薄氷が割れる

しまっコ

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「お許しください。もう言いません」 
身を竦めて謝罪すると、ブリュンヒルデがマリカの髪を優しくなでた。 
「マリカ。可哀想に。レオン、マリカを怖がらせるな」
「俺はおまえを怒っているわけではない。怖がらないでくれ」 
「本当に怒ってらっしゃらない?」 
「ああ。おまえのことは怒っていない。だがショックだった。他の女を抱けと言われたのだから」 
マリカはレオンハルトの瞳を見上げた。 
「ごめんなさい。私だけを可愛がってもらえるのは嬉しいけれど……。お世継ぎのことは大切でしょう?」 
「マリカ、くだらない心配をするな。俺はおまえを愛している」 
「レオンハルト様……」 
抱き寄せられ、大きな腕の中にすっぽり収まる。マリカだってレオンハルトを愛している。
レオンハルトが一途に愛してくれることが嬉しい。
けれど、ヒト族であるマ リカがお子を授かったとしても、獣人の世継ぎを産むことができるのかどうか――…。 
しかし、側妃の話題を軽々しく口に出してはいけないことをマリカは学んだ。 
緊張や恐怖を味わったせいなのか、マリカは奇妙な疲労を感じていた。


午前の執務を終えて居室に戻ると、カフカが診察に訪れていた。マリカに何かあったのだ。
まさか記憶が――…。 
レオンハルトの心を恐怖が満たした。どんな戦場でも恐怖という言葉とは無縁だったレオンハルトが、つがいの愛を失うことに関しては酷く臆病になる。
それも仕方のないことだ。レオンハルトはマリカを騙して妻にしたのだから。
本来の婚約者を殺し、偽りの記憶を植え付けてマリカの純潔を奪った。
記憶が戻ればマリカはレオンハルトを憎むに違いない。 
「何があった? マリカは……」 
緊張を隠せない声音で尋ねると、カフカは表情をやわらげた。 
「微熱があるとのことで診察をいたしました。今のところ風邪などの症状はないご様子です」 
「ではなぜ熱がある?」 
「月の障りが遅れておいでです。まだ確定ではありませんが、ご懐妊の可能性があります」 
「懐妊……」 
緊張に強張っていたレオンハルトの身体から力が抜ける。
それからカッと全身が熱くなった。 
後ろ暗さに縛られて思いつきもしなかったが、あれだけ毎晩マリカ一人に子種を注ぎ続けてきたのだから、そういうこともあるだろう。 
マリカがレオンハルトの子を身籠った――…。
これで万が一記憶が戻っても、マリカを縛り付ける枷ができた。
真っ先に浮かんだのはそんな薄暗い考えだった。 
「夜伽はしばらくお控えください」 
「わかった」 
寝台に近づくと、マリカは潤んだ瞳でレオンハルトを見上げた。 
「レオンハルト様、お子ができたら喜んでくださいますか」 
「もちろんだ」 
膝をつき、マリカと視線を合わせながら白い小さな手を取る。 
「今まで以上に大切にしよう。俺の命よりも大切なマリカ」 
手の甲に唇を当てると、マリカは儚げな微笑みを浮かべた。 


月の障りがなくなって三月が経過し、マリカの懐妊がほぼ確定した。
この間、マリカは微熱で床に臥すことが多く、つわりのせいでもともと細かった身体は一回り小さくなってしまった。 
安定期に入りようやく食事がまともにできるようになったとき、カフカがレオンハルトとマリカに出産までの心得を話してくれた。 
「マリカ様のご懐妊が確定し、お体の状態も安定期に入りました。これからは適度な運動をしながら体力をつけていく必要があります」 
「具体的には何をすればいい?」 
「散歩で歩かれるのがよろしいかと」 
「わかった」 
毎日朝夕に城内を歩かせてやろう。
庭に下りるのが好きなマリカのために、庭園を四季の花で彩るよう指示してあった。
今は秋の花々が咲き乱れている。 
「明日から俺が連れて行こう」 
「ありがとう存じます」 
マリカは喜びに口元をほころばせた。 
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