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26話

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 蹄が地面を叩きつける衝撃、馬が風を切って駆けていく。
 後ろに乗ったセリムからは、今にも途絶えそうな呼吸音が聞こえる。
 私は手綱を握りながら、後ろへと手を回して彼を支えた。

「あと少しで医療所があります! 耐えてください! セリム!」

「……あぁ」

 掠れた声は、本当に限界であり……今すぐ整った施設で治療を施さねばならない。
 だから私は彼と共に、医療所へと馬を駆ける。
 傷だらけの彼は弱弱しい力で、私になんとか体重を預ける。

 各地の暴動を収め、王都に迫る反乱軍の本軍を止めに向かった先。
 まさか……セリム自ら彼らを説得していると思わなかった。

 おかげでフロレイス家の私兵により、反乱軍の鎮圧が無血で終わった。
 あり得ぬ奇跡、まさに未曽有の犠牲を防いだに等しい功績だ。

「まさか、貴方が反乱軍を止めているなんて思わなかったわ、セリム」

「そうだな……僕が、一番驚いているよ」

 セリムの説得により、大きな内乱が生まれていたかもしれない最悪な未来を止めたのだ。
 驚きと、誇らしさ……私はなぜか、彼の成長とも言える行動が嬉しかった。

「なぁ、ラテシア……僕は、やはり王の器では無かったのだろう」

「セリム……」

「反乱軍は止まってくれた。だが……この反乱を止めるため、犠牲になった者も多く居る。皆を死なせたのは他でもない僕だ」

 セリムが漏らした懺悔の言葉と同時に、肌にポツリと水滴が落ちる感触が走る。
 雨が降り始めてきており、徐々に雨足が強まっていく。

「やっと、分かったんだ。僕は王としてあまりに自覚がなかった。つまらぬ嫉妬心で判断を誤らせた。その先に……このような悲劇が起こるとも分からずに」

「いえ、私も同じです貴方を説得するために、もっと時間をかけるべきだった。話合うべきだった」

「はは……君が、反省する必要はないさ」

「セリム、確かに貴方は判断を誤ったかもしれません。ですが……これから先の行動次第で……」

「次なんて……––––」

 雨音が激しく、彼の声が上手く聞こえない。
 手綱を握りながら、私は身をセリムへと寄せた。
 すると彼は、小さな声で話を続けている。

「覚えているか? 君が、言ってくれたんだ。僕を……支えてくれるって」

「覚えていますよ。貴方が、ガーベラの花束を渡してくれたあの日ですよね」

「なぜ、忘れていたんだろうな。あの時の君の笑顔と、その言葉。それだけがあれば充分だったはずなんだ……僕は」

 私の袖口を掴んだセリムが、嗚咽を漏らす。
 そして、震える声で言葉を続けた。

「その支えさえあれば充分だった。なのに、君と離れていた期間……多くの声に迷い、判断を誤ってしまった」

「……」

「君は離れていても変わらず、ずっと……ずっと。僕を支えようとしてくれていたのに、今……この瞬間でさえも」

「……セリム。私は」
 
「それを僕が裏切った。君の厚意を……無下にした。やっと分かったよ。全部間違っていたのは僕だ」

 言葉を告げたセリムが、手綱を握る私の手に……血に濡れた手を添える。
 雨音の激しい中、彼が告げる言葉だけがハッキリと聞こえた。

「ごめん、ラテシア。僕が間違っていた」

 漏らされた謝罪。
 彼が非を認めたという事実。
 
 独立を始めた時から今まで、ずっと望んでいたことなのに。
 何故か、彼から漏らされた謝罪を聞いて……頬を温かな雫が伝っていく。

「遅すぎますよ。セリム……」

「そうだよな。ごめん」

「私はずっと、貴方が王となり……その隣で支えとなれる日を待っていました。民のため、純粋に努力していた貴方を見て……そう思っていたんです」

「全て踏みにじって君を裏切ったこと、今になって後悔している」

 セリムはそう言って、先程よりか細い声で言葉を告げた。

「僕にはやはり王たる資格は無かった。君を裏切ったその日から、ずっと……王としてなにもかもが不出来な愚王であった」

「セリム……それは違います」

「っ……ラテシア」

「貴方は、王として責務を果たしましたよセリム……立派でした」

 私が漏らした賛辞。
 それを聞き届けたセリムは、私の頬に流れる雫を手で拭って……
 嬉しそうな声色で囁いた。

「そうか……その言葉で……僕は…………充分だよ。ラテシア」

「まだ、充分ではありません。ここからです……これから、貴方は……」

 期待していた返答はなく、雨音のみが聞こえる。
 土砂降りとなった雨の中で、私は馬を走らせながら問いかける。
 
「セリム……」

 返答がない。

「セリム?」

 彼が私を掴んでいた手が、力なく垂れているのに気付く。
 馬の走る揺れの中、そこに抵抗の力が含まれていない。

「セリム!」

 私の背に乗るセリム。
 彼の身体が、徐々に力なく私によりかかる。
 先程まで聞こえていた、か細い呼吸音さえ聞こえなくなって……

「答えてよ…………セリム」

 これは雨の音のせいだと、心に言い聞かせながら。
 降りしきる雨の中……私の頬を伝うのはなにかも分からぬまま、馬を走らせるしかなかった。

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