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第一章
9 二人の神子(Side エルネス)
しおりを挟むその時は突然訪れた──。
六年前からずっとこの時を待ち望み、覚悟もしてきた。
それはあくまでも、この国のため。黒龍病に苦しむ民のため。そう、思ってきたのに……。
「どうなさいますか?殿下。」
召還の間に異世界の人間が現れたという報告に、私の胸は何故か高鳴った。
「王太子としてはすぐに神殿に向かうべきだろうな。」
「……では今は、『白龍の神子』として、ですか?」
ジャニスは、一つを口にすれば全てわかってくれる。
それは宰相としての器と元来の聡明さもあるだろうが、幼い頃から私達が兄弟のように育ってきたことが最も大きいだろう。
私より八歳年上のジャニスは、王子としてだけでなく、この色を纏って生まれついたことで複雑な身の上となってしまったこの私に、本気で怒り、笑い、自らの本音を語り、幼い私の不安をも丸ごと受け止めてきてくれたのだ。
「レオは今すぐには動けないだろう。神子候補が片方だけで動くわけにはいくまい。」
「では殿下。私が王太子の名代として参ります。サーグイス公もその場に居合わせているようですし。」
「ん、早い方がいいな。」
「アントンをお借りしても?」
「ああ、任せる。」
こうしてやり取りしている僅かな間にも、慌ただしく伝令が入れ替わり報告に来る。
反王太子派のサーグイス公爵がその場にいること、現れたその男が大怪我をしているらしいこと……。
どんな、男なのだろうな……?
不思議と高揚していく胸の音に、私は「落ち着け」と己に言い聞かせながら、大神殿へと向かうジャニス達を窓から見下ろしていた。
それから半刻ほど──。
「殿下、ご報告に参りました。」
事態を収め戻ってきたジャニスは、いつもと変わらぬ冷静沈着な宰相に見えたが、そのワインレッドの瞳には僅かながら興奮の色が滲んでいる。
「それで?」
「ソルネスが間違いないと。」
ジャニスの言葉に、思わず私は手を握りしめ力を込めていた。
ハヤブサの神子……白龍の神子の番となる者……。
彼はこの国で私と時を同じくして、運命を背負い生まれた神子であり、そして幻のようにこの地から姿を消した家族の一人……。
これでこの国を救えるかもしれない。
果たして私の心にあったのは、その喜びだけだっただろうか?
まるで魂が震えるが如く、動き出した歯車の音をしかと感じたような己の感情の高ぶりを、私はハッキリと自覚していた。
「………。ジャニス、あいつには?」
「もう報告が行っているかと。」
まずはレオに会わなくては。あいつの想いは絶対に無視してはならない。
「行くぞ。」
「落ち着け」と、そうまた自分へ言い聞かせながら静かに立ち上がり、私はジャニスと共に騎士棟へと向かったのだった。
◇◇◇
騎士棟にあるレオの私室へ赴くと、彼はちょうど任務から戻り着替えをしているところだった。
「そろそろ来るかとは思ってたけど……。」
「いいタイミングだったようだな。」
「むさ苦しい部屋ですが、お入りになられますか?殿下。」
「ああ。」
ジャニスや護衛騎士を部屋の外に待機させ中に入ると、レオが遮音の結界を張る。
遠慮なくベッドに腰掛ける彼を見て、私は立ったまま告げた。
「本物の『ハヤブサの神子』だった。」
「ああ、聞いたよ。」
レオは私の臣下だ。
だがそれ以上に、己に与えられてしまった運命に翻弄されながらも、共に想いを分かち合い育ってきた特別な存在だった。
だからこそ私たちは、神子候補として共にある時は対等であろうと、二人で約束したのだ。
「それで?お前はどうする?」
静かに問いかければ、ようやく動き出した現実にも、レオの覚悟は微塵も揺らいでいないようだった。
「俺の望みはずっと変わらない。ずっと振り回されて生きてきたんだ。欲しいもののために動くさ。」
「…………。」
「不満か?」
「いや、お前は強いなと……、そう、思っただけだ。」
「そうか?」
私も、望んでもいいのだろうか?
揺るがないレオのその姿に、そっと自問する。
「今までも、これからも、お前と王国に忠誠を誓う。これだけは絶対に変わらない。」
「そうだな。レオ、お前の思う通りにしてくれ。」
それを聞いてレオは静かに笑うと、ベッドから立ち上がり、真剣な面持ちで私へと主君への礼をした。
「殿下のお心に感謝致します。」
「………お前のその言葉遣いは、やっぱり少し気持ち悪いな。」
「ひどいな。せっかく人が、珍しく真面目に……。」
「珍しい自覚はあるんだな。」
「っ、なんだよ、全く。」
ついからかい、笑ってしまった私に不貞腐れ気味でまたベッドにドサリと座った彼は、しばらく床を見つめて黙り込んだ後、やがておもむろに私を見上げる。
その双眸には確かに、兄弟への特別な情が見てとれた。
「……なぁ、エルネス。」
「ん?」
「お前も、幸せになっていいんだからな。」
「レオ……。ああ、そうだな……。」
そうして二人でフッと息を吐き合う。それから私もビューローの前に置かれた椅子に腰掛けると、話題を変えた。
「それで、命じた件は?」
「裏は取れた。」
「そうか。」
私がレオに会いに来たもう一つの理由。
それは、王太子付きの侍従たちの中で感じた怪しい動きについてだった。
相手方への牽制もあり、国王付きの侍従長アントンを私の元へ呼び寄せたが、どうやら無意味だったようだ。
「だがな、案の定、あいつは家族を人質に取られてたよ。」
「……っ……。」
トッドはもう何年も私の側に仕えてくれている。
私は、また信じていた者に裏切られたのかと、一瞬でもそう疑ってしまった己の浅はかさを恥じた。
「子供達は保護出来た。だが問題は奥方だ。居場所はわかったが、彼の安全を確保するために少し準備が必要だ。今、その作戦に向けて隠密班が動いてる。」
「謁見は明日の午後だ。」
「正午までには片付けるさ。」
レオに詳しい作戦内容を聞き、明日までのこちらの動きも固める。
全てを話し終え部屋を出ようとした私の背中に、レオがそっと声をかけてきた。
「明日は、俺も『白龍の神子』でいいんだな?」
「……もちろんだ、レオ……。」
「………とうとう、正式にライバルだな。」
私はその言葉にただ頷き、王太子宮へと戻ったのだった。
翌日──。
ジャニスが流石の手際を見せ、全ての段取りをつけてきた。
トッドの家族は無事に全員保護出来、本人の協力も取り付けた。
作戦の後処理が思ったよりも手間取っていて、レオの到着は遅れそうだ。
ただ、本日配置の侍従達の中に、相手が送り込んだトッドの見張り役がいるようだ。
そうジャニスが淡々と説明しているのを、どうやら私は心ここにあらずで聞いていたらしい。
「……はぁぁ、まったく……。」
ジャニスがこれ見よがしに嘆息する。
人払いを済ませ遮音を施した二人だけの空間で、彼は久しぶりに私へと兄の顔を向けた。
「意外だよ、ホントに。エルネスがこんなにも心を奪われるなんて。」
「…………?」
「さっき私に聞いただろう?ハヤト様がどんな男性か。」
「あ、ああ……。」
「私の話に反応したのは、ハヤト様の体調は問題なさそうで、予定通り謁見出来そうだと言った時だけだぞ。」
「そう、だったか?」
己の無自覚に戸惑う私にそっと近づき、ジャニスが私の肩をグッと抱き寄せる。
「でも、辛い想いばかりの弟が、こんな表情をしてくれるのは、兄として純粋に嬉しいよ。」
普段の宰相の彼からは想像もできない、柔らかな笑顔。
「ありがとう、ジャニス……。」
「私は何もしていないさ。」
「随分な謙遜だ。」
「そうかい?」
そんな静かなやり取りの終わりにノックの音が響き、外からアントンの声がした。
「よろしいでしょうか?殿下。」
王太子と宰相に戻り、軽く呼吸を整えて返事を返す。
「入れ。」
「失礼致します。只今ハヤト様付きの者が先触れに参りました。離宮を出られ、こちらに向かわれたそうでございます。」
「わかった。」
ハヤブサの神子、ハヤト・マナカ……。
「……やっと会える。」
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