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【一章:状態異常耐性とアルラウネ】
人として、やりたいこと、すべきこと
しおりを挟むどうして自分が樹海にいたのか。しかもアルラウネを恐れずに、ずっと傍にいたのか――まったく記憶にない。
が、確か昨日は、色々と嫌なことがあって、朝っぱらからアクアビッテをガンガン煽って、フラフラと彷徨っていたことは何となく覚えていた。
酒精は恐ろしい。普段は絶対にしないだろう行動を容易にさせてしまう、人間が生み出した魔性の飲み物。
しかし今は素面(しらふ)。ここに留まり続けているのが、どれだけ危険なことかは長い冒険者としての経験かは分かっている。
(今は少しでもあのアルラウネと距離を置かなければ!!)
アルラウネの根は本体を中心に放射状に延びていると聞く。
故に根が伸びているところは、あの怪物のテリトリーで、その中であればいつでもどこでもあの“蔓の鞭”を発生させることができるとのこと。
ならば、多少遠くへ逃げようとも、あの蔓で捕食されかねない。
まずはできるだけ遠くへ。樹海を脱するのは次点の課題。
クルスはアルラウネから逃げるために必死に樹海を駆け抜ける。そんな彼は、恐怖とは別の“もやもや”としか感覚を胸に感じていた。
去り際にアルラウネが浮かべた、少し寂しそうな顔。脳裏に焼き付いて離れない、上半身だけは美しい魔物の切なげな表情。
(あれは獲物を逃がして悔しいだけだ!)
現に左腕には見覚えのない刺し傷のようなものがあった。大きさから、アルラウネの鋭く尖った蔓の先端と仮定できる。
きっとあの魔物はクルスを食べようとしていた。しかしその途中で起きてしまい、更にブレードファングの邪魔が入った。その隙に彼は逃げた。だからアルラウネは獲物を逃したのが悔しくてあんな顔をした。
(きっとそうだ、そうに違いない!)
そう何度も自分に言い聞かせて、胸のモヤモヤを晴らそうと試みる。
そんな中、不快感を覚える“ぶぅーん”という羽音を聞き、彼は走るの止めて、茂みに身を隠した。
「う、うわぁぁ~!」
「ひぃ~!」
「に、逃げろぉ~!!」
茂みの間から走りゆく三人の若い剣士の姿見えた。
「ま、待ってくれっす……!」
やや遅れて深紅の重厚な鎧を身に着けた剣士が続く。
ボーイッシュにカットされた髪の間から、犬のような長い獣耳が垂れ下がっている。これは聖王国ヴァンガード島の北方で自治区を形成する“戦闘民族ビムガン”の大きな特徴だった。
武勇に優れ、身体能力も人より優れるこの民族。しかし幾らビムガンと言えど、重厚な大鎧を装備し、刃渡りが身の丈より長く、幅も異様に広い“大剣(ハイパーソード)”を得物にしていては、人並みに走ることさえ難しいらしい。
目の前のビムガンの大剣使いは明らかに息切れしていた。本人は走っているつもりなのだろうが、歩く程度の速度しか出ていない。
そして不快な羽音の数が更に増した。
「わふっ!」
遂に大剣使いのビムガンは盛大に倒れた。瞬間、狙いすましたかのように無数の“敵”が木々の間から姿を現す。
大きさは人の握り拳程度。黄色の身体に黒の縞模様が入り、尾のように見える“腹”の先端からは穂先のような鋭い針が生えている。
危険度C――毒蜂(デスキラービー)。巨大な蜂の魔物で、針で突かれたらかなり危険。じわりとではあるが神経毒に侵されてやがて死に至る、といった冒険者殺しでは有名な怪物であった。
幸い、毒蜂(デスキラービー)はクルスに気づかず、犬耳のビムガンへ迫っている。
このまま見過ごしても自分への危険性は無い。今はアルラウネから逃走している最中なので構っている暇などない。
今の自分は他人に関わる余裕などない。自分が最優先で、他人は二の次なのは、昨日、パーティーメンバーからされた行為を思い出せば、それが人の真実であると納得できる。
クルスは大剣使いのビムガンから視線を外した。そして膝に力を籠める。
「びぃぃぃっ!!」
滞空していた毒蜂が断末魔を上げ、びしゃりと半透明の体液を噴出する。
矢は正確に毒蜂の胸へ突き刺さり、貫通した鏃が背中から飛び出ていた。
「逃げろ! もたもたするな!! 次が来るぞっ!」
クルスは後ろでうずくまっているビムガンへそう叫ぶ。
射貫いて絶命させた毒蜂は既に地面の上だが、羽音は未だ止まず。むしろ木々の向こうから、更に複数の不快な音が聞こえてきていた。
――他人に構う余裕はない、筈だった。
自分のことがまずは優先で、他人は二の次であるのは昨日思い知らされた。
そうするべきだ。そうしなければまた損をしてしまう。それが人の中で生きる術。普遍にも近い理(ことわり)。
だが、しかし、世の中がそうであったとしても――
(それではアイツらと同じになってしまう!)
クルスは矢を手に取り、弦を引く。ビュンと矢が放たれ、木々の間を飛び、未だ姿がみえずの毒蜂の断末魔が聞こえた。
(できる筈だった選択をせずに、後で後悔するなどまっぴらごめんだ!)
それがEランク冒険者クルスの矜持だった。彼が人である以上、したいこと、すべきこと、と心掛けていることだった。
「びぃぃっ!」
ようやく姿を現した毒蜂を二匹同時に射貫いて倒す。
クルスはひたすら矢をつがえ、弦を目いっぱい引き、接近する敵を貫き続ける。
弓だけが唯一の取り柄で、更に敵対相性がばつぐんの毒蜂が敵だったのが幸いだった。
彼の正確無比な射(しゃ)によって、毒蜂は次々と地面へ落とされ絶命してゆく。
その時、彼の耳が別方向から不快な羽音を聞き取る。
「――っ!?」
気づいたときにはすでに遅く、脇の木々の間から猛スピードで毒蜂が突っ込んできていた。
クルスは弓を投げ捨て、腰に装備した狩猟用の痩せ細った短剣の柄を握り締める。
半身を引いたことで、身体への毒針の直撃は免れた。しかし、避けざまに短剣を抜こうとした右腕へ、毒蜂の針が鋭く突き刺さってしまった。
「おああああっ!!」
クルスは遮二無二左拳を、右腕へ針を突き出した毒蜂へ叩き落す。蜂は彼の拳に頭をつぶされ、半透明の体液をまき散らしながら地面へ落ちた。
瞬間、心臓が大きく鼓動を放ち、視界がわずかにぼやける。急激に息が苦しくなり、クルスは膝をつく。
「く、くそっ……!」
毒の苦しみよりも、自分の不甲斐なさを呪う言葉が突き出た。しかしこうなる可能性は皆無ではなかった。その上で、彼はこの場へ飛び出す決意をした。
さっきまで散々好きにやってくれたな――と、言わんばかりに木々の向こうからは追加の毒蜂共が接近してきている。
(ここまでか……)
諦めの言葉が頭を過った。やはり彼はしょせんEランクの冒険者。毒蜂に一撃貰っただけで、死を覚悟しなければならないひ弱な存在――の、はずだった。
「……?」
気づくと心臓の鼓動が安定を始めていた。視界も晴れ、呼吸も妙に落ち着いている。
立っても靴底は地面をしっかり踏みしめた。針で刺された辺りはちょっと痛いが腫れはない。
これはどういうことか――と思い、すぐに思い出す。
(そうだ、今の俺は!!)
数匹の毒蜂が一斉に腹の針を向けて急降下を仕掛けてきた。
クルスはゆらりと立ち、顔を隠すように腕を掲げた。
複数の針が同時に突き刺さる。チクリと痛いのは確か。しかし、ただそれだけのこと。
「おあっ!!」
「「「びぃっ!!」」」
腕に纏わりついた毒蜂へ短剣で薙ぎ払い、地面へ叩き落した。
腕を振り払えば、突き刺さっていた針が抜けて落ちる。
彼はここ数日色々なことがあり過ぎて、すっかりと忘れていたのだ。
――ずっとため込んでいた魔力を、全て【状態異常耐性】に使ってしまったことを!!
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