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弐の章・陰の行者、新天地へ参る!
三十二の巻 裏の調査
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[三十二]
翌日の朝。
幸太郎は食材を冷蔵庫から取り出し、調理をしてダイニングテーブルへと並べていた。
今日の献立は、パンと焼きベーコンとハムと目玉焼き、それから卵スープという汁物、それにサラダのようじゃ。
ようわからんが、今日は米ではないようじゃの。
というか、幸太郎はここに来てからというもの、料理番となっておるのう。
まぁ仕方があるまい。居候みたいなもんじゃからの。
「ふぅ、とりあえず、こんなもんかな。かなり手抜きだけど。さて、沙耶香さんを呼びに行くか」
どうやら準備が整ったようじゃ。
幸太郎は沙耶香を呼びに行った。
程なくして、部屋着姿の沙耶香が、リビングへとやって来たのじゃった。
とはいえ、化粧や髪は粗方整えてあるので、着替えればすぐに出社できる姿じゃった。
恐らく、自分の部屋で準備をしとったんじゃろう。
そんな沙耶香は、テーブルの朝食を見て、ニコリと微笑んだ。
「あら、今日は洋食ね。昨日、一昨日が和食だったから、ちょうど良かったわ」
幸太郎は沙耶香の椅子を引いた。
「どうぞ、沙耶香さん」
沙耶香は椅子に腰掛ける。
「ありがとうね、三上君。いや、助かるわ。私、料理って苦手なのよね」
「へぇ、そうなんですか。まぁ俺も得意ではないですけどね」
などと言いつつ、幸太郎は沙耶香の対面に腰を下ろした。
「では、頂こうかしら」
「どうぞ、召し上がってください。俺も、頂きます」
そして朝食が始まった。
ちなみにじゃが、沙耶香が手配した家具類は、数日前に搬入が終わり、この4LDKの空間も生活感が出てきたところじゃ。
食材等の買い出しは、幸太郎が一昨日、近くのスーパーで買ってきたモノであった。
生活費に関しては全て沙耶香持ちなので、幸太郎はある種のヒモ状態かものう。
幸太郎は別段気にしてはおらぬが、ちょいとばかり情けない状況じゃな。
立場上、沙耶香の方が上じゃから、仕方ない事じゃが。
「あ、そうだ、三上君。貴方に言わなきゃいけない事があるんだった」
食べ始めたところで、何かを思い出したようじゃ。
「ン? なんですか?」
「昨日、貴方が施した道切りの術の事よ」
ほう、それの事か。
道切りが上手くいかなかったのかのう。
我には問題ないように思えたがな。
「なんか不味かったですかね?」
沙耶香はやや曇った表情であった。
「いや、不味くはないんだけど……そのなんていうか……ウチの道師達が知らない呪術なのよ。だから今後は、貴方の術はあまり使わないでほしいの。いい?」
「は? 知らない術? ええっと……俺が使っている呪術って、もしかして、あまりメジャーじゃないんですか?」
沙耶香は申し訳なさそうに、首を縦に振った。
「言いにくいんだけど……そうなの。実は昨日、結界専門の道師に連絡して、現地に向かわせたら、ちょっと騒ぎになってね。見た事ない強力な結界で、道切りが成されてるって、夜中に報告が入ってきちゃったのよ。貴方に写真送ってもらった時、九字切りの呪法かと思ったんだけど、違うのね?」
どうやら、沙耶香も勘違いしてたようじゃな。
今の世は、臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前の九字切りの咒が幅利かせとるようじゃ。
九字切りの咒も方術じゃが、なんか気に入らぬな。
「アレは違いますよ。疫病神式の道切りの術紋なんで」
「私も迂闊だったわ。まぁ要は、目立つからって事ね。貴方……というか、ヒミコ様の術はちょっと特殊なのよ。だから、使わないでほしいの」
気に入らぬが……郷に入ったら郷に従うしかないかものう。
「そうですか。では、貴堂家に仕える道師の呪術を習得するしかないって事ですね?」
「ええ、それでお願い。恐らく、宗厳翁もそう言うと思うから」
致し方あるまい。
「わかりました。では、沙耶香さん、道師の呪術を教えてもらえますか? 流石にすぐには使えませんので」
「良いわよ、今晩ね。その代わりと言ったらなんだけど……」
すると沙耶香は、恥ずかしそうに幸太郎を見ていたのじゃ。
次の言葉が出てこぬところを見ると、言いにくい事なのかものう。
幸太郎も首を傾げておるわ。
「その代わり……の続きが気になるんですけど」
沙耶香は若干頬を染めつつ、言いにくそうに話を切り出した。
「ねぇ、三上君……昨晩したやつなんだけど……後でしてほしいの……いい?」
ほう、沙耶香はアレが気に入ったようじゃな。
グッスリ寝れたんじゃろう。
それとも……別の理由かの。ほほほほ。
「昨晩? って……道を操るやつですか?」
沙耶香は恥ずかしそうに頷いた。
「うん……ダメ?」
幸太郎は少し渋い表情であった。
他人の道を操るのは面倒だからじゃろう。
「まぁ良いですけど……まだ疲れが抜けないですかね? 昨晩は開陽と揺光と玉衡の道に気を通したので、結構、疲れは取れたと思うんですけど」
「う、うん……まだちょっと、残ってるかな」
沙耶香はぎこちなく返事をした。
ほうほう、これはもしや……。
「わかりましたよ。では後で、少ししましょうか」
幸太郎はやや微妙な表情じゃが、沙耶香はそれを聞き、嬉しそうに微笑んでおった。
なるほどのう、ちょっと心境に変化があったようじゃな。
「じゃあ、お願いね」――
朝食の後、2人はリビングに行き、昨晩のような体勢になった。
沙耶香は幸太郎に包まれるように後ろから抱かれ、嬉しそうにしておるわ。
しかも、幸太郎にもたれるように身体を預けているのう。安心しきっとる感じじゃ。
昨晩、妙な安心感があると言うてたが、沙耶香はもしかすると、幸太郎にこうして欲しかったのかもしれぬ。
こういう男女のふれあいを、沙耶香は昨晩、初めて経験したのじゃろう。
つまり……沙耶香は処女なんじゃろうな。
ほほほほ、初々しいわい。
「三上君……ごめんね、こんなお願いをして……あん……」
幸太郎に道を操って貰いながら、沙耶香は恥ずかしそうに、そう言った。
沙耶香の後ろから身体を密着させる幸太郎は、意に返した素振りもなく、それに答えた。
「別に謝らなくていいですよ。それに、沙耶香さんみたいな可愛い女性に、こんな事をさせてもらえるとは思いもしなかったので、実は俺も、そんなに嫌じゃなかったりしますから」
「え……」
沙耶香は少し驚いた表情で、後ろを振り返った。
そして幸太郎と目が合った。
その瞬間、幸太郎は罰の悪そうな顔になったのじゃった。
ついつい本音が出たようじゃな。
ほほほほ、ウケる。
「すいません……何言ってんだ、俺。まぁ今のは無視してください。別に、変な下心とかはないんで」
沙耶香は恍惚とした目で、幸太郎を見上げていた。
「三上君……この前も言ってたけど……私って……可愛い? そんな事言われたの……小学校以来だから」
幸太郎は自然体でコクリと頷いた。
「はい、凄く可愛いですよ。外見もですけど……なんというか、厳しさの中にある優しさのギャップと言いますか、そういうのが見え隠れするんで、俺的にはそう思えるんですよ。変ですか?」
「うふふ……なんでもないわ。そうなんだ」
沙耶香は視線を前に戻し、嬉しそうに微笑んでいた。
おう……これはもしや、今の世で言う、ラブコメとかいうやつかの。
というか、幸太郎はこういう時、思った事を素直に口にするのう。
普通は照れて、天邪鬼な返しをする者が多いのじゃがな。
不幸続きで、感覚が普通の者と違うのじゃろう。
「あ、そうだ、三上君。もう1つ、言っておく事があるの」
「もう1つですか……で、次は何ですか?」
「今日はもしかすると、少し面倒そうな仕事があるかも知れないわ。私も立場上、断るに断れなくて……ごめんね」
沙耶香はそう言って幸太郎に振り返り、申し話なさそうに見上げた。
その仕草で色々と察したのか、幸太郎はそこで諦めたように目を閉じた。
「という事は……また道師の案件ですか?」
「うん……でも、嫌だったら断ってもいいのよ」
沙耶香は無理強いをせぬようじゃが、色々と都合の悪い事もあるんじゃろうの。
「その様子だと……断れば、沙耶香さんの立場的に、あまりよろしくなさそうですね。まぁとりあえず、受けますよ。で、どんな案件なんです?」
「報告では化け物が突如現れたと聞いたんだけど……よくわからないのよ。しかも、襲われて重傷者が出たの。それも……私の部下の道師がね」
ふむ、呪術者に手傷を負わす化け物か。
手強そうじゃの。
「化け物ねぇ……それはまた大変そうな案件です。でもそういう事態だと、俺も身を護る為に、疫病神から習った術を使わざるを得ないかもしれませんが……良いですか?」
「その判断は、三上君に任せるわ。出来れば使わずに何とかしてほしいけど……」
なかなか難しい事を言いよるの。
とはいえ、諸々の事情を知った幸太郎なら、なんとかするじゃろ。
「とりあえず……その時は、痕跡を残さないようにはしてみます」
「ごめんね、三上君」――
*
幸太郎と沙耶香は会社へ出社すると、朝礼があり、その後、別行動となった。
沙耶香は、土地開発事業部の統括部長という管理職なので、当然じゃな。
じゃが、今日の沙耶香は少し様子が変じゃった。
やや不安気に、幸太郎を見ていたからである。
今朝言っておった仕事とやらが、あまりよくない案件なのかものう。
ほほほほ、ならば、今日も楽しめそうじゃな。
久しぶりに、幸太郎と妖魔が相見える姿を期待するとしようぞ。
さて、そんな事はさておき、幸太郎は今、土地調査部の社員に案内され、とある部屋へとやって来たところじゃった。
ちなみにそこは、幾つもの棚に、沢山の書物が綺麗に並ぶ部屋であった。
入口に調査資料室と書いてあったので、そういう所なんじゃろう。
「さて、三上君、ここが目的の調査資料室だ。来る途中、一通り、社内の説明をざっとしたけど、どう? 少しは憶えられたかい?」
幸太郎を案内したスーツ姿の男前な青年が、そう訊いてきた。
名は斉木勇士というそうじゃ。
年は30歳前後といったところかのう。
幸太郎くらいの上背で、サラッとした長めの髪をしており、肩に付きそうな襟足が特徴の男であった。
全体的な容姿は、スタイルの良い、イケメンサラリーマンといった感じかの。
こりゃ、女子にモテそうじゃな。
実際、ここに来る途中、擦れ違った女子共は、斉木という男に色目を向けて挨拶をしてきたからのう。
ちなみにじゃが、この男が幸太郎の所属する土地開発事業部の主任らしい。
まぁ早い話が、幸太郎の直属の上司というやつじゃ。
じゃが、気配が普通の者と違うのう。
という事は、この男もそうかもしれぬな。
「はい。といっても、少しだけですが。とりあえず、これから色々と経験して憶えていきます」
「だよね。今日で2日目だしな。ちなみに、昨日なんだけど……貴堂部長の指示で、開発部の北条君と、調査に向かったんだって?」
「ええ、そうなんですよ。出社して、いきなり、クレームの調査に向かうとは思いませんでした。まぁでもお陰で、少し勉強にはなりましたよ」
斉木はそこで渋い表情になった。
「あそこ……首吊りがあったそうだね。まぁそれ以外にも、騒音やらセキュリティーの面でクレームも来てて、色々と面倒臭い事になってるらしいし。開発部の新人である北条君も、研修明けにいきなり面倒な案件に出くわして、困ってたそうだ。で、どうなの? 上手く行ったのかい?」
幸太郎はとりあえず、首を縦に振った。
「たぶん、上手くいったんじゃないですかね。後は、部長が何とかしてくれると思います」
すると斉木はニコリと微笑み、幸太郎に小さく囁いたのであった。
「という事は、道師として仕事してきたって事かな、三上君」
幸太郎は少し驚いた表情をしていた。
まぁそうなるじゃろう。
突然、この言葉を言われたらの。
「え? 知ってるんですか?」
「ああ、知ってるよ。君が道師って事もね。検定結果を見たよ。凄いね、君。あ、そうそう。言っておくが、俺も道師だから、普通にしてくれて構わないよ」
ほう、そういう事か。
どおりで、普通の者と気配が違うはずじゃ。
「そうだったんですか。貴堂部長からは、社内でその言葉をみだりに口にしないようにと、念を押されてたので黙っていたのです」
「それはそうだよ。道師は秘密集団でもあるからね。おまけに、土地調査部にいる道師は数人しかいないし。ちなみに、俺は君と同じ道師だから、そこは安心してくれ。さて……では、始めるとしようか」
斉木はそう言って、資料室の扉の鍵を閉める。
そして、中央の長机の椅子を引き、腰を下ろした。
「三上君もそこに掛けてくれるかい? 今日、ここに君を連れてきたのは、他でもない。我々、土地調査部の仕事を説明する為だよ。勿論……裏の方の仕事だがね」
斉木はそう言って、対面の席を指さした。
幸太郎はそれに従い、椅子に腰掛ける。
「裏ですか……なんかヤバそうな感じですね」
「まぁそれはね。で、ここからが本題だが……君は化け物や悪霊との戦闘経験はあるのかな?」
「ええ、まぁ多少は……」
「なら、話は早い」
すると、斉木はそこでタブレットパソコンを操作し、幸太郎の前に置いたのじゃ。
「三上君、そこにある動画を再生してくれ。ちなみにそれは、防犯カメラの映像だよ」
「はい、では」
幸太郎は言われた通り、動画を再生した。
その直後、タブレットパソコンに画像が映し出される。
それは、やや斜め上から見下ろす形の動画であった。
本当に今の世は便利じゃのう。
さて、それはさておき、映っておるのは、術者と思わしき神主姿の男が、呪符のようなモノを手にして、構えておるところじゃった。
近くに木々や鳥居があるのを見ると、場所はどこかの神社の境内のようじゃな。
また、夕日を思わせる黄金色の光が射し込んでおるので、時間帯は恐らく、そのくらいじゃろう。
男は相手を窺うように、呪符を構え続けている。
と、次の瞬間、警戒する男の真横から、黒い獣が飛び掛かってきたのじゃ。
男は不意を突かれたのか、成す術なく黒い獣に吹き飛ばされ、木に激突していた。
黒い獣はどことなく、猿のような四つん這いの動きじゃったが、画像が薄暗いのと動きが早いのとで、よくわからなかった。
じゃが、禍々しい存在なのは、画面を通しても伝わるくらいじゃった。
黒い獣は追い打ちをかけるかの如く、男へと更に飛び掛かろうとしていた。
じゃが、男も負けてはおらなんだ。
男はそこで呪符に力を籠め、黒い獣へと解き放ったからじゃ。
呪符は青い光を放ち、黒い獣へと迫る。が、しかし、黒い獣に到達はせなんだ。
なぜなら、そこで黒い獣は足を止めたからじゃ。
恐らく、嫌な気配を察知したんじゃろう。
程なくして、黒い獣は翻り、颯爽とこの場から立ち去ったのじゃった。
男はそこで、事切れたかのようにバタリと地に伏せた。
すると、動画はそこで終わっていたのである。
幸太郎は顔を上げた。
「斉木さん、これは?」
「見ての通りだよ。その神主みたいな男は、土地調査部の調査員でね。俺の同僚だ。勿論、彼も道師だよ。しかも……なぜか、自分の家の敷地内で襲われている。ちなみに、これは昨日の夕刻の映像だ」
「昨日の夕刻……それはまた急ですね」
確かに急じゃな。
しかも、自分の家で襲われておるとはの。
「調査員がやられたとあっては、流石に放っておく事は出来ないんでね。そこでお願いしたいんだが……今、別の調査員2人に、この案件をお願いしているんだよ。だが、少し不安なんでね。君も同行してもらいたいんだ。本当は俺が行きたいところなんだが、別件の調査があるのでね。新人の君にこんなお願いをするのは気が引けるんだが……頼めるだろうか? 検定結果を見る限り、君は相当な術者のようだからね」
幸太郎は渋々を装いながら頷いた。
「わかりました。私で良ければ、同行しましょう。貴堂部長からも、前もって話は聞いてますので」
「そうか、なら話は早い。では今から、今回の調査員2人の所へ案内しよう。付いてきてくれ」
斉木はそう言って立ち上がった。
幸太郎も席を立つ。
そして2人は、この部屋を後にしたのである。
さてさて、今度は何が始まるのかのう。
楽しみじゃわ。
翌日の朝。
幸太郎は食材を冷蔵庫から取り出し、調理をしてダイニングテーブルへと並べていた。
今日の献立は、パンと焼きベーコンとハムと目玉焼き、それから卵スープという汁物、それにサラダのようじゃ。
ようわからんが、今日は米ではないようじゃの。
というか、幸太郎はここに来てからというもの、料理番となっておるのう。
まぁ仕方があるまい。居候みたいなもんじゃからの。
「ふぅ、とりあえず、こんなもんかな。かなり手抜きだけど。さて、沙耶香さんを呼びに行くか」
どうやら準備が整ったようじゃ。
幸太郎は沙耶香を呼びに行った。
程なくして、部屋着姿の沙耶香が、リビングへとやって来たのじゃった。
とはいえ、化粧や髪は粗方整えてあるので、着替えればすぐに出社できる姿じゃった。
恐らく、自分の部屋で準備をしとったんじゃろう。
そんな沙耶香は、テーブルの朝食を見て、ニコリと微笑んだ。
「あら、今日は洋食ね。昨日、一昨日が和食だったから、ちょうど良かったわ」
幸太郎は沙耶香の椅子を引いた。
「どうぞ、沙耶香さん」
沙耶香は椅子に腰掛ける。
「ありがとうね、三上君。いや、助かるわ。私、料理って苦手なのよね」
「へぇ、そうなんですか。まぁ俺も得意ではないですけどね」
などと言いつつ、幸太郎は沙耶香の対面に腰を下ろした。
「では、頂こうかしら」
「どうぞ、召し上がってください。俺も、頂きます」
そして朝食が始まった。
ちなみにじゃが、沙耶香が手配した家具類は、数日前に搬入が終わり、この4LDKの空間も生活感が出てきたところじゃ。
食材等の買い出しは、幸太郎が一昨日、近くのスーパーで買ってきたモノであった。
生活費に関しては全て沙耶香持ちなので、幸太郎はある種のヒモ状態かものう。
幸太郎は別段気にしてはおらぬが、ちょいとばかり情けない状況じゃな。
立場上、沙耶香の方が上じゃから、仕方ない事じゃが。
「あ、そうだ、三上君。貴方に言わなきゃいけない事があるんだった」
食べ始めたところで、何かを思い出したようじゃ。
「ン? なんですか?」
「昨日、貴方が施した道切りの術の事よ」
ほう、それの事か。
道切りが上手くいかなかったのかのう。
我には問題ないように思えたがな。
「なんか不味かったですかね?」
沙耶香はやや曇った表情であった。
「いや、不味くはないんだけど……そのなんていうか……ウチの道師達が知らない呪術なのよ。だから今後は、貴方の術はあまり使わないでほしいの。いい?」
「は? 知らない術? ええっと……俺が使っている呪術って、もしかして、あまりメジャーじゃないんですか?」
沙耶香は申し訳なさそうに、首を縦に振った。
「言いにくいんだけど……そうなの。実は昨日、結界専門の道師に連絡して、現地に向かわせたら、ちょっと騒ぎになってね。見た事ない強力な結界で、道切りが成されてるって、夜中に報告が入ってきちゃったのよ。貴方に写真送ってもらった時、九字切りの呪法かと思ったんだけど、違うのね?」
どうやら、沙耶香も勘違いしてたようじゃな。
今の世は、臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前の九字切りの咒が幅利かせとるようじゃ。
九字切りの咒も方術じゃが、なんか気に入らぬな。
「アレは違いますよ。疫病神式の道切りの術紋なんで」
「私も迂闊だったわ。まぁ要は、目立つからって事ね。貴方……というか、ヒミコ様の術はちょっと特殊なのよ。だから、使わないでほしいの」
気に入らぬが……郷に入ったら郷に従うしかないかものう。
「そうですか。では、貴堂家に仕える道師の呪術を習得するしかないって事ですね?」
「ええ、それでお願い。恐らく、宗厳翁もそう言うと思うから」
致し方あるまい。
「わかりました。では、沙耶香さん、道師の呪術を教えてもらえますか? 流石にすぐには使えませんので」
「良いわよ、今晩ね。その代わりと言ったらなんだけど……」
すると沙耶香は、恥ずかしそうに幸太郎を見ていたのじゃ。
次の言葉が出てこぬところを見ると、言いにくい事なのかものう。
幸太郎も首を傾げておるわ。
「その代わり……の続きが気になるんですけど」
沙耶香は若干頬を染めつつ、言いにくそうに話を切り出した。
「ねぇ、三上君……昨晩したやつなんだけど……後でしてほしいの……いい?」
ほう、沙耶香はアレが気に入ったようじゃな。
グッスリ寝れたんじゃろう。
それとも……別の理由かの。ほほほほ。
「昨晩? って……道を操るやつですか?」
沙耶香は恥ずかしそうに頷いた。
「うん……ダメ?」
幸太郎は少し渋い表情であった。
他人の道を操るのは面倒だからじゃろう。
「まぁ良いですけど……まだ疲れが抜けないですかね? 昨晩は開陽と揺光と玉衡の道に気を通したので、結構、疲れは取れたと思うんですけど」
「う、うん……まだちょっと、残ってるかな」
沙耶香はぎこちなく返事をした。
ほうほう、これはもしや……。
「わかりましたよ。では後で、少ししましょうか」
幸太郎はやや微妙な表情じゃが、沙耶香はそれを聞き、嬉しそうに微笑んでおった。
なるほどのう、ちょっと心境に変化があったようじゃな。
「じゃあ、お願いね」――
朝食の後、2人はリビングに行き、昨晩のような体勢になった。
沙耶香は幸太郎に包まれるように後ろから抱かれ、嬉しそうにしておるわ。
しかも、幸太郎にもたれるように身体を預けているのう。安心しきっとる感じじゃ。
昨晩、妙な安心感があると言うてたが、沙耶香はもしかすると、幸太郎にこうして欲しかったのかもしれぬ。
こういう男女のふれあいを、沙耶香は昨晩、初めて経験したのじゃろう。
つまり……沙耶香は処女なんじゃろうな。
ほほほほ、初々しいわい。
「三上君……ごめんね、こんなお願いをして……あん……」
幸太郎に道を操って貰いながら、沙耶香は恥ずかしそうに、そう言った。
沙耶香の後ろから身体を密着させる幸太郎は、意に返した素振りもなく、それに答えた。
「別に謝らなくていいですよ。それに、沙耶香さんみたいな可愛い女性に、こんな事をさせてもらえるとは思いもしなかったので、実は俺も、そんなに嫌じゃなかったりしますから」
「え……」
沙耶香は少し驚いた表情で、後ろを振り返った。
そして幸太郎と目が合った。
その瞬間、幸太郎は罰の悪そうな顔になったのじゃった。
ついつい本音が出たようじゃな。
ほほほほ、ウケる。
「すいません……何言ってんだ、俺。まぁ今のは無視してください。別に、変な下心とかはないんで」
沙耶香は恍惚とした目で、幸太郎を見上げていた。
「三上君……この前も言ってたけど……私って……可愛い? そんな事言われたの……小学校以来だから」
幸太郎は自然体でコクリと頷いた。
「はい、凄く可愛いですよ。外見もですけど……なんというか、厳しさの中にある優しさのギャップと言いますか、そういうのが見え隠れするんで、俺的にはそう思えるんですよ。変ですか?」
「うふふ……なんでもないわ。そうなんだ」
沙耶香は視線を前に戻し、嬉しそうに微笑んでいた。
おう……これはもしや、今の世で言う、ラブコメとかいうやつかの。
というか、幸太郎はこういう時、思った事を素直に口にするのう。
普通は照れて、天邪鬼な返しをする者が多いのじゃがな。
不幸続きで、感覚が普通の者と違うのじゃろう。
「あ、そうだ、三上君。もう1つ、言っておく事があるの」
「もう1つですか……で、次は何ですか?」
「今日はもしかすると、少し面倒そうな仕事があるかも知れないわ。私も立場上、断るに断れなくて……ごめんね」
沙耶香はそう言って幸太郎に振り返り、申し話なさそうに見上げた。
その仕草で色々と察したのか、幸太郎はそこで諦めたように目を閉じた。
「という事は……また道師の案件ですか?」
「うん……でも、嫌だったら断ってもいいのよ」
沙耶香は無理強いをせぬようじゃが、色々と都合の悪い事もあるんじゃろうの。
「その様子だと……断れば、沙耶香さんの立場的に、あまりよろしくなさそうですね。まぁとりあえず、受けますよ。で、どんな案件なんです?」
「報告では化け物が突如現れたと聞いたんだけど……よくわからないのよ。しかも、襲われて重傷者が出たの。それも……私の部下の道師がね」
ふむ、呪術者に手傷を負わす化け物か。
手強そうじゃの。
「化け物ねぇ……それはまた大変そうな案件です。でもそういう事態だと、俺も身を護る為に、疫病神から習った術を使わざるを得ないかもしれませんが……良いですか?」
「その判断は、三上君に任せるわ。出来れば使わずに何とかしてほしいけど……」
なかなか難しい事を言いよるの。
とはいえ、諸々の事情を知った幸太郎なら、なんとかするじゃろ。
「とりあえず……その時は、痕跡を残さないようにはしてみます」
「ごめんね、三上君」――
*
幸太郎と沙耶香は会社へ出社すると、朝礼があり、その後、別行動となった。
沙耶香は、土地開発事業部の統括部長という管理職なので、当然じゃな。
じゃが、今日の沙耶香は少し様子が変じゃった。
やや不安気に、幸太郎を見ていたからである。
今朝言っておった仕事とやらが、あまりよくない案件なのかものう。
ほほほほ、ならば、今日も楽しめそうじゃな。
久しぶりに、幸太郎と妖魔が相見える姿を期待するとしようぞ。
さて、そんな事はさておき、幸太郎は今、土地調査部の社員に案内され、とある部屋へとやって来たところじゃった。
ちなみにそこは、幾つもの棚に、沢山の書物が綺麗に並ぶ部屋であった。
入口に調査資料室と書いてあったので、そういう所なんじゃろう。
「さて、三上君、ここが目的の調査資料室だ。来る途中、一通り、社内の説明をざっとしたけど、どう? 少しは憶えられたかい?」
幸太郎を案内したスーツ姿の男前な青年が、そう訊いてきた。
名は斉木勇士というそうじゃ。
年は30歳前後といったところかのう。
幸太郎くらいの上背で、サラッとした長めの髪をしており、肩に付きそうな襟足が特徴の男であった。
全体的な容姿は、スタイルの良い、イケメンサラリーマンといった感じかの。
こりゃ、女子にモテそうじゃな。
実際、ここに来る途中、擦れ違った女子共は、斉木という男に色目を向けて挨拶をしてきたからのう。
ちなみにじゃが、この男が幸太郎の所属する土地開発事業部の主任らしい。
まぁ早い話が、幸太郎の直属の上司というやつじゃ。
じゃが、気配が普通の者と違うのう。
という事は、この男もそうかもしれぬな。
「はい。といっても、少しだけですが。とりあえず、これから色々と経験して憶えていきます」
「だよね。今日で2日目だしな。ちなみに、昨日なんだけど……貴堂部長の指示で、開発部の北条君と、調査に向かったんだって?」
「ええ、そうなんですよ。出社して、いきなり、クレームの調査に向かうとは思いませんでした。まぁでもお陰で、少し勉強にはなりましたよ」
斉木はそこで渋い表情になった。
「あそこ……首吊りがあったそうだね。まぁそれ以外にも、騒音やらセキュリティーの面でクレームも来てて、色々と面倒臭い事になってるらしいし。開発部の新人である北条君も、研修明けにいきなり面倒な案件に出くわして、困ってたそうだ。で、どうなの? 上手く行ったのかい?」
幸太郎はとりあえず、首を縦に振った。
「たぶん、上手くいったんじゃないですかね。後は、部長が何とかしてくれると思います」
すると斉木はニコリと微笑み、幸太郎に小さく囁いたのであった。
「という事は、道師として仕事してきたって事かな、三上君」
幸太郎は少し驚いた表情をしていた。
まぁそうなるじゃろう。
突然、この言葉を言われたらの。
「え? 知ってるんですか?」
「ああ、知ってるよ。君が道師って事もね。検定結果を見たよ。凄いね、君。あ、そうそう。言っておくが、俺も道師だから、普通にしてくれて構わないよ」
ほう、そういう事か。
どおりで、普通の者と気配が違うはずじゃ。
「そうだったんですか。貴堂部長からは、社内でその言葉をみだりに口にしないようにと、念を押されてたので黙っていたのです」
「それはそうだよ。道師は秘密集団でもあるからね。おまけに、土地調査部にいる道師は数人しかいないし。ちなみに、俺は君と同じ道師だから、そこは安心してくれ。さて……では、始めるとしようか」
斉木はそう言って、資料室の扉の鍵を閉める。
そして、中央の長机の椅子を引き、腰を下ろした。
「三上君もそこに掛けてくれるかい? 今日、ここに君を連れてきたのは、他でもない。我々、土地調査部の仕事を説明する為だよ。勿論……裏の方の仕事だがね」
斉木はそう言って、対面の席を指さした。
幸太郎はそれに従い、椅子に腰掛ける。
「裏ですか……なんかヤバそうな感じですね」
「まぁそれはね。で、ここからが本題だが……君は化け物や悪霊との戦闘経験はあるのかな?」
「ええ、まぁ多少は……」
「なら、話は早い」
すると、斉木はそこでタブレットパソコンを操作し、幸太郎の前に置いたのじゃ。
「三上君、そこにある動画を再生してくれ。ちなみにそれは、防犯カメラの映像だよ」
「はい、では」
幸太郎は言われた通り、動画を再生した。
その直後、タブレットパソコンに画像が映し出される。
それは、やや斜め上から見下ろす形の動画であった。
本当に今の世は便利じゃのう。
さて、それはさておき、映っておるのは、術者と思わしき神主姿の男が、呪符のようなモノを手にして、構えておるところじゃった。
近くに木々や鳥居があるのを見ると、場所はどこかの神社の境内のようじゃな。
また、夕日を思わせる黄金色の光が射し込んでおるので、時間帯は恐らく、そのくらいじゃろう。
男は相手を窺うように、呪符を構え続けている。
と、次の瞬間、警戒する男の真横から、黒い獣が飛び掛かってきたのじゃ。
男は不意を突かれたのか、成す術なく黒い獣に吹き飛ばされ、木に激突していた。
黒い獣はどことなく、猿のような四つん這いの動きじゃったが、画像が薄暗いのと動きが早いのとで、よくわからなかった。
じゃが、禍々しい存在なのは、画面を通しても伝わるくらいじゃった。
黒い獣は追い打ちをかけるかの如く、男へと更に飛び掛かろうとしていた。
じゃが、男も負けてはおらなんだ。
男はそこで呪符に力を籠め、黒い獣へと解き放ったからじゃ。
呪符は青い光を放ち、黒い獣へと迫る。が、しかし、黒い獣に到達はせなんだ。
なぜなら、そこで黒い獣は足を止めたからじゃ。
恐らく、嫌な気配を察知したんじゃろう。
程なくして、黒い獣は翻り、颯爽とこの場から立ち去ったのじゃった。
男はそこで、事切れたかのようにバタリと地に伏せた。
すると、動画はそこで終わっていたのである。
幸太郎は顔を上げた。
「斉木さん、これは?」
「見ての通りだよ。その神主みたいな男は、土地調査部の調査員でね。俺の同僚だ。勿論、彼も道師だよ。しかも……なぜか、自分の家の敷地内で襲われている。ちなみに、これは昨日の夕刻の映像だ」
「昨日の夕刻……それはまた急ですね」
確かに急じゃな。
しかも、自分の家で襲われておるとはの。
「調査員がやられたとあっては、流石に放っておく事は出来ないんでね。そこでお願いしたいんだが……今、別の調査員2人に、この案件をお願いしているんだよ。だが、少し不安なんでね。君も同行してもらいたいんだ。本当は俺が行きたいところなんだが、別件の調査があるのでね。新人の君にこんなお願いをするのは気が引けるんだが……頼めるだろうか? 検定結果を見る限り、君は相当な術者のようだからね」
幸太郎は渋々を装いながら頷いた。
「わかりました。私で良ければ、同行しましょう。貴堂部長からも、前もって話は聞いてますので」
「そうか、なら話は早い。では今から、今回の調査員2人の所へ案内しよう。付いてきてくれ」
斉木はそう言って立ち上がった。
幸太郎も席を立つ。
そして2人は、この部屋を後にしたのである。
さてさて、今度は何が始まるのかのう。
楽しみじゃわ。
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