お取り込み中、めんごっす!」

 と、飛び出してきたゼラはすぐさま木々の間に隠れてしまう。

「いや、問題ない。なにがあった?」

 クルスは平生を装って立ち上がる。背中へビギナの寂しそうな気配を感じるも、今は気にしないことにした。

「い、良いんすか?」
「構わん。で、どうかしたか?」
「大変なんっす! 今すぐきてほしいっす!!」

 ゼラの尋常ではないあわてぶりに、クルスは爪先を蹴り出した。

「行くぞ、ビギナ」
「は、はい!」

 まだ答えを出せない。クルスはそう思いつつ、木々の間を駆け抜けてゆく。

 やがて向こうに赤々と燃え盛る炎が見えてきた。

「ビギナさん、クルスさん! 早く早く!」
「早く火消して! さすがのサリス様でも無理だよぉ!」

 リンカとサリスは木々を激しく燃えがらせる炎を前にして、なにも出来ずにいた。

「オーキス! なにがあったんだ!?」

 クルスは炎の前で茫然とたたずむオーキスの肩を掴んだ。

「ど、どうしよう……なんであたしはまた……!」

 しかしオーキスはクルスに気づかず、炎を見上げるだけだった。

「みんな下がれ! ビギナ頼む!」
「はい!」

 リンカとサリスは下がり、クルスは茫然としているオーキスを引っ張った。
 瞬間、高速詠唱を終えたビギナから青白い魔力の輝きが噴出する。

「アクアショットランス!」

 凛と錫杖を打ち鳴らして突き出すと、そこから水で形作った大槍が出現し、矢のように飛んでゆく。
巨大な水の槍は激しく木々を燃やす炎へぶつかった。真っ赤な炎は瞬時に水の大槍によって勢いを削がれる。
炎はビギナの魔法で消されるのだった。

 誰もがほっと胸を撫で下ろす中、オーキスは未だに茫然とたたずんだままでいた

「原因はお前か?」

 クルスは少し低めの声でオーキスへ問う。するとようやく意識が現場に戻ったのか、オーキスはビクンと肩を震わせた。

「あ、あの……!」
「……こっちへ来い」
「えっと……」
「黙ってついてこい」
「……はい」

 クルスは振り返らずに歩き始めると、がっくり肩を落としたオーキスが続いてゆく。
 そんなオーキスの様子を見てリンカは一歩踏み出した。そんなリンカの肩をビギナが叩いた。

「大丈夫」
「で、でも!」
「きっと先輩なら大丈夫。悪いようにはしないよ、きっとね」

 クルスはオーキスを伴って、木々の間を進んでゆく。周囲は次第に静寂に包まれた。

「この辺で良いだろう。止まれ」

 クルスは立ち止まり、踵を返す。同じく立ち止まったオーキスだったが、相変わらず顔は俯かせたままだった。

「座ろうか」

 進んで彼から座ると、オーキスの力なく膝を折って座り込んだ。やはり反省の色が濃いのか、罪人と同じ座り方をしている。

「その座り方では足が痺れてしまう。楽にして良いんだぞ?」
「いえ……」

 本人がそうしたくないのなら仕方がない。クルスはそのまま話を進めることにした。

「あの炎はなんだったんだ? なにがあったんだ?」
「……食事を、作ろとと思いまして……だから火を……」
「あの火勢は明かに魔法由来のものだな。失敗したのか?」

 オーキスは力なく首を縦に振った。

「あたし、火属性魔法苦手なんです……だから火勢が制御できなくなって、それで……」
「そうか。苦手なのにどうして火属性魔法を使おうとしたんだ?」
「だって、これ以上、リンカやサリスに迷惑かけられないから……」

 オーキスの暗く沈んだ声に、クルスは胸の痛みを覚える。

「どうしてそんなに自分を追い込むんだ? やはり転移を失敗したのを引きずっているのか?」
「……それもありますけど……年上として恥ずかしくて……」
「年上?」
「あたし、その……浪人してるんです……リンカたちよりも歳が一つ上なんです。でも、リンカもサリスも凄くて……やっぱり浪人しても、ギリギリ学院に入学できたあたしなんて、こんなものなのかなぁって……でも役に立ちたくて、だから……」

 きっとオーキスの中には、実力不足で浪人をしてしまったというコンプレックスが根深くあるのだと思った。
そしてその思いはかつてのクルスにも通ずるところがあった。

 自分は万年Eランク。しかし年々、自分よりも遥かに年下の人間が栄光を勝ち取ってゆく。自分では決してつかめない、輝かしい未来を手にしてゆく。そして自分とその彼らを比べた時に、自分の未来はもうほとんど確定してしまっているのだと思い、落胆する。そう思う時期は確かにあった。
だからこそ、今のオーキスの焦る気持ちは痛いほどを分かったような気がした。

「焦るな、オーキス」
「えっ……?」

 意外な言葉だったのか、オーキスはようやく顔を上げた。

「俺にもそういう時期があった。年下が実力者揃いなら焦ったり、落ち込んだりするのはよくわかる。追いつきたいという気持ちもな」
「……」
「だが、焦ったところでなにも良いことはないはずだ。焦れば無茶をしてしまう。無茶をすればそれが失敗を呼んでしまう。そうすると失敗をして、落ち込み、また焦ってしまう。負の連鎖が続いてゆく」
「……」
「お前はお前のできることを一生懸命やれ。お前自身のペースで。周りを気にするなとはいえない。しかしあまりそこに気を取られ過ぎても、良くは無いと俺は思う」
「クルスさん……」

 ずっと暗く沈んでいたオーキスの顔へ明るみが射し始めた。

「応援している。頑張れ。きっとお前ならいつか花を咲かせるはず。だって君は苦労してでも魔法学院へ入学できたのだからな」
「……はい! ありがとうございます!!」

 オーキスの声にいつもの元気の良さが戻っていた。顔や肩からも良い意味で力が抜けているように見えた。
もう大丈夫な様子だった。
 
「しかしだな、危ないことをしたのは事実だ。反省しろ」
「はい……すみませんでした。気を付けます」
「あらため食事の支度を頼めるか?」
「えっ? 良いんですか……?」
「火はリンカかサリスに任せてだぞ」
「わかりました! ありがとうございました!」

 オーキスは声を弾ませて、颯爽とリンカたちのところへ戻ってゆく。

 まだ完全にコンプレックスを克服したわけではないだろう。しかしそのきっかけを与えてあげることはできた。

 転んでもそこから立ち上がった人間は強くなれる。倒れる度に立ち上がることが人を強くする。
オーキスにはこれからもたくさん転んで、その度に起き上がって強くなって欲しい。
クルスはそう願って止まなかったのだった。
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