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人間少年→獣人中年

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 季節は梅雨に入り、鬱陶しい雨模様が続いていた。

「じゃあな正一!後でモアでな!!」

「うん!」

 そんな雨の中を、元気に駆けていく少年…朝比奈正一。

 ゲームなどしたこともない彼だったが、最近発売されたVRゲーム・モアワールドを友達の家でさせてもらってからは、その魅力にドップリとハマり、両親にねだって買ってもらっていた。

 傘が雨を弾き、飛沫が服にかかるのも気にせず、正一は帰路を急いでいた。

「はやく帰ってゲームゲーム…!」

 学校から家までは徒歩で10分。子供の足でも15分程でたどり着く。正一の足は速度を増し、あっという間に玄関に到着していた。

「ゲームゲーム…!」

 ガチャッ…!

 正一の両親は共働きだ。

 ゆえにランドセルのホルダーに鍵がぶら下がっている。

 いつも通りその鍵を引っ張り、鍵穴に差し込んで玄関を開けた。

 そこまでは、いつも通りだった。

「___あれ_____?」

 玄関をくぐった時に、違和感に気づいたが、もう遅かった。

 正一は闇に飲まれた。

___________________

「…うっ………ううん……?」

 サワサワと風が吹いている感覚を頬で感じ、正一は目を覚ました。

 どうやら草原に寝そべっていたようだ。

「あれ…いつの間にかログインしてたのかな…?」

 そう呟く声は低く太い。

「あ…?…サブアカで入っちゃったんだ…」

 サブアカウント…正一は本命のアカウントの他に、ネタで作った様々なアカウントも所持していた。

 その中でも、現在のアカウントは一番新しく作ったものだった。

「あはは…ずんぐりむっくりだ!」

 正一は父親の影響で、色々な映画やドラマを見させられていた。中でも好きなのが座頭市や必殺仕事人の登場人物で、そのキャラクター…ガタイのいい中年の男キャラクターを作成していた。

 ただ、人間のキャラクターではどうしても愛着が持てず、種族を狼の獣人に設定していた。

 種族選択の自由度や、声までキャラクターの年齢に合わせて変わるなどの要素は、このゲームが人気である要因であった。なにせ、男性でも女性キャラクターになれば女性の声で違和感なく話せるし、その逆もまた然りなのだ。

「えーと…このキャラの名前はなんだっけ……ステータス!」

 モアワールドでは、ステータスと唱えると、空中にステータス画面が現れ、体力や攻撃力、年齢設定、性別に名前など、そのキャラクターのパラメータが見られる。

 のだが…

「…おかしいな…ステータス!ステータス!!…?」

 いつまでたっても、いくら唱えても、ステータス画面は出てこない。

「……不具合かな…」

 灰色の毛並みが風に吹かれ、視界の隅にたなびく。日は傾き夕暮れ時だ。

 とりあえずゲームである事に違いは無いだろうと、正一は腰を落とし、持ち物を確認する事にした。

「…アイテムウィンドウも出ないのか…」

 こちらも本来なら、持ち物を一気に確認できるアイテムウィンドウ…一覧表が表示されるのだが、やはり出てこない。

 腰の後ろに装着しているカバンに手を伸ばし、持ち物を一つ一つ取り出して見る。

「やっぱり初期セットだ…初級回復薬5つに干し肉5つ…懐かしいなぁ。」

 初期セットとは、キャラクターを制作したのち初めてこのゲーム内に降り立った際にもらえるアイテムの詰め合わせのことだ。見た目より多くのアイテムを収納できるカバンと共に渡される。

「あーあ。でもなんでだろ。家に着いて、玄関開けて、それから…うーん……」

 いくら考えても分かるはずもなく、正一は体を草原に投げ出した。

 日は今にも沈みそうだが、空気は澄み渡り気持ちが良い。

(もう一回寝ようかな…)

 そう考えた時だった。

「クルルルル…」

「んっ…?」

 草の合間から、何かのうめき声が聞こえた。

「あぁ…クルルフかぁ。」

 クルルフとは、モアワールドにて、比較的序盤に出てくる野犬型の原生生物である。

 草原地帯に生息する個体は、その景色に溶け込むため、緑色の毛並みを有しているが、クルクルと独特な声を出すため見つけやすい。

 雑食で気性が荒く、プレイヤーを含めた人型キャラクターにも平気で襲いかかってくる。そこそこ強いため、初心プレイヤーの第一関門的な存在である。

「おぉ…群れじゃないんだ。珍しいなあ…」

 通常ならクルルフは群れで狩りを行い、生活を営む生態を有するが、強靭な個体は孤立し、獲物を独占する事でさらに強くなっていく。

 正一が遭遇するのは初めてだ。

「このキャラで勝てるかな…多分初期ステータスのままだし、負けちゃうよなー…」

 そう呑気に呟きながら、正一は腰元の剣を抜く。

(…こんなに重たかったかな…?)

 妙な重量感を覚えつつ、剣を真正面に構える。

「クルルルル……クルァ!!」

「えっ、はや…」

 ブシャッ!!

 クルルフは凄まじい速さで飛びかかってきた。

 目で追えないほどの速さで、対応出来なかった正一は、その攻撃から頭をかばい、もろに腕で受けてしまった。

「痛いっ…!?えっ!?なんで……痛いよっ……!!!?」

 血がドクドクと流れ、灰色の毛並みを汚していく。痛みが正一の身体を駆け巡る。

(これ、おかしい…!!!)

 正一はここにきて初めて不安を抱いた。モアワールドのプレイ中に痛みを感じたことなど一度もない。

 全身没入型の体感ゲームだが、そこまで再現されてはいないのだ。

 だからこその不安…

(現実…!?…ゲームじゃない……!!?)

「クルルルルルル…」

 正一の混乱をよそに、クルルフは再び飛びかかる態勢に入る。

 日はとうに沈み、明かりもなく、次にあの速さで飛びかかられれば、ひとたまりも無いだろう。

 しかし、正一の身体は命の危機を前に硬直し、逃げ出すことすら出来ずにいた。

「う…わ……」

 ガチガチガチガチガチ…

 奥歯が震え、音を鳴らす。

「……クルァアッ!!!」

「うわああああああっ!!!」

 バチッ!!!

「ギャンっ!!!」

 突然凄まじい光が草原に走る。

 その光は電光音を発してクルルフを弾き飛ばした。

「…………えっ…なに…?」

「構えろ!まだ奴は生きている!!」

「は?え??」

 バチバチッ!!

 再び強く光ったかと思うと、頭上から女性が降ってきた。

「凶暴な原生生物との戦闘で混乱するとは愚かだな!早く立ち上がりたまえ!」

「う…は、はいぃっ…」

 正一はなんとか立ち上がる。剣を足元から拾い上げ、痛む腕で構える。

「…よし!その意気だ!私の目の前で死んでくれるなよ!獣人殿!」

「あ、あの…あなたは…?」

 夜闇においてなお、薄く輝いてみえるその女性は、派手な外套を纏いはためかせ、バチバチと電撃も纏っている。

 そして、黄色く発光して見える長髪に碧眼…

「申し遅れた!私は【裏番】所属・天上格を務めている!オルドワ=ミコトだ!よろしくな!」

「オルドワ…?うらばん…?」

 裏番はともかく、オルドワという名前はなんとなく聞き覚えがある気がした正一だが、出血が進んだ頭ではすぐに想起することはできそうにない。

「オルドワは家名でミコトが本名だ!よろしく!」

 バチンッ!

 電光音と共に右手が差し出される。

「あ、…よろしくお願いしま…」

「まて!来るぞ!!」

 しかし握手をする前に、その手は引っ込められた。

 クルルフが起き上がり、こちらに駆けて来ていた。

「クルルルルルルルル!!!」

「ふむ…はぐれ個体か!強そうだ!散開!」

「へ?え…どぶふっ!?」

 女性…ミコトの言葉に反応出来ないでいた正一は、蹴り飛ばされた。

 今まさに正一がいたその場所を、クルルフの爪が抉り裂く。間一髪だった。

「神経を研ぎ澄ませろ獣人殿!死ぬぞ!死なせないがな!」

「いや、僕…」

「そちらに行ったぞ!」

「クルルルルァ!!」

 クルルフは執拗に正一を狙ってくる。ミコトを相手にすると手こずるということを、本能で分かっているのだ。

 その点、正一を襲えば、ミコトは守りに回らざるを得なくなる。

 強いだけでなく賢さも持ち合わせているのが、クルルフの逸れ個体だった。

「む、無理です!僕はこんなの…」

 バチバチッ!

「ギャン!!」

 何度目かの雷光が走り、クルルフを大きく弾き飛ばす。

 いつの間にかミコトが正一の目の前にいた。

「あ…あの…ありがとうござ」

 ブンッ!…バチィン!!

「ぶえぇっ!?」

 毛皮で覆われて痛みなど通らないはずの頬を、ミコトは両手で思い切り叩き痛みを与えてくる。

 静電気の音が、草原に響き渡る。

「しゃんとしたまえ!その剣は飾りか!?貴公は冒険者ではないのか!?」

「ちがいまふ…僕は冒険者じゃ…」

 そこで正一は黙ってしまう。

 冒険者とはモアワールド内の職業で、冒険者組合に所属する。その許可のもと、原生生物を狩ったり植物を採取したり遺跡を探索したりする者を指す。

 モアワールド内の本命アカウントでは有数の冒険者だったが、元の世界の正一には縁のない職業だ。

 だが、今の正一は大人…それも獣人のおじさんの姿をしている。しかも、キャラクター設定的には冒険者だし、装備も冒険者の物だ。

 新品の皮の外套を纏い、動きやすい軽鎧を装備している。

 これで冒険者ではないと言ったところで、怪しいことこの上ないと思ったのだ。

「……ぼ、冒険者の、初心者でふ…今日、初めて狩りに来まひた…」

「なんと…そうなのか!?…分かった!では、ここを動くな!私の手の届く範囲にいろ!」

「は、はい…」

 ミコトは両手を正一の頬から離すと、クルルフを飛ばした方向に向き直る。

 飛びかかって来ずに様子を見ているらしいはぐれクルルフは、やはり狡猾で賢いようで、戦闘経験も積んできているようだ。

「…致し方無し!珍しい個体ゆえ、出来れば捕獲したかったが、そうも言っていられない!」

 そう叫んだミコトは、腰のポーチに手を突っ込む。

 ズルリ…!

「え…収納カバン…!?…っていうか剣デカイ…!!」

 正一は、プレイヤーにのみ配られるはずの収納カバンと似たポーチをミコトが持っている事に驚いたが、それ以上にそこから出てきた剣に驚いた。

 それは、女性には不釣り合いな、いや、おそらく一般男性にも不釣り合いであろう大きさ・分厚さ・長さの剣だった。
 ゆうに3メートルはある大剣を、ミコトは中段に構えていた。

「獣人殿!伏せていろ!ここら一帯を斬る!」

「!?は、はい!!」

(そんなスキルあるわけ…)

「"黄電魔道こうでんまどう円断えんだん"!!」

 バリィッ!!!!

(!!!?)

 モアワールドにハマり、そこそこモアワールドをやり込んだ方である正一だったが、それでも聞いたことのない技名スキルだった。

 目に見える限り360度全方向へ電撃を帯びた斬撃を円状に飛ばすなど、見たことなかった。

「クルルァ…………!!」

 もちろんクルルフは、その一撃で地面に倒れた。

「…よし!一件落着!だな!」

「…………」

 正一は何も言えず、何も反応出来なかった。

「ん?…そうか!自己紹介の途中だったな!先程も名乗ったが、私の名はオルドワ=ミコトだ!貴公は!?」

「ショー…イチ…です…」

「イチ!?イチというのか!家名はないのか!?」

「い、や…違います…正一しょういちです…」

「ショウ=イチか!ショウとは、中々ユニークな家名だな!イチ殿!たまたま見回り中で良かった!貴公を救えたこと、嬉しく思う!よろしくな!」

「違うけど…よ、よろしく…お願いします…?」

 再び握手を交わす2人だったが、そこで正一は思い出した。

 腕の傷と痛みを。

「うっ!!痛い!!」

「む!いかん!これは中々深いな!街へ戻るぞ!イチ殿!」

「あ、は、はい……あ…れ_」

 ドサッ!!

 限界だったのだろう。

 正一の処理能力では、現状把握だけで手一杯であった。そこに現実と痛み、不安が押し寄せ、受け止められる脳の容量を超えたのだ。

 正一は倒れた。

「大丈夫か!?イチ殿!!死ぬな!死ぬのは許さんぞ!!」

 ミコトの叫び声に返事をする余裕も気力も意識も、すでに正一にはなかった。 
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