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第一話「雪球」

「雪球」(1)

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〈原因不明の失踪を遂げたのは、ヒノラ区に住む四人家族です。これにより、森林公園の近くで起こった失踪事件は九件めとなりました。家族が行方不明になったと思われる時間帯、シェルター内部に奇妙な光を目撃したと証言する森林警備員もおり……〉

 ふと自動車のハンドルを離れた運転手の片手は、カーオーディオへ伸びた。その手首には、無骨な銀色の腕時計がきらめいている。

 タクシーの中に流れる深刻なニュース速報は、明るいポップミュージックへと切り替わった。なんどか雑音を抜けたあと聞こえ始めたのは、弾けるような色気を大人の切なさでオブラートした歌声……はやりのフィア・ドールだ。

 西暦二〇七一年、三月七日。

 シェルター都市サーコア内部、最終防壁より十キロ地点のヒノラ森林公園。

 午後九時三分……

 ずいぶん霧の濃い晩だった。

 生なき巨人のごとく道路を囲むのは、大きな針葉樹の林だ。ヘッドライトの尾を残して田舎道を走るのは、この黄色いタクシー一台しかない。道沿いに等間隔にたたずむ常夜灯の薄明かりを、光に吸い寄せられた羽虫の群れがまだらに乱している。

「なんて言ってましたっけ? きょうの天気〝予定〟? 聞いてませんよね、霧が出るなんて?」

 思いきり目を細めて、タクシーの運転手はつぶやいた。

 サーコア第一交通8290番、ロック・フォーリング。

 料金メーター近くの登録証に収まった顔写真も、彼本人のものに間違いない。写真と実物が語るのは、ひとことで言うなら二日酔いの朝だ。中途半端に生えた無精ヒゲ、やぶ睨みの視線ときて、寝癖頭も驚くほどひどい。

 ただ、なぜだろうか。いつもぼんやりしているはずのロックの表情は、今夜ばかりは明るく冴え渡っている。使命があった。後部座席で泥酔する美女のそこかしこを盗み見るため、バックミラーの角度を微調整するロックの手つきは心臓手術のきめ細かさだ。

 ロックの問いかけに応じた女の声は、あえぎ声に近かった。

「昔はよくリクエストしたものだわ、あんな天気や、こんな天気を」

 酔いつぶれた彼女は、タクシーをソファかなにかと勘違いしていた。高いハイヒールをぶらぶら吊るすのは、寝そべって隣の席まで渡された端正なつま先だ。

 水商売の絡みで、めいっぱい飲んできたらしい。朱色にほてった頬も、ややきつめの化粧と絶妙にマッチして妖艶をきわめ、胸の谷間の恐ろしいまでの白さとくれば、細身にまとう真紅の中華風ドレスと相互に背徳的なコントラストを演じている。

 満足げに鼻の穴を広げ、ロックはたずねた。

「リクエストってあれかい、お客さん。政府の気象庁に電話して、シェルターの天井に映ってる空をコロコロ変えてもらうやつ?」

「そ。運転手さんもあるでしょ。いとしいヒトに、ロマンチックな景色をプレゼントしたこと?」

 ぶぜんとロックは答えた。

「しょせんニセモノの空です」

「あら、いがいと捨てたもんじゃないわよ。シェルターがなかったころの昔の空は、天気税がかからない代わりになんのワガママも聞いてくれなかった。それが今じゃどう? 夕焼け、三日月、流れ星……抽選に当たりさえすれば、政府がきれいなお空のデリバリー」

 長いまつ毛の下の瞳で、女は窓の外をながめた。暗く深く、夜の森は流れ続けている。

 仕事疲れですこしやつれた女の横顔へ、皮肉げに投げかけたのはロックだ。

「タクシーに乗せた覚えはないぜ、十代みたいに夢見がちなお嬢ちゃんを。大人になりゃ誰だって、クソみたいな政府となんか、電話でだってお話したくはなくなるもんだが。きれいなお空? 背中を丸めてうつむいて、地面の小銭を拾うのが精一杯さ」

「ひどい。政府になにか恨みでもあるの? この空ももしかしたら、運転手さんの愛したヒトのリクエストかもしれないわよ? そう、たとえば、いつかどこかで、あたしの見たがってた夢」

「お客さんの?」

 ゆるくハンドルを切りつつ、ロックは上目遣いになった。

 雲の厚い空の狭間には、ぼんやり雷光まで明滅し始めている。古来より農作物のピンチに捧げられる雨乞いの儀式は、いまや政府がボタンをひとつ押すだけで完了だ。もちろんゴロゴロ鳴るのは市民へカサの用意をうながすサインだし、雨そのものも超広大な防護シェルターの天井に設置されたスプリンクラーの散水でしかない。

 ひと降りきそうだ。

 あくび混じりに、ロックはたずねた。

「見た目と違ってお客さん、農場でもやってんの? たしかに最近、日照り続きだったしな」

「日照り……ええそうよ。あたしみたいな畑は万年、いい男に渇いてる。店に来る男どもときたら、どいつもこいつも衣装のシッポとツメめあて」

「ミミは?」

「別料金ね。ほら、運転手さんもそう。変身する前のあたしの顔になんて、これっぽっちも興味がないんだわ。そうでしょ、そうなんでしょ。あたしだって、いつもはちゃんとした人間なのに。あんな安定剤なんか、ほんとは打ちたくないのに」

 生白い膝の間に顔をうずめると、女はちいさく嗚咽をもらした。本人の疲弊はよくわかるが、これもあえぎ声にしか聞こえない。

 女の頭上、客席と運転席をへだてる強盗対策の仕切りがふいに動く。開いた隙間から薄い布切れをひらひらさせながら、ロックはささやいた。

「ハンカチは、防弾ガラス越しにしか渡せないぜ」

「ありがと。グッときたわ、いま。いつもの血も涙もないドライバーとは大違いね。たまに口をきいたかと思えば、あいつが喋るのはそこまでの運賃だけよ。さっさと消えてくタクシーのテールランプを見送るたび、あたし思うの。男の半分がロマンでできてるってのは、やっぱりただの都市伝説なんだなって」

「おいおい、いっしょにしないでくださいよ。俺だって過去には信じてました。空のずっと高いとこにゃカミサマがいなすって、ふわふわ浮かぶ天使たち」

「だんだん懺悔室の戸に見えてきたわ、この防犯ガラス。じゃあ教えて、神父さま。女の半分は何でできてるの?」

「はんぶん……はんぶんね」

 頭をかいて考えつつ、ロックはタバコをくわえた。

 タバコはくたびれてシワがいっている。火が見当たらない。ズボンとシャツのポケットをまさぐり、ハンドル片手にダッシュボードを開ければ、思わせぶりに助手席へ落ちたものがある。とぼけた目玉の描かれたアイマスクだ。

 しばらく目と目を合わせたアイマスクを、嫌そうに横に捨ててロックは返事した。

「半分は〝さみしさ〟とかですかい?」

「ますます好きよ、運転手さん。でも惜しい。さみしさの比率は全体のたった一割。女はそんなに弱くない。あとの四割はやさしさ。そして大きな大きな残りの五割は……」

 ロックの耳たぶを、しめった風がなでた。

 うすくアルコールにひたした花の香りだ。ふたりの密着を紙一重で邪魔する防弾ガラスを、女のやけに赤い唇が曇らせている。ロックの頭のすぐうしろで微笑みつつ、女は回答を口にした。

「残りの半分はね……モンスターなの」

 ドレスのスリットからのぞくハリのある太ももを、女はゆっくり組み替えてみせた。バックミラーによく映るように。車内の雰囲気まで酔っ払っているようだ。

 火のついていないタバコを呆然とくわえたままのロックを、いたずらっぽく綻んだ女の瞳は鏡から見返した。

「さいきん渇いてない? 運転手さん?」

 気づけば、タクシーの行く手をはばむ霧は、いっそう濃密さを増していた。

 なんだろう。ときおりヘッドライトが照らす木立ちの奥から、視線のようなものを感じて仕方ない。茂みから茂みへ素早く飛び移りながら、決して逃さぬようにこちらを観察する大きな瞳の反射……あっちにも、ほら、あっちにも。野犬や野鹿の類だろうか?

 だらしなくネクタイをゆるめ、ロックは問い返した。

「YESって答えたら、素敵な出入口へ一歩前進?」

「扉の先には、天国よ」

 タクシー内の音楽が、耳障りな雑音に変わるのは突然だった。

 トンネルでもあるまいし、電波が悪いのだろうか。いや、それだけではない。放送局をいじるロックの手をあざ笑うように、制御盤コンソールのデジタル時計まででたらめな文字を吐き出している。

「……聞いたことあります? お客さん?」

 くつろいでいた女は、ロックの変貌に顔色を失った。

 バックミラーに反射するロックの唇が、束の間、つり上がったように思えたのは気のせいか。それはどこまでも残忍で、邪悪な雰囲気をまとっていた。

「な、なによいきなり、低い声だしちゃって?」

「いや、ね。シェルターの天井が天気予定とズレてる日……そう、こんな雲や霧だらけの夜にゃ〝出る〟らしいっすよ?」

 言うが早いか、タクシーはゆるやかに停まってしまった。

 ヘッドライトの光もぷっつり途絶える。おまけに、ただでさえまばらな道沿いの照明までもが、静かに消えてしまったではないか。あとに残されたのは、海底のように深い静寂と暗闇だけだ。エンジンを再始動しようと、ロックがキーを回し続ける音もむなしい。

 不安げに、女はあたりを見渡した。

「ちょっと、どういうこと?」

「こっちが聞きてえ。料金のメーターがパアだ。ポンコツ回しやがって、ったく」

 ふたりの息遣いだけが、暗がりにこだました。先に沈黙に耐えかねたのは女だ。

「おたずねしてもいい? 運転手さん?」

「ああ。エンストの原因と、解決のしかた以外ならな」

「さっき、なんで慌てて音楽にチャンネルを変えたの? あのニュースになった途端?」

 光ひとつない中でも、ロックの顔の強張りははっきり読み取れた。

「どのニュースだ?」

「とぼけないで。ちかごろ話題の失踪事件のことよ。何日か前ので、とうとう九件めだそうじゃない。それにここ、ニュースで言ってた現場の近くよね?」

 ハンドルに突っ伏したまま、ロックはじっと前方の闇を見つめていた。

 その手首で血のような電子文字を刻むのは、銀色の腕時計だ。なぜこの時計だけが無事なのだろう。女自身、充電したての携帯電話が、死んだように動かないのは確認済みだ。

「現場には、家族の車だけが残されてた」

 おもむろにロックは切り出した。

「ああ、なんだ。じつは俺も、例の誘拐事件には興味があってよ。ついさっき通った分かれ道を左にそれて、一キロも走りゃ例の現場には着く。神隠しに遭ったのは、仲のいいウィリアムス一家。アレックス、ジェフ、ヘレン、ケイトの四人家族さ」

「強盗にでも襲われたの?」

「いや、争ったあとがあったでも、なにか盗まれたでもねえ。とにかく家族の姿だけがさっぱり消えちまったんだ。車のラジオはつけっぱなしで、ほうられた携帯ゲーム機の中のマスコットは、いいとこで立ち止まって電池切れを待ってる。おまけに車のシートに落ちてた棒つきキャンディーとくれば、包みを破いてまだ半分もなめちゃいない。ピクニックにしちゃ、えらく息せき切ったご出発だろ?」

「ふつうの子どもなら、どれもそんな中途半端で捨ててくマネはしないわね」

「家族が揃ってキャンプ場を出たのは、ちょうど今ぐらいの時間だっていう管理人の証言もある。夜のど田舎に飛び出して、それきり帰ってこない円満家族……この狭いシェルターの世界だ。政府や警察がちょいと探しゃ、なにかしら手がかりを掴んでもよさそうなもんさ。たとえ誘拐犯が、死体をぶつ切りにしようと、硫酸に漬けようと。ところがどうだい」

「なんの痕跡も見つかってないと?」

「そ。短い時間で九組二十五人も蒸発してるってのに、ガイ者のケツの毛いっぽん落ちてねえ。まともな目撃談ひとつなし。これをやった犯人がいるとすれば、その手際はもう芸術を通り越して魔法の域だぜ」

 お手上げして笑うロックだが、女の声は硬いままだった。

「くわしいのね、運転手さん。そうとう調べたんじゃない?」

「ま、そこそこには」

「というより、まるでその時間帯、その場所に居合わせた当事者みたいな口ぶりだわ。そっか。ラジオのニュースなんか、聞くまでもないってことね」

「?」

「もうひとつ質問いい?」

「なんでも答えるぜ。スリーサイズでも、なんでも」

「このタクシーの運転手はどこ?」

 困ったように、ロックは頬をかいた。

「ほかにちゃんとした運転手がいりゃ、俺もそっちの席でのんびりできるんだがな。よかったら目的地まで運転してくれてもいいんだぜ、お客さん?」

「始末したのね、本当の運転手は?」

「いや、無茶言うなって」

「だってそうじゃない。忘れもしないわ。サーコア第一交通8290番といえば、スティーブ・ジェイスの登録番号よ。店からタクシーを呼んだら、毎回決まって専属の秘書みたいに回されてくる無愛想な運転手。最後にあいつのタクシーに乗ったのは、そう、一週間ばかり前かしら。そんな短い間に、同じタクシー会社が、すでに登録されてる番号を、赤の他人に使い回すなんておかしな話よね?」

 突然の災難と考えられるこの停電が、すべて人為的に作られたものだとしたら?

 そして、こんな凝った演出をする人間の目当てはひとつしかない。うえた獣が身をひそめるのは、真夜中の暗闇と相場は決まっている。

 首の骨を鳴らしつつ、聞き返したのはロックだった。

「じゃあなんだ。誘拐事件の犯人ってのは、俺かい?」

「ほら、また言った」

 女の指摘は鋭かった。

「あたしだって新聞やニュースぐらい見るのよ。政府や警察からする今回の事件のあつかいは、あくまで〝行方不明〟でしょ。どのメディアをほじくり返したって〝誘拐〟なんて文字はない。運転手さんの言うとおり、消えた人間の被害状況どころか、きちっとした実行犯がいるのかさえはっきりしてないからね。なのに、まだどこも公表してない家族ひとりひとりの名前と、起こったばかりの事件の内容をここまで詳しく説明してみせる。真実の曲をこんなにうまく歌えるのは、政府の極秘の捜査官エージェントか、快楽めあての猟奇殺人鬼だけだわ。そう、運転手さんみたいな」

 ふと、女は眉をひそめた。

 おかしな声が聞こえる。見よ。運転手のロックが、くつくつ笑っているではないか。面持ちに後ろ暗い色を秘めたまま、ロックは告げた。

「ただの薬中女だとばかり思ってたが、中身は学者かよ、お客さん。ここだけの話、じつは登録証どころか、車ごとスティーブ・ジェイスの持ち物なんだな、これが」

「!」

「さっき聞いたっけ、本当の運転手はどこかって。おっしゃるとおり、出張中だぜ。地獄へさ。せいせいしたろ?」

 こいつだ。タクシーの運転手に化けたこいつこそが、一連の事件の真犯人なのだ。

 夜闇の中、女は手探りでドアのレバーに触れている。レバーは動くが、かんじんのドアは開かない。閉じ込められたわけだ。全体重をかけて脱出口を押したあと、女はごまかし笑いをこしらえた。

「被害者、あたしで十件め?」

「ご名答」

 ロックのうなずきに、凍えた響きが重なった。

 ああ。その手が見せつけるように掲げたのは、四十五口径の拳銃ハンドガンの輝きだ。護身用の安物ではない。弾倉を抜いて残弾を確かめるや、いきおいよく遊底スライドを引き、くるくる指先で回転させた拳銃を、ベルトと腰の隙間にねじ込む。

 かわいた唇に無灯火のタバコを張りつけたまま、ロックは底知れない意思を舌に載せた。

「お客さんはこれから襲われる。問題の誘拐犯にな。わかっちゃいるだろうが、大声を出したってだれも来ない。おとなしくしてるのが正解だ」

「……あたしなんかには、おあつらえむきの棺桶ね。この狭苦しいタクシーは」

 女はうなだれて脱力した。

 鉄砲を持った大の男を相手に、いまさら何ができるとも思わない。それでも本能的な死の恐怖に逆らえず、女の拳は固く握られて小刻みに震えている。

「人生の終わりってことだし、最後にお願いしてもいいかしら?」

「必要ないぜ、命乞いなら」

「そ、残念。この期に及んでジタバタ抵抗するつもりはないわ。そのかわり、そのかわりよ。あたしの顔、顔だけは傷つけないでくれない? ばらばらに切り刻まれるより、化粧を落とされるほうが嫌なの。ご心配なく。商売柄、見ず知らずのなにかに食べられるのは慣れてるから」

「脱ぐんじゃねえぞ。カゼひく」

 そっけないロックの一喝に、下着のストラップをずらす女の手は止まった。瞳の端に涙をため、絶望的な顔でしゃくり上げる。

「やっぱり、そういうプレイがお好みなのね。ビリビリに破り捨てて、むちゃくちゃに乱暴するプレイが……」

 空が白く染まったのは、次の瞬間だった。

「!?」

 顔の前に両手をかざして、女はまぶしさに耐えた。

 この強烈な投光は、対向車のヘッドライト? ちがう。では、シェルターの天井に設置されたサーチライト? それならどれほどよかったことか。不可思議な光源は、そんなものより万倍もまばゆい。まるで昼と夜が逆転したような明るさだ。いったいなにが起こったのだろう。

「!」

 女の悲鳴は、声にならなかった。

 見てしまったのだ。タクシーの停まる道路の先を。

 それはいた。光明の中に。

 こども? いいや。

 見間違えるのも無理はない。その〝生物〟はやけに小さかった。一般成人の胸もとまでも届かない痩せた体、反対にいびつで大きすぎるその頭部。哺乳類でなければ爬虫類でもない、この世の生き物とは思えない……ただたしかにそれは〝生物〟だった。

 こいつら、どこかで見たことがある。そうだ。失われた空白の記憶を取り戻すため、医療的な退行催眠にかかった人間は、ときおりペンを震わせてこの姿を描く。超常的な〝誘拐アブダクション〟に遭ったと疑われる累計二億人の男女の証言には、つねにこの灰色グレイの存在があった。

 宇宙人エイリアン吊り目アーモンドアイ星々のものヨーマント

 それも一匹ではない。すくなくとも三匹の異星の小影が、タクシーを取り囲んでいる。

「…………」

 客席の窓に無言で顔を押しつけるのは、一匹のアーモンドアイだった。反対側のドアまで飛び退いた女を、興味津々に見つめている。ラグビーの球みたいに大振りで真っ黒なその瞳は、なぜかまばたきという行為を一切しない。

 タクシーのドアは、やがて勝手に開いた。あれほど入念に閉ざされていたアーモンドアイの側のドアまでもが。

 かたや、別の二匹のアーモンドアイに両脇を支えられ、光の向こうへ引きずられていくのはタクシーの運転手だ。なにをされたのか、その体はだらんと弛緩しきっている。

 ただ目を剥いて、女は硬直するしかなかった。コマ落としに似た動きで隣のシートを越え、アーモンドアイの枯れ枝のような指がこちらへ迫ったのだ。

 連れていかれる……

「!?」

 アーモンドアイの悲鳴は、高周波じみた金切り声だった。

 彼らなりの痛みの表現らしい。見れば、おお。気絶したはずのロックが、一匹のアーモンドアイの足を踏みつけているではないか。それも思いっきりだ。

 火のないタバコを口端にくわえたまま、しぶい声は聞いた。

「火ぃ貸してくんねえか?」

 足を踏みにじられながらも、アーモンドアイの手は輝いた。

 空気のこげる香りが漂う。四本しかないアーモンドアイの指先から、粒子の爆発とともに生じたのは細長い光線だ。レーザーメスの数千倍の出力をほこる呪力じゅりょくの刃が、肉薄したロックを素早く焼き切る……

 銃声とともに、アーモンドアイの頭は破裂した。

 まっすぐ伸ばされたロックの片手、拳銃はまだ牙のような硝煙をあげている。

「ありがとよ」

 礼をのべたロックの手は、崩れ落ちるアーモンドアイの腕をつかんだ。消えゆくその指先の光熱で、なんとタバコに火をつける。

「いや~、釣れた釣れた。おとり捜査って知ってるか、おまえら?」

 紫煙を吹いて語りつつ、ロックは残る二匹に視線をやった。

「おまえらが俺に食いつくまで、この片田舎をオンボロタクシーでなんべん行き来したことか。お客の姐ちゃんにさんざ変態扱いされて、ようやくわかったよ。こんな範囲の広い職場は、俺の性分にゃ合わねえ」

 首から上を失って黒い汁をたらす死骸を、ロックはぼろくずのように投げ捨てた。

 足もとまで転がってきた同胞のなれの果てを前に、二匹のアーモンドアイも思わず後退っている。人工の月明かりに逆光になりながら、ロックは続けた。

「ここ一か月のうちに、このへんであった九件の失踪事件。おまえらの仕業だってことは調べがついてる。さらった二十五人は元気か? いや、な。どんな形でもいいんだ。血を抜き取ってようが、臓器だけの有様だろうが」

 アーモンドアイたちの変化は唐突だった。

 どこから湧いたのだろう。ひ弱な手足を、肥大した頭を瞬時に包み込んだのは、謎めいた硬質の装甲だ。虚空から次々と生まれる球状のそれは火花をこすりつつ連結し、たくましい巨体を形成。あっという間に地上二メートルを超える高さまで立ち上がる。

 文字どおり、小人は金属の巨人と化したのだ。

 それは、アーモンドアイが常用する一種の強化外骨格パワードスーツだった。特大のバランスボールを思わせるヘルメットに開いた単眼は、狂ったようにあちこちをさ迷っている。

 個体名〝ジュズ〟

 単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……

 タバコを叩いて灰を落とし、ロックは名乗った。

「こっちも自己紹介しなきゃな。俺は特殊情報捜査執行局Feature Intelligence Research EnforcementFireファイア〟の捜査官エージェント……おまえら専門の殺し屋だ」

 殺気に張り詰めた空気の中、ジュズどもに言葉はない。仲間の仇へ迫る二体が漏らしたのは、重厚な超合金の足音だ。

 親指で背後のタクシーを示し、ロックはたずねた。

「お客さん、どちらまで?」

 森の闇を、爆光が駆けた。

 ジュズの単眼がかっと輝くや、糸のように集束した呪力の光条ビームがタクシーを正面から叩き斬ったのだ。まるで野菜だった。だが、ガソリンの炎と煙を反射する残骸から、ロックの姿は消えている。

 どこへ?

 ジュズの頭に、銃口が触れた。

「!?」

 ジュズの眼球が、上を見たときにはもう遅い。そこを起点に空中で倒立したロックの拳銃は、ゼロ距離から立て続けに火を吹いていた。撃つ撃つ撃つ撃つ。硝煙のすじを残して縦横無尽にきりもみ回転するや、ロックは片膝をついてジュズのうしろに降り立った。

 道ぞいの芝生をバウンドしたのは、失神した客の女だ。あの一瞬で、爆発するタクシーからロックが助け出したらしい。ずば抜けた反射神経だった。

 一方、ロックと背中合わせになったジュズは動かない。集中砲火を浴びた顔から、静かに煙を漂わせている。カラの薬莢がアスファルトに跳ね返る響きを聞きながら、ロックは独りごちた。

「死んだよな?」

 驚きだった。

 撃たれたはずのジュズの顔には、傷一つついていない。地球外の呪力で編まれた装甲に阻まれ、ひしゃげた弾頭はすずしい音をたてて道路に落ちている。

 そのジュズの瞳は、振り向きざまに熱線でロックの首を刎ねた。

 夜気に散ったのは、焼け焦げた数本の毛髪だ。地面ぎりぎりまで身を伏せ、ロックは必殺の光刃をかわしている。それを追い、四つん這いになって灼熱の眼光をまたたかせたのはもう一体のジュズだ。横薙ぎの一閃を限界まで仰け反って回避したロックだが、今度はその顔を、唐竹割りに放たれた三筋めの光芒が襲う。

「よけきれねえ!」

 叫んで、ロックはその場で回転した。同時に二連射。阿吽の角度と時間差をもって光るジュズたちの頭部を、着弾の衝撃があさっての方角へそらす。

 それぞれ道路と樹木を切開したジュズたちの間を、ロックはすかさず擦り抜けた。踊るようにターンを切って立ち止まったとき、ロックの靴底はあまりの運動量と摩擦に白煙をあげている。

「帰りてえ」

 ぼそりと嘆いたロックの唇から、なにかが落ちた。超高熱の光条に、なかばから断たれたタバコの先端だ。

 受けた銃撃など他人事のように、ジュズたちはふたたびロックへ振り向いている。どう考えても人類ごときに勝ち目はない。フィルターだけ残ったタバコを、ロックは横に吐き捨てた。

「あんまりやりたくなかったんだけどな、こいつは。寿命が縮まる」

 拳銃をぶら下げる片手を、ロックはゆっくり握っては開いた。微妙な感触を確かめるようにそうしながら、続ける。

「俺の体は、充電式の乾電池とよく似ててよ。ま、充電器なんざどこにもねえが」

 なんのまじないだろう。

 前進するジュズに対して体を横向け、しっかり大地を踏みしめたまではいいが、ロックよ。そのまま目までつむってしまうとは何事だ。持ち上げた拳銃を静かに額に当てるさまは、祈りを捧げる僧にも似ている。

 ロックの腕に一瞬、電流らしきものが走ったように思えた。

「右の頬をぶたれれば、って知ってるか?」

 未知の呪文を口にしたロックの足もとは、暗くかげった。

 圧倒的な怪物が目と鼻の先に接近しても、ロックは祈りの姿勢のまま動かない。その頭上、嬉々としてジュズの単眼は光った。

 銃声。

「!?」

 いきなり弾け飛んだジュズの機体は、配線と破片の類で道路を散らかした。

 ジュズの驚愕もしかたない。吹き飛んだそいつは、いまや右半身のほとんどを失っている。戦車砲の直撃にも耐えうる異次元の装甲が、いともたやすく破壊されたのだ。それもたった一発の銃弾によって。

 どういう原理だろうか。ロックの片手をスタートし、弾丸が猛スピードで通り過ぎた軌跡は、夜目にもほのかに輝いて見える。その弾道も、徐々にほどけて消えつつあった。ほどける?

 そう、まるで、ひもの繊維がほぐれて広がるように、銃撃の足跡は散ったのだ。すっかり直線の形を失い、闇に溶け込むその光を、刹那、人はあるものに錯覚しただろう。

 抜け落ちた白い羽根に。

 大破して地面を転がってくるジュズを、残る一体は跳躍ひとつで飛び越えた。呪力を最大限まで高め、光る柱と化した熱線でロックを焼き潰す。

 クレーター状に道路は陥没した。だが、狙った場所にロックはいない。いや、いた。ジュズの真横に。そちらを見もせず、銃口だけがジュズのこめかみに触れる。

 ロックの拳銃にほとばしったのは、激しい稲妻だった。

 これは、人類が失ったはずの呪力?

 いや、最先端の科学に裏打ちされた超小型の電磁加速砲レールガンだ。

「お客さん、どちらまで?」

 つぶやきとともに、ロックは引き金をひいた。

 照準のおよそ十キロ先、おびただしい羽根を舞い上げて爆発したのはシェルター都市の壁面だ。胸から上をまるまる消失したジュズは、かすかに身を震わせたかと思いきや、勢いよくその場にばらけた。散り散りに分解した球体装甲の山では、奇怪なアーモンドアイの本体が倒れて痙攣している。

 激しい光に、ロックは目を細めた。

 夜闇に浮かんだそれはもう〝空飛ぶ円盤〟としか言いようがない。そのサイズは、差し渡しで十メートルはある。わずかなエンジン音もなく森の上に滞空するそれを、旧世紀の目撃者は神や天使と呼んだのだ。

 極彩色の照明がまたたくUFOの船底には、重力の法則をあざ笑うように乗員が吸い込まれていくところだった。最初に機体の右半分を消し飛ばされたあのジュズが。

 電光の残滓を漏らし、ロックはささやいた。

「十二時の鐘には、まだ早すぎるぜ?」

 みるみる夜空を遠ざかるUFOめがけて、ロックは拳銃を跳ね上げた。

 しかし、ただのクレー射撃とはわけが違う。突発的にかき消えた地球外の乗り物は、急に照準の外に脱したかと思えば、また反対側の空へ現れたりを連続した。しかも早い、速すぎる。こちらの狙いが読まれているかのようだ。めまぐるしく上下左右するロックの銃口に合わせ、UFOはたくみに航路を揺さぶって逃げる、逃げる、逃げる。俊敏なピラニアを思わせるその機動性には、高精度の追尾ミサイルでも追いつけそうにない。

 そのまま一秒がすぎ、二秒がすぎた。

「無理」

 そう溜息をつくと、ロックは銃を下ろして夜空に背を向けてしまった。

 いや、まだだ。見よ、ロックの腕から拳銃にかけて駆け巡った電流を。

 異常な光景だった。

 かすかな明滅とともに甦った数百の電灯が、こんどは道路にそって端から端へ破裂し始めたではないか。それだけではない。まっぷたつになって炎上するタクシーさえもが、たしかに一瞬、盛大に音と光を放って沈黙した。芝生で眠る女のバッグが焦げ臭い煙をあげるのは、中の携帯電話がショートしたためだ。

 およそ考えられるありとあらゆる電源が、限界を超えて力を搾り出されていた。ついでに、はるか遠くにきらめく市街地のネオンまでもが一区画ずつ暗黒に飲まれていく。こんなとてつもない量のエネルギーが、いったいどこへ?

 ロック・フォーリング……道路のど真ん中に立つこの男だ。割れた電灯から、ときには地下の送電線を伝い、電気製品の数々からこぼれる稲妻の奔流は、あきらかにロックへ集中しつつあった。ほかの明かりが消えるにつれ、拳銃を起点とする発電は加速度的にその輝きを強めている。

 食っているのだ……電力を。

「知ってるかい。こんな雲だらけの晩にはんだぜ……俺が」

 逃がさない。あいつらだけは、絶対に。

 振り向きざまに、ロックは銃爪を引いた。

 雷音……マッハ十にも達する速度で銃弾を運んだ光のらせん模様から、はらりと舞ったものがある。まるで、美しい翼がたったいま置き忘れていったかのような羽根。この剽軽な男には、悲しいほど似合わない天使の羽根。

 銃口の硝煙を吹き消すと、ロックはターゲットから身をひるがえした。鮮やかに掌で回転させた拳銃を、ベルトの腰に納めて言い残す。

大当たりブルズアイだ」

 空のかなたで、UFOは爆発した。
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