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第四話「凝固」

「凝固」(1)

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 時は夜更け……

 幻夢境げんむきょう、フィスクの村。

 村は阿鼻叫喚の坩堝るつぼと化していた。

 かんだかい羽音を鳴らす巨大な影が、村人をさらう、さらう、さらう。怪物の頭数はひとつやふたつではない。おびただしい異形のそれは、人々を暗闇に引きずり込んでは、銛のみたいにいびつな口吻を刺してその生き血をすすった。

 蚊人間ガーストの大群だ。

 やつらは突如、村の地下水道から爆発的に現れた。蚊とはいえ一匹ごとの体長は人間をはるかに超え、くすんだ羽は長く折れ曲がった六本の脚部とあいまって禍々しい。

 ふだんは家畜に悪さをするていどの大型昆虫が、なぜいきなり人間を襲い始めたのだろう。セレファイスの都の討伐隊の到着はまだだろうか。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、五歳のディーンはひたすら逃げ惑った。

 パパは? ママは? ペットのラドーは?

 ぜんぶ蚊人間ガーストに連れ去られた。

 つぎは? つぎはだれの番か? じぶんの番だ。

 猛スピードの風音が聞こえたときには、ディーンの体は掴まれて宙に浮いていた。走る足だけがむなしく夜空をかく。おそるおそる振り向いた先、神経質に痙攣するのはぎざぎざの触覚だ。そのままディーンは、明かりのない水路に連れ去られ……

 毅然たる呪文が響き渡ったのは、次の瞬間だった。

血晶呪ナイハーゴ血矢ニール〟!」

 闇を切り裂いた鋭い矢は、蚊人間ガーストの赤く膨らんだ腹を見事に貫いている。

 衝撃で手放されたディーンは、頭から地面に落ちた。落下の間にちらりと視界の端に映ったのは、変形した弓を射放った優美な制服姿の人影だ。

 地面と激突する寸前、ディーンはがっちり受け止められた。紙一重でスライディングしてきた人影の腕に。

 ついに気を失った手の中のディーンへ、エドは安堵混じりに笑いかけた。

「間一髪だったね」

 手近な馬車の荷台へ寝かせたディーンを、エドは慎重に藁で隠した。

 新たな獲物の乱入を察知し、やかましく寄り集まってきたのは無数の蚊人間ガーストだ。かたわらで02オーツーを血の大剣に変形させたエリーへ、エドは用心深くささやいた。

「殺しちゃだめだよ、エリー。彼らの注意を、一般人からこっちへ向けるだけでいい」

「なぜじゃ?」

 いぶかしんだエリーと背中合わせになり、エドは拳の宝石を展開した。夜闇に光で描かれたのは、幻夢境げんむきょうの年代記だ。

「宝石内の四騎士の記憶を検索……過去、これだけ大規模に蚊人間ガーストが村を襲った記録はない。いやそもそも、彼らが人間を標的にした事案ケースそのものが見当たらないよ。つまり彼らは、何者かにむりやり操られている」

 赤剣を下段にかまえたまま、エリーはうなずいた。

「カレイドじゃな?」

「まず間違いなく、ね」

蚊人間ガーストどもも被害者というわけか」

 飛来する狂暴な羽の群れに対し、エリーは撃鉄のごとく身をたわめた。発射も間際の彼女へ、言いおいたのはエドだ。

「彼らにはきちんと再生能力がある。戦うなら、相手が死なないレベルにね」

「心得た」

 直後、エリーと怪物は激突を……

 地下水路の入口から、金切り声の絶叫がこだましたのは刹那のことだった。

 同時に、大量の蚊人間ガーストはぴたりとその場に停止している。しばらく滞空したあと、蚊人間ガーストたちは号令でも聞いたように水源の穴へと引き返していった。

 吸い込まれるように去る羽音をながめ、エドにたずねたのはエリーだ。

「あやつら、なぜ退いた?」

「命令されたんだろうね」

 そう。彼らは無駄な負傷ではなく、撤退を指示されたのだ。

 では、自由自在に蚊人間ガーストをあやつる存在とは?

 村には平穏な夜だけが残った。

 暗がりのそこかしこから這い出してきたのは、襲われた村人たちだ。衣服は破れ、多少は血を吸われこそしたものの、幸いにも死者はいないらしい。

 身をひそめていた物陰から飛び出し、エリーたちに感謝した声がある。

「ありがとう! きみたち!」

 さっそく村人たちの手当てを始めたのは、老医師のウィレットだ。収納した02オーツーを腰のホルスターにしまうエリーへ、相変わらず好奇心あふれる眼差しを投げかける。

「エリーくん。よくぞ無事に戻ってくれた。以前の山のふもとでの一部始終は、ずっと望遠鏡で見ていたよ。青騎士、そしてカレイドを相手取った戦いを。大変だったね」

 むっとした面持ちで、エリーはつぶやいた。

「この覗き魔の変態め。ではあのあと、ハオンの小僧がどうなったかも見ておったの?」

 とたんに顔つきを険しくし、ウィレットは答えた。

「ハオンくんは、あのままカレイドに連れ去られたよ……アエネくんともども」

「くそ、やはりそうか。急ぐぞ、エド」

 ムナール山の吸血城へ、エリーは早足で向かった。

 その肩を止めたのはエドだ。

「ちょっと待って、エリー。城へ行くには別ルートがある」

「なぬ?」

 片眉を跳ね上げたエリーの前で、エドの拳の宝石は色とりどりの光を発した。あっという間に空中に投影されたのは、村から城までを広域でとらえた見取り図だ。地面や建物の反響をもとに、呪力の粋を凝らして描写されている。

「山登りするより、こっちのほうが近くて早い」

 エドの人差し指は、現在地からカレイドの根城まで正確に線をひいた。山ではなく、地下水路を経由して。

 気難しげに、エリーはうなった。

「地下からつながっておるのか、城まで。しかし裏口からの不意討ちはよいが、道中は蚊人間ガーストどもの巣窟ではないのかえ?」

「ぼくの見立てによれば、蚊人間ガーストの〝親玉〟はひどく困らされているらしい。カレイドによって。どういった原理で操られているかの秘密は、じかに会ってみてからだ。いっしょにそれを解決するのが勝利への近道だと、マタドールの分析も言ってるよ」

 口を挟んだのはウィレットだった。

「地下水路の最奥部には〝女王クイーン〟がいるという伝説がある。その存在は誇り高く、地底のうるおいと暗闇をなにより愛し、千とも万ともいわれる子どもたちをカリスマ的に統率しているという噂だ。まさか現在、こんな近くに棲んでいたとは……」

「そうですね。四騎士の記憶も物語っています。知性豊かな彼女は人間に興味を示さないばかりか、吸血鬼の脅しにさえ毛ほどもなびかないはずだと」

「おお。ではその四つの宝石は、やはり四騎士の核だな。ひとり残らず倒したのか、あの凄まじい吸血騎士団を」

 ウィレットの関心は、しだいにエドへ集中した。

「少年よ、エドといったな。きみはいったい何者だ?」

「マタドールシステム・タイプオープンといいます。すこし前に幻夢境げんむきょうを〝ジュズ〟の脅威から救ったカラミティハニーズのひとり……タイプソードの遠い親戚といえばわかりますかね?」

「み、ミコの血統か!」

 勢いよく飛びついたエドの手を、ウィレットは力強く握った。老医師の瞳は探究心に爛々ときらめいている。

「エドくん。ほんのわずかでいい、血を採らせてもらえるかな? それと髪の毛や皮膚の一部もちょっとだけ」

「構いませんけど、ぜんぶ作り物ですよ?」

 こそこそ内緒話する二人を、エリーはきっぱり引き離した。

「おしゃべりは問題の解決後じゃ。いくぞ、地下水路へ」
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