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5話

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 動揺する皆の前に、私はいよいよ本題となる書類を出した。

「離婚申請書です。私の名前は書いてあります」

 事実上、離婚を告げる書類。
 それを見せた途端に、ヴィクタ―は私の傍へと近寄った。

「考えを改めるんだ。こんな形で出て行けば……後悔するのは君だ。家族を失うぞ」

「後悔は、もう十分にしております」

「君は、妹を見捨てたも同然だ」

「妻を裏切ったのは、貴方では?」

 返す言葉を告げ、出て行こうと踵を返す。
 だが、当然ながら。
 父が怒りの形相で私を睨み、立ちふさがった。

「なぜ分からない。シャイラを受け入れるだけで、皆が幸せになれるのだぞ」

「お姉様……どうして、どうして私を嫌うの? 酷いわ……私はこんなに、お姉様が好きなのに」

 号泣するシャイラを見て、お父様がさらに怒気を強める。
 そして私の腕を掴んだ。

「っ……」

 想像通り。 
 あまりに予想通りの対応だ。
 彼らは話を聞かず……私を無理やり抑え込むだろうと分かっていた。
 
 だから当然、対策はしている。
 今は焦らずに、抵抗はしない。 

「ナターリア。貴族令嬢なら家族の利益を最優先で考えろ」

 父は私を押さえつけながら、ヴィクター様へと視線を向けた。

「ヴィクター様。この屋敷に鍵付きの部屋はありますか?」

「え? はい。地下に……」

「なら、そこに一時ナターリアを閉じこめます。良いですね」

「っ……分かりました。今のナターリアは冷静な判断が出来ないのでしょう。時間を置いて説得しましょう」

 父の言葉に、ヴィクターはあっさりと了承の言葉を返す。
 私が閉じこめられる事に、少しも罪悪感はないようだ。

「ナターリア。君の結論を僕らは受け入れられない。こんな書類を準備した君は、最低だ」

 ヴィクタ―は離婚申請書を手に持って引き裂いた。
 ビリビリに破かれたソレを拾い、思わず呟いてしまう。

「ヴィクタ―……貴方が、その選択をしたのよ?」

「? なにを言っている。君は家族のために少し頭を冷やせ、地下室で考え直すんだ」

 その答えに……思わず緩む頬を抑えた。
 彼は気付いていない。
 離婚申請書を自ら破いた意味を…… 
 
 その後、突き飛ばされて地下の部屋へと入れられた。
 ガチャリと鍵がかけられる。

「ナターリア……ちゃんと聞いてくれ」

 閉じられた部屋の外から、声がした。
 ヴィクターだ。

「僕は本当に君のために、シャイラを迎えたつもりだ」

「私のため?」

「君は、妹を大切にしていたのだろう?」

「……」

「そして君は僕の母と暮らすのは居心地が悪そうだった。だから……家族が近くに居る方が安心するだろうと思ったんだ」

 それが私のためだと……本気で言っているのなら止めてほしい。
 話も聞かない身勝手な優しさなど、必要ないのだから。

「それは貴方が不倫した理由を……後付けで美化しているだけよ」

「……どうして、分かってくれないんだ」

 ヴィクターの足音が、扉から離れていく。
 そして、捨て台詞のように呟く声が聞こえた。

「君もシャイラも、僕は本気で幸せにしたい。これは本心なんだ」

「貴方はそれで優しく生きているつもりなのね」

「……」

「でも、その優しさが……幸せになるとは限らない。今の私のようにね」

「…………屋敷を出て行けば、後悔するのは君だ。考えが変わるまで、そこに居るんだ」

 ヴィクターは「分かってくれるまで、君と話し合うから」と告げ、その場を去った。
 分かるまで私を閉じこめるの間違いだろうに。
 美化をした言い方に、ため息が漏れる。

「残念ながら、もう話し合う機会はないわよ……ヴィクター」
 
 誰にも聞かせぬ呟きと共に、私は時間が経つのを待つ。
 ここまで全てが順調に進んだ。
 後は、出て行くだけだ。



   ◇◇◇



 かなり時間が経ち、恐らく時刻は夜。
 夕食の匂いがしてきた。

「そろそろ……ね」
 
 私は地下室の扉に向けて、手をかざす。
 集中しろ。
 教本の通りに、魔力を込めて……
 ガシャリと、音を立てて鍵が開く音が鳴った。

「やった。練習していて……良かった」

 彼らは知らないだろうが、シャイラが魔法学に長けているように私にも少しは魔法は使える。
 一か月前から、魔法を練習しておいて良かった。
 魔法書から学んだ技術だが、上手くいったようだ。

 あえて解錠の魔法を使ったが、出る方法は他に幾らでもある。
 なにせ、この屋敷の改修費用を出したのは私だ。
 この屋敷中の、地下室の予備鍵さえ、当然ながら持っている。

「まぁ。また捕まった時の保険のため、今回は予備鍵じゃなく解錠魔法だけどね」

 鍵を持っているとまだ知られる訳にはいかないからね。
 そして、地下室から出るが監視は居ない。
 当然だ。
 この伯爵家では昼間は使用人を雇っているが、軟禁した妻を夜間まで監視でき、他家に漏らさぬ口の堅い者を雇う貯蓄はない。


 これが分かっていたから、私は捕まる事を想定して、彼らの前に立った。
 ただ出て行けば、話し合いもせず資産を持ち逃げした妻となる。
 その不名誉を避けるため、離婚について切り出したのだ。

 そして離婚調停で進めようとした妻を……彼らは力づくで閉じこめた。
 この事実を、この屋敷に昼間働く使用人は確かに見ていた。
 さらに私がサインした離婚申請書を破いた事が、その事実の裏付けともなる。
 
 これで、私の不名誉な噂を流されても払拭できる。
 出ていくからには、後に繋がる最善を選んだのだ。
 

「なによりあれが、私からの最後の慈悲だったのよ。ヴィクタ―」
 
 破られた離婚申請書を見て、思わず呟く。
 私はちゃんと、離婚の機会を作った。

 だけど彼は、自らその機会を断ち切った。 
 婚姻関係を維持したままなら、学生でありながら不倫したシャイラと、騎士として学生に手を出した事実は消えない。
 これが、二人をどう追い詰めるか想像に容易い。

 私は全てが明るみになった後、不倫された妻として堂々と再度離婚を申し出るだけだ。
 今度は、慰謝料まで取れるであろう立場で。

 そこに罪悪感はない。
 最後の慈悲を断ったのは、彼らだ。



   ◇◇◇


 足音を消して私室から準備していたトランクを持ち出し、屋敷から出る。

 外から屋敷の窓を見れば、ヴィクターとシャイラが笑っていた。
 二人とも抱擁して、熱い口付けをしている。

「私を閉じこめていると思って……完全にいつも通りね。相変わらず吞気だわ……」

 二人の未来には不安しかない。

 私に当主としての仕事を任せた夫。
 そして、なんでも要求すれば叶うと思っている妹。
 この二人が繋がるのだ。

 両親も、義母も……二人を止められるだろうか。
 まぁ、無理だろう。
 彼らの未来は、修羅かもしれない。
 
「でも私にはもう、関係ないわ!」

 妹に人生を捧げ、ヴィクターの隣で仮初の愛を求める生き方は終わりだ。

 私はこれから、自由に好きなように。
 過去を断ち切って、人生を生きていこう!

「じゃあね、みんな」

 自由という身になった途端、驚くほどに軽やかな足取りで歩ける。 
 やりたい事を考えながら、私は自分の人生の一歩を踏み出した。

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