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第三話「飛散」

「飛散」(5)

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 研究所のどこか……

 緑色の空間に仁王立ちするのは、これも深緑の鎧に身を堅めた騎士だ。

 思慮深く考え込むようにして、エメラルドは各々のトラップ部屋を監視している。脳内にある研究所の図面をくまなく確認しつつ、緑騎士は独りごちた。

「こちらの部屋で時間流の罠を破ったのは、黒野美湖くろのみこ。あちらの部屋で金属生物とのデスマッチを制したのは、倉糸壮馬くらいとそうま。そして……」

 城主のカレイドから、エメラルドがたまわった任務はふたつあった。ひとつは天敵たる逆吸血鬼ザトレータを召喚の魔法陣から追い払い、そのまま抹殺すること。残るひとつはマタドールシステム・タイプオーの奪取だ。

 エメラルドは愚痴った。

「エリーとやら、なんという頑丈タフさか。さらにはその無学っぷり。並の吸血鬼なら千回は滅びている。もうすこし容易くタイプオーは手に入るかと思ったが」

 体内の各所で繰り広げられる攻防を、エメラルドは慎重に観察した。

逆吸血鬼ザトレータめ、いったいどこへ向かっている? 一直線に、脇目もふらず。もしや、我が結界の突破口がわかっているというのか?」

 緑騎士はひらめいた。

「これこそがタイプオーの特殊能力とやらだな。念のため、迷宮の配置をなお複雑に組み替えておく。よし、これで逆吸血鬼ザトレータと出口の位置はさらに遠のいた」

 怒号が響き渡ったのは、次の瞬間だった。

「安泰じゃッッ!!」

 おお。

 乱暴に自動扉を蹴り開け、エリーが緑騎士の私室に突入してきたではないか。

 あまりの突拍子のなさに、さしものエメラルドもたたらを踏んでいる。じぶんと緑騎士の部屋が隣り合わせになった瞬間を、エリーたちは見逃さなかったのだ。

 いったいここまで、いくつの罠をくぐり抜けてきたのだろう。謎めいた絶対零度の霜を張る女子高生の制服は、もはやぼろぼろだ。

 枠組みだけになった扉に、エリーは息を荒げて必死にすがりついた。たじろぐ緑騎士をまっすぐ見据え、不敵に笑う。

「つ、ついに見つけたぞ、罠師よ」

「ま、まさか……」

 恐るべき事実を悟り、エメラルドはあとじさった。

「まさか逆吸血鬼ザトレータ、きさま逃げるでもなく、我を目指して突き進んでいたのか? 結界の核となる我を狙って?」

 まだ高圧電流の罠にしびれる手を振りながら、エリーはうなずいた。

「そのとおりじゃ。買ったぞ、わらわと組織に売られたその喧嘩。おとなしう罠の迷宮を解除してお縄を頂戴するなら、吸う血は九割五分にとどめよう。だがもしも逆らうのなら……」

 耳に心地よい金属音を奏でて、タイプオーはエリーの掌で変形した。眼帯を開封されたエリーの片目から生き血をさずかり、真紅の大剣は高速回転の火花を放ち始める。

 鋭刃を上段に引きつけ、エリーは告げた。

「もしも逆らうのなら、三枚おろしに料理して美味しく食らってくれる」

「なめるな!」

 エリーが床を蹴るのと、緑騎士が片手を跳ね上げるのはほぼ同時だった。

 とたん、見えない壁にでもぶつかったようにエリーの勢いは止まっている。

 見よ。エリーに絡みつくのは、呪力の緑柱石エメラルドで紡がれた超極細の糸だ。とっさに赤剣を盾にして防いだものの、とても間に合わない。かざされた緑騎士の手のひらが閉められるとともに、エリーの体は宝石繊維の糸刃に強く締めつけられる。

 じわじわと圧迫されて血を流しながら、エリーはうめいた。

「また下らん罠を……!」

 ゆうゆうと踵を返しつつ、エメラルドは背中で言い残した。

「我そのものが目当てというのであれば、迷路も相応の陣形に組み替えよう。きさまが我に追いつくまで、はたしてその肉体は無限の罠の数々にもつかな?」

「ま、待てい! 逃げるのか、卑怯者! 尋常に勝負せよ!」

 こんな場所で油を売っている暇はない。自分たちはすみやかに研究室の所員と魔法陣を取り戻し、ハオンたちの救助へ向かわねばならないのに……四騎士の最後の一騎も、やはり戦慄すべき強敵だ。

 顔中を口にしてわめくエリーを置き去りにし、緑騎士は高笑いに肩を揺さぶった。

「なにも正面衝突ばかりが、吸血鬼の戦法ではないのだよ。では永遠にさらばだ、逆吸血鬼ザトレータ……うをッ!?」

 エメラルドが尻もちをつくのは唐突だった。

 開いた自動扉の向こうに、なにかがあったのだ。

 いや正確には、なにかが

 暗闇の奥から部屋へ歩みだし、その人影はうっとうしげに舌打ちした。重装備の吸血鬼とぶつかってなお押し負けなかった肩を払いつつ、眼下の緑騎士を叱責する。

「なんやねん、痛いな。歩きケータイけ? まっすぐ前見て歩かんかい」

 きつい方言とともにエメラルドの自室に現れたのは、制服姿の女子高生だった。その制服の型は、エリーと同じ美須賀みすか大付属のものだ。

 まったく、どんな強運が味方してここまでたどり着いたのだろう。とはいえここは、緑騎士の罠の発信源だ。危険極まりないことに変わりはない。

 にも関わらず手ぶらの少女へ、エリーは大声で警告した。

「危ないぞ、うぬ! わらわがこの糸から抜けるまで、そこを動くでない! 呪力の罠で死ぬぞ!」

 聞き慣れないはずの単語を、女子高生はなぜかきちんと理解したらしい。

「呪力に罠……そういうことやな」

 困ったように頭をかきながら、少女はつぶやいた。

「いつもみたいにホシカを探して山歩きしとったら、おかしな場所に迷い込んだ。やっぱり呪力でできてたんけ、ここは」

 すぐさま跳ね起きて、少女へ詰問したのはエメラルドだった。

「どうやって我の罠の山をかいくぐった!?」

 恫喝するように緑騎士を下から上目遣いにし、不良学生はうなった。

「おんどれか、このはた迷惑な罠を作ったんは。道中、関係のない人間が何人も巻き込まれとったで。返答いかんによっちゃ、ただじゃすまさへん」

 ばからしげに、エメラルドは笑い飛ばした。

「すまさない? ただでは済まさないだと? ハッ! なにができる、きさまのような生身の小娘ごときに?」

 緑騎士の片腕は、ふたたび翻った。

 返事をしたのは、室内のそこらじゅうで作動した未解明の罠たちだ。指先でたえまなく不可視の繰糸をたぐりながら、エメラルドは女子高生に問うた。

「我が迷宮のゴールに到達した褒美をつかわす。罠にはめ殺す前に、名前ぐらいは聞いておいてやろう。小娘、きさま何者だ?」

「逃げよ!」

 叫んだのは、身動きがとれないエリーだ。

 その間にも、ああ。無防備な少女の前後左右から起き上がったぶ厚い緑の壁は、獲物めがけて地鳴りをあげて迫っている。そのまま彼女は、アイロンがけされた制服のようにペシャンコに……

 絶体絶命の状況下で、しかし女子高生は平然と名乗った。

「うちはシヅル。江藤詩鶴えとうしづる……〝魔法少女まほうしょうじょ〟や」

 強烈な呪力の奔流に、シヅルの髪は逆立った。

 同時に、ほのかな輝きをはなってシヅルの瞳孔は広がっている。その片目に浮かび上がったのは、呪力で編まれた〝五芒星ごぼうせい〟だ。

 鼻先に触れた圧殺の罠めがけ、シヅルは呪文をとなえた。

「〝蜘蛛の騎士メーディン第一関門ステージ1……〝死点デッドポイント〟」

 いっきに白黒が反転した世界で、シヅルにだけは視えていた。

 周囲の壁の〝ここを突けば死ぬ〟という呪われた〝点〟が。

 壁だけではない。緑騎士の死点も、エリーの死点さえも。

 壁が木っ端微塵に粉砕されたときには、シヅルの姿は一陣の旋風と化してエメラルドの背後に現れている。遅れて響き渡ったのは、頑丈な鎧が貫かれる金属音だ。

 疾駆に急制動をかけたシヅルの指先、輝くのは細長い呪力の針ではないか。背中合わせになって動かない緑騎士に、シヅルはそっと耳打ちした。

「おんどれを生かす命の点は射止めた。さいなら、ナイトさま」

「お、おのれ……」

 どうと倒れ伏したエメラルドは、そのまま赤熱する灰と化して散った。生死もあいまいな吸血鬼を、魔法少女が運命ごと必殺したのだ。その場には、緑柱石エメラルドでできた異世界の宝石だけがぽつんと残されている。

 刹那に迷宮の結界は解け、景色は急速に流転した。

 身をひるがえしたシヅルへ声をかけたのは、束縛から自由になったエリーだ。

「助かったぞ、魔法少女とやら! わらわはエリザベート・クタート! また会おう!」

 ふと思い当たったように、シヅルは顎をもんだ。

「エリザベートはん? たしかちょっと前、英語の授業でも似たような名前の臨時講師がおったような……ま、えっか。ほなまたな」

 後ろ手に片腕を振るシヅルの背中は、風景ごとぼやけていった。嵐のように現れ、嵐のように去っていくとはまさにこのことだ。

 もとどおり平和の戻った基地に、もはや魔法少女の姿はなかった。
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