上 下
41 / 56

彼女が居ない生活⑨ ヴィクターside

しおりを挟む
 ナターリアと離婚をした。
 その事実が頭から離れず、屋敷の中で俯く。

「はは……間違えたんだな、僕は」

 母の言葉を鵜吞みにして、ナターリアを遠ざけた。
 全てはそれが始まりで、後悔の元だ。

「あぁ––!! なんでぇ……」

 別室から、母の嘆く声が聞こえる。
 僕に失望して、嘆いているのだろう。

 当然か。 
 あの夜会での貴族達からの冷たい目線。
 そしてこれから、貴族家の籍すら消えてしまうという未来。

 考えるだけで苦しくて、とても正気でいられない。
 

 今まで女手一つで育っててきてくれた母に、そんな結末を迎えさせてしまった。
 母が悪いと言った時、傷付く表情を見せた母の顔が離れない。

「これから、どうすれば良いんだ……僕は……」

 母の言葉に従うべきという考えは全て間違いで、僕はナターリアを大切にすべきだった。

『いい大人なんです、自分で判断してください』

 夜会で彼女が言った通り、自分で考えて判断すべきだった。
 もう、手遅れだというのに。
 その後悔だけが、胸を満たす。

「……もう、振り向いてれないよな。ナターリア」
 
 見知らぬ男性へと笑うナターリアに……僕への愛は残っていなかった。
 どれだけ懇願しても、振り向いてくれないと分かる。

 でも……それでも。

「ナターリア……僕は、後悔しか……ないよ」

 彼女のおかげで今までの地位を築けていた。
 それが分かっていて、僕は結局最後まで母の言う通りにすべきと判断してしまった。

 自ら決断できなくて、母に嫌われたくなくて……最後に会う間際まで君を侮辱する母を止めなかった。
 同罪だ、結局……無責任に他人に判断を委ねていたのだろう。 
 それが今は、後悔しかない。
 
「ごめん……」

 意味がないのに、そんな言葉が止まらなかった。

「ヴィクター……?」

「っ!! シャイラ」

 どこから聞いていたのか、シャイラが部屋の扉を開く。
 彼女も泣いており……目元が赤く腫れていた。

「シャイラ、今は放っておいてくれ。今後の事は……落ち着いてから話し合おう」

「ヴィクター……私ね、お姉様に謝りに向かいたい」

「……え?」

「お姉様に嫌われてるって……やっと分かったの。もう遅いのに……」

 話ながら、ぐすぐすと涙を流すシャイラ。
 もう遅いという言葉、僕も同じ考えだ……

「謝罪なんて無駄だよ。許しを求めて、なんになる」

「……それでもシャイラは……お姉様に謝りたい。今までの事、ちゃんと謝りたい……」

「それでナターリアが許してくれるはずないだろ?」

「それでもいい。シャイラは、今までのことを謝りたいだけ。そうしないと……お姉様に酷い事をした後悔で、なにも考えられないから」

 僕だって同じ気持ちだ。
 でも僕らの反省の言葉など、きっとナターリアの迷惑でしかないと思う。

 そう思うと僕は……また。
 自分で判断ができないでいた。

「シャイラ……少し、考えさせてくれ」

「明日、私だけでも行くから」

「どこに居るかも分からないだろう。今は待ってくれ」

 決断を先延ばしにして、僕は結局成長できていない。
 シャイラは行動しようと足掻いているのに、僕は…………

 トントン。
 ふと、玄関扉からノックの音が鳴る。
 こんな夜更けに来客の予定などない。
 一体誰が……

「どなたです……えっ……!?」

「ヴィクター……やはり居たか」

「だ、団長?」

 そこに居たのは、王宮騎士団長だ。
 険しい表情を浮かべて、ぼくを睨む。
 どうしてここに。

「あの……いったい、何の用で……」

「手を貸せ。今から殿下の身柄を取り戻しにいく」

「え……え?」

 なにを言って…………
















「冗談だ。反応を見るに、お前はなにも知らないようだな」

「だ、団長?」

「お前の手引きでナターリアと殿下が接触したのなら、文句でも言いたかったが……知らぬのなら何も言うまい」

 険しい表情を一転。
 朗らかに笑う団長は、ある物を見せた。

「本当は、これを返しにきただけだ」

「え……これは」
 
 団長が僕に手渡すのは、ナターリアが縫ってくれた手袋だ。
 確か、団長とデイトナ殿下が魔力が宿っていると言っていた……

「ど、どうして? わざわざ届けに」

「今しか返せないからだ。もう直に現王政は崩れ去る……王宮騎士団の暗躍した事実も明るみとなり……俺は拘留されるだろう」

「なにを言って……」

「お前の妻……公爵家や辺境伯家まで味方につけて、やり手だよ。副団長から聞き出していたのか、現王政の悪事が今夜だけで幾つも明るみになってしまった。もう抵抗など意味をなさん」

 意味が分からぬ事ばかりだが、不穏な単語に反して団長は平穏な様子だ。
 拘留されると言ったのに、何故か清々しく笑っている。

「なぁ、ヴィクター。お前の境遇……不倫調査の際に調べたがな」

「え?」

「お前は俺と似てる。判断を誰かに委ねてる。それが一番楽で……一番なにも考えずに済むからな」

「……」

「俺も王宮騎士団長と聞こえはいいが、無責任に王政が正しいと盲信して……決断する力を失い、不正を手伝った愚か者だ」

 団長の言葉には、通ずるものを感じた。
 僕も母が正しいと信じ、決断する力を失って後悔している。

 だけど、続く彼の言葉は違った。


「でもな、それはきっと……俺たちにだって非はあるんだろうさ」

「え?」

「俺の父上も騎士で、デイトナ殿下を庇って亡くなった。それから俺は……死んだ父のため、王になってくれと殿下に頼み込んだ」

「なにを言って……」

「好きに頼って責任感だけ負わせて、俺は殿下と向きあえなかった。あの方の暴走を諌められなかった」

 思えば、僕も母に頼り切っていた。
 亡き父が居なくても奮闘していた母に、どんな時も判断を頼って依存していた……

「本当に悪いのは、決断を相手に委ね続けた俺達なのだろう。お前の母も……デイトナ殿下も、きっと期待に応えようと必死にならざるを得なかったんだ」

 団長は哀愁が漂う笑みを見せる。 
 デイトナ殿下がなにを犯したのか、僕には分からない。
 ただそれでも、団長の言葉に……母を責めた事への痛みが広がった。

「ナターリア嬢は辺境伯領に居るらしい。手袋……どう使うかはお前に任せる」

「団長……感謝、します」

「礼は必要ない。これは俺なりの……贖罪だよ。拘留される前に本音で話したかっただけだ」

 そうか……団長は。
 後悔しているからこそ、来てくれたのだろう。

「団長、貴方は……これで前を向けそうですか?」

「独房の中で過ごすから意味はないが……空を見る時の気分は、良くなったかもしれないな」

 言葉を残し、団長は軽く手を振って去っていく。
 どんな罪を犯したのか、現王政が終わるといった不穏な言葉の意味は分からない。

 だけど。
 清々しそうな団長の背中が、羨ましくも見えた。



   ◇◇◇




「大丈夫だった、ヴィクター?」

「っ!! あぁ、シャイラ。……なんでもないよ」

 心配の言葉をかけてくれるシャイラ。
 彼女が初めて……僕を気にかけている様子に、以前と違う成長を感じる。

 僕も……そうやって前に進みたかった。
 だから、ようやく。
 遅いけど、自分で決断をしよう。


「なぁ、シャイラ。ナターリアに迷惑だと思われてもいいのか?」

「……うん」

「僕らが行けば、きっと拒絶される」

「それでもいいの。ちゃんと謝ろう? シャイラ……悪い事をしてたって、やっと分かったから」

 シャイラの言葉に、僕は大きく息を吐き……頷く。
 この後悔を晴らすためなんて、身勝手な理由での謝罪だ。
 ただそれでも、僕らは前に進むために。

「分かった。ナターリアの元へ行こうか、シャイラ」

「っ!! いいの?」

「あぁ、僕も謝罪したい。それに手袋も……返さないといけないからな」

「シャイラもいく。私も……ちゃんと謝りたいの」

「……あぁ、行こう」

 はじめての決断に、不思議と迷いはない。
 僕が選び、決断した事だからかもしれない。

「シャイラ、出る前に少し母さんに会って来る」

「え? うん……でも、大丈夫?」

「……あぁ」 

 僕は彼女を置いて、母の待つ部屋へと入る。
 すっかり憔悴し、心が放心状態の母は僕を見ずにうわ言を続けた。

「あの人が亡くなってから、私が頑張って……あの子のため……でも、それは失敗で……」

「母さん……ごめん」

 母の肩を支えて、なるべく優しく抱きしめる。
 頼り切っていた母の身体は、僕が思う以上に細かった。

「もう、大丈夫だから。もう……母さんに頼らずに済むよう僕が頑張る。ごめん……全部任せてしまって」

「……」

「ナターリアには僕から謝罪するよ。これからは……母さんに負担をかけないように頑張るから」

 頼り切っていた母の背を撫でる。
 憔悴していた母は心が壊れているように、黙ったまま……もう僕を見ない。
 でも、今はこれでいい。

「行って来るよ、すぐ……帰ってくるから」


 これからシャイラと共に、謝罪へ向かおう。
 僕らの間違いはきっと許されない、許されると思っていない。



 でも、団長と同じように少しでも、前を向くためにも。
 この後悔と……贖罪の気持ちを、伝えたい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

水魔法しか使えない私と婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた前世の知識をこれから使います

黒木 楓
恋愛
 伯爵令嬢のリリカは、婚約者である侯爵令息ラルフに「水魔法しか使えないお前との婚約を破棄する」と言われてしまう。  異世界に転生したリリカは前世の知識があり、それにより普通とは違う水魔法が使える。  そのことは婚約前に話していたけど、ラルフは隠すよう命令していた。 「立場が下のお前が、俺よりも優秀であるわけがない。普通の水魔法だけ使っていろ」  そう言われ続けてきたけど、これから命令を聞く必要もない。 「婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた力をこれから使います」  飲んだ人を強くしたり回復する聖水を作ることができるけど、命令により家族以外は誰も知らない。  これは前世の知識がある私だけが出せる特殊な水で、婚約破棄された後は何も気にせず使えそうだ。

離婚したらどうなるのか理解していない夫に、笑顔で離婚を告げました。

Mayoi
恋愛
実家の財政事情が悪化したことでマティルダは夫のクレイグに相談を持ち掛けた。 ところがクレイグは過剰に反応し、利用価値がなくなったからと離婚すると言い出した。 なぜ財政事情が悪化していたのか、マティルダの実家を失うことが何を意味するのか、クレイグは何も知らなかった。

今日からはじめる錬金生活〜家から追い出されたので王都の片隅で錬金術店はじめました〜

束原ミヤコ
恋愛
マユラは優秀な魔導師を輩出するレイクフィア家に生まれたが、魔導の才能に恵まれなかった。 そのため幼い頃から小間使いのように扱われ、十六になるとアルティナ公爵家に爵位と金を引き換えに嫁ぐことになった。 だが夫であるオルソンは、初夜の晩に現れない。 マユラはオルソンが義理の妹リンカと愛し合っているところを目撃する。 全てを諦めたマユラは、領地の立て直しにひたすら尽力し続けていた。 それから四年。リンカとの間に子ができたという理由で、マユラは離縁を言い渡される。 マユラは喜び勇んで家を出た。今日からはもう誰かのために働かなくていい。 自由だ。 魔法は苦手だが、物作りは好きだ。商才も少しはある。 マユラは王都の片隅で、錬金術店を営むことにした。 これは、マユラが偉大な錬金術師になるまでの、初めの一歩の話──。

継母や義妹に家事を押し付けられていた灰被り令嬢は、嫁ぎ先では感謝されました

今川幸乃
恋愛
貧乏貴族ローウェル男爵家の娘キャロルは父親の継母エイダと、彼女が連れてきた連れ子のジェーン、使用人のハンナに嫌がらせされ、仕事を押し付けられる日々を送っていた。 そんなある日、キャロルはローウェル家よりもさらに貧乏と噂のアーノルド家に嫁に出されてしまう。 しかし婚約相手のブラッドは家は貧しいものの、優しい性格で才気に溢れていた。 また、アーノルド家の人々は家事万能で文句ひとつ言わずに家事を手伝うキャロルに感謝するのだった。 一方、キャロルがいなくなった後のローウェル家は家事が終わらずに滅茶苦茶になっていくのであった。 ※4/20 完結していたのに完結をつけ忘れてましたので完結にしました。

政略結婚だと思われていたのですね。わかりました。婚約破棄してさしあげます。

ふまさ
恋愛
「私が本当に愛しているのは、君だけだよ」  伯爵家の嫡男であるニックが誰もいない校舎の裏でそう囁いたのは、婚約者であるラナではなく、ラナの親友のレズリーだった。 「でもごめんね。家のためには、公爵家の長女であるラナと結婚するしかないんだ」  ラナは涙した。両思いだと信じていた。いつだって優しかったあなた。愛していると何度も言われた。なのに──。  最初は哀しかった。胸が張り裂けそうなほど。でも。 「ラナと結婚するのは、お金のためだけだよ。信じて」  泣きじゃくるレズリーを、ニックが必死に慰める。ラナのせいで。ラナがニックを好きにならなければと、陰口を言い合いながら。  ラナはふと、胸の奥の何かがぷつんと弾けた気がした。  ──ならば、お望み通りに。

婚約者を解放してあげてくださいと言われましたが、わたくしに婚約者はおりません

碧桜 汐香
恋愛
見ず知らずの子爵令嬢が、突然家に訪れてきて、婚約者と別れろと言ってきました。夫はいるけれども、婚約者はいませんわ。 この国では、不倫は大罪。国教の教義に反するため、むち打ちの上、国外追放になります。 話を擦り合わせていると、夫が帰ってきて……。

豆狸2024読み切り短編集

豆狸
恋愛
一話完結の新作読み切り短編集です。

辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです

茜カナコ
恋愛
辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです シェリーは新しい恋をみつけたが……

処理中です...