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1章
デート2(3)
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「エヴァン様、大変ですわ!」
「どうしました?」
「チーズケーキがなんと………2種類もあるんです!」
「そんなに絶望的な顔をされたら店も困るでしょう。やめてあげてください」
人生における一大事を決めるが如き真剣な顔で苦悩するベアトリスだが、ここは通りに面したオシャレなカフェだ。
落ち着いた赤のガーデンパラソルの下、爽やかな初夏の風を感じながらお茶を楽しむ老若男女で店は混んでいる。
「ああ、シンプルなバターケーキも捨てがたいですわね…ですが今日はチーズケーキが私を呼んでいる気が…」
このままでは悩んでいるうちに夕飯の時間になってしまいそうだ。
「では、2種類のチーズケーキをどちらも頼めばよいのでは?」
「まあ!人を食いしん坊のように」
「食いしん坊でしょう。そこに疑いの余地などないでしょう。俺はそのディベート大会なら優勝できる自信がありますよ」
いかん、つい食い気味でつっこんでしまった。
言われた当の本人は、「え、そうでしょうか?」みたいな顔だから納得いかないが。
「分かりました。俺と貴女で1種類ずつ頼めばいい。半分ずつにすれば良いでしょう?」
「半分ずつ…」
ベアトリスの頬がじわじわと桃の実のように色付く。
「……だから、予告なく予想外のリアクションをとるのはやめてくださいと…」
「い、今のはエヴァン様が…」
「すみませーん、オーダーを!」
変な空気になる前に、ベアトリスを無視して注文する。
もちろん、ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキの2種類を1つずつと、ハーブティーをポットで。
気候としてはそんなに暑くないはずだが、妙に背中が汗ばんでいる気がするのは何故だ。
両頬に手を当てて熱を冷ますベアトリスを横目に、俺もシャツをパタパタと仰いだ。
「そういえば、貴女は手芸がお得意だそうですね」
何か話さねば、と気持ちが焦ったせいか、自分でも思ってみなかった話題を口にした。
ベアトリスがキョトンとする。
「あ、いえ、先の店でそのように聞いたもので…」
「ああ…いえ、それほどでは。下手の横好きですわ」
柔和に目を細める彼女に、俺は何とも言えない気持ちになった。
やはり、寄付活動の話をするつもりはないらしい。
「ですが、エヴァン様にいただいたものは大切に使いますね」
「…別に。貴女の好きなように使ってください」
自分でも声が硬くなったのが分かった。
ほらみろ、ベアトリスの頭に「?」がデカデカと浮かんでいるではないか。
「あ…今のは…」
「お待たせいたしましたー!ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキ、本日のハーブティーをポットで1つですね!ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「ごゆっくりお召しあがりくださーい!」
元気いっぱいの男性店員に救われた。
ひとまず口を付けていないフォークを使ってケーキを半分ずつに分ける。
しまった。そもそも店員に頼めば良かった。
「はあぁぁ…2つのケーキを少しずつ楽しめるなんて、贅沢ですわぁ!」
さっきまでの空気はなんのその。
すっかり食の魅了の魔法にかかったらしいベアトリスの瞳には、おそらくケーキしか映っていない。
この人は本当に、食べることにおいては他の追随を許さない。
「ご満足いただけたなら、良かったです」
「はい!現在のところ、本日のデートは過去最高得点を叩き出しております!」
「それは良かったと言ってよいのか微妙ですが…」
「エヴァン様としてはいかがです?」
コックリとしたベイクドチーズケーキを頬張っていると、ふいにベアトリスが尋ねた。
また過去のことを引き合いに出されるのかと身構えたが、大きな菫色の瞳には何の衒いもないので、純粋に疑問に思ったようだ。
「俺は…」
そして考える。
俺は、どう思っているのか?
これまで経験したデートからいえば、今日のデートはまず、「規格外」だと言えた。
材木屋など恋人とじゃなくても初めて行ったし、女性へのプレゼントとして布地や糸を買ったこともない。
それで言えば、屋台で買った食べ物に、レストランでの食事と同じように感激し、ケーキ一つに一喜一憂する女性もいなかった。
待ち合わせくらいで感動し、街並みを眺めるだけで嬉しそうで、そのくせ、いざ買い物となると物をねだるのは下手くそで。
「俺は……」
そもそも、「デート」などと臆面もなく言っているが、俺は彼女と過ごす時間をどう思っているのか?
今日だけでなく、これまでのものも含めて。
嫌では、ない。
そんな気持ちは心の隅々まで確認しても見当たらない。
むしろ、たの――
ガシャンッ!
何かが倒れる音がしたので、とっさに後ろを振り返る。
すると、すぐそこの通りに、上品な服装の老女が尻餅を付いたように座り込み、向かい合うようにして酒樽腹の男が倒れている。
どうやらぶつかったらしく、男の方はカフェのテーブルに身体が当たったようだ。
男性側は老女を助け起こすと、大袈裟な身振り手振りで何事か喋っている。異国の言葉のようだが、表情から鑑みるに謝っているのだろう。
その様子に、俺を含め、周囲が興味をなくして視線を外したその時だった。
「泥棒っ!!」
大きな声でそう叫んだのは、誰あろう、俺の目の前で立ち上がったベアトリスだ。
「その男、泥棒ですわ!」
驚き、彼女の指さす方へと再度振り返って目に入ったのは、ギョッとする男性二人だ。
一人は老女を助け起こした肥満体。もう一方は、お婆さんの少し右側を歩いていた、小さなハンドバッグを持ったハンチング帽の男だ。
「そのバッグは、その女性のものですわ!」
「チッ」
顔を歪めて大きく舌打ちしたハンチング帽は、そのまま駆け出した。
「エヴァン様!」
「貴女はここに!」
ベアトリスが言い終わるらぬうちに、俺は逃げた男の背を追い始めていた。
薄汚れた格好の男が、鮮やかな緑色のバッグを小脇に抱えて走る様は滑稽で人目をひいた。
お陰で見失うことなく、程なくして男に追いつく。伊達に騎士団の隊長などやっていない。
目の前に迫った襟元を右手で力一杯後ろへ引き倒せば、「ぐぅっ!」っとくぐもった呻き声と共に、男が盛大に地面へと転がった。
その隙を見逃さず、背中を足で押さえつけ、腕を後ろ手にして捻りあげる。
俺の知らない言語で喚いているが、こういう時に悪党が言いそうなセリフは万国共通だ。
なので、無言のままもう一段階捻り上げた腕に力を加えてやると、男は青い顔をして黙り込んだ。
こういう時に捕まえた側が何をするのかも万国共通なので、きっと伝わったのだと思う。
「誰か、警邏隊を呼んでもらえますか」
集まり始めた野次馬に呼びかけると、何人かが反応してくれた。
暫くこの状態かな、と思っていたが、助っ人は予想外に早く到着した。
「エヴァン様!」
「ベアトリス嬢?!」
髪を乱し、息を切らせたベアトリスが、警邏隊の制服を着た男たちを連れて現れたのだ。
俺は一番年嵩な男にハンチング帽を引き渡して身分証を提示する。
トーチと名乗ったその男は恐縮しきっていたが、大事にしないでほしいとやんわり釘をさしておく。
それよりこっちだ。
俺は問題児を通りの隅へと引っ張って行く。
「貴女は何をしているんです!あの店で待つよう言ったでしょう?!」
「まあ!最初に気付いたのは私ですわよ?見届ける義務があります」
「他に仲間がいたらどうするのです!」
「あら、お仲間の方なら、勇気ある市民の方々が先程捕まえてくれましたわよ?」
その一言で、老女とぶつかった男のことだとピンときた。
相棒が大袈裟な小芝居を打っている間に、注意が疎かになっている荷物を仲間が盗んでいくという窃盗の手口。
知らない異国の言葉で捲し立てられれば多くの人が怯んでしまう。そこを突いた巧妙な手口で「立太子の儀に湧く皇都で増えているため対策せよ」とのお触れが出ていたのを俺はようやく思い出した。
すみません、殿下。
俺は一瞬遠い目をしたあと、目の前の女性に意識を戻す。
「ですが、犯人が二人だけとは限らないでしょう!」
「だから警邏隊の皆さんと参りましたわ!」
「貴女は来なくてもいいでしょう?!カフェにいて下さいよ!」
だから、何で来るんだっての!
せっかく綺麗にしていた髪も乱れているし、いつまで経っても肩で息をしているじゃないか!
「あ、カフェのお金なら、ちゃんと払って参りました」
「そうじゃありません!」
「だって!!」
ベアトリスが堪らなくなったように顔をくしゃりと歪めた。
俺はそれを見てギョッとする。
彼女が泥棒と叫んだ時より動揺した。
「だって…エヴァン様に何かあったら…」
「え?」
真っ赤な顔で涙目のベアトリスに、俺はただただ動揺していて、彼女が何を言わんとしているか分からなかった。
「…も、もし、エヴァン様が…お怪我でもなさったらと…し、心配だったのです」
虚を突かれる、とはこのことだ。
青天の霹靂。藪から棒。何でもいい、そういうやつ。
とにかく俺は、驚いた。
唖然として何も言わない俺を、ベアトリスは勘違いしたらしい。
「そ、それがそんなにいけませんか!心配したのが?!そんなに怒らなくても、よ、よろしいのでは?!」
赤かった顔を、今度は青くして、それでも負けん気の強さを発揮するベアトリス。
俺はそんな彼女をみて、胸に温かいものが広がるのを感じた。
口元がむずむずとして緩む。
「…バカですね」
「ば、馬鹿?!ちょぉっと聞き捨てなりませんわ!私、これでも幼少期は神童とのお言葉を――」
目を吊り上げるベアトリスの頬にスッと手を伸ばす。
俺の突然の行動に短く息を呑んだ彼女の耳に、汗で張り付いていた髪をかけてやった。熱を持った耳が何だか愛しくて、指が当たったフリをして、その縁をなぞった。
「俺はこれでも、騎士団の隊長をやらせてもらってるんですよ。置き引き犯ごときにやられるほどヤワじゃありません」
笑うと、ベアトリスが首まで赤くなった。
「ですが、俺を心配してくれたことには感謝します。ありがとう」
「い…いえ……私も出過ぎた真似を…申し訳ございません…」
俯きながらモゴモゴと謝罪を口にする彼女に、俺はふはっと息を吐いて笑った。
「それは間違いありませんね。反省してください」
「なっ!」
「俺も貴女が心配なんですよ」
再戦!とばかりに顔を上げたベアトリスだったが、俺のその言葉に再び俯いてしまった。
ああ……認めよう。
彼女は、予想外の店をデート先に選ぶし、素直に贈り物もさせてくれない上、いつだって突拍子もないことをしでかす、まさに規格外の女性だ。
だが俺は、彼女とのデートが、そんな不可思議なベアトリスとのくたくたになるデートが――
どうやら楽しくて楽しくて、仕方がないようだ。
「どうしました?」
「チーズケーキがなんと………2種類もあるんです!」
「そんなに絶望的な顔をされたら店も困るでしょう。やめてあげてください」
人生における一大事を決めるが如き真剣な顔で苦悩するベアトリスだが、ここは通りに面したオシャレなカフェだ。
落ち着いた赤のガーデンパラソルの下、爽やかな初夏の風を感じながらお茶を楽しむ老若男女で店は混んでいる。
「ああ、シンプルなバターケーキも捨てがたいですわね…ですが今日はチーズケーキが私を呼んでいる気が…」
このままでは悩んでいるうちに夕飯の時間になってしまいそうだ。
「では、2種類のチーズケーキをどちらも頼めばよいのでは?」
「まあ!人を食いしん坊のように」
「食いしん坊でしょう。そこに疑いの余地などないでしょう。俺はそのディベート大会なら優勝できる自信がありますよ」
いかん、つい食い気味でつっこんでしまった。
言われた当の本人は、「え、そうでしょうか?」みたいな顔だから納得いかないが。
「分かりました。俺と貴女で1種類ずつ頼めばいい。半分ずつにすれば良いでしょう?」
「半分ずつ…」
ベアトリスの頬がじわじわと桃の実のように色付く。
「……だから、予告なく予想外のリアクションをとるのはやめてくださいと…」
「い、今のはエヴァン様が…」
「すみませーん、オーダーを!」
変な空気になる前に、ベアトリスを無視して注文する。
もちろん、ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキの2種類を1つずつと、ハーブティーをポットで。
気候としてはそんなに暑くないはずだが、妙に背中が汗ばんでいる気がするのは何故だ。
両頬に手を当てて熱を冷ますベアトリスを横目に、俺もシャツをパタパタと仰いだ。
「そういえば、貴女は手芸がお得意だそうですね」
何か話さねば、と気持ちが焦ったせいか、自分でも思ってみなかった話題を口にした。
ベアトリスがキョトンとする。
「あ、いえ、先の店でそのように聞いたもので…」
「ああ…いえ、それほどでは。下手の横好きですわ」
柔和に目を細める彼女に、俺は何とも言えない気持ちになった。
やはり、寄付活動の話をするつもりはないらしい。
「ですが、エヴァン様にいただいたものは大切に使いますね」
「…別に。貴女の好きなように使ってください」
自分でも声が硬くなったのが分かった。
ほらみろ、ベアトリスの頭に「?」がデカデカと浮かんでいるではないか。
「あ…今のは…」
「お待たせいたしましたー!ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキ、本日のハーブティーをポットで1つですね!ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「ごゆっくりお召しあがりくださーい!」
元気いっぱいの男性店員に救われた。
ひとまず口を付けていないフォークを使ってケーキを半分ずつに分ける。
しまった。そもそも店員に頼めば良かった。
「はあぁぁ…2つのケーキを少しずつ楽しめるなんて、贅沢ですわぁ!」
さっきまでの空気はなんのその。
すっかり食の魅了の魔法にかかったらしいベアトリスの瞳には、おそらくケーキしか映っていない。
この人は本当に、食べることにおいては他の追随を許さない。
「ご満足いただけたなら、良かったです」
「はい!現在のところ、本日のデートは過去最高得点を叩き出しております!」
「それは良かったと言ってよいのか微妙ですが…」
「エヴァン様としてはいかがです?」
コックリとしたベイクドチーズケーキを頬張っていると、ふいにベアトリスが尋ねた。
また過去のことを引き合いに出されるのかと身構えたが、大きな菫色の瞳には何の衒いもないので、純粋に疑問に思ったようだ。
「俺は…」
そして考える。
俺は、どう思っているのか?
これまで経験したデートからいえば、今日のデートはまず、「規格外」だと言えた。
材木屋など恋人とじゃなくても初めて行ったし、女性へのプレゼントとして布地や糸を買ったこともない。
それで言えば、屋台で買った食べ物に、レストランでの食事と同じように感激し、ケーキ一つに一喜一憂する女性もいなかった。
待ち合わせくらいで感動し、街並みを眺めるだけで嬉しそうで、そのくせ、いざ買い物となると物をねだるのは下手くそで。
「俺は……」
そもそも、「デート」などと臆面もなく言っているが、俺は彼女と過ごす時間をどう思っているのか?
今日だけでなく、これまでのものも含めて。
嫌では、ない。
そんな気持ちは心の隅々まで確認しても見当たらない。
むしろ、たの――
ガシャンッ!
何かが倒れる音がしたので、とっさに後ろを振り返る。
すると、すぐそこの通りに、上品な服装の老女が尻餅を付いたように座り込み、向かい合うようにして酒樽腹の男が倒れている。
どうやらぶつかったらしく、男の方はカフェのテーブルに身体が当たったようだ。
男性側は老女を助け起こすと、大袈裟な身振り手振りで何事か喋っている。異国の言葉のようだが、表情から鑑みるに謝っているのだろう。
その様子に、俺を含め、周囲が興味をなくして視線を外したその時だった。
「泥棒っ!!」
大きな声でそう叫んだのは、誰あろう、俺の目の前で立ち上がったベアトリスだ。
「その男、泥棒ですわ!」
驚き、彼女の指さす方へと再度振り返って目に入ったのは、ギョッとする男性二人だ。
一人は老女を助け起こした肥満体。もう一方は、お婆さんの少し右側を歩いていた、小さなハンドバッグを持ったハンチング帽の男だ。
「そのバッグは、その女性のものですわ!」
「チッ」
顔を歪めて大きく舌打ちしたハンチング帽は、そのまま駆け出した。
「エヴァン様!」
「貴女はここに!」
ベアトリスが言い終わるらぬうちに、俺は逃げた男の背を追い始めていた。
薄汚れた格好の男が、鮮やかな緑色のバッグを小脇に抱えて走る様は滑稽で人目をひいた。
お陰で見失うことなく、程なくして男に追いつく。伊達に騎士団の隊長などやっていない。
目の前に迫った襟元を右手で力一杯後ろへ引き倒せば、「ぐぅっ!」っとくぐもった呻き声と共に、男が盛大に地面へと転がった。
その隙を見逃さず、背中を足で押さえつけ、腕を後ろ手にして捻りあげる。
俺の知らない言語で喚いているが、こういう時に悪党が言いそうなセリフは万国共通だ。
なので、無言のままもう一段階捻り上げた腕に力を加えてやると、男は青い顔をして黙り込んだ。
こういう時に捕まえた側が何をするのかも万国共通なので、きっと伝わったのだと思う。
「誰か、警邏隊を呼んでもらえますか」
集まり始めた野次馬に呼びかけると、何人かが反応してくれた。
暫くこの状態かな、と思っていたが、助っ人は予想外に早く到着した。
「エヴァン様!」
「ベアトリス嬢?!」
髪を乱し、息を切らせたベアトリスが、警邏隊の制服を着た男たちを連れて現れたのだ。
俺は一番年嵩な男にハンチング帽を引き渡して身分証を提示する。
トーチと名乗ったその男は恐縮しきっていたが、大事にしないでほしいとやんわり釘をさしておく。
それよりこっちだ。
俺は問題児を通りの隅へと引っ張って行く。
「貴女は何をしているんです!あの店で待つよう言ったでしょう?!」
「まあ!最初に気付いたのは私ですわよ?見届ける義務があります」
「他に仲間がいたらどうするのです!」
「あら、お仲間の方なら、勇気ある市民の方々が先程捕まえてくれましたわよ?」
その一言で、老女とぶつかった男のことだとピンときた。
相棒が大袈裟な小芝居を打っている間に、注意が疎かになっている荷物を仲間が盗んでいくという窃盗の手口。
知らない異国の言葉で捲し立てられれば多くの人が怯んでしまう。そこを突いた巧妙な手口で「立太子の儀に湧く皇都で増えているため対策せよ」とのお触れが出ていたのを俺はようやく思い出した。
すみません、殿下。
俺は一瞬遠い目をしたあと、目の前の女性に意識を戻す。
「ですが、犯人が二人だけとは限らないでしょう!」
「だから警邏隊の皆さんと参りましたわ!」
「貴女は来なくてもいいでしょう?!カフェにいて下さいよ!」
だから、何で来るんだっての!
せっかく綺麗にしていた髪も乱れているし、いつまで経っても肩で息をしているじゃないか!
「あ、カフェのお金なら、ちゃんと払って参りました」
「そうじゃありません!」
「だって!!」
ベアトリスが堪らなくなったように顔をくしゃりと歪めた。
俺はそれを見てギョッとする。
彼女が泥棒と叫んだ時より動揺した。
「だって…エヴァン様に何かあったら…」
「え?」
真っ赤な顔で涙目のベアトリスに、俺はただただ動揺していて、彼女が何を言わんとしているか分からなかった。
「…も、もし、エヴァン様が…お怪我でもなさったらと…し、心配だったのです」
虚を突かれる、とはこのことだ。
青天の霹靂。藪から棒。何でもいい、そういうやつ。
とにかく俺は、驚いた。
唖然として何も言わない俺を、ベアトリスは勘違いしたらしい。
「そ、それがそんなにいけませんか!心配したのが?!そんなに怒らなくても、よ、よろしいのでは?!」
赤かった顔を、今度は青くして、それでも負けん気の強さを発揮するベアトリス。
俺はそんな彼女をみて、胸に温かいものが広がるのを感じた。
口元がむずむずとして緩む。
「…バカですね」
「ば、馬鹿?!ちょぉっと聞き捨てなりませんわ!私、これでも幼少期は神童とのお言葉を――」
目を吊り上げるベアトリスの頬にスッと手を伸ばす。
俺の突然の行動に短く息を呑んだ彼女の耳に、汗で張り付いていた髪をかけてやった。熱を持った耳が何だか愛しくて、指が当たったフリをして、その縁をなぞった。
「俺はこれでも、騎士団の隊長をやらせてもらってるんですよ。置き引き犯ごときにやられるほどヤワじゃありません」
笑うと、ベアトリスが首まで赤くなった。
「ですが、俺を心配してくれたことには感謝します。ありがとう」
「い…いえ……私も出過ぎた真似を…申し訳ございません…」
俯きながらモゴモゴと謝罪を口にする彼女に、俺はふはっと息を吐いて笑った。
「それは間違いありませんね。反省してください」
「なっ!」
「俺も貴女が心配なんですよ」
再戦!とばかりに顔を上げたベアトリスだったが、俺のその言葉に再び俯いてしまった。
ああ……認めよう。
彼女は、予想外の店をデート先に選ぶし、素直に贈り物もさせてくれない上、いつだって突拍子もないことをしでかす、まさに規格外の女性だ。
だが俺は、彼女とのデートが、そんな不可思議なベアトリスとのくたくたになるデートが――
どうやら楽しくて楽しくて、仕方がないようだ。
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