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【三章:羊狩りと魔法学院の一年生たち】

うふふと、もやもや

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 樹海の北部にある激しい起伏の岩場。そこを刃物のように鋭い牙を持つ危険度Ⅾの魔物:ブレードファングの群れが、まるで平地のように軽々と駆けてくる。遭遇戦(エンカウント)である。

「【フェア】! 牽制を頼む!」

 後方で弓を構えたクルスが叫んだ。

「ん? ああ、私のことか……」

 呼ばれたマタンゴは一瞬首を傾げたが、ややあって【フェア】が自分を指しているのだと理解してくれたらしい。

 マタンゴの女騎士【フェア】は目いっぱい息を吸い込む。

「カハっ!」

 凛々しい彼女は、似合わないくらい大口を開いて、圧縮した白い“靄の砲弾”を吐き出す。
それは“ドンっ!”とブレードファングの群れのぶつかった。先頭は吹っ飛び、後続は白い靄に包まれる。
すぐさま岩場を平然と疾駆していた獣が四肢を震わせ、その場に固まる。
 マタンゴのフェアの特殊攻撃:“麻痺胞子弾(パラライズシュート)”は今日も絶好調の威力を示す。

「さぁ、準備運動の時間よ!」
「お嬢様!?」

 フェアの声を振り切って、真っ先に飛び出したのはラフレシアを改め【セシリー】

 鋭い棘が生えた茨の鞭を手に持ち、まるで踊るかのように麻痺したブレードファングを一方的に攻撃している。

「おほほ! うふふ! それそれそれぇー! 今日の私は一味違うわよ!」

今日は一段と動きに切れがあり、鮮やかに見えるのは気のせいだろうか。

「なぁ、クルス、さっきラフレシアとなに話してたのだ?」

 ラフレシアのセシリーの独壇場と化した戦闘域(バトルフィールド)を見て、マンドラゴラのベラが聞いて来た。

「な、なんでも無い。ただの、なんだ、雑談だ……」

 クルスはさっきの甘酸っぱいやり取りを思い出し、言葉を濁す。
するとベラは眉を潜めて、足元からじぃーっとクルスを睨んで来た。

「本当かぁ?」
「なんだ、その視線は……? 本当だ。本当にただの雑談だった」
「ぬぅ……」
「そ、そうだ! 今後はラフレシアのことを【セシリー】と、マタンゴのことは【フェア】と呼んでやってくれ。そういう内容の話をしていたんだ!」
「ぬっ? ねえ様と僕みたく、クルスが名前をあげたのか?」
「そういうわけではないが……」
「そうか……」

 ベラは更に難しい顔をした。

「どうかしたか?」
「良くわからないけど、なんかもやもやするのだ。ねえ様のロナは良いけど、なんか、ちょっとクルスがラフレシアのことをセシリーって呼ぶのがむずむずするのだ」
「なんだそれは?」
「わかんないのだ! むしゃくしゃするから僕も戦うのだ―!」

 ベラは双剣を手に持ち、ブレードファングの群れへ突っ込んでゆく。
敵中に突っ込んだベラもベラとて、いつも以上に動きが良いように見える。
 と、そんな中……

「ちっ! 数が多いかっ!!」

 マタンゴのフェアは、前しか見ていないセシリーの背後を懸命に守り続けていた。
しかし数が多いのか、脇からの敵の接近を許してしまう。

「なっ――!?」

 クルスはすかさず弓で、フェアへ飛び掛かろうとしていたブレードファングを射倒す。
そしてフェアへ背中合わせに並んだ。

「大丈夫か?」
「かたじけないクルス殿!」
「バックアップする。君はセシリーの防衛に専念を!」
「承知した! 代わりに私の背中を頼めるか?」
「ああ! 頼まれた!」

 クルスとフェアは互いに飛び、それぞれの持ち場へ向かってゆく。
 日々、互いに戦闘技能を高めるため修練に励んでいる二人は見事な連携を見せて、ブレードファングを討ち取って行く。


「今日は最高の気分だわ! うふふ!!」
「もやもやすのだ! なんか気持ち悪いのだ! どっせい!」
「クルス殿! 敵がそちらへ!」
「了解だっ!」

 四人はそれぞれの武器を自分の身体の一部のように扱って、次々とブレードファングを駆逐してゆく。
やがて獣の群れは尻尾を巻いて退散し、遭遇戦はクルスたちの圧倒的な勝利に終わるのだった。

「ねぇ、クルス! 私、たくさん倒したわよ! すごいでしょ! すごいわよね!? てか、すごいって言いなさい!」

 真っ先に駆け寄ってきたラフレシアのセシリーは、子供のように大はしゃぎで報告してきた。

「クルス! 僕の方がセシリーよりも倒したのだ! 僕がさいきょうなのだ!」

 何故かマンドラゴラのベラは対抗心を燃やして、そう叫ぶ。

「なによちびっ子。私の方が数が多かったわよ!」
「違うのだ! 僕のほうが多かったのだ! だからクルス、僕の方を褒めるのだ!」
「違うわ! 私よ! さっ、クルス! 私を褒めなさい!」
「クルスどっちなのだ! どっちがさいきょうなのだ!」
「私よね? 私に決まってるわ! 私が最強って言いなさい!」
「ぐっ……そ、それは……」

 何故かセシリーとベラの張り合いに巻き込まれてしまったクルスだった。実際、フェアのバックアップで精一杯だったので、見ていなかったが正しい。

「早くなさい!」
「さっさとこたえるのだ、クルス!!」
「ぬ、むぅ……」
「こら! お嬢様も、ベラもおよしなさい! クルス殿が困っているではありませんか!」

 見兼ねたマタンゴのフェアが叫んだ。
赤い傘の下から鋭い眼光を放てば、わんわんぎゃあぎゃあうるさかったセシリーとベラは、ビクン! と背筋を伸ばして黙り込む。

「私が見た限り、お嬢様とベラはほぼ同数の敵を狩っていました。なので引き分けです。もしクルス殿に賞賛を要求するならば、どちらも同程度が相応しいでしょう。と、言う訳でして……」

 フェアはクルス手を取った。そして片方をベラの、もう片方の手をセシリーの頭へ乗っける。

「同じ成果ならば、等しく! さっ、クルス殿賞賛を! さぁ、存分に!」
「こ、これは……」
「この状況ですることなど“なでなで”でしょうが!」
「う、むぅ……わかった……」

 この状況で恥ずかしいから拒否などできようもない。クルスはぎこちない手つきで、ベラとセシリーの頭を撫で始めた。

「あ、あら……? こ、これ、案外良いわね……!」

 セシリーはまた頭に咲く花のように顔を真っ赤にしながらも、クルスに大人しく身をゆだねる。

「なんか落ち着くのだぁ。これ良いのだぁ……」

 以前は全力で恥ずかしがっていたベラも、なぜか落ち着いている。

「そ、そうか。ならば、良かった……二人とも見事だったな」

 とりあえず満足はして貰えた様子だった。

「さぁて! こっから本番! 羊狩よ! ベラ、行きましょ!」
「おう! 次も活躍してクルスに褒めてもらうのだ! セシリーには負けないのだ」
「なに言ってるの! クルスに褒めてもらうのは私よ!」
「言うな? なら僕とまた競争なのだセシリー!」
「いいわ! 受けて立つわ! ベラになんて負けないんだから!」

 口ではそう言いながらも、セシリーとベラは仲良く並んで、岩場を歩き始めた。
もしかすると、二人の精神年齢は一緒で、波長が合うのかもしれない。

「済まなかったな、クルス殿。ご迷惑をおかけした」

 フェアは岩場をひょいひょいと昇ってゆくセシリーの背中を、優しげに眺めながら謝罪する。

「気恥ずかしかったがな」
「撫でている時の貴方も妙な顔をしていてとても面白かった。貴方もああいう顔をされるのだな」
「免疫があまりないからな。面目ない……」
「いえ……」
「それにしても、セシリーは随分とアレだな、闘う時とのギャップがあるな?」
「あれが本来のお嬢様だ。心を開いた相手以外には、ああいう姿をお見せしないから、そう思うのだろう。あの方は昔からそういうお方なのだ」

 やはりマタンゴのフェアの中には、カロッゾ家の侍女騎士:フェア=チャイルドの魂が残っているのではないか。もしくは、彼女自身なのではないかと、時々思うことがあった。 

「それよりも本当にありがとう、クルス殿。お嬢様を笑顔にしてくださって。侍女としてお礼申し上げる」

 フェアは丁寧に腰を折って頭を下げた。出会った当初は、常に抜身の刃物のような鋭さを持っていた彼女。しかし共に戦い、こうしてある程度の時間を過ごすことで、信頼をしてくれるようになったのだろう。

「そしてこれからもどうかお嬢様のことを宜しく頼む」
「何ができるかはわからんが、俺でできることなら何でもすると約束する」
「ありがとう。助かる。それで、だな……」

 フェアは突然言葉を切って俯く。赤い傘で表情が良く見えない。僅かに体が震えているように見えるの気のせいか。

「どうかしたか?」
「ご、ご存じの通り、私は騎士として自分の背中にも気を配り切れない未熟者だ。だからお嬢様の次で構わないので、私の背中も見守ってくれると、ありがいのだが……」
「分かった。しかしそんなに謙遜するな。こちらこそ、フェアに背中を頼みたい」
「そうか! 未熟者で少し頼りないとは思うが、私も力の限り貴方の背中を守ると約束しよう!」

 フェアは傘へ喜びの表情を浮かべて、応えてくれる。こうした真面目で、熱心な態度はまるでビギナのようで、好感を覚えるクルスなのだった。

「あたらためよろしく頼む、クルス殿」
「こちらこそだ、フェア」

 クルスとマタンゴのフェアは固い握手を交わす。

「ちょっと、フェアもクルスもなにしてるのー!? さっさと来なさいよー!! 殺すわよー!?」
「早く来るのだ! のろのろしてるとぶち殺すぞーい!」
「こら、二人とも! 簡単に“殺す”なんて言葉使っては駄目です! 特にお嬢様はっ!」

 フェアはまるで“お母さん”みたいな台詞を叫びながら駆け出す。

「うわっ、怒った! 鬼が来た! ベラ、逃げるわよー!」
「にげるのだー! 鬼なのだー!」
「鬼って……! ああもうっ!! 私はマタンゴですよっ!」

 セシリーとベラは走り出す。特にセシリーはとても気分が良さそうだった。おそらく、自らの足で歩け、更に友達ができたからなのかもしれない。
 ベラもきっとセシリーのような、波長の合う相手が今までいなかったのだろう。いつもよりもはしゃいでいるようにみえる。
 全くもって騒がしい。しかし賑やかなのは良いこと。悪い気はしない。

 クルスはその光景に微笑ましさを覚えつつ、続いてゆくのだった。
 
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