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第一章
14 調和
しおりを挟む孤児院での出来事は、奇跡だった──。
少なくともあの場にいた大人たちは、そう思ったらしい。
シエルの後遺症はソルネスが何度【癒やし】を施しても、改善の兆しすら見えずにいた。
だが眩い光の中から戻った彼は、澄んだ瞳とその美しい肌を取り戻し、不思議そうに立っていたのだ。
俺が唄った唄。それは、シエルに世界を取り戻させた。
そして、あの日から七日──。
俺の鼓動はひどく遅いまま。まだ、眠り続けているようだ。
皆んなが俺の側に来ては、色んな話をしていってくれる。
ソルネスは必死に治癒の為の唄を届けてくれる。
あれ?ソルネスも唄を?
そう考えて、召還のあの日、俺の怪我を治した不思議な力は彼の唄だったのだと今更に気付く。
唄えばもっと届くのにな。でも、そっか。唄ったらこんな風になっちゃうか……。
ルカもフィンも泣かないで。ああ、大丈夫って伝えたいのに……。
俺はそんな、自分にすら聞こえない独り言を繰り返してばかりいた。
「ハヤト、聞こえているかい?」
殿下?
「私はしばらくここに来ない。でも、皆は会いに来てくれる。大丈夫だよ。」
な…んで……?
俺が孤児院で倒れた翌日のこと。
殿下は握っていた俺の手にそっとキスを落とし、離れていってしまった。
鼓動はひどく遅いまま……。
ねぇ、また俺を包んで教えてよ。どうしたらこの迷子のような眠りから目覚められる?
──『キミニハ、ワカルハズ。』
せっかくあの声が聞こえたのに、答えがそれなんて。ひどいな……。
『ハヤト様。わかりますか?どうか目を覚まして下さい。シエルが会いたがっていますよ。』
今日も優しいソルネスの声を感じ、その後にじんわりと広がる唄が届く。
でも今日は何故か、それが次第に小さくなっていったんだ。
そして突然響いた、ガタンっという大きな音。
「ソルネスっ!!」
「ソルネス様!!」
何!?どうしたの?ソルネス!?ソルネスっ!!
「ルナス様、ソルネス様をこちらへ!フィン、水をっ。」
あのルカがこんなに焦ってる。彼は無事なの?
「ああ、ありがとうフィン。すまないが、ルカ。ハヤト様のお部屋で不敬かもしれないが、こんな状況だ。人払いを頼めるかい?」
本当なら一番焦っていそうなルナスの、とても落ち着いた声がした。
「いけま、せん……ルナス……。御前で……。」
「ソルネス様っ!……かしこまりました、ルナス様。何かありましたらすぐにお呼び下さい。」
「ありがとう、ルカ。」
そして、静かにドアの閉まる音がする。
「ルナス、なんて…ことを……。ここを、どこ…だと……。」
力を失くしたソルネスの掠れた声。
ごめん、ソルネス。俺がずっと起きないから……。ごめん……。
「……君こそ、一体何を考えているんだ。」
ルナスの怒気を孕んだ静かな声に、彼の本気が伝わってきた。
「こんな力の使い方をして……。召還の間で、ハヤト様の治療をした時だってそうだ!どうして君は、自分ばかり犠牲にしようとするんだ!」
「ノア……。」
「わかるだろう?君はずっと感じてるだろう?僕の気持ちは少しも変わってないって。」
音がなくてもわかる。ソルネスは、泣いてる。
「でも、……でも、私は……。」
「僕はソルネスである君を誇りに思ってる。でも、だからって……!君が傷付くことも、苦しむことも、ましてや失うなんて……。耐えられないよ、イヴァン……。」
前にソルネスから、音はその人の想いが強く大きな時ほど感じるのだと、そう教えてもらった。
今止め処なく流れ込んでくる『愛しい』という二人の音は、どこまでも美しく調和し奏であっている。
「ルナスとして、ソルネスを保護する役目は、最も大切なことだよ?イヴァン。」
ふいに、ルナスの声が甘さを持った。
「それは……、でもっ……。」
「こんな消耗した状態じゃ、命に関わるよ?ね?」
「……それでは、あの……いつも、みたい…に……?」
あ、あれ?これ、俺が聞いてたらまずい雰囲気なんじゃ……!?ソルネスが照れてるっ!
「回復魔法をハグでするの?この様子じゃ、とっても時間がかかるよ?ハヤト様のお部屋で、いいの?」
「えっ、……そ、それは……。」
「もっと強く光を届けられるアマレがあるでしょ?」
「っ、く、口づけは……しない、約束です……。」
「うん、しないよ。大丈夫、君の誓いは破らせない……。」
「ノ、ノア……?」
「僕は、君に水を飲ませるだけだよ。」
「え?あ、だめっ、……んっ、……んぅ……。」
普通なら恥ずかしくて、真っ赤になる状況だった。
二人の吐息とクチュクチュと混ざり合う水音。
煽情的なはずのそれは、ままならない二人に与えられた泡沫の時への許しのようで、何故か苦しくて、切なくて仕方なかった。
「イヴァン、お願いだよ………お願いだから!自分を犠牲にしないで……。この国を愛してるのは、皆んな一緒だから……!一人で耐えないでよ……お願いだ……。」
泣きそうなルナスの哀願に、ソルネスの嗚咽が聞こえてくる。
「うん……うん……。ごめんなさい……ノア!」
二人はソルネスとルナスになって、この黒龍病が蔓延する国でどれだけのものを背負って来たのだろう?
俺はどこか本物の『ハヤブサの神子』だと言われたことで、一人で何か出来るのではと傲慢にも思っていたんだ。
その結果、後先考えず無謀なことをして、ソルネスに命に関わる程の無理をさせ、周りの人達の心を苦しめている。
皆んなが与えてくれるその想いを、一人で無駄にしてちゃダメなんだ……!
いつの間にか、ソルネスの嗚咽は寝息へと変わっていた。そして、カチャっとドアが開く音がする。
「ルナス様。ソルネス様は?」
「もう大丈夫。眠ったよ。我儘を言ってすまなかった、ルカ。」
「いいえ。」
「このまま大神殿へ送ってくる。ハヤト様を頼んだよ。」
「はい。」
多分ソルネスを抱いているんだろう。
ルナスのゆっくりとしたその足音が遠ざかっていった……。
入れ替わるように寝室へと入ってきたのは、ルカ達だけじゃなかった。
「無茶したんだって?」
レオ?
そういえば彼が会いに来るのは、俺が倒れてから初めてのことだった。
「ゴメンな、すぐに来れなくて。」
節くれだった大きな手が髪を撫でてくれる。
こんな風に優しく触れてもらうのは、そう言えば初めてだな。
「殿下は、あれから来ていないのか?」
「はい。」
「そうか。」
レオはベッドの縁に腰掛けると、俺の頬にそっと手を置き親指で何度も柔くそこを撫でた。
「寂しかっただろう?ハヤト。」
寂しかった……?そうか俺、殿下の声が聞けなくて……。
「あいつもバカだよな。ハヤトの為に覚悟を決めたんだろうが……。不器用過ぎるんだよ、ホント。」
レオのその言葉には殿下への不器用な愛情が溢れている。二人は本当に兄弟みたいなんだな……。
「まぁ、ずっと会いに来なかった、俺も同類か……。」
レオ……。
「なぁ、ハヤト。俺じゃ寂しさは埋められないか?」
その優しい言葉は、止めのように俺の心に突き刺さった。
何で……。何で!?皆んな俺にそんなに優しくするんだよ……!
俺、一人でバカやって、こんなに迷惑かけてるのにっ……。俺……俺は……。
──『キミニハ、ワカルハズ。』
伝えなきゃ、皆んなに……。
ごめんなさいって。
ありがとうって。
一人じゃなかったって!
鼓動が待ちきれなかったと言うように、ドクドクと身体中に力を満たしていく。
駆け巡るその力は、俺に足りなかったもの。自分自身を自ら癒そうとする力。生命力そのものだったのかもしれない。
やがてゆっくりと瞼が開き、俺は自分の世界へと戻って来れたんだ。
「ハ、ヤト?っ、ハヤト!!」
「……レオ………。」
荒々しく上掛けを剥ぎ取り、レオが力強く俺を抱き起こす。
「「ハヤト様!?」」
ルカとフィンの歓喜の声が、俺の涙腺を決壊させ、気付けば俺はまだほとんど力の入らない腕で、レオの胸に縋り付いていたんだ。
「ごめ、んなさ……ごめ………っ!……俺っ、お……っ!」
伝えたいのに上手く息が出来なくて、次第に言葉が嗚咽に変わってしまう。
「落ち着け、ハヤト。大丈夫、大丈夫だから。よく戻って来たな。」
穏やかに髪を撫でてくれるレオの手と、そこに落とされるキスの温もりに、俺はただ子供みたいに、彼の名を呼び涙を止めることが出来ずにいた。
そう。部屋の中に、一番会いたかったあの人の姿があったことにも気付かずに……。
「ハヤト……。」
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