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第一話「雪球」

「雪球」(11)

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 火の海にひとり、足を引きずって歩く人影があった。

 壁伝いに這って出口を目指すロックの足取りは、驚くほどに緩慢だ。痛いといえば全身は失神するほどの激痛を訴え、もはや自分でもどこを負傷しているのかわからない。切れた額から流れる血は片目をふさぎ、焦げ穴だらけのスーツには生々しい裂傷が目立つ。苦しげに押さえた脇腹の底では、いったい何本の肋骨が折れているのだろうか。

 コンクリートの破片につまづいて、ロックは悪態を漏らした。

「命乞いでもしたいとこだが……相手がいないな」

 鼓膜の破れるような轟音とともに、派手に火の粉が舞った。

 ロックの前後で、焼けた鉄骨がいっせいに倒れたのだ。あと半歩も進むか遅れるかしていれば、たやすく押し潰されていたに違いない。代わりにロックは、床からの衝撃に耐えきれず力なく膝をついている。

 とうとう逃げ道はなくなった。

「やべえ。次のバーベキューは俺か……」

 鮮血に染まった頬を自嘲げにゆがめると、ロックは懐に手を入れた。消耗に震える指でタバコを口にくわえ、もういちどポケットをあさる。火はどこだ。ない。しかたなく、そばで揺れる航空燃料の炎に顔を近づける。

 そこだけ走ったロックの右手は、腰の拳銃を抜き放った。まばたきひとつで、背後の気配に狙いをつける。瀕死でも、この反射神経だけは別格だ。

 険しい眼差しで、ロックはつぶやいた。

「しぶとい野郎だぜ。前に会ったか? 台所の隅っこあたりで?」

「ソ、それはこちらのセリフだ、害虫……」

 おお。火災のかげろうの向こう、四つん這いで身を起こそうとするのは何者だ。

 マイルズ大佐だった。死体であることに誤りはない。その証拠に、ロックに撃ち抜かれた眉間の風穴からは、いまだ重油じみた体液が糸を引いているではないか。

 憑依した地球人の肉体は限界を迎え、誤作動を起こしているらしい。まるで生まれたての子馬のように、マイルズ大佐の手足は大きく痙攣している。

 タバコのフィルターをきつく噛みながら、ロックはうなった。

「ほっといたって時間切れになる世界だろ。そんなにちょっかい掛けてなにが楽しい?」

「キ、きさまは知らないのか、ロック・フォーリング?」

 気持ちの悪い響きがこだました。

 マイルズ大佐の顔面、穴という穴から迸った漆黒の汁が床を叩いたのだ。とうに機能を喪失しているはずのその表情が、皮肉げに笑ったのは熱気のいたずらか?

「星々のものが、なぜきさまらの絶滅に拍車をかけるのかを。本来、自然環境の治癒に取り組まねばならぬはずの我々が、なぜ……」

 ロックの構えた銃口は、ほんのわずかに揺れた。音をたてて敵を照準し直す。

「もういい、喋るな。寿命が縮まるぞ?」

「教えてやろう、戦争のきっかけを。真実を知れば、きさまも……」

 マイルズ大佐が爆発したのはそのときだった。

 直感的に横に倒れ込んでおらねば、ロック自身もただでは済まなかったろう。かすかに聞こえたのだ。荷電粒子式ロケットブースター独特のチャージ音が。ロックの頭上ぎりぎりを掠め、一直線にマイルズ大佐を叩いた超高温の衝撃波は、勢いあまって、あたりの障害物まで綺麗に弾き飛ばしている。

「ファイ……ア」

 くぐもった断末魔を漏らしたのは、人型のたいまつと化したマイルズ大佐だった。

 そのまま二、三歩ばかり前によろめいたあと、重々しく床へ崩れ落ちる。急速に焼け焦げる皮膚の下、束の間だけ見えた巨大な頭部のシルエットも、やがては跡形もなく業火に消えた。いったい、いかなる科学の大砲が彼を襲ったのだろうか。

 見よ、格納庫の出入り口を。

 開いたハッチの隙間、戦闘輸送ヘリの逆光にたたずむのは二つの人影だった。

 背の高い男の捜査官エージェントのほうは、左手で支えた右腕をまっすぐ前へ伸ばし、広げた掌からまだ謎めいた紫煙と火花を放っている。その凶暴な破壊の力こそが、死の淵にあったマイルズ大佐にとどめを刺したらしい。

 もう一名は、松葉杖をついて重傷の身を酷使するネイ・メドーヤ課長だった。彼女がわずかに顎をしゃくったのを合図に、重武装で身を固めた政府の戦闘員たちは堰を切って突入してくる。

 ふたりの捜査官が左右の肩を貸し、ロックはすみやかにその場から運び出された。その様子はどこか、組織ファイアが大昔にメキシコで捕まえた〝両手を持たれた小型異星人〟の白黒写真と似ている。落ちていた愛用の中折れ帽をロックの頭に乗せ、耳打ちしたのはネイだ。

「指示どおり、跡形もなく掃除してくれたな。証拠も手がかりも、なにもかも」

「なんで撃った?」

 両隣の職員を押し退け、ロックはネイに食って掛かった。どこにそんな体力が残っているのか?

 だがネイの胸倉に届くより早く、ロックの腕は掴まれている。ネイの横、それまで無表情に控えていた男の手によってだ。

 視界が一回転するなり、ロックは背中から硬い地面に叩きつけられた。ただでさえ満身創痍の体の節々で、耳を塞ぎたくなるような軋みがあがる。それだけではない。白目を剥いて気が遠のくロックの片腕を、男はなお容赦なく捻り上げたではないか。鮮やかな身のこなしだ。

 完膚なきまでに関節技を極められ、ロックは裏返った悲鳴をあげた。

「ぅ熱っちい!」

 熱い? 痛いではなく熱いだと?

 それもそのはず、ロックの腕はかすかに煙を噴いていた。男が拘束する部位だ。高火力の荷電粒子砲を撃ち込んだばかりの強化人間の手に触れられれば、だれでもこうなる。

 側近の男の肩に、ネイが手を置くのはきっかり三秒スリーカウント後だった。

「もういいぞ、エージェント・ジェイス。そいつも一応は怪我人だ」

「…………」

 相変わらず仏頂面のまま、ジェイスと呼ばれた捜査官はロックの縛めを解いた。

 襟元を正すその手からは、やはりネクタイの焦げる音が聞こえる。そして、彼の手首に輝くのもお馴染みの銀色の腕時計だ。次にロックが怪しい挙動を見せれば、首の骨の一本や二本は折りかねない。

 ふたたび戦闘員たちに引き起こされながら、ロックは霞んだ目でネイを睨んだ。

「なんか……なんか喋りかけてたじゃねえかよ、あの偉そうな大佐。それを傍からいきなりズドンだなんてさ。秘密を探るはずの闇の情報屋が、聞いて呆れるぜ」

「勘違いしているようだな」

 言下に切り捨てると、ネイは現場を眺めた。

 その冷徹な瞳には、すっかり廃墟と化した格納庫内の炎が反射している。強力な消火器の効果によって、その火災もみるみる範囲を狭めつつあった。そこらじゅうに転がる五体不満足な遺体に群がる鑑識班たちは、どう見ても屍肉にときめくハゲタカだ。

 やけに疼く胸の傷をさすり、ネイは言い放った。

「組織はきみを救ったのだ。隙をついて不意打ちする気だったアーモンドアイから、大事な部下をな。異星人ごときの戯言に耳を貸すとは、どういう心変わりだ? 復讐はどうした? 吐き気をもよおす真っ黒な地球外の返り血こそが、エージェント・フォーリング最高の勲章ではないのかね?」

 なかば強制的に連行されながらも、ロックは反論した。

「その大事な部下とやらに隠し事をするのも組織ファイアさ。知ってるかい。聖職者ってのは、だれの声でも平等に聞き入れなきゃなんねえんだぜ。相手が草でも動物でも、たとえエイリアンだったとしてもだ」

「人間を洋服代わりに着る宇宙の密猟者に、ありがたい導きでも説くつもりかね。よせよせ、無意味だ。移動砲台なら移動砲台らしく、二十四時間、きみは黙って銃で空を狙ってさえいればいい。それすら不平と言うなら、腕時計の自爆ボタンを押せばよかろう。私ならそうする。一ミリでも組織を疑った時点で、すぐに。人っ子一人いないシェルター外の雪原まで歩いてから、な」 

 横合いへ、ロックは下品に唾を吐いた。欠けた歯が混じった血痰に顔をしかめ、毒づく。

「俺からすりゃ十分、吐き気がするよ。あんたの血の色も」

「赤い血だろうと青い血だろうと、銀の首輪の猟犬は政府に飼い慣らされる運命だ。さあ十字ならたっぷり切ったろう。病室と報告書の束は、もうセットで手配してある。いまみたいに的外れで〝大外れアウトボード〟なことを書くんじゃないぞ、フォーリング……」

 闇夜が白く染まるのは、突然だった。

 なにが起こったのだろう。政府職員たちの手が提げ、そして各々の車両にも載せられた通信機器という通信機器が、にわかに出鱈目な雑音を吐き出し始めたではないか。その脳みそを掻きむしりたくなる甲高い響きは、怒りに喚く悪霊の叫び声にも聞こえた。部隊のサーチライトは未知のモールス信号のごとく激しい明滅を繰り返し、デジタル・アナログ問わず時計の数々は狂いに狂う。

「ひッ!?」

 思わず腰を抜かしたのは、防護服で全身を包む鑑識班のひとりだった。

 人間そっくりに擬態したアーモンドアイの徒党は、エージェント・フォーリングが殲滅したはずでは?

 なのに、なのに……ガトリング弾に食いちぎられた手が、足が、下半身を欠損した遺体の顔が、電撃でも流れたように痙攣している。あっちでも、こっちでも。

 そう、まるで、アンテナから指示を受けたラジコンのようにだ。

 真昼そのものの強い光から顔を守って、叫んだのはネイだった。

!?」

 答えははるか彼方、ぼこりと盛り上がった滑走路がもたらした。

 豪快に突き破った地面から、大量の土くれと破片をこぼしつつ、夜空へ上昇する巨大な輝きがある。気球? ヘリ? 戦闘機?

 いや、そのどれとも違う。この惑星の技術ですらない。極彩色の光で埋め尽くされた船体は、これほどの質量を浮かせているにも関わらず推進音のひとつも漏らさなかった。

 降臨する神。やつらの乗り物。空飛ぶ円盤。

 UFO。

 エワイオ空軍基地の片隅、組織は発見したその中年男性を担架で運ぶ途中だった。警察のバッジに記された名前は、ウォルター・ウィルソンという。だが、いままさに、意識もないのに、発光体の起動に共鳴するかのごとく刑事の瞼はぴくぴく震え……

 一発の弾丸が、UFOを射抜いた。

 同時に、基地付近のすべての照明は炸裂している。ショートやトリップなどという生易しい状態ではない。政府車両のヘッドライト、車載機器、あげく、ネイとジェイスの懐の携帯電話までもがまとめて放電して死んだのだ。家電量販店と裏でつながっているのだろうか、この男は。

 ありとあらゆる電力を食い尽くしたこの男こそは、ロック・フォーリングだ。

 果てしない暗闇の奥底で、ネイは怒鳴った。

「勝手なマネを!」

 振り返った先、ロックは一同にボロボロの背中を向けたままだった。ただ、銃口だけが肩越しに背後のUFOを狙っている。銃口にそって走る電磁加速の稲妻。左右へ突き飛ばされた捜査官たちが夢見がちに見上げるのは、夜にきらめく幾千もの光の羽だ。

 逃がさない。あいつらだけは、絶対に。

 手の中でくるくる拳銃を回転させると、ロックはささやいた。

大当たりブルズアイだ」

 銃口の硝煙が吹き消された瞬間、UFOは爆発した。


 爆発を連続しながら、UFOはもと来た滑走路へ沈んでいく。

 その光景をはるか遠く、金網の外から観察する人影があった。

「ワオ!」

 人影は喜び、のけぞって奇声を放った。

 この際だから、政府といっしょに病院へ向かってはどうだろう。なにせスーツから覗く部位だけでも、彼の体は包帯ぐるぐる巻きだ。ひどい怪我でも負っている? それともその正体を世間から隠すため?

 炎上するエワイオ空軍基地めがけて、スコーピオンは小さく敬礼を飛ばした。

「大ヤケドじゃん♪」

 左右にスキップしつつ、スコーピオンは夜道を遠ざかっていった。

 その手で輝く奇妙なアタッシュケースを運ぶため、また別のUFOは撃墜されたのだ。
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