上 下
14 / 29

第14話

しおりを挟む

 どんなに忙しくしていても夕食だけは一緒にとっていたウィリアムが、ダイニングで食事をとらなくなって数日──。


「今夜も、いらっしゃらなかったな……。」


 ジュリアは一人での夕食を終えると足取りも重く部屋へと戻った。
 ほんの数日前。ウィリアムの腕の中、幸せに眠りについた気がしたのに、目覚めると自室のベッドで一人だった。
 メアリからは彼の急な仕事のせいだと聞かされたが、彼女には違和感しか残らなかった……。


「なんだか、避けられてる気がする……。」


 ジュリアは自分の部屋の主室リビングで一人、マホガニーのビューローを開くとその前に座り、もう何度となく読み返している弟からの手紙を手に取る。
 婚約破棄され、諦めかけていた自分の想い。それは、手放さずにいられることになった。


 『子供がほしい。』


 こんなにも愛する人と巡り会えた。
 そんな大切な夫と家族を作れたら……。
 それはずっと夢見てきたことのはずだった。

 ユーリが生まれ、愛しそうに生まれたばかりの小さな彼を抱く母を見たとき、彼女の中に芽生えたのは母の愛を貰う弟への羨望ではなく、我が子を腕に包む母への強い憧れとほのかな嫉妬。
 ユーリをどんなに可愛がっても、やはり母には敵わない。
 それがとても輝いて見えて、自分もいつか……そう思ってきた。

 なのに、突然自分を蝕みだした前世の記憶は、毎月子が出来ていないとわかるたび、落胆ではなく安堵に近い感情を運んでくる……。


「……もう、ヤダ………。なんで、こんなに……。」


 開いたビューローのテーブルの上、ポタポタと雫が落ちていた。


「……こんな、過去の私に振り回されてばっかりで……。私、ビルに嫌われてたら、どうしよう………うっ、う……っ……。」


 必死に嗚咽を飲み込み、ジュリアは手の甲で涙を拭う。


 ──このまま嫌われるくらいなら……。話そう、全部……。


 彼女自身でも掴みきれていない、かつての想い。
 今、ジュリアが生きているこの世界には輪廻転生という考え方は存在しない。
 だからこそ、自分がおかしいと思われるのが怖くて誰にも相談出来ずに来たのだ。
 今だって上手く説明出来る自信もない。けれど……。


「……何もしないで、ウィリアムを失うなんて……。それだけは絶対に、嫌……。」


 ジュリアはメアリもマーサも呼ばず、一人で部屋を出た。
 ウィリアムは軽食をつまみながらまだ仕事中だと聞いていた彼女は、階段を下り彼の執務室へと向かう。
 ドアの前に立つと、ジュリアは大きく深呼吸をしてからノックした。


「ビル?話があるの。時間をもらえないかな?」


 勇気を振り絞った問いかけに、ウィリアムからの返事はない。


「……ウィリアム?」


 しばらくドアの前で待ってみたが、返事どころか彼の気配すら感じることが出来ず、ノックした彼女の手がにわかに震えだした。


 ──まさか、いないの?……もう外は真っ暗なのに……。


「ウィリアム、入るわね。」


 開いたドアの先。執務室は暗く、彼の姿はない。


 ──どこに……行ったの?……私、何も、聞いていない……。


 ただ、聞かされていた場所にウィリアムがいなかっただけ。
 冷静になれば、屋敷の別の場所かもしれない……。少し庭に出たのかもしれない……。そうやって色々な可能性を考えられたはずだった。

 しかしジュリアの心臓は気持ちが悪いほどにドクドクと波打ち、喉の奥から震えと吐き気が湧き上がってくる。
 頭の中では狂ったように、かつての自分の声がループし続けていた。



 『一人にしないで。』



「嫌、嫌よ……お願いだから……もう、消えて……!」


 ジュリアが耳を塞いで頭を強く横に振りながら執務室の入口で崩折れる。
 自分の意思など無視したように溢れ続ける涙。息が吸えているのかわからず、彼女は苦しさに力が抜けていく身体を支えようと、必死に床に手をついた。
 その時──。


「っ!?奥様!」


 ちょうど執務室に本や書類を片付けるよう言いつかってやってきたノエルが、手にしていたそれを落とした鈍い音が響く。
 と同時に、その場を蹴るようにして彼はジュリアに駆け寄り真っ青になっている彼女を抱き起こした。


「奥様っ、一体どうされたのですか!?」


 ──ノ、エル……?ねぇ……旦那様は……どこ?


「ジュリア様!しっかりなさって下さいっ!」


 ノエルはぐったりとするジュリアを軽々と横抱きにして抱き上げ、力の抜けた頭を自身の肩口にもたれさせて足早に歩き出す。
 途中で近くにいたメイドにメアリを呼ぶように頼み、二階の彼女の部屋の前にたどり着いた時だった。


「何をしているっ!」
「っ、旦那様っ!?」


 突き刺さるような鋭い声と共にウィリアムがノエルの肩を強く掴む。


「一体、何のつもりだっ!私の妻に気安く触れるな!」


 余裕をなくした主人の形相に、ノエルは眉をひそめつつも冷静に話しかけた。


「落ち着いて下さい、旦那様。奥様が執務室の前で倒れておられたのでお連れしました。早く奥様をベッドに。」


 彼が半ば押し付けるような形でジュリアの身体をウィリアムに預ける。
 ぐったりと青白い顔のジュリアを見て、頭に血がのぼっていたウィリアムは一気に平常心を取り戻した。


「……すまない、取り乱した。」
「いえ。旦那様の、愛情の表れですので。」
「生意気だな、君は……。」
「恐れ入ります。」


 肝が座っているとでも言えばいいのか……。
 公爵家の当主相手に軽口を叩くノエルを前に、ウィリアムの肩からは更に力が抜けていく。
 おかげでここ数日燻っていた仄暗い嫉妬が、ゆるゆると解けていく感じがした。










しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

死にたがり令嬢が笑う日まで。

ふまさ
恋愛
「これだけは、覚えておいてほしい。わたしが心から信用するのも、愛しているのも、カイラだけだ。この先、それだけは、変わることはない」  真剣な表情で言い放つアラスターの隣で、肩を抱かれたカイラは、突然のことに驚いてはいたが、同時に、嬉しそうに頬を緩めていた。二人の目の前に立つニアが、はい、と無表情で呟く。  正直、どうでもよかった。  ニアの望みは、物心ついたころから、たった一つだけだったから。もとより、なにも期待などしてない。  ──ああ。眠るように、穏やかに死ねたらなあ。  吹き抜けの天井を仰ぐ。お腹が、ぐうっとなった。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜

まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。 ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。 父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。 それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。 両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。 そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。 そんなお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。 ☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。 ☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。 楽しんでいただけると幸いです。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

【完結】妻に逃げられた辺境伯に嫁ぐことになりました

金峯蓮華
恋愛
王命で、妻に逃げられた子持ちの辺境伯の後妻になることになった侯爵令嬢のディートリント。辺境の地は他国からの脅威や魔獣が出る事もある危ない場所。辺境伯は冷たそうなゴリマッチョ。子供達は母に捨てられ捻くれている。そんな辺境の地に嫁入りしたディートリント。どうする? どうなる? 独自の緩い世界のお話です。 ご都合主義です。 誤字脱字あります。 R15は保険です。

幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。

完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。

処理中です...