運命に至る

麻田夏与/Kayo Asada

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8-3.   ※R18

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 抱き締められている、至に。

(違ったっけ。至は出て行って……あれ、ここにいてくれる至は、だあれ)

 夢かな、と綾人は思う。
 夢の中なら、綾人にとって都合の良いことが、起こるのかもしれない。
 それならば。

「……至。おれね、至のお嫁さんになりたかったんだ」

 この至は喜んでくれるだろうか。
 綾人が白無垢なんかを着込んでやって来たのに、見向きもしなかったのが、綾人が愛した至だ。
 だけど夢だったら。
 綾人を見て、手を伸ばしてくれるかもしれない。あの『登録所』で、助け起こしてくれたひとのように。

「それでね。もしおれと同じ、オメガの子が生まれたら、すぐに『登録所』に行くの。そしてね、生まれてきてくれてありがとうって、言うんだ──おれは、誰にもそう言ってもらえなかったから」

 だから、至に、運命に認められたかった。蔑まれ誰からも必要とされなくても、至さえ、綾人を祝福してくれたら。

(でも、これは夢だから)

 醒めてしまったなら、そこには誰もいない。
 綾人にはもう、分かっているのだ。

「綾人さん」

 まだ、たゆたう意識に、至の声が届く。

「僕のために、生きてくれませんか」

 綾人の小さな身体をまるごと軋ませるほどに、抱き締めてくるのは。

(あれ? 本当に、至?)

 だって至は「僕」だなんて言わない。

(あなたは、だあれ)



 白にはよく、赤が映える。
 紬の肌を辿り辿って、至がそうしたことの証を残すたび、紬は肩を竦ませ恥ずかしがる。紬の性感帯を知りたいのに、こんな反応をされたら、至は困ってしまう。

(そんなところも可愛いけど)

 このひとの場合、オメガ性だから敏感で、もうその受け入れてくれる口を濡らしているのだとも言い切れないところが、至を上機嫌にさせる。今の性別はオメガであっても、身体の基礎構造はベータなのだ、紬は。

「感じやすいんですね。ただふれているだけですよ」
「……っ、そんな、いやらしい触り方、至さんが、するから……っ」

 すぐに上気して艶やかに染まる身体が、もう桜色で。荒く息をしている唇は、赤くて。
 それが全て至の所為。

(ああ、たまらないな)

 もっと辱めて、知らない紬を見たい。
 だから至は、ふれるたびに縮こまっていた足の指先を握って、そっと、きれいな足を開かせた。途端にあらわになる紬の美しい性器と濡れた秘所に、至は感嘆の溜息を吐く。

(これに欲情しない男なんていないぞ)

 そう思うと、厳重に閉じ込めて、至のものだという証拠を残しておきたくなる。
足の付け根にまで赤い跡を残して、それから、しとどに愛液をこぼす入り口に、舌を這わせた。

「……やぁっ! 至さん、そんなところ」
「ここはお嫌ですか。それなら」

 蜜をすくう舌を止めないまま、至は紬の性器をさする。嬌声が高く、部屋に響く。切っ先からも秘所からも、どんどんと、あふれる。
紬は普段あれほど清廉に見えるのに、着物の下に隠していた身体は淫らで、その倒錯に、至の気はおかしくなりそうだ。至の欲望も、下着の中で熱く固くなっている。

「いたるさ……おねがい、もう」

 時折腰が跳ねて、張り詰めて震える性器が、途切れた紬の言葉の続きを雄弁に話す。だが、それでは至は足りないのだ。

「愛してるって、言ってくれたらしてあげます」

 紬の全身が発火する。それほどまでに反応されると、いっそ心配になるほどだ。もっとずっと至の愛に浸したなら、このひとは溶けてなくなってしまうんじゃないかと。

「そんな、ずるい」

 眉を寄せて紬が惑うから。至は誘う、言葉を探し出すように。

「こんなに欲しそうにしてるのに、我慢してしまうのですか」
「……っ」
「俺は、俺に差し出せるものなら、あなたに全部あげるのに」

 紬がそれほど強欲ではないことを知っていた。だけど至は、紬に自分を欲しがって、ほしい。至が紬の髪の一本まで、欲しいように。

「全部なんて、いりません。でも」

 紬の指が伸びてきて、至の頬にふれる。ぬくい指先に至が手を重ねると、紬はそっと目を閉じた。

「私をもう、置いて行かないで」

 こんな、哀れで愛おしい存在が、あるだろうか。

(ああ、駄目だ)

 想いがあふれる。口の中が苦くて甘い味でいっぱいになって、もう吐き出してしまいたい。
 至は自分の下衣を脱ぎ捨て、紬の腰を持ち上げた。紬の腿を、自分の膝を折った足の上に載せて、至の方から秘所がはっきり覗けるようにした。
 交わりたい、このきれいで淫らな場所で。

「紬さん」

 一気に突き入れると、ぎゅう、と信じられないほどに内側が締まる。挿れただけなのに紬が達したのを、至の最も敏感な場所で悟る。これでは─持って行かれる。

「ああっ……!」
「……っ!」

 共に絶頂するのが、気持ち好すぎて。
 互いに息も整わないのに、どちらからともなく、口付けた。



「……至?」

 違和感を覚えたのに、綾人は呼べる名前を、一つしか持っていなかった。

「ごめんなさい。至、ではないです」
「……別のひと?」

 そんな気はしていた綾人だ。
 だけれど、違うと分かって、落胆する自分がいるのも確かだった。

「すいません、もっとちゃんと、兄のふりができれば良かったんですが──僕、不器用で」

 苦笑いした彼は、本当に至に似ている。でも、綾人の身体は彼じゃないひとを求めている。彼にふれても、運命の番にふれたときの満足感は得られない。

「あなたは、だれ?」
「至の、弟です」
「あー……眼鏡の」
「眼鏡のです。綾人さん、少し落ち着きましたか」

 弟くんは、綾人のヒートの衝動のことを言っているのだろう。オメガに生まれなかったから、そんな甘いことが言えるのだ。

「そんなわけ、ないだろ。めちゃくちゃ、えっちなことしたいよ。ねえ弟くん、おれを抱いてよ」

 本当は、アルファの精じゃないと、ヒートの劣情は慰められない。そんなことは、綾人は嫌というほど知っている。だけれど、一人で身を焦がしているよりは、誰かに悦ばせられている方が、まだましだ。

「……そう、したい、ですけど」

 躊躇った顔を見せる弟くんが、よく分からなかった。

(あれ? さっき、助けに来たって言ったの、このひとだよね?)

 それならすぐに綾人を犯してくれればいいのに。

「……弟くんも、えっちなことは、嫌いなの? 至にフラれたおれが可哀想だから、よしよしってしに来てくれただけ?」
「いや、あなたとセックス、したいですよ。本当はもう、綾人さんをめちゃくちゃにしたい」
「していいのに。オメガの身体なんか、勝手に感じるんだからさ」

 特にヒートのときなんて、指先一つで、快感の渦に落とされる。ヒート中の方が『具合が良い』と、集落の男のひとによく言われた。
 そう、言いたくもない誘い文句を、綾人は口にしようとしたのに。

「……好きでもないひととセックスしても、虚しいでしょう」
「…………は?」
「──だから、兄のふりを、したかったんですけど。ごめんなさい、僕、そういうのが下手で」

 そんな綺麗事を吐いて、頬を掻いて困ったように笑う、なんて。至の顔でしないで欲しかった。あの大好きな顔で、そんな、憎らしくなるようなことを。

「弟くん、純情なんだね」

 それか、途方もない馬鹿かだ。
 生殖のために生まれたオメガは、虚しいとか虚しくないとか、そんなことを考える余裕なんてない。弟君は、オメガの当事者じゃないから、そんなことが言えるのだと、綾人は侮蔑するように思った。

 ──だって、綾人は。

「おれはね。好きなひととだけ、えっちできなかった。他の男のひととなんて、もうよく分かんないくらい、したのに」

 この、綾人の気持ちも分からずに、美辞麗句を述べ、綾人を苛立たせる男でも、挿れてくれるなら別に構わないくらいに。

「だからね、おれは、虚しいセックスしか知らないんだ」

 今後、生き続ける限り、綾人はずっとそうなのだ。それでも綾人は、生まれてしまったから。誰にも必要とされなくても、生きていかなければならない。

(だから、この男でも、仕方ないや)

 適当にフェラチオの一つでもしてやれば、純情くんなら簡単に乗ってくるだろう。綾人はそう目算して、弟くんのスーツを、脱がそうとしたのだが。

「それなら……僕を、好きになってみませんか」

 究極の馬鹿なのかもしれない、至の弟くんは。
 綾人は目をぱちくりとさせ、それから半眼になった。呆れたのだ。

「……ならないよ」
「即答ですか。……困ったな」

 本当に、困りに困ったというような、情けない表情。至の顔でされるのは、綾人の方が困ってしまう。子供の頃、通学路の途中で見た、飼い主に「待て」をされた小型犬。あれに似ている。至の顔なのに。

「僕は、綾人さんに会えて、生きてて良かったと思ったから」
「……きみ、おれが好きなの?」
「はい」

 どうしてそこで、満面の笑みになるのだ。至なら、そんな器用に笑ったりしない。

「大袈裟だと、思うでしょうけど。それに、兄の運命の番に横恋慕するなんて、馬鹿だと思うでしょうけど」

 告白される前から、馬鹿ではないかと疑っている。それくらい、弟くんは無垢だった。
 だから、溜息を吐いてあしらいたかった、のに。

「綾人さんみたいに笑うひと、僕は他に、知らないから」
「……ふうん」
「あなたが生まれてきてくれて、僕は嬉しかったんです」

 恥ずかしそうに、でも、しあわせそうに。小型犬のまま言われたから、一瞬理解できなかった。

(え?)

 この男は。今、何と言った。
 頭の中を言葉が巡り、扱いあぐねて、心に至る。その瞬間、目が熱く、痛くなった。

「どうして。……どうして」

 こんな男が。
 綾人のことなど、何も知らないくせに。
 綾人がずっと、言って欲しかったことを、言うのだろう。

「うあ」

 視界が曇る。鼻の奥がつんとして、唇の端からしょっぱい水が入ってくる。
 ──涙が自分にあるなんて、綾人は知らなかった。

「うわあぁ……ん」

 大声を上げて泣いた。
 至に去られても、我慢した。泣かなかったのに。
 涙が溢れるのを堪えられない。

「……眼鏡、外すんじゃなかったな。綾人さんの可愛い顔、ちゃんと見たかった」

 弟くんの指が、絶えず流れ続ける涙を拭ってくれる。この手はきっと、至の職人の手とは違う。
 違うだろうに、それでも良かった。
 諦めでも妥協でも、本能を慰めたい訳でもなく。

「弟くん」
「はい」
「至のふり、しなくていいから、おれを抱いて」

 弟くんは、また困った顔をした。でも綾人は、今度は情けないとは思わなかった。

「でも」
「抱いてよ。きみとなら、虚しくないかも、しれないから」

 そうして弟くんの顔色が変わる。欲情した顔は至に似ている。そう思考が回ったのを綾人は慌てて否定した。

(もう、止めよう)

 至と比べて似てるとか似てないとか、そんなことはこのひとの価値ではない。
 このひとは至ではない。別のひとだ。唯一、綾人が『生きていていい』と喜んでくれた。
 だから。
 ヒートだからでも、運命の番の代わりでもなく、綾人はこの男に抱かれる。
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