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弐の章・陰の行者、新天地へ参る!
四十の巻 言い伝え
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[四十]
アベノスクネ……一体、何じゃろうな。
なんとなく、人の名のような気もするが、まぁええわ。
「アベノスクネ……本当に、そう書かれているんですか?」
幸太郎は眉根を寄せて訊き返した。
「ああ、そうらしい。というか……そういう風に伝わっておるんだよ。この石碑は若干風化してて、今じゃ読めん字もある。だから、今のこの石は何が書いてあるか、正確にはわからないんだ。だが、家に伝わる過去の文献に、風化する前の内容が書き留められているんだよ。それを読み解くと、そういう内容になるんだ」
なるほどのう。
読めなくなる前のモノを他に書き写してあるのか。
「確かに風化や苔で読めない文字がありますね……しかし、アベノスクネか……」
幸太郎は顎に手を当て、何やら考えているのう。
何か引っ掛かっておるようじゃ。
と、そこで、ぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
「バカバカしい! 何が耶摩だ! 何がアベノスクネだ! アベノスクネだか、アベノミクスだか、アベヒロシだか知らないが、いい加減にしろ。いつまでも古い言い伝えに縛られてるから、この村はダメなんだよ。今が変われるチャンスなんだぞ、伊澤さん!」
声を上げたのは村長であった。
すると続いて、薄い頭髪をテカテカの整髪料で目一杯後ろに流したオッサンが前に出てきた。
「村長の言う通りですよ。良いですか、伊澤さん。今、この耶摩蘇村は、生まれ変わるまたとないチャンスなんです。隣の市との合併協議は、もうほぼ纏まっておりますからね。それに、この地域の土地開発を伴う公共事業の話し合いも、大詰めを迎えているんです。いい加減考え直して貰えませんかね? 事業採択の後だと……伊澤さんも不利益を被るかも知れませんよ」
伊澤は腕を組み、憤慨した。
「下川議員、今度は脅しか……ったく、どいつもこいつも! そんな事業で人が増えるわけないわ。この村がそれで滅ぶのなら、それまでの話だ!」
また喧嘩が始まりそうじゃな。
オッサン同士の揉め事は、どっちも頑固でなかなか折れそうにないのう。
するとそこで、村長が幸太郎に視線を向けた。
「ところで、君達は何しに来たんだね? 役場の者とは違うようだが……」
幸太郎は笑みを浮かべ、村長に名刺を差し出した。
「ああ、ご挨拶が遅れました。私、東京から来ました貴堂不動産・土地調査部の三上と申します。よろしくお願いします」
村長は名刺を受け取り、少し驚いた顔をした。
他の者達も同様じゃ。
「え? 貴堂不動産だって……という事は、ここでの事業の件かね?」
「まぁそれ絡みなのですが、当社としましても、まだ計画段階の事業ですので、今回はただの下見でございます。それに……公共事業として採択がなされた場合、当社としても戦略を練り直す必要がございますのでね」
当たり障りない言い方で、上手く煙に巻くのう。
流石は幸太郎じゃ。
今までの理不尽なクレーム処理で、鍛えられたからな。ほほほほ。
「ほう……そういう事か。ならば、貴方達からも言っておいてくれないかな。古いモノに縛られても、なにも良い事がないんだと。それに……この地の神職が所有する土地を無理に買い上げるような真似は、今後の事を考えるとあまりしたくないんだよ。縁起も悪いんでな」
伊澤は面白くなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らした。
そこで下川という男も、幸太郎達の所に来た。
「貴方がたは貴堂不動産の方だったのか。県議としてお願いするよ。伊澤さんを説得してくれないかね」
幸太郎はそんな2人に対し、人の良い笑顔で返した。
「ですが、私共と致しましても、地権者の方の意見は無視できないモノでございます。下川県議と村長の意見も素晴らしい考えなので、私も尊重したいところではありますが、まずは、双方の折り合いを着けるのがスジかと思います。ですので、それに関しては、ご容赦願いたいのです。申し訳ございません」
淀みない返答じゃのう。
こ奴は図太い神経しとるから、目上の者でも平気で、適当にあしらうからの。
なかなかの煙に撒く話術じゃわ。
日香里も堂々と話す幸太郎にポカンとしとるところじゃ。
「ふむ、確かに、そうだね。折り合いも大事だが……事態はなかなか待ってくれないものでね。しかし、貴堂不動産の者が直接出張って来ているとはね。まだ事業も始まっていないのに……どういう事なのかな?」
下川はそう言って首を傾げた。
「すいません。我々では計画の詳細まではわかりかねるところです。あくまでも今日は、土地の調査でお伺いさせて頂きましたので。そういった計画内容や法的な事に関しては、また事業が始まってからになるかと思われます」
「ふむ、確かに、それもそうか。お、そういえば……貴方も元貴堂グループの出身だと聞いたが?」
下川という男はそこで、隣にいる女に視線を向けた。
スーツを着た物静かな感じの女であった。
ショートヘアという髪型で、歳は沙耶香より少し上かの。スタイルもなかなかじゃ。
何者か知らぬが、今の世で言う美人さんじゃな。
仕事ができそうな雰囲気じゃのう。
まぁそれはさておき、女はそこで頷いた。
「はい、下川先生。前の職場は、貴堂グループの1つ、貴堂商事株式会社です」
ほう、この女子は元貴堂グループの社員なようじゃ。
不思議な縁じゃのう。
「彼女は、自保党幹事長の西園寺先生の秘書でね。今回の件に関しても、調査の一環で来て頂いているのだよ」
女はそこで、伊澤と幸太郎に名刺を差し出した。
「ご挨拶が遅れました。伊澤様、三上様。私は自保党幹事長の西園寺衆議院議員の公設第二秘書を務める黛愛理沙と申します。以後、お見知りおきを」
女はキビキビした口調で挨拶してきた。
なんとなく、初めて会った時の沙耶香のような雰囲気じゃのう。
まぁあそこまでキツくはないがな。
「国会議員の秘書だと……もう、そんな所にまで話が行ってるのか……」
伊澤は名刺を見て、険しい表情をしていた。
恐らく、予想していた事態よりも悪く感じておるのじゃろう。
下川はそれを見て、ニヤッと嫌らしく笑った。
「そういうわけです。まぁ悪い事は言いません、伊澤さん。早めに決断された方が良いかと思いますよ。では、我々はこれで一旦、引き下がるとしましょう。行こうか、村長」
下川はそう言うと、他の者達に目で合図を送った。
他の者達はそれに頷く。
そしてコイツ等は、この場から去って行ったのじゃ。
ふむ、面白くなりそうな気配じゃの。ほほほほ。
*
先客達が去ると、この場は気不味い空気が漂っていた。
アイツ等が、かなりお茶を濁していったからのう。無理もないところじゃ。
役場の男と日香里は、何とも言えぬ表情で伊澤を見ておるわ。
恐らく、声を掛け辛いんじゃろう。
だがそんな中、幸太郎は空気を読まず、仕切り直しとばかりに、伊澤に話しかけたのじゃった。
「さて……それでは静かになった事ですし、少しお話を訊かせて頂きましょうかね、伊澤さん」
「何を聞きたい?」
「ではまず、この土地ですが……その昔、ここには集落があったんですかね?」
幸太郎はそう言って周囲を見回した。
伊澤は頷いた。
「ああ、よくわかったな。それがどうかしたかね?」
「いや、どうもしませんよ。この辺り一帯は森林なんですが、妙に平坦な場所なのでね。そう思っただけです。それと……昔は神事を行われたと言っておられたのでね。ですが、ここは良い土地だと思いますよ。近くに大きな川もあり、風もよく通りますしね。今は木々に遮られておりますが、その昔、ここに人が住んでいた時は陽当たりも良かった事でしょうね。風水的には、かなり好条件な地相ですよ、ここは」
幸太郎の言う通り、山自体はなかなか良い気に満ちておる。
悪くはない土地じゃ。
だが、ココを除いてじゃがな。
「確かに、昔はそうだったのかもしれんな。だが、そんなのは、かなり昔の話だ。今じゃ、この有り様だよ。老人も多く、せっかく生まれた子供も、故郷を捨て、都会に出てゆく。そして、そのまま、戻っては来やせんからな。村長の言う通りだ。だが、俺はな……祖先の言い伝えを守る役目があるんだよ、三上さん。そうやって育って来たんだ。今更、生き方は変えられんよ」
伊澤は悲しい目でそう告げた。
この男も本音では、この土地の呪縛から逃れたいのかも知れぬな。
「言い伝えね……では、それについてお訊きしましょう。耶摩と仰ってましたが、一体何なのですかね? 見慣れない字ですし」
すると、伊澤は困った表情になり、頭を振った。
「それがわかれば、苦労せんわ。あるのは言い伝えだけだよ。ただ……耶摩が目覚めたら、多くの命が失われるとも云われている。本当かどうかはわからんがな」
それは物騒じゃのう。
しかし、命が失われるとは、なんじゃろな。
「多くの命が失われる……ですか。なるほど、それは困った言い伝えですね。ン?」
そこで日香里が、幸太郎の傍に来た。
「三上さん……さっき、アベノスクネという言葉に反応してましたけど、何なのですか? 昔の人の名前のようですけど」
うむ、我も気になるところじゃ。
たぶん、安倍宿禰と書くんじゃろう。
我も八色の姓について、幸太郎から色々習ったからの。
「安倍宿禰か……まぁ俺も詳しくは知らないけど、平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明の姓かもしれないから、驚いただけだよ」
「ええ!? 本当ですか?」
「そうなんですか!?」
日香里と山田が驚いていた。
伊澤も意外そうに幸太郎を見とるわ。
「まぁあくまでも、そういう説があるというだけですよ。一説には安倍朝臣姓とも云われてるのでね。まぁ何れにしろ、今から1000年以上前の言い伝えらしいので、その事が脳裏に過ぎっただけです。安倍晴明が活躍してた時代も、その辺りですのでね。それに加えて、その石には、陰陽道の主神とも云われている泰山府君の真言まで彫ってありますし」
幸太郎はそう言って、細長い石をチラッと見た。
伊澤は今の話に感心したのか、ウンウンと頷いておるわ。
「三上さん……貴方は本当によう知ってなさるな。確かに、そういう言い伝えもあるんだ。貴方の言うように、そういう噂なだけで、本当の事かどうかはわからんがな」
「そうですか。ところで……伊澤さんは言い伝えにある耶摩の不安が取り除けるなら、土地を売っても問題はないという事ですか?」
渋々ではあったが、伊澤は頷いた。
「まぁそんな事が可能ならばな。しかし、耶摩が何かさっぱりわからん以上、我等一族は、それを守り続ける使命があるんだよ。それが伊耶那の社を守る神主の役目なんだ」
なかなか大変な宿命じゃな。
ま、頑張れ。
「あの、三上さん……ところで、耶摩って何だと思いますか? 私にはサッパリなんですけど」
日香里の言う通り、そこが問題じゃな。
「さぁね……ただ、仏教の世界観に、欲望に捕らわれた六つの天界、六欲天というのがあるんだが、そこの第3界に、夜に悪魔の魔と書いて、夜摩天と呼ばれるモノがあるんだよ」
「ヤマテン? そんなのあるんですか?」
「ああ。で、その夜摩天だが、今ここで言われている耶摩の文字を当てて、耶摩天とも云われているんだ。加えて、もう1つの呼び名として閻魔天とも云われてるがね」
本当にわけわからん事をよう知っとるな、幸太郎は。
日香里も困り顔じゃわ。
「あの……初めて聞く言葉なんで、全然わからないです。なんですか、耶摩天て?」
「耶摩天とは、時に随って快楽を受けくる世界……とはなってるけど、これはあくまでも仏教の世界観としての話だ。ここで言う耶摩とは、恐らく、また別の事だろうな」
幸太郎はそこで祠に視線を向けた。
ふむ、結構険しい表情しとるな。
この顔……何かに気付いたのかもの。
「別の事……というと?」
「耶摩とは恐らく、閻魔の事を指しているのかもしれない。確証はないけどね」
「エンマ? って、死者を裁くという閻魔大王の事ですか?」
「そう、その閻魔だよ。で、この閻魔大王だが、元々は古代インドのサンスクリット語で、死者の王という意味のヤマ・ラージャを音写したモノなんだ。つまり……エンマとはヤマとも読めるんだよ」
日香里は難しい顔で首を傾げた。
他の者も同様じゃ。
「で、それがどうしたというのだね? 俺にはサッパリわからんが……」
「私もです」
「私もだ」
じゃろうの。
我もわからんわ。
幸太郎はそんな3人を見て、苦笑いを浮かべた。
「ちょっと難しく言い過ぎたかな。まぁつまり、耶摩とはですね……今まで見聞きした情報を総合すると、死に関するナニかを示しているのかもしれません。まぁ私の直感では……触らぬ神に祟りなしですかね。というわけで、さ、帰りましょうか」
そして幸太郎は、来た道へと歩き始めたのじゃ。
帰りたくて仕方ないんじゃろう。
じゃが、この突然の行動に、他の者達はポカンとしとるぞ。
「ちょ、ちょっと待て!」
伊澤は足早に、幸太郎の前へと回り込んだ。
「どういう事だ! 触らぬ神に祟りなしって……」
「そ、そうですよ。どういう事なんですか?」
「あの、どういう事なんです?」
日香里と山田も傍に来る。
幸太郎は、しょうがないとばかりに、それに答えた。
「だって……皆さん、気づきませんか? 耶摩の言い伝え……泰山府君の真言……イザナミとイザナギを祀った伊耶那の社……そして、耶摩と閻魔の関連……これら全てに共通するのは『死』なんです。私は嫌な予感がしますよ。まぁ私の直感ですがね。というわけで、私個人の意見としては、良い土地ではありますが、触れない方が良い土地だとも思います。でもこの先、もしそういう事になったならば……」
幸太郎はそこで言葉を切り、3人の顔を見た。
「も、もし……そうなったら……」
3人はゴクリと生唾を飲み込む。
「神のみぞ知るですよ。私は関わりたくないので、この辺で失礼しますね。さ、帰りましょうか、皆さん。ここは死の気配が強いですから……」
そして幸太郎は、またスタスタと歩き出したのじゃった。
伊澤は驚き眼で、幸太郎と祠を交互に見ていた。
日香里は今の話に悪寒が走ったのか、周囲を見回しながら肩をビクビクさせ、幸太郎に駆け寄った。
また、山田は脅えたように、車へと足早に向かったのじゃ。
「ちょ、ちょちょッ ちょっと待った!」
するとそこで、伊澤がまた幸太郎の前に回り込んできたのである。
「み、三上さん……ア、アンタに見てもらいたいモノがある! 今から、俺の家に来てくれないか!」
伊澤は必死な感じじゃった。
「見てもらいたいモノ?」
「ああ、そうだ。どうしても、アンタに見てもらいたい! 時間は取らせないから」
さて、何を見せるんじゃろうかのう。
面白いモノなら大歓迎じゃが……さてさて。
アベノスクネ……一体、何じゃろうな。
なんとなく、人の名のような気もするが、まぁええわ。
「アベノスクネ……本当に、そう書かれているんですか?」
幸太郎は眉根を寄せて訊き返した。
「ああ、そうらしい。というか……そういう風に伝わっておるんだよ。この石碑は若干風化してて、今じゃ読めん字もある。だから、今のこの石は何が書いてあるか、正確にはわからないんだ。だが、家に伝わる過去の文献に、風化する前の内容が書き留められているんだよ。それを読み解くと、そういう内容になるんだ」
なるほどのう。
読めなくなる前のモノを他に書き写してあるのか。
「確かに風化や苔で読めない文字がありますね……しかし、アベノスクネか……」
幸太郎は顎に手を当て、何やら考えているのう。
何か引っ掛かっておるようじゃ。
と、そこで、ぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
「バカバカしい! 何が耶摩だ! 何がアベノスクネだ! アベノスクネだか、アベノミクスだか、アベヒロシだか知らないが、いい加減にしろ。いつまでも古い言い伝えに縛られてるから、この村はダメなんだよ。今が変われるチャンスなんだぞ、伊澤さん!」
声を上げたのは村長であった。
すると続いて、薄い頭髪をテカテカの整髪料で目一杯後ろに流したオッサンが前に出てきた。
「村長の言う通りですよ。良いですか、伊澤さん。今、この耶摩蘇村は、生まれ変わるまたとないチャンスなんです。隣の市との合併協議は、もうほぼ纏まっておりますからね。それに、この地域の土地開発を伴う公共事業の話し合いも、大詰めを迎えているんです。いい加減考え直して貰えませんかね? 事業採択の後だと……伊澤さんも不利益を被るかも知れませんよ」
伊澤は腕を組み、憤慨した。
「下川議員、今度は脅しか……ったく、どいつもこいつも! そんな事業で人が増えるわけないわ。この村がそれで滅ぶのなら、それまでの話だ!」
また喧嘩が始まりそうじゃな。
オッサン同士の揉め事は、どっちも頑固でなかなか折れそうにないのう。
するとそこで、村長が幸太郎に視線を向けた。
「ところで、君達は何しに来たんだね? 役場の者とは違うようだが……」
幸太郎は笑みを浮かべ、村長に名刺を差し出した。
「ああ、ご挨拶が遅れました。私、東京から来ました貴堂不動産・土地調査部の三上と申します。よろしくお願いします」
村長は名刺を受け取り、少し驚いた顔をした。
他の者達も同様じゃ。
「え? 貴堂不動産だって……という事は、ここでの事業の件かね?」
「まぁそれ絡みなのですが、当社としましても、まだ計画段階の事業ですので、今回はただの下見でございます。それに……公共事業として採択がなされた場合、当社としても戦略を練り直す必要がございますのでね」
当たり障りない言い方で、上手く煙に巻くのう。
流石は幸太郎じゃ。
今までの理不尽なクレーム処理で、鍛えられたからな。ほほほほ。
「ほう……そういう事か。ならば、貴方達からも言っておいてくれないかな。古いモノに縛られても、なにも良い事がないんだと。それに……この地の神職が所有する土地を無理に買い上げるような真似は、今後の事を考えるとあまりしたくないんだよ。縁起も悪いんでな」
伊澤は面白くなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らした。
そこで下川という男も、幸太郎達の所に来た。
「貴方がたは貴堂不動産の方だったのか。県議としてお願いするよ。伊澤さんを説得してくれないかね」
幸太郎はそんな2人に対し、人の良い笑顔で返した。
「ですが、私共と致しましても、地権者の方の意見は無視できないモノでございます。下川県議と村長の意見も素晴らしい考えなので、私も尊重したいところではありますが、まずは、双方の折り合いを着けるのがスジかと思います。ですので、それに関しては、ご容赦願いたいのです。申し訳ございません」
淀みない返答じゃのう。
こ奴は図太い神経しとるから、目上の者でも平気で、適当にあしらうからの。
なかなかの煙に撒く話術じゃわ。
日香里も堂々と話す幸太郎にポカンとしとるところじゃ。
「ふむ、確かに、そうだね。折り合いも大事だが……事態はなかなか待ってくれないものでね。しかし、貴堂不動産の者が直接出張って来ているとはね。まだ事業も始まっていないのに……どういう事なのかな?」
下川はそう言って首を傾げた。
「すいません。我々では計画の詳細まではわかりかねるところです。あくまでも今日は、土地の調査でお伺いさせて頂きましたので。そういった計画内容や法的な事に関しては、また事業が始まってからになるかと思われます」
「ふむ、確かに、それもそうか。お、そういえば……貴方も元貴堂グループの出身だと聞いたが?」
下川という男はそこで、隣にいる女に視線を向けた。
スーツを着た物静かな感じの女であった。
ショートヘアという髪型で、歳は沙耶香より少し上かの。スタイルもなかなかじゃ。
何者か知らぬが、今の世で言う美人さんじゃな。
仕事ができそうな雰囲気じゃのう。
まぁそれはさておき、女はそこで頷いた。
「はい、下川先生。前の職場は、貴堂グループの1つ、貴堂商事株式会社です」
ほう、この女子は元貴堂グループの社員なようじゃ。
不思議な縁じゃのう。
「彼女は、自保党幹事長の西園寺先生の秘書でね。今回の件に関しても、調査の一環で来て頂いているのだよ」
女はそこで、伊澤と幸太郎に名刺を差し出した。
「ご挨拶が遅れました。伊澤様、三上様。私は自保党幹事長の西園寺衆議院議員の公設第二秘書を務める黛愛理沙と申します。以後、お見知りおきを」
女はキビキビした口調で挨拶してきた。
なんとなく、初めて会った時の沙耶香のような雰囲気じゃのう。
まぁあそこまでキツくはないがな。
「国会議員の秘書だと……もう、そんな所にまで話が行ってるのか……」
伊澤は名刺を見て、険しい表情をしていた。
恐らく、予想していた事態よりも悪く感じておるのじゃろう。
下川はそれを見て、ニヤッと嫌らしく笑った。
「そういうわけです。まぁ悪い事は言いません、伊澤さん。早めに決断された方が良いかと思いますよ。では、我々はこれで一旦、引き下がるとしましょう。行こうか、村長」
下川はそう言うと、他の者達に目で合図を送った。
他の者達はそれに頷く。
そしてコイツ等は、この場から去って行ったのじゃ。
ふむ、面白くなりそうな気配じゃの。ほほほほ。
*
先客達が去ると、この場は気不味い空気が漂っていた。
アイツ等が、かなりお茶を濁していったからのう。無理もないところじゃ。
役場の男と日香里は、何とも言えぬ表情で伊澤を見ておるわ。
恐らく、声を掛け辛いんじゃろう。
だがそんな中、幸太郎は空気を読まず、仕切り直しとばかりに、伊澤に話しかけたのじゃった。
「さて……それでは静かになった事ですし、少しお話を訊かせて頂きましょうかね、伊澤さん」
「何を聞きたい?」
「ではまず、この土地ですが……その昔、ここには集落があったんですかね?」
幸太郎はそう言って周囲を見回した。
伊澤は頷いた。
「ああ、よくわかったな。それがどうかしたかね?」
「いや、どうもしませんよ。この辺り一帯は森林なんですが、妙に平坦な場所なのでね。そう思っただけです。それと……昔は神事を行われたと言っておられたのでね。ですが、ここは良い土地だと思いますよ。近くに大きな川もあり、風もよく通りますしね。今は木々に遮られておりますが、その昔、ここに人が住んでいた時は陽当たりも良かった事でしょうね。風水的には、かなり好条件な地相ですよ、ここは」
幸太郎の言う通り、山自体はなかなか良い気に満ちておる。
悪くはない土地じゃ。
だが、ココを除いてじゃがな。
「確かに、昔はそうだったのかもしれんな。だが、そんなのは、かなり昔の話だ。今じゃ、この有り様だよ。老人も多く、せっかく生まれた子供も、故郷を捨て、都会に出てゆく。そして、そのまま、戻っては来やせんからな。村長の言う通りだ。だが、俺はな……祖先の言い伝えを守る役目があるんだよ、三上さん。そうやって育って来たんだ。今更、生き方は変えられんよ」
伊澤は悲しい目でそう告げた。
この男も本音では、この土地の呪縛から逃れたいのかも知れぬな。
「言い伝えね……では、それについてお訊きしましょう。耶摩と仰ってましたが、一体何なのですかね? 見慣れない字ですし」
すると、伊澤は困った表情になり、頭を振った。
「それがわかれば、苦労せんわ。あるのは言い伝えだけだよ。ただ……耶摩が目覚めたら、多くの命が失われるとも云われている。本当かどうかはわからんがな」
それは物騒じゃのう。
しかし、命が失われるとは、なんじゃろな。
「多くの命が失われる……ですか。なるほど、それは困った言い伝えですね。ン?」
そこで日香里が、幸太郎の傍に来た。
「三上さん……さっき、アベノスクネという言葉に反応してましたけど、何なのですか? 昔の人の名前のようですけど」
うむ、我も気になるところじゃ。
たぶん、安倍宿禰と書くんじゃろう。
我も八色の姓について、幸太郎から色々習ったからの。
「安倍宿禰か……まぁ俺も詳しくは知らないけど、平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明の姓かもしれないから、驚いただけだよ」
「ええ!? 本当ですか?」
「そうなんですか!?」
日香里と山田が驚いていた。
伊澤も意外そうに幸太郎を見とるわ。
「まぁあくまでも、そういう説があるというだけですよ。一説には安倍朝臣姓とも云われてるのでね。まぁ何れにしろ、今から1000年以上前の言い伝えらしいので、その事が脳裏に過ぎっただけです。安倍晴明が活躍してた時代も、その辺りですのでね。それに加えて、その石には、陰陽道の主神とも云われている泰山府君の真言まで彫ってありますし」
幸太郎はそう言って、細長い石をチラッと見た。
伊澤は今の話に感心したのか、ウンウンと頷いておるわ。
「三上さん……貴方は本当によう知ってなさるな。確かに、そういう言い伝えもあるんだ。貴方の言うように、そういう噂なだけで、本当の事かどうかはわからんがな」
「そうですか。ところで……伊澤さんは言い伝えにある耶摩の不安が取り除けるなら、土地を売っても問題はないという事ですか?」
渋々ではあったが、伊澤は頷いた。
「まぁそんな事が可能ならばな。しかし、耶摩が何かさっぱりわからん以上、我等一族は、それを守り続ける使命があるんだよ。それが伊耶那の社を守る神主の役目なんだ」
なかなか大変な宿命じゃな。
ま、頑張れ。
「あの、三上さん……ところで、耶摩って何だと思いますか? 私にはサッパリなんですけど」
日香里の言う通り、そこが問題じゃな。
「さぁね……ただ、仏教の世界観に、欲望に捕らわれた六つの天界、六欲天というのがあるんだが、そこの第3界に、夜に悪魔の魔と書いて、夜摩天と呼ばれるモノがあるんだよ」
「ヤマテン? そんなのあるんですか?」
「ああ。で、その夜摩天だが、今ここで言われている耶摩の文字を当てて、耶摩天とも云われているんだ。加えて、もう1つの呼び名として閻魔天とも云われてるがね」
本当にわけわからん事をよう知っとるな、幸太郎は。
日香里も困り顔じゃわ。
「あの……初めて聞く言葉なんで、全然わからないです。なんですか、耶摩天て?」
「耶摩天とは、時に随って快楽を受けくる世界……とはなってるけど、これはあくまでも仏教の世界観としての話だ。ここで言う耶摩とは、恐らく、また別の事だろうな」
幸太郎はそこで祠に視線を向けた。
ふむ、結構険しい表情しとるな。
この顔……何かに気付いたのかもの。
「別の事……というと?」
「耶摩とは恐らく、閻魔の事を指しているのかもしれない。確証はないけどね」
「エンマ? って、死者を裁くという閻魔大王の事ですか?」
「そう、その閻魔だよ。で、この閻魔大王だが、元々は古代インドのサンスクリット語で、死者の王という意味のヤマ・ラージャを音写したモノなんだ。つまり……エンマとはヤマとも読めるんだよ」
日香里は難しい顔で首を傾げた。
他の者も同様じゃ。
「で、それがどうしたというのだね? 俺にはサッパリわからんが……」
「私もです」
「私もだ」
じゃろうの。
我もわからんわ。
幸太郎はそんな3人を見て、苦笑いを浮かべた。
「ちょっと難しく言い過ぎたかな。まぁつまり、耶摩とはですね……今まで見聞きした情報を総合すると、死に関するナニかを示しているのかもしれません。まぁ私の直感では……触らぬ神に祟りなしですかね。というわけで、さ、帰りましょうか」
そして幸太郎は、来た道へと歩き始めたのじゃ。
帰りたくて仕方ないんじゃろう。
じゃが、この突然の行動に、他の者達はポカンとしとるぞ。
「ちょ、ちょっと待て!」
伊澤は足早に、幸太郎の前へと回り込んだ。
「どういう事だ! 触らぬ神に祟りなしって……」
「そ、そうですよ。どういう事なんですか?」
「あの、どういう事なんです?」
日香里と山田も傍に来る。
幸太郎は、しょうがないとばかりに、それに答えた。
「だって……皆さん、気づきませんか? 耶摩の言い伝え……泰山府君の真言……イザナミとイザナギを祀った伊耶那の社……そして、耶摩と閻魔の関連……これら全てに共通するのは『死』なんです。私は嫌な予感がしますよ。まぁ私の直感ですがね。というわけで、私個人の意見としては、良い土地ではありますが、触れない方が良い土地だとも思います。でもこの先、もしそういう事になったならば……」
幸太郎はそこで言葉を切り、3人の顔を見た。
「も、もし……そうなったら……」
3人はゴクリと生唾を飲み込む。
「神のみぞ知るですよ。私は関わりたくないので、この辺で失礼しますね。さ、帰りましょうか、皆さん。ここは死の気配が強いですから……」
そして幸太郎は、またスタスタと歩き出したのじゃった。
伊澤は驚き眼で、幸太郎と祠を交互に見ていた。
日香里は今の話に悪寒が走ったのか、周囲を見回しながら肩をビクビクさせ、幸太郎に駆け寄った。
また、山田は脅えたように、車へと足早に向かったのじゃ。
「ちょ、ちょちょッ ちょっと待った!」
するとそこで、伊澤がまた幸太郎の前に回り込んできたのである。
「み、三上さん……ア、アンタに見てもらいたいモノがある! 今から、俺の家に来てくれないか!」
伊澤は必死な感じじゃった。
「見てもらいたいモノ?」
「ああ、そうだ。どうしても、アンタに見てもらいたい! 時間は取らせないから」
さて、何を見せるんじゃろうかのう。
面白いモノなら大歓迎じゃが……さてさて。
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※完結としますが、追加次第随時更新※
YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*)
お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕
https://youtube.com/@yuachanRio
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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