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第四話「雪半」
「雪半」(8)
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血や火薬の薫りでできた霧を、赤青のパトライトは切り裂いた。
骨組みだけになって燃える乗用車。シェルター都市の天井部に投映されたレプリカの太陽を、もうもうと覆い隠す煙。攻撃でひび割れた中華街の道路……
豪快なスピンを描き、パトカーたちは続々と福山楼の前に停車した。それそのものが怒りの表現であるかのように、車体の側面にはS・K・P・Dの刻印が躍っている。サーコア市警察のおでましだ。
事件を嗅ぎつけて集まったパトカーの総数は、ゆうに二十台を超えた。
ドアの開く音、音、音。道路になだれ落ちる警察官の量は、車の実に四倍近い。
問題の中華料理店の対面、雑居ビルの屋上で、包帯の手を叩いて喜ぶ人影がある。まるで子どもだ。
「ぎゃはははは! 宴もたけなわッ!」
スコーピオンだった。
地上十階建てのてっぺんには、強い風が吹いている。すぐ隣にたたずむ別の人影へ、スコーピオンはそっと耳打ちした。
「実験ナンバーD10……〝混血〟はまだ捕まんないの? シヨちゃん?」
「…………」
スコーピオンの同行者、シヨと呼ばれた女は返事しない。
その直立不動ぶりは、ほっそりとしていながら、しかし鉄の芯を通したかのようだ。正体を隠すジュズの仮面だけが、標的のいる福山楼を静かに見下ろしている。
「無視ィ?」
歯ぐきを剥いて嘆いたスコーピオンの唇で、太い葉巻は紫煙の輪っかを浮かべた。下界で戦う仲間の異星人たちの現状を想像しつつ、つぶやく。
「お姫様を守るのがあの防衛型のエースなら、連中も手こずるわな。ダニエル・ピアース……〝ジュズ・インヴィディア〟」
轟音が響いたのはそのときだった。
スコーピオンとシヨの背後、昇降口の鉄扉が勢いよく開いたのだ。特殊装備に身を包んだ警官数名が、自動小銃を片手に駆け込んでくる。地上で好き放題するテロリストらしき集団を、見晴らしのよいここから監視するために他ならない。
それこそ警官たちを無視して、スコーピオンはにやついた。
「さ、シヨちゃん。きょうの下着の色を教えるんだ。勝負のダンスパーティーには、レースにガーターって相場は決まってるが?」
「…………」
シヨは無言だった。
幽霊じみた仮面に包帯人間……ハロウィンじみた二名の取り合わせに、警察の狙撃手たちもぽかんと口を開けている。お互い顔を見合わせるなり、警官たちは瞬時に殺気立って怒鳴った。
「なんだお前らッ!?」
彼らに答えたのは、鋭い風音だった。
いつの間にか、まっすぐ横に伸ばされるのはシヨの片腕だ。高速回転しながら空中をUターンしてきた輝きを、かすかな反動とともに掴み取る。
掴み取ったかと思いきや、警官たちは膝から頽れた。残された胴体が、大事な頭部を失ったことをようやく認めたらしい。斬り飛ばされた警官たちの首の断面は、どれをとっても鏡のごとき鮮やかな切り口をさらしている。いそがしく指示を吐き出すのは、彼らの肩にかかった無線機だけだ。
雀の涙ほどの血しずくは、シヨの足もとに赤く弾けた。
シヨの手に光るのはなんだろう。無数の刃を、おそるべき綿密さでその周囲に生やした円盤だ。フリスビーを一兆倍も凶悪にした無音兵器と言えばわかりやすい。この小型の円刃こそが、警官たちを唐突に二階級特進させたのだ。
壮絶な金属音がこだました。円盤の白刃が、まとめてその内部へ引っ込んだ響きだ。コンパクトに縮小したそれを、シヨは黙って太もものホルスターへ差し戻している。
「…………」
「行くのね? 普通じゃ手に負えない獲物を狩りに?」
気楽に問うたのはスコーピオンだ。
高所の屋上のふちへ、シヨは躊躇なく歩み寄った。壁面を這い上がる煙風が、つややかなその髪を乱暴に波打たせる。
うまそうに葉巻を吹かすばかりで、スコーピオンにもシヨを止める気配はない。笑顔のまま、邪悪なウィンクを飛ばしてさえみせる。
「踊っておあげなさい♪」
突風……
ところかわって、下。
「~~~ッ!?」
警官隊の指揮者……防弾ベストを着たウォルター・ウィルソン警部は狼狽した。
なかば廃墟と化した中華料理店の窓を越え、複数の人影が道路まで吹き飛んできたではないか。中華街の労働者?
いや、働くうんぬんの問題ではない。地面をバウンドして転がったときには、労働者たちの体はへそを中心に真っ二つにちぎれている。
中華街で、マフィアどうしの派手な抗争が始まった……そう耳にして駆けつけたウォルターたち一行だが、この有様はなんだ?
まるで、あの小さな中華料理店の中にとんでもない怪物が潜んでいて、そいつが片っ端から人々を八つ裂きにしている。そうとしか思えなかった。
「ひでえ……いったい、あの店でなにが起こってる?」
ショットガンを握っていないほうの手で十字を切りかけ、ウォルターは凍った。
被害者? 罪のない一般人?
なら、肉体のいずこかを致命的に失った労働者たちが、でたらめに、しかし明白な意思をもって銃を乱射するのはなぜだ。とっくに死体のはずのそれらは、どいつもこいつもまだ動いている。面白いぐらい大量に溢れ返るのは、やけに黒ずんだタール状の鮮血だ。
ついでに、ウォルター自身に火器の知識が足りないのか?
労働者たちの装備するぶっ飛んだ形状の機関銃は、どう見ても人間の……地球上のそれとは思えない。
射撃強化型ジュズ〝スペルヴィア〟……
福山楼めがけて撃ち込まれるアーモンドアイの火線は、不意に角度を変えた。自分たちを取り囲む邪魔なパトカーどもを、横薙ぎに掃射する。
「はァ?」
つぶやいて身を投げ出したウォルターの頭上で、パトカーの窓は滝のごとく崩れた。頑丈な防弾加工のガラスがだ。それぞれ叩き開けたパトカーのドアを盾にし、警官たちの銃口はいっせいに上がった。
「タイガーファミリーか!?」
「いや、落龍会だ!」
「聞いてねえぞ! 中華街があんな武器を仕入れたなんて!」
「……やべえッ!」
多連装ミサイル砲の発射音は、意外なほど間が抜けていた。天高く火柱に押し上げられたパトカーは、途切れ途切れのサイレンとともに道路へ激突する。蜘蛛の子を散らすように逃げつつ、口々に叫んだのは警官たちだ。
「やつらいったい、なにと戦ってる!?」
「ヘリの援護はまだか!? あと軍隊の応援も!」
「ナパームだ! ナパームを落とせ!」
警官たちに、頭上を仰ぐ余裕はなかった。
風を切り、雑居ビルの十階から宙返りとともに降下してきた人影がある。
破砕音は、ウォルターの背後から轟いた。飛び散るガラスに驚き、あたりの警官たちも思わず首をすくめている。
お次はなんだ?
「……?」
ショットガンに弾込めするのをやめ、ウォルターは振り返った。呆気にとられる部下たちを、こっぴどく怒鳴りつける暇もない。
パトカーの屋根に、その女はいた。
どれだけの超重量を受けたものか、彼女が片膝をついたパトカーの天井は大きく陥没している。だれがどう見ても、上から降ってきたとしか考えられない。上といっても、女のうしろにそびえ立つ雑居ビルは十階建てだ。
そして何階から落ちたにせよ、シヨは悠然と立ち上がった。その顔にはなんら痛痒の表情もない。こんな不吉な仮面を被っているのだから当たり前だ。
シヨのタイトなスーツの周囲で、それぞれ赤と青にきらめきながら、パトカーの破片は空へ逆流していた。繊細なその髪は、炎を照り返してよく映える。ウォルターをふくむ現場のプロたちが、束の間だけ見とれてしまったのも無理はない。
ふと我に返り、警官たちは一斉に武器を跳ね上げた。
「手を上げろッッ!?」
なにか上げるどころか、むしろ、シヨは重心を低く落として構えた。同時に、その全身を稲妻めいた細い光が駆け巡ったが、はっきり把握した者はいない。
「おい……落ち着け、おまえら」
制止するウォルターの顔は、蒼白だった。
本能的な恐怖を感じたのだ。引き金に力をこめた警官隊も、同じなにかに突き動かされている。凶器らしい凶器も持たぬたった一人の女に対して、なにもできない。
だが、そんなシヨの仮面の裏側、瞳の奥の奥、視界モニターの索敵マーカーは間断なく警官たちの手を照準していた。正確には、それらに握られた銃火器を。銃爪にかかった警官たちの指の、筋繊維の一本一本の動きにいたるまで。
どこかでまた、爆発が鳴った。
「よせエェっっ!!」
ウォルターの叫びは、警官たちの発砲を後押ししただけだった。
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
シヨの鼻先に、なにかが浮いていた。
警官たちの銃から巣立った弾丸ではないか。それも百発は下らない。銃弾はゆっくりゆっくり、いまも螺旋状の回転を繰り返している。射撃する警官たちの手もと、緩慢に閉じたり開いたりするのは銃火の花だ。極限まで加速されたシヨの迎撃システムは、彼女以外の時間をここまでスピードダウンさせていた。
遅い。
「高周波反重力輪刃〝朝焼の発見者〟起動。斬撃段階、ステージ(2)……〝成層圏〟」
ささやいたシヨの手に、猛烈な火花を連れて刃は拡大した。
刃。そう。巨大なリング状の白刃が、彼女の正面に展開したのだ。それは大型トラックのタイヤよりも幅広く、ただし極限まで研ぎ澄まされている。
異星材質の円月輪……
シヨの腕は、横殴りに一閃した。刹那、彼女を襲った銃弾は綺麗に両断されている。円月輪の回転は休まない。一歩前に踏み込むや、返す手で逆袈裟、つまり斜め下から次の銃弾を斬る。そのまま体ごと急旋回したシヨの周囲で、立て続けに弾丸は割れた。まとめて二十発だ。
斬る。
斬る斬る斬る斬る斬る斬る。
警官たちの体感速度では、かすんだシヨのまわりで、ただ音と光が乱れ舞ったにしかすぎない。三百六十度でシヨが銃弾を叩き斬る金属音と、高速回転する白刃の残した光跡だ。
最後に上から下へ弾丸をなぞると、シヨの円月輪は天を指して止まった。凄まじく刃を揺する最先端の高周波と、宇宙文明の反重力が両立して初めて実現可能な離れ業だ。
同時に、ぱらぱらとシヨの足もとにこぼれた物体はなんだろう。警官たちがそれを、空中で残らず防がれた銃弾だと悟るより、シヨの姿が掻き消えるのは一瞬早い。
それまで廃車の屋根にいたはずが、気づけばシヨは警官たちの背後にいた。ゆるやかに浮揚して回転するのは、彼女の胴に通された円月輪だ。
シヨのうしろ、新たなパトカーの車体が斜めに斬れてずれたではないか。いや、車だけに留まらない。薄刃になぞられた警官五名の体までもが、血をしぶかせて積み木のようにばらける。
大爆発を起こしたのは、豆腐のように両断されたパトカーだ。吹っ飛んだウォルターの体は、郵便局の壁に衝突し、道路に落ちてようやく止まった。顔を歪めて苦悶するウォルターの鼓膜に、シヨのハイヒールの靴音は淡々と近づいてくる。
サイレンの雄叫びに、シヨは仮面の頭を巡らせた。
増援のパトカーだ。炎と煙の中を五台、やかましく突き進んでくる。
突如として消失したシヨの姿は、次の瞬間、その五台の真後ろに現れた。急ブレーキをかけられたシヨの踵から、摩擦の火煙が飛び散る。
パトカー五台は、ボンネットからトランクまでを正確に分断されていた。たて二枚おろしだ。運転する警官たちの悲鳴も、爆発の閃光に飲まれて消える。
振り返ったシヨの髪は、激しくなびいた。今度は、空からの強風だ。
警察のヘリである。搭乗口から油断なく狙撃銃を構えたまま、拡声器越しに警官の怒声は警告した。
〈そこの、ああ、女? 大人しく、その武器? 輪っか? を捨てて投降し……〉
鋭い音が響いた。
シヨの影はない。
いや、あった。はるか上空、超人的な脚力で壁を蹴って、ヘリのすぐそばに。
ヘリの狙撃手は、夢見がちにそれを眺めた。美しい。上下逆さまにきりもみ回転する女の細身で、土星のリングさながらに火の粉を散らすあの輝きはなんだ?
深く身を伏せ、シヨは道路に降り立った。アンドロイドの負加重に耐えきれず、アスファルトは蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる。
ひと払いされたシヨの手で、円月輪はありえないほど細かく折り畳まれた。
涼やかな収納音……
震える手はついに銃へと届かず、ウォルターは弱々しく痙攣した。
「は、はは、無理無理。絶対に勝てねえ……」
ヘリが真っ二つに斬れるのを見届けて、ウォルターは気を失った。
骨組みだけになって燃える乗用車。シェルター都市の天井部に投映されたレプリカの太陽を、もうもうと覆い隠す煙。攻撃でひび割れた中華街の道路……
豪快なスピンを描き、パトカーたちは続々と福山楼の前に停車した。それそのものが怒りの表現であるかのように、車体の側面にはS・K・P・Dの刻印が躍っている。サーコア市警察のおでましだ。
事件を嗅ぎつけて集まったパトカーの総数は、ゆうに二十台を超えた。
ドアの開く音、音、音。道路になだれ落ちる警察官の量は、車の実に四倍近い。
問題の中華料理店の対面、雑居ビルの屋上で、包帯の手を叩いて喜ぶ人影がある。まるで子どもだ。
「ぎゃはははは! 宴もたけなわッ!」
スコーピオンだった。
地上十階建てのてっぺんには、強い風が吹いている。すぐ隣にたたずむ別の人影へ、スコーピオンはそっと耳打ちした。
「実験ナンバーD10……〝混血〟はまだ捕まんないの? シヨちゃん?」
「…………」
スコーピオンの同行者、シヨと呼ばれた女は返事しない。
その直立不動ぶりは、ほっそりとしていながら、しかし鉄の芯を通したかのようだ。正体を隠すジュズの仮面だけが、標的のいる福山楼を静かに見下ろしている。
「無視ィ?」
歯ぐきを剥いて嘆いたスコーピオンの唇で、太い葉巻は紫煙の輪っかを浮かべた。下界で戦う仲間の異星人たちの現状を想像しつつ、つぶやく。
「お姫様を守るのがあの防衛型のエースなら、連中も手こずるわな。ダニエル・ピアース……〝ジュズ・インヴィディア〟」
轟音が響いたのはそのときだった。
スコーピオンとシヨの背後、昇降口の鉄扉が勢いよく開いたのだ。特殊装備に身を包んだ警官数名が、自動小銃を片手に駆け込んでくる。地上で好き放題するテロリストらしき集団を、見晴らしのよいここから監視するために他ならない。
それこそ警官たちを無視して、スコーピオンはにやついた。
「さ、シヨちゃん。きょうの下着の色を教えるんだ。勝負のダンスパーティーには、レースにガーターって相場は決まってるが?」
「…………」
シヨは無言だった。
幽霊じみた仮面に包帯人間……ハロウィンじみた二名の取り合わせに、警察の狙撃手たちもぽかんと口を開けている。お互い顔を見合わせるなり、警官たちは瞬時に殺気立って怒鳴った。
「なんだお前らッ!?」
彼らに答えたのは、鋭い風音だった。
いつの間にか、まっすぐ横に伸ばされるのはシヨの片腕だ。高速回転しながら空中をUターンしてきた輝きを、かすかな反動とともに掴み取る。
掴み取ったかと思いきや、警官たちは膝から頽れた。残された胴体が、大事な頭部を失ったことをようやく認めたらしい。斬り飛ばされた警官たちの首の断面は、どれをとっても鏡のごとき鮮やかな切り口をさらしている。いそがしく指示を吐き出すのは、彼らの肩にかかった無線機だけだ。
雀の涙ほどの血しずくは、シヨの足もとに赤く弾けた。
シヨの手に光るのはなんだろう。無数の刃を、おそるべき綿密さでその周囲に生やした円盤だ。フリスビーを一兆倍も凶悪にした無音兵器と言えばわかりやすい。この小型の円刃こそが、警官たちを唐突に二階級特進させたのだ。
壮絶な金属音がこだました。円盤の白刃が、まとめてその内部へ引っ込んだ響きだ。コンパクトに縮小したそれを、シヨは黙って太もものホルスターへ差し戻している。
「…………」
「行くのね? 普通じゃ手に負えない獲物を狩りに?」
気楽に問うたのはスコーピオンだ。
高所の屋上のふちへ、シヨは躊躇なく歩み寄った。壁面を這い上がる煙風が、つややかなその髪を乱暴に波打たせる。
うまそうに葉巻を吹かすばかりで、スコーピオンにもシヨを止める気配はない。笑顔のまま、邪悪なウィンクを飛ばしてさえみせる。
「踊っておあげなさい♪」
突風……
ところかわって、下。
「~~~ッ!?」
警官隊の指揮者……防弾ベストを着たウォルター・ウィルソン警部は狼狽した。
なかば廃墟と化した中華料理店の窓を越え、複数の人影が道路まで吹き飛んできたではないか。中華街の労働者?
いや、働くうんぬんの問題ではない。地面をバウンドして転がったときには、労働者たちの体はへそを中心に真っ二つにちぎれている。
中華街で、マフィアどうしの派手な抗争が始まった……そう耳にして駆けつけたウォルターたち一行だが、この有様はなんだ?
まるで、あの小さな中華料理店の中にとんでもない怪物が潜んでいて、そいつが片っ端から人々を八つ裂きにしている。そうとしか思えなかった。
「ひでえ……いったい、あの店でなにが起こってる?」
ショットガンを握っていないほうの手で十字を切りかけ、ウォルターは凍った。
被害者? 罪のない一般人?
なら、肉体のいずこかを致命的に失った労働者たちが、でたらめに、しかし明白な意思をもって銃を乱射するのはなぜだ。とっくに死体のはずのそれらは、どいつもこいつもまだ動いている。面白いぐらい大量に溢れ返るのは、やけに黒ずんだタール状の鮮血だ。
ついでに、ウォルター自身に火器の知識が足りないのか?
労働者たちの装備するぶっ飛んだ形状の機関銃は、どう見ても人間の……地球上のそれとは思えない。
射撃強化型ジュズ〝スペルヴィア〟……
福山楼めがけて撃ち込まれるアーモンドアイの火線は、不意に角度を変えた。自分たちを取り囲む邪魔なパトカーどもを、横薙ぎに掃射する。
「はァ?」
つぶやいて身を投げ出したウォルターの頭上で、パトカーの窓は滝のごとく崩れた。頑丈な防弾加工のガラスがだ。それぞれ叩き開けたパトカーのドアを盾にし、警官たちの銃口はいっせいに上がった。
「タイガーファミリーか!?」
「いや、落龍会だ!」
「聞いてねえぞ! 中華街があんな武器を仕入れたなんて!」
「……やべえッ!」
多連装ミサイル砲の発射音は、意外なほど間が抜けていた。天高く火柱に押し上げられたパトカーは、途切れ途切れのサイレンとともに道路へ激突する。蜘蛛の子を散らすように逃げつつ、口々に叫んだのは警官たちだ。
「やつらいったい、なにと戦ってる!?」
「ヘリの援護はまだか!? あと軍隊の応援も!」
「ナパームだ! ナパームを落とせ!」
警官たちに、頭上を仰ぐ余裕はなかった。
風を切り、雑居ビルの十階から宙返りとともに降下してきた人影がある。
破砕音は、ウォルターの背後から轟いた。飛び散るガラスに驚き、あたりの警官たちも思わず首をすくめている。
お次はなんだ?
「……?」
ショットガンに弾込めするのをやめ、ウォルターは振り返った。呆気にとられる部下たちを、こっぴどく怒鳴りつける暇もない。
パトカーの屋根に、その女はいた。
どれだけの超重量を受けたものか、彼女が片膝をついたパトカーの天井は大きく陥没している。だれがどう見ても、上から降ってきたとしか考えられない。上といっても、女のうしろにそびえ立つ雑居ビルは十階建てだ。
そして何階から落ちたにせよ、シヨは悠然と立ち上がった。その顔にはなんら痛痒の表情もない。こんな不吉な仮面を被っているのだから当たり前だ。
シヨのタイトなスーツの周囲で、それぞれ赤と青にきらめきながら、パトカーの破片は空へ逆流していた。繊細なその髪は、炎を照り返してよく映える。ウォルターをふくむ現場のプロたちが、束の間だけ見とれてしまったのも無理はない。
ふと我に返り、警官たちは一斉に武器を跳ね上げた。
「手を上げろッッ!?」
なにか上げるどころか、むしろ、シヨは重心を低く落として構えた。同時に、その全身を稲妻めいた細い光が駆け巡ったが、はっきり把握した者はいない。
「おい……落ち着け、おまえら」
制止するウォルターの顔は、蒼白だった。
本能的な恐怖を感じたのだ。引き金に力をこめた警官隊も、同じなにかに突き動かされている。凶器らしい凶器も持たぬたった一人の女に対して、なにもできない。
だが、そんなシヨの仮面の裏側、瞳の奥の奥、視界モニターの索敵マーカーは間断なく警官たちの手を照準していた。正確には、それらに握られた銃火器を。銃爪にかかった警官たちの指の、筋繊維の一本一本の動きにいたるまで。
どこかでまた、爆発が鳴った。
「よせエェっっ!!」
ウォルターの叫びは、警官たちの発砲を後押ししただけだった。
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
シヨの鼻先に、なにかが浮いていた。
警官たちの銃から巣立った弾丸ではないか。それも百発は下らない。銃弾はゆっくりゆっくり、いまも螺旋状の回転を繰り返している。射撃する警官たちの手もと、緩慢に閉じたり開いたりするのは銃火の花だ。極限まで加速されたシヨの迎撃システムは、彼女以外の時間をここまでスピードダウンさせていた。
遅い。
「高周波反重力輪刃〝朝焼の発見者〟起動。斬撃段階、ステージ(2)……〝成層圏〟」
ささやいたシヨの手に、猛烈な火花を連れて刃は拡大した。
刃。そう。巨大なリング状の白刃が、彼女の正面に展開したのだ。それは大型トラックのタイヤよりも幅広く、ただし極限まで研ぎ澄まされている。
異星材質の円月輪……
シヨの腕は、横殴りに一閃した。刹那、彼女を襲った銃弾は綺麗に両断されている。円月輪の回転は休まない。一歩前に踏み込むや、返す手で逆袈裟、つまり斜め下から次の銃弾を斬る。そのまま体ごと急旋回したシヨの周囲で、立て続けに弾丸は割れた。まとめて二十発だ。
斬る。
斬る斬る斬る斬る斬る斬る。
警官たちの体感速度では、かすんだシヨのまわりで、ただ音と光が乱れ舞ったにしかすぎない。三百六十度でシヨが銃弾を叩き斬る金属音と、高速回転する白刃の残した光跡だ。
最後に上から下へ弾丸をなぞると、シヨの円月輪は天を指して止まった。凄まじく刃を揺する最先端の高周波と、宇宙文明の反重力が両立して初めて実現可能な離れ業だ。
同時に、ぱらぱらとシヨの足もとにこぼれた物体はなんだろう。警官たちがそれを、空中で残らず防がれた銃弾だと悟るより、シヨの姿が掻き消えるのは一瞬早い。
それまで廃車の屋根にいたはずが、気づけばシヨは警官たちの背後にいた。ゆるやかに浮揚して回転するのは、彼女の胴に通された円月輪だ。
シヨのうしろ、新たなパトカーの車体が斜めに斬れてずれたではないか。いや、車だけに留まらない。薄刃になぞられた警官五名の体までもが、血をしぶかせて積み木のようにばらける。
大爆発を起こしたのは、豆腐のように両断されたパトカーだ。吹っ飛んだウォルターの体は、郵便局の壁に衝突し、道路に落ちてようやく止まった。顔を歪めて苦悶するウォルターの鼓膜に、シヨのハイヒールの靴音は淡々と近づいてくる。
サイレンの雄叫びに、シヨは仮面の頭を巡らせた。
増援のパトカーだ。炎と煙の中を五台、やかましく突き進んでくる。
突如として消失したシヨの姿は、次の瞬間、その五台の真後ろに現れた。急ブレーキをかけられたシヨの踵から、摩擦の火煙が飛び散る。
パトカー五台は、ボンネットからトランクまでを正確に分断されていた。たて二枚おろしだ。運転する警官たちの悲鳴も、爆発の閃光に飲まれて消える。
振り返ったシヨの髪は、激しくなびいた。今度は、空からの強風だ。
警察のヘリである。搭乗口から油断なく狙撃銃を構えたまま、拡声器越しに警官の怒声は警告した。
〈そこの、ああ、女? 大人しく、その武器? 輪っか? を捨てて投降し……〉
鋭い音が響いた。
シヨの影はない。
いや、あった。はるか上空、超人的な脚力で壁を蹴って、ヘリのすぐそばに。
ヘリの狙撃手は、夢見がちにそれを眺めた。美しい。上下逆さまにきりもみ回転する女の細身で、土星のリングさながらに火の粉を散らすあの輝きはなんだ?
深く身を伏せ、シヨは道路に降り立った。アンドロイドの負加重に耐えきれず、アスファルトは蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる。
ひと払いされたシヨの手で、円月輪はありえないほど細かく折り畳まれた。
涼やかな収納音……
震える手はついに銃へと届かず、ウォルターは弱々しく痙攣した。
「は、はは、無理無理。絶対に勝てねえ……」
ヘリが真っ二つに斬れるのを見届けて、ウォルターは気を失った。
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