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10話

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 辺境伯領に移り住んで一か月、とても充実した日々だ!
 ここの人達が皆いい人ばかりのおかげだろう。

 魔物という危険が隣にある場所ゆえに。
 人間同士でいがみ合わず、協力していこうという風土なのが心地よい。

「ポーちゃんも、ここが居心地よくて住んでるのよね」

「クルッポー」
 
 ハトのポーちゃんに日課の餌をあげる。
 餌をついばむポーちゃんは、今日も可愛らしい。

「気に入ったら、ずっとこの家に住んでいいからね?」

「ポーーー」

 私が言った言葉と裏腹に、餌が尽きた瞬間に颯爽と飛び立っていく。
 オマケのフンまで落としてだ。

「相変わらず……懐く気配すらないわね」

 まぁ、私が勝手にポーちゃんからの信頼を求めているだけだ。
 餌やりに対価が返ってくるなんて傲慢な考えはよそう。
 フンを掃除していると、今日もルウがやってきた。

「ナーちゃん、きょーもいっしょいこ!」

「ルウ、少し待っていてね」

「うん。まってる~」

 今日の授業はいよいよ魔法学、楽しみだ。

 期待を胸に、縫い終えた手袋を鞄に入れる。
 あれから手袋は兵士の方々に好評で、直ぐに売れるので作る甲斐がある。 

 玄関を出れば、直ぐにルウが私の指を握った。

「おててつないでいきたい」

「うん、繋いで行こう! 待たせてごめんね」

「だいじょぶ! いこ!」

 何より、ルウの可愛さに母性が刺激されてたまらない。

 この平穏でおだやかな日常と。
 叶うはずがなかった勉学に励む日々を送れるのは、こうも幸せなのか。
 
 あの家を出て、本当に良かった。
 そう思える程に、私は幸せを噛み締めていた。 

「ナーちゃん、あれ……」

 通学中、ルウが防壁を指さした。
 目を凝らせば……防壁の堅牢な門が開き、魔物のいる領域から戻ってくる兵士の中隊が見える。

 この辺境伯領では、訓練もかねて定期的に防壁付近の魔物を減らすらしい。
 その一環で、夜間に掃討作戦があったのだろう。 

「あれ……お父さんだ! おむかえにいこ! ナーちゃんも来て!」

 ルウのお父さんも、あの中隊に居たようだ。
 授業まで余裕もあるので、私もルウと共に向かう。

「おとーさーん!」

「おっ!! ルウ! かえったぞぉ!」

 ルウをお父さんが抱っこして、微笑ましい光景に数人の兵士が集う。
 私は彼らに労いの言葉を送っていると、一人の兵士が問いかけた。

「ナターリアさん、この手袋……どうやって作ったか教えてくれないか?」

「え……普通に皮や布を縫い合わせただけですが」

「だよ……な」

 どういう意味だ。
 なぜか皆が不思議そうな顔をしているので、私も首を傾げる。
 そして彼らは、戸惑いの理由を明かした。

「この手袋を付けてから、明らかに調子がよくてな」
「俺もだ、剣が軽いっていうか……」
「新兵の僕でさえ、今日は討伐数を稼げましたからね」

 いやいや、なんだか盛り上がっているが……
 手袋一つで実力が大きく変わるはずはないだろう。

 大げさに褒めてくれているのだろう。

「それは、皆さんの努力のおかげだと思いますよ」

「う……うーん。そう……かな……」

「手袋で変わるはずないですよ。これ……追加で編んだ物です。欲しがってた人へあげてください」

「助かるよ、他の兵士にも大人気でな。売って来るよ」

「もっと宣伝しておいてください、私の懐が潤いますから」

「じゃあ、マージンでも頂こうかな?」

 私とルウパパが、ニヤニヤと商談をしていた時だった。
 周囲の視線が、何故か集まっているのに気付いた。
 
 同時に、その場の全員が喋っていた口を閉じ……即座に跪く。
 いったい何が……?

「お前が、ナターリアか」

「え?」

 聞こえた声に振り返れば……直ぐ後ろに男性がいて一驚してしまう。
 大きな体躯に、彫刻のような顔立ちと銀糸の髪。
 満月のような琥珀色の瞳が、私を見下ろしていた。

 この人は……誰……?

「辺境伯様。どうしてここに……?」

 跪いた兵士たちの声に、またまた虚を突かれた。
 驚くのは当然だ。

 辺境伯––リカルド・シルジュ様。
 この領地を治めている方が、ここに居るのだから。

 彼については王都でも多くの噂が広まっていた。
 多くの兵士が死んだ戦場でも表情一つ変えずに剣を振るう姿を、王都では畏怖の対象として噂となっているのだ。
 命に背けば、即座に首を落とされる……なんて真実かどうか分からぬ話も聞く。

「……」

 そんな人が、私の名を呼んで見つめている。
 掃討作戦に参加していたのだろう。
 鎧は血にまみれて、頬と髪にまで付着した返り血が乾き固まっている。
 そして一切表情を動かさない姿と、有無も言わさぬ威圧感に……兵士の皆さんが視線を落としていた。

「来い」

「え」

「……付いてこい。お前に話がある」

 突然呼びかけられたと思えば、着いて来いとは?
 周囲の兵士達は、直ぐに辺境伯様に着いて行くんだと目線で訴えてくるが……


 当然、私の答えは……決まっている。


「えーと、お断りします!」

「……は?」

「学園に行きますから、それでは!」

 辺境伯様に礼をして、私はルウを抱っこしてから歩き出す。
 周囲の兵士が慌てて肩を掴んできた。

「え、えっとナターリアさん。相手は辺境伯様で……」

「私……今日は外せない授業があるんです!! この一か月楽しみにしてた授業が始まるんです!」

 辺境伯様の要件は分からないが、私は授業の方が最優先だ。
 そう思って答えれば、リカルド様は無表情のまま……首を傾げた。

「授業……だと?」 

「はい、今日から魔法学が始まるんです!! 絶対外せません。用があるならその後でお願いします!」
 
「なぁ!?」

 周囲の兵士が啞然としている中、辺境伯様は暫く黙った後……

「もういい。行け」

 と、意外にもあっさりな返事をしてくれた。
 ならば、もう気にする必要はないだろう。

 呼び出された理由は分からないが……今は授業の方が最優先だ。
 なにせ今日は……待望の魔法学の日なのだから。

 自由に生きる私は、自分のやりたいことを優先すると決めている。
 だから今日だけは、辺境伯様なんて気にしてられない!

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