侯爵令嬢と密かな愉しみ

ポポロ

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第3章

クレムーナ

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クレムーナは、キアラが想像していたよりも素朴で、こじんまりとした店だった。
いや、有名店であれば豪奢な店構えだと思い込んでいたのでそう感じただけで、雑貨店としては平均的な大きさだ。
茶色が混じったオレンジ色の外壁に、黒の窓枠に縁取られた大きな窓がついており、そこから数名の客がショーケースを覗く様子が見える。
二階は住居となっているのか、浅く突き出した小さなベランダに、ズラリと鉢植えが並んでおり、そこから草花が手を広げるようにして店表に彩りを添えている。

店を入って左手のテーブルには様々な柄のティーセットやランプが、右手の棚には置き物や花瓶が、数は多くないものの見やすい間隔で陳列されている。
キアラのような素人目にも分かるくらいに、なるほど品の良いものばかりだ。
ザッと店内を見渡したジャンヌが、奥のカウンターショーケースへと進むので、キアラとウィリアムもそれに続いた。

「ちょっとよろしいかしら?」

「はい、いらっしゃいませ。」

ショーケースを挟んで正面、年配の男性がジャンヌに笑みを向ける。
身体にピッタリと合った濃紺の3ピーススーツに清潔な白手袋をはめた紳士。
左右に撫でつけた髪、整えられた口髭など、彼の外見への気遣いから、この店が普段相手にしている客層が窺い知れる。

「こちらのお店では、カフスボタンは取り扱っていますか?こちらのお二人がお父上へのプレゼントとして探しているのですが。」

ジャンヌが少し体を横にずらし、キアラたちを示す。
男性はキアラとウィリアムに目をとめると、柔らかく微笑む。

「こんにちは、スィニョール、スィニョリーナ。店主のセルジョです。どうぞお見知り置きを。」

スィニョールが紳士に対する、スィニョリーナが淑女に対するイグニス語の尊称だったはずだ。
幼いウィリアムにも丁寧な対応のセルジョに、キアラは好感を持った。

「カフスボタンはどのようなものをお探しでしょうか?当店では、宝石をあしらったものや、アンティークボタンに少し細工をしたものなどが人気でございますが。」

「お嬢様はどのようなものがよろしいです?」

「え、ええと…」

そう言って向けられたジャンヌの、笑っているようで笑っていない視線から、ここは一つ演技が必要だと悟ったキアラだが、咄嗟には言葉が出てこない。
すると、そんなキアラに思わぬところから助け船が入る。

「ボク、お花のボタンがいいと思う!」

「え、ウィリアムさ…ま、まあ!選んでくれるの?」

ニコニコ顔のウィリアムの、こちらは本当に笑っているようにしか見えない視線から、ここは彼に任せるのが良いと悟るキアラ。
セルジョと話がしやすいようにと、ジャンヌが抱き上げる。

「お父様のお友だちがね、きれいなお花のボタンをつけてたの。ボクはあれをお父様にプレゼントしたいな。とっても、きれいだったから!」

「お花、でございますか。どのようなものか、もう少し詳しく私に教えていただけますか?」

セルジョはウィリアムに対しても紳士的な態度を崩さず、本当にどのようなものか確認しようとしている。

「うーんと、ベゴニアっていうお花なんだって。バラに似てるけど、それよりも可愛いお花だって、キアラ姉さん言ってたよね?」

現物を見ているのはキアラだけなので、ここは自分が頑張るところだと腹を括って頷くと、記憶を呼び起こしながら口を開く。

「ええ、大きさは一般的なカフスボタンなのですが、丸いボタンに、バラよりも丸みのある花弁が彫られておりました。土台となっているボタン自体は金色だったと思います。陰影がついた見事な彫り細工でして、花弁が紅、中心が黄色で色付けされていました。花弁は外側に行くほど濃く、内側は薄く。使われている色こそ少ないのですが、ボタンの中に重ねて咲く花々は、つい目がいってしまうような華やかさがありまして…」

そこまで言ったところで、キアラは細かすぎる自分の説明にハッとする。
ウィリアムのキョトンとした顔はいいとして、ジャンヌの驚きと呆れを足して割ったような無言の圧力が怖い。

「あ、す、すみません…私ったら力が入ってしまって、細かく説明しすぎました…かしら?」

客として怪しまれたのではと内心ヒヤヒヤしたが、予想に反してセルジョは朗らかな笑みで答える。

「いえいえ、それだけ印象深い物お品だったのですね。私も実際に見てみたいと思いましたよ。詳細に教えていただき、ありがとうございます。」

セルジョの表情からは、特にキアラを不審に思っている様子はない。
父親へのプレゼントを必死に探す姉弟という話を信じてくれているようだ。
キアラは(おそらくジャンヌも)内心で胸を撫で下ろす。

「いいえ…ところで、そのような細工のボタンはございますか?」

「そうですね…残念ながら、全く同じものとなりますと、この店にはございません。」

「そうですか…」

予想していた答えだったとはいえ、やはり落胆はした。
では、ベアトリーチェ王女へのお土産でも…と思ったところで、セルジョが続ける。

「ですが、似たようなものでしたらご用意できるかもしれません。お話をうかがっていて、1つ思い出したものがございます。」

「似たもの、ですか。」

キアラはジャンヌたちに一度目線で確認すると、セルジョに期待のこもった眼差しを向ける。

「一応、見せていただけますか?」

店の奥に消えて数分後、セルジョは小さな箱と共に戻ってきた。
そして、濃紺のビロードの箱が目の前で開いた瞬間、キアラの腕に鳥肌が立つ。

ー似ている。

「こちらはベゴニアではなく、ピオニーを彫ったものなのですが、いかがでしょうか?ご説明いただいたもの程かは分かりませんが、非常に立体的で細やかな彫りとなっております。使われている色の数は確かに少ないのですが、花弁の一枚一枚の色付けが丁寧なため、瑞々しく咲くピオニーを精巧に表現したお品です。」

まさしくセルジョの言う通りだ。
男性の親指程という小さな金地の世界に、堂々と咲き誇る1輪のピオニーの花。
花もデザインも違うのだが、キアラにはそれが、アーロンのものと瓜二つのように思えた。
同じ画家の、違う絵を見ている感覚とでも言えば良いのだろうか。

「とても、素敵、です…」

驚きと戸惑いをないまぜにしながら、助けを求めるようにジャンヌを見る。

「お嬢様、お金のことでしたらご心配はいりません。こちらでよろしいですか?」

「ボクもこれがいいと思うよ、キアラ姉さん!とってもきれいだもん。」

「え、ええ、そうね。」

キアラの態度から何かを察したジャンヌが、その様子をセルジョに不審に思われないよう、すかさずフォローしてくれた。
ウィリアムにまで後押しを受けた形に、キアラは曖昧に微笑むしかない。

「では、こちらをください。」

「ありがとうございます。只今お包みいたします。」

「プレゼント用にしてくださいますか?」

「畏まりました。」

セルジョは微笑みを浮かべて恭しく一礼すると、レジの方へとジャンヌを案内する。
ウィリアムはジャンヌの邪魔にならないよう、その腕をそっと離すと、キアラの隣にピタリとついて、何とも自然に手を繋ぐ。
本当に5歳児なのか。

「ちなみに、とても素敵なお品ですが、こちらには馴染みの職人さんでもいらっしゃるのですか?ご紹介いただきたいくらいです。」

得意のコミュニケーション能力を発揮して探りを入れるジャンヌを背中に、キアラはウィリアムと店内のものを眺めている(ふりをする)ことにした。
これまでの短い経験で、自分の演技力の低さは分かったので、こうなったら自分は必要時以外は気配を消すのが一番だと判断したのだ。

「いえ、うちの店はセレクトショップとでも申しましょうか。各地で良いと思った品を買い付けて売っているものでして、特定の職人は抱えておりません。」

「あら、そうなんですか。」

「こちらのお品は、確か、貴族の方がオーダーして職人に作らせたものだそうですよ。」

「オーダーしたのに、使わなかったのですか?」

「何でも、別のものにされたとかで。ああ、きちんとしたお相手ですので、お金周りで揉めた、ということはないそうです。その点はご安心ください。」

セルジョは箱を包む手を止めると、少し慌てたように付け加えた。
その様子にジャンヌは苦笑したのが背中にも分かる。

「ええ、分かっています。」

「こちらの品は華やかでございましょう?私も一目見て素晴らしいと思いました。ただ、ここイグニスでは、もう少し男性らしい意匠の物が好まれますので、これまで残っておりました。」

「それは幸運でした。今後、家から何か頼む機会もあるかもしれませんし、ぜひ、この素敵な仕事をする職人にお会いしてみたいですわ。お二人とも気に入ったご様子ですし。」

「なるほど。」

すると、それまで饒舌だったセルジョから一変して、何か言い淀むような態度になる。

「何か、ご存じなのですか?」

「そうですね……8区にある、アントニオ商会はご存じですか?」

「ええ、存じています。」

偶然にも次の目的地の名前が出てきて、キアラはセルジョたちの方を向いてなかったことを神に感謝した。
ただ、店内を歩き回るウィリアムと違い、さっきから同じランプを眺めているのは側からみて怪しいのには違いないのだが。

「あそこはうちとはで商売されています。実は、この品も元を辿るとそこからのものでございまして…。あちらでしたら、何かご存じかもしれません。」

「そう、なんですね。」

「品物に罪はございませんし…」

最後のは、キアラの耳にやっと届くような小さな呟きだった。
明らかなセルジョの変化に、キアラは眉根を寄せた。

「ありがとうございます。訪ねてみますわ。まあ、ステキな包装ですね!お二人とも、ご覧になってください。」

ジャンヌが弾んだ声でキアラ達に声を掛ける。
濃いネイビーの包装紙に、光沢のある茶色のリボンが掛けられており、確かにシックで素敵だ。
セルジョはそれを紙袋に入れると、キアラたちを外まで見送ってくれた。

「ありがとうございました。またのご来店、お待ちしております。」

「こちらこそ、ありがとうございました。」

最後に笑顔で挨拶をしながらも、キアラは目だけでセルジョを確認してみる。
深々と礼をする彼の様子に、違和感は微塵も感じなかった。
不思議に思ったのは、気のせいだったのだろうか。

だが、馬車に戻ると、ジャンヌは開口一番こう言った。

「さて、面白くなってきた。」
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