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第二話「流露」

「流露」(1)

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 異世界、幻夢境げんむきょうの西部……

 ムナール地方。

 殺風景な荒野は、夜のとばりに支配されていた。

 その恐るべき光景をほのかに照らすのは、むなしく地面へ転がった角灯ランタンだ。頼みの綱の二頭の馬は、とっくの昔に逃げてしまった。

 腰を抜かした少年……ハオンは、ただおののいて凝視するだけしかできない。相棒の少女が、音をたてて吸血鬼に体液を吸われるのを。

 横抱きにした少女の首から満足いくまで血をすすると、引き抜かれた乱ぐい歯は、硬く閉じた眉庇バイザーの向こうに隠れた。その屈強な四肢がまとう全身鎧は、夜目にも赤い。宝石の四騎士のうちのひとり〝鳩血石ルビー〟だ。

 セレファイスの都から派遣された呪士じゅしふたりが、吸血鬼の接近に気づいたときにはもう手遅れだった。暗闇にまぎれて忍び寄った騎士の突如の襲撃に、呪力の詠唱も間に合わない。斥候の片割れのアエネは、軽々と仕留められて気を失っている。

 貧血のアエネを無造作にハオンへ投げてよこすと、ルビーは高笑いした。

「やはり飲むなら生娘の生き血に限るな。若々しい呪力もたっぷり血に含まれ、文句なしの栄養価だ」

「よくもやったな! ルビー!」

 あやういところでアエネを受け止め、ハオンはありったけに怒りを主張した。へたりこんだ体が、おびえに震えていることは傍目にもわかりやすい。

 真紅の外套マントを力強く一閃し、ルビーは言い放った。

「つぎはおまえの番だ、小僧」

「そうはさせるか!」

 あわてて跳ね起きるや、ハオンは身構えた。開いた両手に、呪力の符号が渦巻く。

 興味深げに、ルビーは小首をかしげた。

「珍しいな、その漆黒の呪力。地水火風、いずれの属性にも類を見ない」

「そうさ! これこそが俺の真骨頂、死霊術しりょうじゅつだ!」

「ほう」

 腰に差した長剣の柄に手をおき、ルビーは聞いた。

「それでどう戦う?」

「夜風に混じる死した魂を、現世へ導く。これからおまえを襲うのは、吸血鬼に恨みをいだく飢えた悪霊だ」

「おもしろい。やれるものならやってみろ」

 悠然と笑ったルビーの眼前で、ハオンは鋭く呪文をとなえた。その全身から、邪悪な呪力の突風が吹き荒れる。

 大きく宙にうがたれたのは、五芒星の魔法陣だ。

 しかし、なんだろう。

 ごぼごぼいう胸の悪くなる響きを残し、黒い魔法陣は液状のなにかを吐き出した。下品極まりない飛沫を散らして、汁はそのまま地面にわだかまっている。

 それは、とても筆舌に尽くしがたい血と内臓のかけらだった。

 以上だ。

 気まずい静寂……

 先に沈黙を打ち破ったのは、ルビーの大笑いだった。

「はは! こいつは恐れ入ったぞ、死霊術師ネクロマンサー! 師の教えに導かれて現世に召喚されたのが、この気色悪い汚物か!」

 おぞましい湯気を漂わせる赤池を、ルビーはこれ見よがしに覗き込んだ。いっぽうのハオンはといえば、恥辱と絶望に身をわななかせることしかできない。

 腹をかかえて、ルビーはハオンを馬鹿にし続けた。

と! と戦えばいいんだな、我輩は! つきあってやる、存分につきあってやるぞ! ははははは!」

 もう終わりだ……

 だれもがそう思ったとき、その声はとつぜん響いた。

〈〝血晶呪ナイハーゴ〟……〝血食エシク〟〉

「ぬうッ!?」

 ないはずの口でささやいた血肉のペーストが、いきなり動いたではないか。

 真っ赤なスライム状のそれは、間近にいたルビーに素早く襲いかかっている。鎧の隙間から染み込んでくる謎の液体に驚き、ルビーは絶叫した。

「ぐおお!? こ、これは!? か、体が! 体が蝕まれる!」

 苦悶のあまり奇怪なダンスを踊った後、ルビーはその場に崩れ落ちた。

 かなしく地面を跳ねたのは、中身が空になった武具とマントだけだ。未知の胃袋によって、不運な吸血鬼の肉体はほんとうに喰らい尽くされてしまったらしい。あっという間の出来事に、ハオンはまた腰を抜かしてへたり込んでいる。

 恐怖の人食いアメーバとでも呼ぶべきそれは、きれいさっぱり消えた赤騎士の上で醜悪にうごめいた。しだいにそれは、身長を増して立体化していく。

 内部に骨と神経を走らせ、毛髪まで生やすなり、物体はやがて、透けた臓腑と筋肉の表面に青白い肌の色を帯びた。まばたきしたのは、頭部に生じた独眼だ。

 そう。

 血溜まりは人間になったのだ。

 一糸まとわぬ少女の姿として。

 恥ずかしげもなく、少女はじぶんの手足の無事を確認した。その可憐な容貌を裏切るかのように、毒々しく舌打ちする。

「だれが汚物じゃ! くそ! 組織め!」

 さっそくエリーは悪態をついた。

「即席とはいえ、ここまで安普請な転送装置をつかませるとは! 次元を渡る途中に体も装備もみじん切りにされ、ほとんど亜空間に飲まれてしもうたぞ! もしこれが、わらわでなく平凡な人間ならどうなっておったことか! たまたま近くに間抜けな吸血鬼がおったおかげで、なんとか危機一髪で生き返れたわい!」

 尻もちをついたまま、ハオンはぼうぜんとエリーを眺めた。機関銃のごとく愚痴を連射するエリーへ、おっかなびっくり問いかける。

「きゅ、吸血鬼を、食った……?」

「そのとおりじゃ。前菜にしてはまずまずな舌触りじゃった」

 エリーの隻眼はハオンをとらえた。

「転送中のわらわを、妙な呪力でここに引き寄せたのはうぬか、小僧?」

「俺の、呪力が?」

 ようやく我に返り、ハオンはエリーから視線をそむけた。顔が真っ赤だ。年端もいかない裸の少女へ、間に合わせでルビーのマントを手渡す。

 起伏に富んだ体を赤いマントで包み、エリーはいたずらっぽくほほ笑んだ。

「よくもまあ、さっきの食事風景を見て逃げ出さんかったものじゃ。小僧のわりには、なかなかに肝が座っておるな。名はなんと申す、小僧?」

 むっとした表情で、ハオンは反論した。

「小僧小僧いいすぎだ。人間かどうか知らないが、俺とそんなに歳は違わないだろ、きみ?」

「そう見えるかの。まあ、若く見られるぶんには悪い気はせん」

「俺はハオン。ミッドウェスタン呪士学校の死霊術師ネクロマンサーだ」

「なぬ?」

 意外そうに、エリーは片側の柳眉を跳ね上げた。

「ではうぬがメネス・アタールの弟子の? ならそっちに倒れておるのが、いっしょにカレイドの城を密偵していた竜動士ドラグナーかえ?」

「事情に詳しいな。じゃあきみは、俺たちの味方だね?」

「さよう。故あって地球から参上した。すまん、竜動士ドラグナーの救出には一足遅かったな……」

「だいじょうぶ。血を吸われこそしたものの、アエネは命まで落としちゃいない。感謝するよ、ルビーから助けてくれて」

「わらわはエリザベート・クタートという。これもなにかの縁じゃ。気楽にエリーと呼ぶがよい」

 赤務あかむ市から幻夢境げんむきょうへエリーが持ち込むことのできたのは、ふたつの品物だけだった。

 すなわち、愛用の眼帯と、マタドールシステム・タイプオーの収まったホルスターだ。

 拾った眼帯でエリーが片目を封じるのは、開けっ放しだと何かのはずみで武器の血が流れてしまうために他ならない。また、タイプオーはホルスターごと薄い肩にかける。

 あと、これはなんだ?

 ついさっき赤騎士が消化された跡に、輝くものがひとつ落ちている。

 それは深く美しい真紅の宝石だった。葬られた吸血鬼が、その名にふさわしい鳩血石ルビーへと姿を変えたのだ。あるいは、これこそが本来の形態なのだろうか?

 つまみあげた宝石をまじまじと見通し、エリーはハオンにたずねた。

幻夢境げんむきょうの吸血鬼は、滅びると皆こうなるのかや?」

「いや、そういうわけでもない」

 ハオンも宝石に触れ、見えないものを探るように瞳をつむった。

「不思議で強烈な呪力がこもってるのを、これの奥底から感じる。もしかしたらこの宝石は、吸血鬼の中でも特別なパワーをもつ騎士の〝核〟なのかもしれない。ひとまず持っていこうよ」

「そうだな」

 意識のないアエネを抱き起こしながら、ハオンは質問した。

「俺の死霊術に招かれたということは、エリー。失礼だけど、きみは死人なのかい?」

「ふむ」

 細い顎をささえて、エリーは考えた。

「吸血鬼と同じく、わらわ逆吸血鬼ザトレータとて生きても死んでもおらん。半死半生な身ゆえ、うぬの呪力に呼応したのかもな」

「ざ、ザトレータ? それっていったい?」

 にやりと牙を光らせ、エリーはちょっぴりハオンを怖がらせた。

逆吸血鬼ザトレータは、吸血鬼の血を吸う吸血鬼じゃ。これ以上の吸血鬼ハンターもおるまい?」
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