紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月5 -始壊-

5章 訪れない休息

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「人が作った危険という認識は人自身、認識しているとは思えない。」


翌日、お店に戻った私は居間で麦酒を飲みながら報道を眺めていた。現地に居
たのだから、その後の経過が気になって。国が変わっても事が事だけに報道は
絶えない。
モフェグォート山脈の陥没は、直径約五キロメートルくらいらしい。現地で亡
くなったのは服装からザンブオン領の兵と判明しているが、呪紋式の発動には
巻き込まれただけで、関与については一貫して認めていない。死者数が公表さ
れていないのはザンブオンの隠蔽だろう、派遣していた事を隠すための。
あの場に居たのだから発動させたのはザンブオンで間違いないと思うけれど、
見ていたわけじゃ無いから確証はない。ユエトリエリがザンブオン兵と闘った
という言質が精々だろう。死者は何も語らないし、どれも想像の域を出ない。
ユリファラは引き続き状況を確認するため、ターレデファンに残っている。国
家間が不安定のため残らざるをえないのだろう。まあ不安定というか、一層険
悪になっただけだと思うのよね。戦争が始まる事になるか、落ち着いたら戻れ
る予定らしいけれど。
呪紋式が発動しその衝撃を受け、山脈の陥没を目の当たりにし、多くの死体と
臭気に晒されたんだけどな。グラドリア国の王都アーランマルバは平和で、お
店を含め何時もの日常に戻って来た。そのせいか、何処か夢だったんじゃない
かと思いさえする。
だから報道を見ても何処か遠い国のように感じる、私は本当に現地に居たんだ
ろうかと。
でも嫌な現実はしっかりと記憶に刻み付けられた。それはモフェグォート山脈
で起きた事もそうだが、私がアラミスカを継承しているという現実を思い知ら
された事だ。それが無ければ破壊など出来はしなかったけれど。
そこである疑問が浮かぶ。おそらくアラミスカ家の人間はあの呪紋式の存在を、
知っていたのではないかと考えた。であれば破壊する術を持っていて放置して
いた事になる。現代に存在を残した理由は何か、敢えて残したとしたのならそ
れは大きな業じゃないのか?メーアクライズが消え去った事も業だが、それよ
りも遥かに大きく深い業を。
あくまで仮定でしかないけれど、もしそうならなんてものを残してくれやがっ
たんだ。私はその業を背負わされて生きなければならない。個人の夢とは関係
なく、どう生きようと付いて回る事からは逃れようが無い。考えるだけで生き
ている事に嫌気が差してくる。
(私、どうしたらいいんだろうな。)
麦酒を口に運んだが空だった。新しい麦酒を冷蔵庫から出して、開栓すると喉
に流し込む。冷たい液体が胃に流れ込んでいく。
(ターレデファンは寒かったな。)
そんな事を思い出して椅子に座ると、テレビをまた眺める。ターレデファンの
件はもう流れていなかった。

翌朝、目が覚めるとリュティが朝御飯を準備していた。テーブルに置いてある
麦酒の缶は空だったので、昨夜は飲みきってから意識が飛んだのだろう。
「おはよ・・・」
「飲みながら寝るのはやめたら。」
飲みきったもん。それはさておき、言っている事はわかるのだけど、ついね。
「シャワー、浴びてくる。」
「分かったわ。」
リュティも何事も無かったように振る舞っている。内心までは分かりはしない
から、どう思っているのかなんて分からないけれど。
今のところ組織の事についても、私のところに来た目的についても話していな
い。私が聞いたら話してくれはするだろうけど、聞くつもりはない。本人が話
さないのもそうだ、必要なら勝手に話すだろう。私から促すのも違う。
今までの出来事からすれば、リュティだって私が色々気付いている事は分かっ
ているだろう。それでも話さないでいるのは、私に気を遣っているんだろうな
って思う事にしておく。
「さて、今日もお店を頑張るか。」
シャワーを浴び終えた私は一人呟いて、リュティの用意した朝御飯を食べに戻
った。

開店してカウンターを前に座り呆とする。休店が四日間ですんだのは良かった
気がしている。幸いな事に、司法裁院からの依頼も来ていなかった。郵便受け
に入っていて、遂行日が今日とか明日とかだったら流石に辛いもの。
お客さんの出入りはあるが、今のところ何も売れてはいない。リュティは店内
の棚を磨いている。そう言えば、小型端末を買ってあげないとな。操作にあた
ふたするところを見て笑ってやらないと。それもそのうちね、今日は疲れが抜
けていないから動きたくない。
薬莢の依頼も全く無いし、減った薬莢の補充でもしようかしら。私はそう考え
て立ち上がる。
「ちょっと記述してるから、あとよろし・・・あっ!」
作業場に移動しようとしてリュティに声を掛けて思い出した。
「どうしたの?」
頷こうとしたリュティも怪訝な顔をする。
「あぁ、サラーナの事をすっかり忘れていたわ・・・」
「言われてみればそうね。」
此処で働き出して間もないから、居ないことが普通だと思っていた。そういえ
ば居たよ。リュティもおそらく同様なんだろう。
私は小型端末を取り出すと、サラーナに文書通信で今日から再開と送信した。
少しあとに返って来た文書通信では、今日はお城での作業が決まってしまって
いるので、明日から来るそうだ。ま、忘れていた私が悪いので特に文句は無い。
給与も国が支払っているのだから、城での作業を優先してもらうのも全然構わ
ないし。
「明日からまた来るってさ。」
「そう。」
「じゃ、よろしく。」
「ええ。」
私は作業場に移動すると、薬莢の記述を始める。不足分もそうだが、納品用の
記述も少しやっておこうと思った。製薬会社に入れる麻酔の薬莢は、このお店
にとっては重要な収入源なのだから。

気分が乗って記述が調子良かったので、少し遅めのランチになった。リュティ
と二人でランチを終え、カウンターを前に座って間もなく、お店に入って来た
お客さんが真っ直ぐ私のところに向かって来た。私はそのお客さんを目にする
と、睨み付ける。
「二度と私の前には現れないんじゃなかったっけ?」
「そのつもりでしたが、人手不足なんですよ。それに何故か、上層部では貴女
の評価が高いのです。」
「いい迷惑よ。」
私の前に現れたのは司法裁院の高査官、ネルカだった。モッカルイアでは煮え
湯を飲まされた挙げ句、人を馬鹿にして去っていったむかつく奴だ。二度と自
分から依頼はしないと啖呵を切ったくせに。
「私も同感です。」
「だったら意地でも突っぱねなさいよ。」
「出来たらそうしています。」
相変わらず嫌な奴。
「用件だけ伝えます、受けますか?」
嫌みを言っている時点で用件だけじゃないじゃない。
「内容によるわね。話すなら奥で聞くわよ。」
「分かりました。」
私はしょうがなく、リュティにお店をお願いして作業場へネルカを連れて移動
した。
「で、内容は?」
ネルカは早速鞄から依頼書を取り出して、私に差し出して来た。何か言えよ。
受け取った私は内容を確認する。名前はザスカイン・エーラッド四十八歳、フ
メリグス警備会社の専務らしい。
(またろくでもない依頼じゃないでしょうね。)
前に受けた依頼じゃないが、お偉いさんは特殊な感性を持っている人が多いよ
うな気がする。そんな事を思いながら続きを見る。本社はグラドリア国内だが、
他国でも事業展開を成功させ、支社を幾つも持っているようだ。表向きは凄い
わよね。
「ザスカインですが、犯罪を行っているわけではありません。」
「はっ?それだと司法裁院が動いている意味が分からないわ。」
突然説明を始めたかと思えば意味不明だ。
「裁院は別に、犯罪者だけを追っているわけではありませんよ。」
ああそうですか。そんな事情を末端の担当者が知っていると思うなよ。とは、
むかつく事を言い返されそうなのでやめておく。
資料によればザスカインは、会社拡充のため呪紋式を求めて動き回っているら
しい。それもあの危険なやつだ。特に発現したオーレンフィネアでは躍起にな
って探しているらしい。それとは別にナベンスク領の呪紋式は場所の特定が出
来たようで、本人も現地入りしたのだとか。
「げ、ナベンスクに行かなきゃならないのか・・・」
「本来は別の人に頼みたいところなんですが、その依頼書が下りて来たとき、
既に貴女が指定されていました。」
おいおい。何で名指しなんだよ。ってこんな事をする奴は知れている。あの執
政統括め、余計な事をしやがって。
「大体なんで場所が一般人に知れているのよ。」
「どうも領内にある何処かの酒場で、口にしていた老人が居たらしいのです。」
阿呆か。まずその老人の口を塞ぐべきね。
「分かった、受けるわよ。」
「そうですか、詳細は確認しておいてください。期待しないで待っています。」
「一言余計なのよ。」
「では私はこれで失礼します。」
人の話しは聞かずにネルカは言うだけ言うと去っていった。ああ、腹立つ・・
・。なんなのよあいつ、本当にむかつくわね。そこへ入れ代わりのように、リ
ュティが作業場を覗いてきた。珍しい。
「どうしたの?」
「今の話し、私も聞きたいわ。」
そう来るだろうと思った。受けた理由の一つだが、リュティはきっと向かうの
だろうと思ったからだ。そうなるとモフェグォート山脈の件に巻き込んで来た
のだから、この件も付き合わされる可能性が高いと思った。
「いいわよ。」
私は店内に戻ると、お客さんが居ない事を確認した。全然嬉しくないが、丁度
いいのでさっきの話しをリュティにも伝える。
「以前、私が数日留守にした事があるでしょう。クスカに朝御飯を届けさせた
時なんだけど。」
「ああ、あったわね。」
それと関係があるのか。あるんだろうな、無かったら暫く口をきいてやらない。
「それがナベンスク領の呪紋式よ。侵入者排除に行ったのだけれど、その侵入
者が酒場で情報を聞いたのよ。」
「はた迷惑な・・・」
大体なんで老人がその情報を知っていて、しかも言いふらしてんのよ、馬鹿な
の。話しているリュティも浮かない顔をしている、同じ事を思っているのだろ
うか。その場で見付けたら暫く動けないようにしてやるわ。
「その迷惑な老人、心当たりがあるのよ・・・」
リュティが言いずらそうに言った。心当たりがあるですって、浮かない顔はそ
れが理由か・・・っ。ておい、まさか。
「あのジジイかっ!」
「ええ、グベルオル老で間違いないと思うわ。」
護る側の立場のくせに何をしてくれてんだ。本当の馬鹿じゃないか。そんな奴
は組織に居ても迷惑だろうに、始末した方がいいんじゃないか?
「ごめんなさい。」
「いやいや、リュティが謝る事じゃないでしょう。」
何考えているんだ、本当に。待てよ、この前会った事で何となく理由の想像が
つく気がするわ。いやいや、まさかね、そんなくだらない理由で危機を発生さ
せるわけ無いわよね。
「寂しいから言ったとかじゃないよね?」
自分でも何を聞いているんだと思いつつ、気になったので聞いてみる。監視す
る側の人間がそれだったらもうそんな組織、滅んでしまえ。だが私の願いとは
裏腹に、リュティの顔は晴れずに顔を逸らしている。
・・・
「今すぐそのジジイ殺せ!阿呆かっ!」
私はリュティの反応を肯定と取ると、思わず叫んでいた。丁度そこへ、お客さ
んが入って来ていて驚いた顔をしている。
やってしまった。
慌てて出ていくお客さんを見て、私は消沈するしか無かった。きっと、あのお
店の店員はジジイ殺せとか叫ぶ危険な人よ、とか噂になっちゃうんだ。
「その、ごめんなさい。」
凄く申し訳なさそうにリュティが謝ってくる。リュティのせいでは無いが、も
う手遅れよ。自業自得なのよ。いや、グベルオルとかいうくそジジイのせいだ、
絶対許さない、今度会ったら絶対殴ってやる。
私は気力が無くなって、薬莢の記述もまったくする気がなく、カウンターを前
に呆然と過ごすしか無かった。

その夜お店を閉めて、カフェ・ノエアでやけ酒よろしく麦酒を煽っていると小
型端末が音声呼出を知らせた。知らない連絡先だが、何となく予想は付いてい
た。
「良いように使ってくれるわね。」
私は呼出に応じると第一声でそう言った。
「やはり気付きますよね。」
リンハイアは気付かれるのが前提のように言った。ターレデファンの件が在っ
ての今回の依頼だ、気付かない方がおかしい。それは同時に私の特異性を利用
したものだという事が分かってしまう、忌々しい事この上ない。依頼に関して
はユリファラの報告が起因ではないかと思える。ユリファラの事を責めるつも
りは毛頭無い、判断を下すのは上司であるリンハイアなのだから。
「それで、何が目的なわけ?警備会社の専務が目的じゃないのでしょう。」
予想は付いているが聞いてみる。
「はい。ナベンスク領にある呪紋式の存在を、モフェグォート山脈と同様に破
壊して欲しいのです。」
「それは少し考えさせて欲しいわね。」
壊せるかどうか不明だけど、それ以上に壊した事による影響の方が気になるわ。
モフェグォート山脈では後先考えずに試してしまったけれど。まあ、石柱以外
は崩壊していたわけで、剥き出しになった呪紋式を利用出来ないようにしたか
ったのもある。記述すればおそらく使えるはずだから、あの場に集まったター
レデファンと北方連国の連中が目にすれば争いの種にもなるわけだし。
「慎重ですね。」
「何も考えて無いとでも思っているの?」
馬鹿にしているのか。
「いえ。扱いについてはもう少し考慮が必要なのは分かっています。私として
は懸念する対象は減った方が、都合がいいのですが。」
言いたい事は分かるが、やるのが私なら迎合してやるつもりは無い。壊したい
と思っているのなら、権力を使ってでも自分でやれと思う。
「用件はそれだけ?」
「もう一つ。現地にはグラドリア国軍を滞在させています。勿論、呪紋式を護
るためですが、出来ればそこに辿り着く前に終わらせて欲しいのです。」
「なんで・・・いや。兵を無駄に割きたくないって事?」
何でナベンスクにグラドリア軍が居るのよって言いそうになったけれど、戦争
中なのよね。同盟国であるグラドリアが軍を派遣していても不思議じゃないか。
「違います。軍が其処に居ると知られたくないのですよ。」
そういう事か。要請で軍を派遣したにも関わらず、戦線に参加させずに遊ばせ
ていたとなれば大問題だ。グラドリア軍はその場所に居ない、という嘘を事実
にしたいわけだ。
「そういういざこざに巻き込まないで欲しいわね。」
「察しが良くて助かります。」
こいつ、絶対いつもの微笑を浮かべて言ってやがるな。国家間の問題になりそ
うな事に平然と巻き込んで来て、本当に腹立たしい。
「保証は出来ないわよ。」
「はい。事情を知っておいて欲しかったのです。」
良く言うわ。
「貴女の事は戦線に居る軍司顧問から伝えるようにしておきます。」
げっ。あのジジイも居るのか、出来れば会いたくないわね。
「公にはグラドリアに居る事になっていますので、留意頂ければ。」
ああもう!余計な情報ばかり言ってくれて、どれだけ厄介事に巻き込むのよ。
戦争中の国に放り込まれるってだけで嫌なのに、要らぬ事にまで首を突っ込ま
せてくれるわね。
戦闘になっているのは国境だっていう話しだから、流石に巻き込まれる事は無
いと思いたい。
「殴っていい?」
「必要とあらば。」
言うと思ったけどさ。
「ではお願いします。」
リンハイアは用件だけ言うと通信を切断した。本当にろくなもんじゃない。良
いように使われている気がして、なんか納得いかないわ。
だけど呪紋式に関しては他国でも、他人事では無いのよね。使い方次第では。
グラドリアが渦中になってしまうと、お店が続けられなくなる可能性も出てく
る。それを含んでの依頼だろう、リンハイアめ、人の足元を見やがって。
「ややこしい話しになっていそうね。」
「単にリンハイアの嫌がらせよ。」
通信が終わった私に、向かいで葡萄酒を飲んでいるリュティが心配そうに言っ
てきた。
「ああそうだ、サラーナに言っておかないと。また数日留守にするって。」
「彼も大変よね。」
「いい迷惑でしょうね。文句は執政統括に言って欲しいわ。」
私は言いながら、小型端末でサラーナに文書通信を送った。勿論、カマルハー
を通してでもリンハイアに文句を言えと含んで。
「何時、発つの?」
「明日には。」
早めに動かないと、司法裁院でも行動日までは掴めていない。ザスカインがナ
ベンスク支社に移動したところまでしか確認出来ていないらしい。現地で動向
を探れとか、面倒臭い限りだけどやるしかないわね。
「サラーナから言えませんって返って来た。」
「ミリアと違って縦社会なのよ、言えるわけないでしょう。」
私だって弁えているわよ。私がリンハイアに突っ掛かるのは、自分の都合で私
を利用しようとするから。私の都合なんてお構い無しだもの、そりゃ腹も立つ
わ。むしろ死ね。
「リュティも行くでしょう?」
「当然。グベルオル老の尻拭いじゃないけれど、お灸はすえてあげる必要があ
るわ。」
やっぱりリュティも怒っているんだな。まあ当然よね。ナベンスクであれば、
ターレデファンよりも近い。とはいえ五時間程はかかったと思う。アイキナの
方が近かったなと思うが、考えてもしょうがない。それより、電車での長距離
移動かと思うと、そっちの方がうんざりする。また移動中に薬莢を記述しない
とな。
「そう言えば、水の都イニャスよね。」
「そうね。」
「料理が楽しみだわ。」
モッカルイアにも負けない水の幸と高原の幸、両方を楽しめそう。戦争中とは
いえ、不安はあっても街は機能していると思うのよね。また麦酒が進みそうだ
わ。
「飲み過ぎないようにね。」
うっ。見透かされている。 



「本当に破壊されていたので間違いないと。」
「そうだ。私も現地でユエトリエリと確認したのだ、間違い無い。」
リンハイアの確認にクスカは答えたが、その顔は浮かないように眉間に皺を寄
せている。今は一段と険しい表情になっていると、アリータにはそう見えた。
リンハイアはその答えに満足そうに笑みを浮かべている。
「悲願だったのではないですか?」
「我々の手で行ったのであればな。」
ユリファラの報告からミリアが行ったのは聞いていた。それが本当かどうか、
確認しているのだがクスカにとっては納得がいっていないように見える。アリ
ータには、ミリアがやったという事が気に入らないように感じた。
「それより、こちらはナベンスク領の事は望み通り進めました。」
「分かっている、私の読み間違いだったのだ。申し訳ない。」
「ターレデファンと北方連国の流通は、早くても数ヶ月は無理でしょうね。」
そのリンハイアの言葉に、アリータは驚きを隠せなかった。嫌味を言うのを、
アリータが知っている範囲では聞いたことなど無かったから。
「ここ最近で四ヶ所の侵入と、二ヶ所の発動が確認出来ている。近年までこの
様な事は無かったのだ。」
クスカのいう事が本当であれば、四ヶ所は多すぎるとアリータは驚愕した。あ
の規模の呪紋式が四ヶ所とも発動していたら、既に発動している二つが悪意の
ある者に渡っていたら、そう考えると。
「その為にアン・トゥルブが存在すると言っていた筈です。近年の呪紋式技術
は進化が早く求める方も貪欲です、何れこうなる事は見えていたのでは?」
今までは良かったのかも知れない。組織の人員が減り、対処出来なくなってき
たというのもあるのだろう。だが予想出来うる事態なのだと、リンハイアは姿
勢を問うように言った。
「確かにリンハイア殿の言うとおりだ、我々の見通しが甘かったのはあるだろ
う。ただ、我々の存在も有限だ、本来は扱う側の問題を転嫁しないでもらいた
い。」
クスカの言うことも尤もだと、アリータは考えさせられる。各々の事情があり
求めてしまう、人の欲がそうさせる事を見てきたのだから。ラウマカーラ教国
がもし大呪紋式を手にしていたら、あの戦争の結末も変わっていたかも知れな
い。手にすれば使っていただろうと思える。
「仰る通りです。知られていないからこそ、孕んでいる危険を認識出来ない。
オーレンフィネアとモフェグォート山脈の件は、多くの人が知る事となった教
訓でしょう。大概の人はその恐怖から危険な存在だと知るきっかけになったで
しょうが、比例して求める人間が増えるのも現実。」
「故に協力が必要だとして、我々は此処に来ているのだろう。」
今まではそれで良かったかも知れない。だが今はその段階を通り過ぎた。そん
な事はアリータにも容易に考えられた。問題はその先にあるのだと。
「私が言いたいのはもう考えを改めなければならないという事です。方針の転
換が必須、ミサラナ殿と会話をする場を設けて頂けないでしょうか。」
リンハイアの提案にクスカは顔を下に向け、唸る様に声を漏らし考える素振り
をする。そんなに悩む事だろうかと、アリータは疑念を浮かべた。会話の内容、
現在の情勢からすればその段階では無いだろうと思えているから。
「何か問題でも?」
「いや。」
促すリンハイアの問いに、クスカはそう言って顔を上げた。
「私の一存で決められるものでもない。ミサラナには進言しておこう、返答は
それからでもいいだろうか?」
「勿論です。」
「分かった。」

クスカとの話しはそこで終わり、執政統括の部屋にはいつも通り二人が残る。
「まさか長年存在するものを壊してしまうとは思いませんでした。」
ユリファラからの報告で、ミリアが行った事を未だ半信半疑でアリータは口に
する。それが可能なら、大陸を脅かす脅威を取り除く事が出来るかも知れない。
そんな希望も持ちながら。
「引き込め無いが、結果としては上々だ。」
「知っていたのですか!?」
返って来たリンハイアの言葉に、アリータは驚きの声を上げた。彼女が可能だ
と知っていたから、執拗に引き込もうとしていたのかと。
「知っていたわけでは無いよ。おそらく可能だろうという程度だったが、今回
それが証明された事になる。」
何故彼女が可能だと、リンハイアは分かったのだろうか。心当たりがあるとす
れば、彼女の家名だが。アラミスカ家とは一体どんな存在なのか、そこまでア
リータには分からなかった。だがリンハイアは知っているのだろう、だからこ
そ予想出来たのだと。
「私も詳しくは知らないのだ。所詮伝聞でしか聞いた事のない話しだからね。」
「ミリアさんは酷く嫌悪していましたが、やはりアラミスカ家が関係している
のですか?」
「私の考えではね。」
子細は語らなかったが、リンハイアの言葉は肯定だった。一体彼女は何を抱え
ているのか、アリータは気になったが本人から語られる事は無いと思えた。あ
れほどの嫌悪を見せられては、聞こうなどとは思えないのだから。



イニャスに着いた私は、匂いに釣られて一件のお店に入った。夕方の店内は既
にお客さんで溢れ、喧騒に包まれている。空いている席に案内された私とリュ
ティは、早速麦酒と葡萄酒を注文した。
「この、本日のアクアパッツァが気になる。」
「今日入った魚介類で作るところが、興味をそそるわね。」
そうなのだ。折角水の都に来ているのだから、堪能しなくてはならない。今日
くらい司法裁院の事は忘れ、好きにしてもいいわよね。
「高原豚の厚切りベーコンソテーも美味しそうだわ。高原キャベツのマリネと
共にだってさ。」
「いいわね。さっぱり食べられそうだわ。」
そこにお酒が運ばれて来て、リュティとグラスを掲げると早速喉に流し込んだ。
うん、美味しいわ。普段飲んでいる麦酒と比べ、知らない土地で飲む麦酒は気
分も違ってか、美味しく感じる。ついでに料理も注文したところで。
「明日はフメリグス警備会社の場所と、あれの場所を確認しようと思うの。」
仕事の事は忘れようと思いつつも、方針だけは決めておかないとなと思い口に
する。
「現地にはグラドリア軍が滞在しているらしいけれど、私が行くことはハイリ
経由で伝わってると思うから確認は問題ないでしょう。」
と、思いたい。
「それなら、グベルオル老の家を使わせてもらいましょう。ここからだとどち
らも距離があるのよ。」
あのジジイか、関わりたくないなぁ。
「行かせないのが目的だから、出来ればイニャスでの監視が望ましいのよ。」
「言われてみればそうね。手分けした方がいいかも知れないわ、私がグベルオ
ル老のところで監視するのはどう?」
なるほど、それはありだ。見落とした場合の保険になるもの。だがその案には
穴がある。
「でもリュティ、連絡はどうするのよ。ね、小型端末が必要でしょ。」
「大丈夫よ、これくらいの距離ならなんとかなるわ。」
ああ、その手があったか。ちっ。
謎の移動方法が。呪紋式なのかなんなのかよく分からないけれど、反則くさい
能力があったわね。
「じゃあそうしましょう。最初に会社、経路を確認しつつ目的地に向かって、
最後にジジイの家まで行って解散。」
「分かったわ。」
滞在先が判れば夜にでも行くのだが、そう都合良くはいかないだろう。会社の
前で待っていたとしても会えるかも分からない。そう考えると面倒臭いわね。
やったことは無いが、尾行が現実的かもしれない。
ただ、司法裁院の高査官経由って事は一筋縄ではいかない可能性が高い。しか
も国外となると、ハドニクスの件を思い出してしまう。しかも隣の領じゃん、
なんか気分悪くなるわ。
「今夜はホテルでしょう?」
「うん、取ってないけれど。」
すっかり忘れていたわ。まあ戦争中だから空いているんじゃないかな。でも不
安なので今日は早めに切り上げようかな。
「やっぱり料理美味しいわね。」
追加の麦酒を注文しつつ、運ばれて来た高原豚厚切りベーコンを頬張って言う。
「本当ね。高原キャベツのマリネとの相性がいいわ。」
これはさっぱり食べられるし、お酒が進む。ザスカインの暗殺とかどうでもい
い気分になるわ。まあ、そうはいかないけれど。
「それより・・・」
そんな事を考えていると、リュティが真面目な顔になって口を開いた。
「ん?」
「あれの破壊はどうするの?」
何の話しかと思えばそれか。正直、答えは出ていないのよね。誰かがやってく
れるのなら楽なのだけど、私はそんな重責を背負いたくはない。例えばリンハ
イアが責任を取ると言ってくれたとしても、直接行うのは私だ。必ず自分が行
った事が圧し掛かって来るのは目に見えている。だから簡単に答えは出せない。
「関わりたくはないのよね。私がやる必要も無いわけだし。」
「そう。」
もし出来るのが私だけだとして、放置して誰かが使ったとなれば悔しみそうだ
けど。そんな事も含めて悩まされたくなんか無いわ。普通にお店をしていたい
だけだもの。今回は司法裁院の依頼なのと、狙われている危険が初めから分か
っていたから受けただけだ。モフェグォート山脈の出来事を目の当たりにした
のも、後押しだったかもしれないけれど。
「今はね、この先どう転ぶかなんて分からないもの。」
「それを言い出したら切りがないわよ。」
「本当にね。」
苦笑して相槌を打つが、私の人生大概行き当たりばったりなのよね。そう思う
と自嘲しながら、喉に麦酒を流し込んだ。



2.「望まない方向で折り重なって往く、因果とはそういうものだ。」

午前中にフメリグス警備会社のイニャス支部を確認した。何も面白くない。十
階建てくらいのビルが建っていただけだ。見た目だけではなんとも言えない。
外観が良いとか、見た目が良いとか、綺麗だとか、ここの造りが格好いいとか、
何か無いのかと聞かれても無理。運良くザスカインが現れるわけでも無い、私
とリュティは早めのランチを済ませ次の目的地に向かった。
確かに毎日往復したい距離じゃない。車があれば問題ないかも知れないけれど、
持ってないしそもそも私は運転出来ないのよね。身体強化で二時間は結構大変。
場所が場所だけに、電車も車も無い。そもそも今は戦争中のせいか、ロンガデ
ル高原には行けないようになっている。この場所は高原ではないが、方面とし
ては同じなので。
木漏れ日が射す林間を抜けていくと、グラドリア軍らしき人達が居た。らしき
というのは軍服ではなく私服だったからだ。大勢で夜営しつつ遊びに来ている
ように見える。流石に他国の領内で、物々しい雰囲気で居るわけは無いよね。
近付くと警戒はされたが、名前を出したらすんなり調べさせてくれた。ハイリ
がちゃんと仕事をしていたようで安堵する。胡散臭いジジイだが、考えてみれ
ばグラドリア軍の最高責任者なのよね。
あの危険な呪紋式があるところは盛り土をされたような場所で、斜めに扉が存
在していた。オーレンフィネアのような感じで、こちらも景色と同化していて
言われなければ分からない。むしろグラドリア軍が何でこの場所に居るのかが、
不自然だと思わされるくらいに。リュティの話しでは、前に来たときに自分で
封印したらしい。解いたのはあのジジイらしいがいい迷惑だ、本当に。
場所を確認すると、グベルオルの家に移動するため隊長さんに挨拶をしてその
場を後にした。一個中隊程居た軍人から向けられる好奇の視線から解放され、
一息付く。疲れた。掛心の使い手なんですよね、とか隊長さんに興味津々で聞
かれ鬱陶しかったのよ。どこぞのくそ軍司顧問が余計な事を言ったのだろう、
次に会ったらぶん殴る。
「ここがそうよ。」
グラドリア軍の駐留地から十分ほど走ると、林間の中に一軒の木造家屋が在っ
た。周りには他の家屋が無い事から、俗世から離れて暮らす拗れた世捨て人が
暮らす雰囲気だ。言い過ぎな気はするが、本人を見ればまんざらでもないと思
える。こんなところで暮らしているから、あの感じになったんじゃないかと考
えて。
「寂しいならもっと街の近くに住めばいいのに。」
「最初は楽しんでいたのよ。」
「引っ越せよ。」
「この場所が、都合を考慮すれば丁度いいのよ。」
言いたい事は分かるが、やって良い事とそうじゃない事の分別は弁えて欲しい
わね。
「会っても大丈夫?」
「なんで?」
突然そう聞いてきたリュティの問いに、私は怪訝な顔をする。
「エカラールで会ったとき、余計な事を言われて怒っていたじゃない。」
ああ、そんな事もあったわね。
「別にそれはどうでもいいのよ。それはね。」
私の含みにリュティは疑問を浮かべるでもなく、苦笑混じりに溜め息をついた。
私の言いたい事、というよりは考えを察しているのだろう。
「人の家の前で騒々しいのう。」
私とリュティが話していると、家の中から頭を掻きながらグベルオルが現れる。
普通に会話をしていただけなのに、騒々しいとは心外だわ。グベルオルが私た
ちが何者かに気付くと、顔を綻ばせた。
「おお、わざわざ訪ねてくれたのか、嬉しいのう。」
言いながらグベルオルは私たちの方に近付いて来る。私は一足跳びでグベルオ
ルとの間合いを詰めると、腹部に拳を叩き込んだ。驚いているグベルオルの顔
が瞬時に遠退き、老体は家屋の壁に叩きつけられた。ザイランみたいに手加減
なんかしてあげない。
「んぐぅ・・・」
グベルオルは落ちるとお腹を抱えて、私を睨んで呻き声を上げた。
「突然・・・何をするんじゃ・・・」
苦しそうに言うが、目には怒りを浮かべて言う。
「誰のせいで私たちがこんな所まで来ているか、自覚が無いようね。」
私は睨み返して近付こうとすると、リュティが肩に手を乗せてくる。
「ミリア、その辺にして上げて。それでも一応必要とされているのよ。」
「しょうがないわね。」
なんて事は思っていないが、むしろ要らないだろうとすら思っている。だがこ
こは堪えてリュティに任せる事にしよう。
「グベルオル老、貴方が以前話した事が他にも洩れているのよ。」
そう言うリュティの声音も穏やかじゃない。
「それは・・・すまんかった。」
グベルオルは起き上がると、そう言って素直に頭を下げた。その分別が出来る
なら最初からやるなよ、いい歳してまったく。
「悪いけれど、この家を数日使わせて貰うわよ。」
「それは構わんが、そんなに食料は無いぞ。」
「勝手に調達するから大丈夫よ。」
グベルオルはお腹を擦りながら、私たちの方に近付いて来る。最初のように府
抜けた顔ではなく、今度は真面目な顔で。しかし、頑丈ね、手加減しなかった
のだけど。
「ア・・・娘さん、容赦無さすぎじゃの。かなり効いたわい。」
このジジイ、今アラミスカって言おうとしたな。言っていたらもう一発出てい
たところだけど、まあいいわ。だけど効かなきゃ意味がない、こっちは怒って
いるんだから。
「今後発言には注意する事ね。」
「リュティよ、お主より恐いんじゃが・・・」
おいジジイ。乙女に向かって恐いとか失礼ね。本当にもう一発殴ろうかしら。
その態度が表に出ていたのか、グベルオルが私との距離を少し開けた。それが
失礼だっての。
「グベルオル老、今口には気をつけろって言われなかったかしら?」
そこでリュティが追い討ちをかけた。
「わ、分かった。」
少し後退りしてグベルオルが言う。少しは身に染みてくれればいいのだけど。
「さて、私は日が暮れる前に戻るね。」
「ええ。何か有ったら伝えに行くわね。」
「なんじゃ、娘さんは街に戻るのか?」
少し寂しそうに言うグベルオルは、私に睨まれ顔を逸らす。舌の根も乾かぬう
ちにっていうのは、こいつの様な奴の事ね。
「娘さんっての止めてくれない?あと、この件が片付くまで私に調子のいい態
度は取らないで欲しいわ。」
「分かった、肝に命じておく。」
私はそれを聞くと、グベルオルの家を離れた。出掛ける前から在ったもやもや
が、少しすっきりした気がする。あのジジイが余計な事をしなければ、こんな
事態にはならなかったのだから。でも起きてしまった事は変えようが無いから、
後は気持ちを切り替えるしかない。

「苦労しているのよ、抱えているものも多いし。だから、大目に見てあげて。」
「分かっておる。お主が肩入れするのも分かる気がするわい。」
走り去ったミリアの方向に、二人は視線を向けて言った。優し気な笑みを浮か
べるリュティを見て、グベルオルは頭を掻く。
「儂らも考えを改めねばなるまい、今までの様にはもういかぬ。」
「あら、グベルオル老からそんな言葉が出るとは思わなかったわ。」
「情勢や時流の変化ぐらい、儂だって見るわい。」
不貞腐れたように言うグベルオルを、リュティは苦笑混じりに見た。ユエトリ
エリは自分の為に行動するが、グベルオルはミサラナに対して忠実な方だ。そ
れでも堅物のクスカに比べれば、柔軟な方だとリュティは思わされた。同時に
それは、今のアン・トゥルブを否定する事でもある。昨今の状況に対して変化
していかなければ、何れ瓦解するだろうと。
「儂のせいで、アラミスカの娘は儂らの代わりをするはめになったんじゃな。」
「言ってしまえばそうね。ただ、ミリアはそんな事を気にしないと思うわ。自
分の信念で動いているから。」
「そうか・・・」
グベルオルはそれだけ言うと、無言のままミリアの去った方に暫く視線を向け
ていた。扱いに対して不服が無いと言えば嘘になるが、どちらかと言えばその
身を案じる気持ちの方が出てきている事に驚きながら。
「お主は決めたんじゃな。」
「そうよ。」
「そうか・・・」
グベルオルはリュティの返事に、二度目の同じ言葉を返すと上空に視線を向け
た。何処か寂しそうな思いを顔に浮かべて。



(むぅ・・・眠い。)
昨日はフメリグス警備会社の前で時間を潰していたが、依頼書に添付の写真と
同一人物は出て来なかった。会社が終わるまで見ようと思ったけど、灯りは消
えそうに無かったので諦めた。そんな遅くまで会社の専務が残っているとは思
えなかったからだ。
日付が変わってからホテルに戻り、麦酒を飲んだため寝不足なのよね。寝不足
って睡眠時間がどれくらいなのだろう?暇すぎて思考が脱線する。寝足りない
と思ったら寝不足でいいわ。
早朝から会社の前のカフェに居座っているけれど、三時間も居ると店員さんの
視線も気になってくる。薬莢の記述は済ませているし、作業をしながらという
わけにもいかない。飽きたし。
(一旦お店を出ようかしら。)
そんな事を考えて、結局もう少し居座る事にした。申し訳ないので飲み物の追
加注文をして。でもそんな都合良く現れるわけもなく、一時間ほどしてお店を
出る。いっその事、乗り込んで聞けたら早いのにと身も蓋も無いことを考えて。
それが出来るなら苦労しないっての。
滞在先を調べようにも手掛かりが無い。イニャスに移動したって事が分かって
いるのなら、そこまで特定しておけよ阿呆裁院め。と内心で悪態を付くが、一
応グラドリア国の司法機関が公に出来ない事を堂々と調べられるとも思えない。
現地で待てれば良いけれど、リンハイアの余計な一言のせいでそれも出来ない。
軍の駐留から離れて待機しても、別の経路から来られてしまったら意味がない。
(もどかしいわね。)
考えていてもしょうがないので取り敢えず、ランチを食べる事にして別のお店
に入った。
(やっぱり私にはこういうの、向いてないわ。)
内心で自分の能力に合わないなと思いながら。



「私が直々に出向こうと言っているのだ。」
「万が一が有ると危険です、今少しお待ち下さい。」
「どれだけ待たせる気かね?それとも此の国の呪紋式師共は無能揃いなのかな
?貴殿も含めてな、宰相殿。」
「事前に申し上げた筈です、解析には時間が掛かると。効果が確認出来なけれ
ばこの街へ影響が及ぶかも知れない、それを了承して下さったではありません
か。」
(そろそろ限界かもしれぬ。)
ギネクロアは内心で歯噛みをしながら、フィデグムートをなんとか宥めようと
していた。が、それもそろそろ限界だというのも分かっていた。解析などして
いない、ギネクロアにとってそもそも触れる気など毛頭無いのだから。まさか
現地にまで行くと言い出すまでは思っていなかった。
その可能性を考慮出来なかった時点で、無能と言われた事を否定は出来ないな
と自嘲する。
「今日中に出来なければ、明日は案内してもらうぞ。解析出来ないにしろ、発
動させないにしろ、今のままでは拉致があかぬ。現場の人間には緊張感が必要
だろう?」
(明日だと!?急にも程がある・・・)
何の為にオーレンフィネアに制裁を科してまで現状を保って来たのか。その危
険性から制裁を行っているのに、制裁を主導している国自ら禁忌を犯そうとな
どとは馬鹿げている。ギネクロアはそう怒鳴りたい感情を抑えた。
「私も一度くらい、どんなものか見たいという興味もある。良い機会ではない
か、なあ宰相殿。」
そんな機会など無くてもいい、必要も無い。興味などで近寄られてはたまった
ものではない。モフェグォート山脈での詳細が報じられているなか、何故その
危険に踏み込もうとするのか。
「先ほども申しました通り、危険が過ぎます。誤作動でもした場合、対処出来
ませぬ。国皇の身に何か在った場合、誰がバノッバネフを導くのですか。」
それで自身が死ぬのは問題無いが、巻き添えを食らうのはこちらだという事を
考慮してもらいたい。
「ふん、そんなものは既にやっているであろう、宰相殿がな。」
「私が舵取りをしているのは、国皇の命によってです。」
嫌味まで言い出すなど、駄々を捏ねているようにしかギネクロアには感じなか
った。フィデグムートの命によって、国が不利にならぬよう進言して舵取りを
してきた自負はあった。それをそのように言われる事こそ、心外だと思わされ
た。
「大まかな所はな。だが宰相殿の発言により、上手く誘導されて最後には言う
とおりにしているではないか。私に何か有ったとしても、宰相殿の手腕によっ
て国は回せるだろうよ。」
「その様な事は決してありません。国皇の言葉が在ればこそ、私も考慮出来る
のです。私では発想に至りません。」
挙げ句、いじけて見せるなど、一国の主がする事かとまたも怒鳴りたくなった
が堪える。それでこの場を乗り切らねばと。
「ならば、今回は私の言に従ってもらおう。明日、あれの場所に私を連れて行
くか、オーレンフィネアとの断絶を決行するかをな。」
ギネクロアは内心で苦虫を噛み潰した。来るべき時が来てしまったのかと、先
祖がこの秘密を残した事を恨みながら。
「分かりました、明日ご案内致します。ただ特秘故、何方にも内密に願います
。」
「分かっておる。」
その日、ギネクロアは久しぶりにフィデグムートが口の端を上げて笑むのを見
た。その笑みは相容れず、ギネクロアにとって心の中に深い闇を作り出すだけ
でしかなかった。
「では明日の朝、私の屋敷までご足労願います。」
「うむ。」
フィデグムートの返事を聞くと、恭しく一礼してギネクロアは国皇の執務室を
後にする。感情の消えた顔に、暗い影を落として。



「さて、仕掛けるぞ。」
荒れた高地で、暗闇に溶け込みながらハイリが静かに言った。背後に控える十
人の兵が無言で頷く。
ハイリが目を向ける先には、メフェーラス国軍の夜営地が展開していた。ロン
ガデル高原に続く、ロググリス領側の山道で、中腹程にある開けた場所にその
夜営地は展開されていた。足場が悪い場所にまで無理やり設営しているのが見
てとれる。数十と展開されたテントは、その十倍以上の兵が居るだろうと、ハ
イリは規模から予想していた。
広くない山道での戦闘では、大量の人数を投入出来ない。そのため三国連合軍
とメフェーラス国軍が衝突する前線は、膠着状態と言っていい。激化して来て
はいるが、お互い踏み出せない状況が続いている。防衛戦を突破出来ないメフ
ェーラス国軍にとって、現状は苛立たしいに違いない。
ハイリはそう考えると夜襲を計画した。尤もこの人数で戦をするつもりなど無
く、混乱を与えられればいいと。あわよくばメフェーラス国軍の指揮官を葬り、
指揮系統を断てれば上々だと思っていた。
「お前らは上手く撹乱さえしてくれればよい、出来ればテントに着火の呪紋式
でも使用してな。四名は狙撃で援護、危なくなったら直ぐに撤退して構わん。
それと儂の援護はせんでいい。」
「はっ。」
「しかし・・・」
全員が小声で返事をすると、狙撃手の一人が不安の声を上げる。
「心配いらん。無法の雑兵に後れをとったりはせん。」
ハイリがそう言うと、異を唱える者はいなくなった。
「では移動する。落ち合う場所は此処だ、全員生きて戻るぞ。」
ハイリは言うと夜営地に向かって行動を開始した。兵も頷くと後に続く。

夜営地の近くまで来ると、ハイリは細目で仮設されたテントに目を向ける。権
力を象徴するかの様に一際大きいテントが、夜営地の中央に設置されているの
が直ぐに目に入った。
(狙うはあそこか。)
ハイリはそう思うと、後ろに控える兵に向き直った。
「此処からは各自で判断せよ。儂には続くな、適当に撹乱してくれればいい。」
兵が頷くのを確認すると、ハイリは夜の闇の中を疾走した。齢六十を越えるな
ど感じさせず、続くなと言われても続ける速度ではないと、夜営地に向かう兵
は思わされた。

夜営地に着くとハイリは躊躇なく飛び込み、手近にいた見張りの頭部を掴み首
をへし折る。音を立てないように、事切れた見張りの身体を横たえて次に向か
う。
「てっ、敵襲っ!」
三、四人程葬ったところで夜営地に襲撃を知らせる声が響き渡った。
(早いな・・・もう少し近付きたかったが仕方あるまい。)
内心でそう思うが、見つかるまでは今の方法で近付くつもりでいた。その時、
入ってきた方から騒がしい音が聞こえてくる。遠くから聞こえる狙撃音に上手
く陽動してくれる事を期待しつつ、夜営地の中をハイリは駆け抜けた。
既に騒ぎになっているため、静かに抜ける事は出来ずに現れた兵を障害として
排除しながら中央を目指す。メフェーラス軍の兵は、疾駆する黒い颶風に気付
く事も出来ずに散って逝く。
頭部が弾け血と脳漿を撒き散らし、胸部に穴が開き大量の血を溢れさせ口から
血を吐き出し倒れ、肩口から半身を圧搾され激痛の中絶叫と共に崩れ、腹部か
ら引き裂かれた上半身は鮮血に塗れた腸を垂らし地面に落下し、宙を舞った頭
部は視界の回転に何が起こったか分からず血の糸を引き、身体は間欠泉の様に
血を噴き出し傾いていく。
気付くのはその光景を目にした者、味方の兵が無惨に散らされて何か居ると認
識した者だけだった。所々に灯る火が舞い散る人体と、飛び散る血を浮かび上
がらせ異様な光景を作り出していく。
(此処か。)
ハイリは中央のテントに辿り着くと、右手を振りかぶり叩き付けるように下ろ
す。入り口の幕が何かに圧し潰されるように千切れ、陥没した地面に叩き付け
られる。隙間からははみ出した鮮血と内臓が、行き場所を求め飛び散った。中
で構えていた兵が、ハイリの技によって気付く事もなく潰される。
中に飛び込んだハイリは驚きと恐怖を瞳に浮かべた、両側の兵に手刀を振るう。
構えた銃を撃つこともなく、その瞳は宙に舞い上がる。止まらず正面に居た兵
との距離を瞬時に詰めると、踏み込みと同時に右拳で相手の胸を打つ。背中か
ら鮮血に混じり内臓が噴き出す。背後で切断された首から血を噴き出し崩れ落
ちる音が聞こえ、目の前の兵は自分の胸に開いた穴に疑問の目を向けてながら
倒れた。
テント内に待機していた兵は四人で、部屋には長机と数個の椅子が並び、酒瓶
と食いかけの料理が並ぶ。その奥には天蓋に覆われた寝台があり、飛び散った
内臓と血に塗れた裸の男女が居た。女は横たわり、男は幕を開けた状態で座っ
たまま硬直している。女の方は恐怖に目を見開いていたが、男はハイリを睨み
付けると口を開いた。
「何者、だ・・・」
戦地に在って敵襲の声が上がっているにも関わらず呑気なものだなと、男の状
態を見てハイリは思わずにはいられなかったが、事情など知った事では無いと
誰何の声に応える。
「グラドリア国軍司顧問、バラント・フォーグ・ハイリ。お前さんら調子に乗
りすぎだ、死んでおけ。」
「軍神・・・だ・・・」
男の言葉は最後まで紡がれる事なく、その顔が宙に舞った。
「ひっ・・・ぁぁぁああああああっ!」
噴き出す生暖かい鮮血を浴びると同時に、女の口から現実を拒絶するように絶
叫が溢れだす。そこから逃れようと手足を動かすが、思うように退がれずもが
いているだけにしか見えなかった。
(さて、もう少し混乱させながら撤収するか。)
今さら声を上げられたところで何が変わるでもなし、放置したところで害にも
ならないと、ハイリは女を置き去りにそのテントから飛び出した。外には数十
人の兵が駆け付けており、出てきたハイリに同じ数の銃口が囲むように向けら
れる。
(ま、そうよな。)
ハイリがそう思い不敵な笑みを浮かべる。その姿に囲んだ兵達は恐怖するが、
一人が発砲するとその音が皮切りに一斉掃射が始まる。幾重にも重なる銃口
が放つ閃光が瞬く中、ハイリの姿が消え包囲の端に居た兵の身体が横に飛ぶ。
ハイリの殴打で勢いよく飛んだ兵は、仲間数人を巻き添えにして倒れ込んでい
く。続けて吹き飛ぶ兵に巻き込まれ、慌てて銃口をそちらに向けるが味方の兵
に穴を開けるだけだった。人体が千切れ、舞い、潰れ、切断される光景に、や
がて恐怖に支配された残存の兵は浮き足立ち、驚異から逃れる様に逃げ始めた。
(こんなものか。) 
ハイリはそう思うと、来た方向に駆け出した。再び黒い颶風となって疾駆する
影は、途中にいた兵を容赦なく散らせていく。味方が放ったであろう呪紋式で
燃えるテントの灯りの中を。混乱に満ちたメフェーラス軍の夜営地は、突如訪
れた暴威に恐怖の坩堝となっていった。

「無事か?」
「死者は出ませんでしたがアノンが肩を、レードスが足を負傷しました。命に
別状は無いと思いますが、戦闘は無理かと。」
集合場所に戻ったハイリが状況を確認する。負傷者が出たことに苦い表情をす
るが、死者が出なかった事は僥倖だと思っていた。
「無事でなにより、良くやってくれた。負傷者を庇いながら撤収するぞ。」
「はっ。」
これで暫くは夜襲を警戒するだろう。警戒を強めればそれだけ兵が疲弊する。
連日仕掛けられれば効果は高いが、流石に身体が持たないとハイリは内心で苦
笑した。
「ヒャルア将軍に、メフェーラスの野営地を明け方に叩くよう伝えろ。」
であれば、休ませずに叩くのが一番効果的だと思い、近くの兵に声を掛ける。
「え、私がですか?」
ハイリに声を掛けられた兵が、言われた内容に戸惑う。
「何か問題か?」
「一般兵が将軍に対して言えません。」
「儂は端末を使うのが面倒だ、儂から指示を受けて連絡していると言えばいい
だろう。」
そうまで言われると、仕方がなく兵は端末を取り出して文書通信を送る。何か
言われたらハイリが庇ってくれるだろうと思って。軍の最高責任者の命なのだ
から、将軍も無下にはしないだろうと。
「送信が完了しました。」
「すまぬな。」
自分の都合を押し付けた事を自覚しているのか、兵にはハイリの態度が少し申
し訳なさそうに言っているように見えた。



結局、その後もザスカインの姿を見る事は無かった。長丁場になりそうだなっ
て思うと、気持ちも萎えてくる。
滞在が長くなればそれだけ、私にとっては不利益なのよね。お店は休店状態だ
し、イニャスでの滞在費も嵩んでいく。経費は司法裁院に請求してやるとして、
休店の補填はリンハイアに言ってやろう。
私はこんな事をするのが目的じゃないんだけどな。お店を二、三店舗持って、
自作のアクセサリーを売って、美味しいもの食べていくのが夢なのに。生活の
大半はお店で過ごしているとはいえ、司法裁院とリンハイアに振り回されてば
かりな気がする。
ラウマカーラ教国の戦争に加担させられたのが、運の尽きというかなんという
か。やらなきゃ良かったなと思っても、アラミスカの業からは結局逃げられな
いんだろうなって諦めが私の何処かにあるんでしょうね。
今更考えてもしょうがないけれど、平穏が欲しいと思うくらいいいじゃない。
リュティからも連絡が無いし、今夜も一人で麦酒を飲みながらホテルで呆っと
する。考える事はいつも後悔ばかりだ。私だけなのかな、こんな事を考えるの
は。他の人は一人の時って、どんな事を考えて生活をしているんだろう。
なんて考えてもやっぱりしょうがない。また明日もフメリグス警備会社の前で、
ザスカインを待つのかって思うとどうしても気が重くなるのよねぇ。かと言っ
て他の事を考えても暗くなる。
「私って、なんだろ・・・」
そんな言葉がつい、口から漏れてしまう。ああもう、寝よう。起きているから
こんな事ばかり考えてしまうんだ、寝よう。

翌朝起きて、シャワーを浴びたあと報道を見ていると、北方連国のザンブオン
領について報じられていた。サールニアス自治連国からはかなり離れているが、
ここでもあの事件は報じられている。それだけあの危険な呪紋式が注目を集め
ているのか、単に他国の事件を報じているだけなのか分からないけれど。
カリメウニア領はザンブオン領に対して、真実を明らかにするよう追及。両方
に隣接するダレンキス領は、事が明らかになっていない為か中立を維持。対す
るザンブオン領は変わらずに関与を拒否、死んでいった兵も巻き込まれただけ
だという姿勢は崩さない。
その辺は膠着状態だが、それとは別に流通の回復は急務として協力体制を取ろ
うとしている。これはターレデファンも巻き込んで、大穴となった場所を繋ぐ
橋を建設しようというものだ。流通の恩恵を受けているダレンキスも、出資意
欲を見せている。中立の態度は崩さないが諍いとは別に、そこは重要らしい。
逆に消極的なのは困らないターレデファンだ。危険の懸念が残っている現状、
原因究明が優先だとしている。当たり前の事ではあるが。危険を孕んだ状態で
始めて、また起きたら目も当てられない。それでは投資も人員も無駄になって
しまうと、考えるのが普通だろう。
「そろそろ行こうかな。」
そんな北方連国の情勢はさておき、今日もザスカインを見付けるためにまずカ
フェに行こうと口にする。店員さんに顔を覚えられていそうで嫌だけど。
出掛けようとした時、テレビが緊急速報を知らせた。電源を落とそう思ってい
たが、止まって内容を確認する事にした。例え自分と関係無かったとしても、
緊急と言われると気になってしまう。
報道の内容は今この地で起きている戦争についてだ。それは関係無いじゃなく、
関係があり過ぎる。
(嫌な内容じゃなうでしょうね。)
そんな不安を抱えながら続きを待つ。どうやら三国連合軍とグラドリア軍が、
ロググリス領側の山道中腹に展開していたメフェーラス国軍に討って出たらし
い。今まで砦での攻防だけだったくせに、どういう事だろう。
詳細までは不明らしいが、メフェーラス軍は混乱していてその隙を突いたと。
明け方から始まった襲撃は効を奏し、既に逃走を始めているらしい。今後の展
開や戦争の行方は知った事じゃないけれど、この報道は一つの可能性をもたら
してくれた。
脅威の境界がロググリス側に移動した事だ。戦争を懸念して動かなかったのな
らば、安全の確率が上がった今が動く可能性があるのではないか?戦線が押さ
れれば、呪紋式の場所は危険地帯になっても不思議じゃない。だが今は逆だ。
ザスカインはこの機に動くかもしれない、私にはその可能性が上がったと思え
た。だったらもうのんびり報道を見ている場合じゃない。警備会社前のカフェ
に移動しなければ。
私にとって今回の緊急速報は朗報だったと言える。ザスカインが動くかもしれ
ない、それが私の勝手な思い込みだっていい。状況の変化が無いのは、心身共
に疲弊するだけだもの。

いつもの・・・じゃないわ、まだ二日目よこのカフェは。そんな一人突っ込み
はどうでもいい、もっと突っ込みたい状況が目の前にあった。私は朝ご飯にベ
ーグルのスモークサーモンとクリームチーズサンドと、紅茶のモーニングブレ
ンドを頼み席に着く。
少し離れたテーブル席には商談しているように見える会社員。会話までは聞こ
えないから、実際の内容は分からないけれど。ただ、そこにいる内の一人がザ
スカインである事だけは分かった。社内ではなく、外で人に会う理由はいろい
ろあるだろうけど、そんなのどうでもいい。
いやぁ、外で人と会ってくれてありがとう、ザスカイン。そう思うと少しこの
境遇も好転したんだなって思えて嬉しくなる。
まてまて、ザスカインは殺す相手だっていうのに、私は何を緩んでいるんだ。
まあどのみち、ここで行動を起こす事は出来ない。人が居ない場所でなければ、
私が手配されるはめになってしまう。ここはザスカインの行動を監視して、動
きを確認するしかない。
今すぐ殺せる呪紋式でもあればいいのに、ん?・・・まさかと思ったがやっぱ
りそんなものは無い。それ以前に呪紋式は必ず、白光した呪紋式が浮かび上が
ってから効果を発現する。使った時点で丸分かりだわ。阿呆か、私。
楽をしたいというのは人間の常だからね、その思いがあればこそ世の中は発展
したきたわけだし。
自分擁護はこの辺にして、カフェを出るザスカインの行き先に集中する。会社
以外に向かうなら、食べかけのベーグルとさよならをする必要が出てくるが、
ザスカインは真っ直ぐ会社に入っていった。安堵した反面、次の行動は何時間
後だろうと憂鬱な気分も同時に湧いてくる。
私は他に出来る事もないので、朝ご飯の続きを食べる事にした。



メフェーラス軍の拠点はほぼ壊滅状態と化していた。設営された天幕は大半が
火を放たれ未だ煙りを上げ、または砲撃で吹き飛び千切れた布は、血と粉塵で
赤黒く染まっていた。
残存のメフェーラス軍は、既にその場所を放棄し逃げるように撤退していった。
撤退と言えば聞こえはいいが、実際のところ蜘蛛の子を散らすように逃走して
いったという方が的を得ているかもしれない。
手足や胴に頭部と散乱した人体は、その体液で大地を赤く染めている。硝煙と
血、汚物の臭いが混じった悪臭は風に乗って、後方の兵の鼻にも届き気分を悪
くさせていた。
「ハイリ殿のお陰でこの地を抑えられました。」
「なに、続いたお主の手腕によるものだろう。よくあの短時間で三国連合軍と
も連携を取ってくれた。」
「はっ、ありがとうございます。」
感心して言うハイリに、ヒャルアはそう言って頭を下げる。
「予断は許さぬが、この場所が新たな防衛線になる予定だ。我らは警戒と警護
にあたる事になっている。」
「了解しました。」
暫くはこの場を離れる事は出来ないなと思い、荒れた地に無数に横たわる人だ
ったものにハイリは目を向ける。この場所を拠点として使えるようにするだけ
でも、かなりの日数を要するだろう。その間、メフェーラス軍の襲撃に昼夜を
通して備えなければならない。
異国の地でそれは精神を疲弊するなと思ったが、片付けの方が気が滅入るかと
ハイリは思った。要請を受けて来たのだから、芳しくないのは分かりきってい
た事だ。戦争中に呼ばれたのだから牽制もくそもない、即現地入りしなければ
ならないのも目に見えていた。片付けにしろ、警備にしろ、人死ににしろ、来
たからには覚悟は出来ているものだと思っている。
メフェーラスの進攻が始まった時点で、グラドリア国も他人事では無くなった
のだ。当然、その時から覚悟はしているだろうと。
「一旦休憩と食事を摂らせ、それが終わったらこの先に布陣するぞ。」
「はっ。」
「休憩は交代で取らせろ。メフェーラス軍が報復に戻って来ないとも限らん。」
「ではそのように。」
「うむ。」
待機している兵のもとへ向かうヒャルアを見送ると、ハイリはその場で思案す
る。後はヒャルアに任せて離れてもいいのではないかと。密かに置いている部
隊の方が気になっているのが、本音ではあった。
毎日異常が無いことは報告を受けているが、リンハイアの話からすればそろそ
ろ何か起きても不思議ではないと。
(どれ、様子でも見に行くか。)
この場はヒャルアに任せる事を決め、ハイリは内心で呟いた。ゼンの娘が気に
なる事は、隠しても仕方がないなと思い至って。出来うる事なら、ゼンが伝え
きれていない掛心の陰を伝えたい気持ちも少なからずあった。陰に関しては奥
伝や皆伝には至っていないものの、その手前までは教える事が出来ると。
(まあ、あの娘の場合は頑なに拒否しそうだがな。)
そう思うとハイリは苦笑した。才はあっても、本人が拒否するのあれば無理強
いするものでもなし。とは思うが、勿体無いと思うのも本音だった。
(しかし、ザスカインだったか。何処かで聞いたような気がすると思えば、あ
やつだったな。)
今ミリアが標的にしている者の名前を、ハイリは思い出していた。思い出した
のはナベンスクに来てからだが、それ故余計に気になっていた。向こうが気に
なる一番の理由はそれだった。
「やはり、あの娘の身が心配なのか・・・」
自分の内心を確認するように呟くと、ハイリは指示を出しているヒャルアへと
向かった。暫く別行動をする事を伝える為に。



ランチの時間が近付き、カフェから移動した私はランチにするため、別のお店
にいる。カフェでランチでも良かったのだけど、長時間居たため店員さんの視
線が痛いからしょうがなく移動した。
フメリグス警備会社が見える立地は確保しつつ、パスタのお店で見える席を見
つけ頼んだ料理が来るのを待っている。本日のランチは、今朝捕れた蟹を使用
したリングイネ、んー楽しみ。
コンリッツェア湖で捕れた新鮮な蟹を、丸々一杯使った贅沢なリングイネ、ト
マトクリームソース。メニューにはそう書いてあったのだ、お値段二千と少々
高めだが、折角だから食べなくてどうする。限定二十食。食べずにイニャスを
楽しんだと言えるのか。そんな葛藤なんか無かった、即決で頼んだもの。
パスタが出てくるまでの間、お水を飲みながら暇をもて余す。暇なので店内に
あるテレビの報道に、視線はフメリグス警備会社に向けつつ耳を傾ける。今朝
ホテルで見た内容を繰り返し報道しているようだった。
ナベンスク領の領民にとっては、重要な事だからだろう。当然だろう、自分が
住む領地が侵略されようとしているのだ。私だって同じ立場だったら気が休ま
らない。寝ている時だって、戦局が変わったらどうしようと不安に駆られる。
自分のお店が巻き込まれるんじゃないかって。
そう思えば、少しでも情報は欲しい。良い方に傾くなら尚更だ、少しでも、早
く安心が欲しいもの。
そう思っていたところで、料理が運ばれてきた。
良い香り。
蟹の匂いが気分を高揚させる。早速一口。美味しい!やっぱり頼んで正解だっ
たわ。太めのリングイネに濃厚なトマトクリームソースが絡んで、ソースに移
った蟹の香りが口の中に広がる。鼻から抜ける香りと共に、パスタを咀嚼する。
幸せ。
と、そこで報道が緊急速報を知らせた。本日二度目の速報に若干緊張しながら
続きを待つ。戦局に変化があったのだろうかと思っていると、更に事態が急変
した。それは報道の内容ではなく、今この場所、私の状況だ。
(勘弁してよ・・・ )
フメリグス警備会社から出てきたザスカインに怨みの視線を向け、死ねと念じ
てみる。死んでくれたら苦労はしないが。
私は慌てて席を立ち会計に向かう。
(ああ、さようなら私の愛しい蟹のリングイネ。)
一口しか食べてないわよ馬鹿!死ねザスカイン!
呪いの言葉を胸中で唱えて、私は会計を急いで済ませお店を後にした。報道が
伝えていた緊急速報、バノッバネフ皇国の国皇、フィデグムート急死の知らせ
を耳にしながら。

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