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三千世界・永輝(9.5)

第三話 「真なる竜の誕生」

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 第三劫 カンブリア
 アルバが通例通りシャフト内を急降下しつつ景色を見ると、ミカが言っていた通り大海原の真ん中に超巨大な氷塊が突き刺さっていた。シャフトは海中まで繋がっており、今までとは違ってスライド式の扉ではなく、ハッチ状になった出入り口から、アルバは外に出る。
 彼女のゴシックドレスは瞬時に水を吸って非常に重たくなるが、まるでそんなことなど関係無いように泳いでいく。海中には形容しがたい外見の生物たちが遊泳しており、アルバに狙いを定めて襲いかかる生物もいたが、鎖で適当にあしらわれて逃げ去っていく。氷塊に近づいていくと、次第に水は浮力を失っていく。
 海底には、蒼白色の光を宿した樹木のようなものがいくつも生えており、ある程度の明るさを確保していた。
「来たか」
 ひとつの樹木の幹に寄りかかり、腕を組んでいた白髪の女性が、灰色の瞳を向ける。着地したアルバは、いつも通りの言葉を向ける。
「あなたは……」
「我が名はバージェス・アノマリス。人の六罪が一つ、怒りを司るものなり」
 マリはアルバの真正面に立つ。
「……」
「……」
 マリの威圧感のある視線に、アルバは沈黙する。
「大零塊の上で待っている」
 それだけ言い残して、彼女は海霧のように消えた。
「……。私は……」
『えっと、アルバさん。連結部は――』
「大零塊の、頂上にある」
『えーっと……あ、はい、そうですね』
 アルバは淡々と歩を進めた。

 大零塊 外郭
 暖かい海の中を歩き続けていると、次第に大零塊の放つ冷気によって海中温度が低下していく。
「懐かしく、忌まわしい場所……」
 アルバは先ほどからどこか上の空で、ぶつぶつ言いながら歩いている。そのままの勢いで大零塊へ侵入する。

 大零塊
 アルバはミカの案内なしに大零塊の内部をひたすら上へ向かっていく。
『(カラミテスと戦ってから、明らかに様子がおかしい……ちゃんと、ハデアンまで辿り着けるのでしょうか……)』
 ミカの心配を余所に、アルバはただひたすら猛進し、ほどなく、大零塊の頂部に到着する。
 背を向け、玉座の前に立っていたマリがこちらを向く。
「感じるか。この空間に満ちた、邪悪な魂を」
 アルバは頷く。
「私には……邪悪さよりも温かさの方が強いです……」
「始まりは、蒼の神子の知識欲だった。知りたいと思う心が、世界にここまでの禍根を残した。……。結審は、未だ完遂されていないことを、お前は知っているか」
「いえ……結審は、杉原明人が結んだはずでは……」
「否。結審とは、新たな世界の門出。創世天門を開き、全てを無に帰し、旅立つこと。新世界に、お前の血は相応しくない。そうは、思わんか」
「私や……セレナ……ヴァナ・ファキナに連なる命の全てが……全ての世界に対する猛毒であるということは……先の戦いで、よくわかっています、けど……けど、ストラトスくんだけは……あの人だけは、まだ、この世界に生きている意味がある」
「恋は盲目と言うやつか。まあ、お前がそれでいいのなら構わん。だが、覚悟は決めてもらう」
 マリが組んでいた腕をほどき、死に装束のような軽鎧を晒す。
「お前の血と、この世界にケリをつける。それこそが、結審のあるべき姿。最後の時まで、我らがお前の傍にいるために、力を測らせてもらうぞ」
「……。私は……」
 マリが拳を構え、籠手から爪を展開し、地面の氷を切り裂きながら猛進する。アルバは鎖で攻撃を仕掛けるが、マリは想像以上の速度で間合いを詰め、拳を振り上げる。アルバはすんでのところで身を翻して躱し、爪から生じた斬撃が彼女のドレスを薄く切り裂く。マリは勢いをつけて強烈な回し蹴りを放つ。グリーブの先端についている爪から閃光のごとく斬撃が放たれ、それでアルバの腹部に三つの真一文字の切創が刻まれる。傷は瞬時に言え、アルバは飛び去りつついくつもの爆炎を放つ。マリは独特な奇声を発して爆炎を打ち消し、その影から飛んできた鎖を猛スピードで回避し、飛び上がってから高速で縦回転しつつアルバへ突進する。強烈な踵落としをぶつけるが、アルバも当然回避し、スカートから四枚のサーキュラソーを飛ばす。マリが四肢を全て使った断続的な動作でサーキュラソー全てを破壊し、氷が砕けるほどの踏み込みから腹部に拳を食らい、アルバは激しく後方に吹き飛ばされる。
「うぐ……」
 氷壁にめり込んだアルバはすぐに抜け出て体勢を立て直す。
「手を抜いたか。いかにもカラミテスがしそうなことだ。ディキンソニアも早とちりが得意技だったしな」
「……」
「お前の身を包むその服が、お前を過去に縛り付ける象徴だな。お前は自分が傷つくことよりも、その服へのダメージを気にしていた」
 マリは右手をアルバへ向ける。
「お前には怒りが、矛先の無い敵意がない。船に乗らねば遡上できぬ、哀れな人形よ」
「人形……」
「なぜお前がこの世界に来たか。よくよく考えてから底を目指すといい」
 マリが霧のように姿を消すと、突如として中央にシャフトが現れる。
「私……は……」
 アルバはふらふらとシャフトへ向かう。
『大丈夫なんですか、アルバさん!?さっきの戦闘の傷が想像以上に深かったのでは……?』
「いえ……彼らの話を聞くたびに、私は……ずっと昔に閉じ込めてた気持ちを、思い出してるような気がして……父と母に封じ込められた、この胸の滾りを……」
 身を投げるようにアルバはシャフトへ飛び降りる。
『ちょっと!?本当に大丈夫なんですか!?』

 ――……――……――
 お父さんがいれば、どれだけお母さんに虐げられても幸せだった。
 どれだけ嬲られて、人としての尊厳を食い潰されて、使い勝手のいい便器として扱われても、お父さんさえいれば、この家で死ぬことはないと、なぜか安心していた。
 でもそれは、そう思わなければ自分が壊れてしまっていたから。
 嗚呼、憎い、憎すぎる。この仕打ちに憤るのではなく。私たちが存在することそのものが憎すぎる。
 そうだ。私はこの感情を持って生まれた。
〝憎しみ〟。それこそが、人の感情の原点だ。
 恒常たる総体を討ち滅ぼすために、私はこの血筋に産み落とされた。
 ――……――……――

 第二劫 プロテロ
 アルバが目覚めると、そこは見慣れたフランスの禁忌地域《ロストレミニセンス》だった。全体的に霧が濃く、数メートル先の景色が見えないほどだったが、アルバは朦朧とした意識のまま進んでいく。
 二股に分かれた道がいくつも連なって奥へ続いており、アルバは導かれるように歩き続ける。
 やがて霧を抜け、生家に辿り着く。
「……」
 アルバは玄関に揺らぐレイヴンとロータの幻影を眺めて、間もなく近寄る。すると幻影は消えて、ガチャリと鍵が開く音がする。アルバが扉を開くと、屋敷の中は何かがすっぽりと抜けたように、異様な空虚さを持っていた。
 ついでに、なぜか屋敷に入ってすぐの広間の中央にテーブルがあり、そこに黙示録の四騎士がそれぞれ椅子に座ってババ抜きに興じていた。
 アルバの視点からはホワイトライダーの手札が見えて、その中にあるジョーカーをブラックライダーが今まさに引かんとする瞬間に、ホワイトの対面に座っていたペイルライダーがアルバに気付く。
「やっと来たか、曙の鎖」
 四騎士が手札を捨てて立ち上がる。アルバが身構えるが、レッドライダーが笑う。
「カッカッカ。警戒する必要は無いのじゃぞ、曙の鎖。儂らはお主に危害を加えるためにここにいるのではない。峻烈なる運命にこれから身を投じるお主のために、助力せよと我が王から命じられてのう」
 ホワイトライダーが続く。
「先のアノマリスとの戦いを見ていたが、どうやら本来の実力を発揮できてねえみたいだな。いいタイミングだし、てめえさんをここに連れてきたって訳だ」
 アルバが困惑しつつも答える。
「私への嫌がらせとしか……」
 ペイルライダーが会話を引き取る。
「余計なお世話だと言われればそれまでだが、どうやら君は遠い昔に忘れていた思いがあるようだね?」
 ブラックライダーが最後に口を開く。
「我らはここで待っている……気が済むまで、好きなだけ記憶と……向き合うがいい……」
 四騎士は再び席につくと、何事もなかったように各々の手札を持つ。アルバはそれを横目に見つつ階段を上っていると、ブラックライダーがジョーカーでない方を引いているのが見えた。二階へ上がると、アルバはまず自分の部屋へ入る。
 ベッドの横にあるクローゼットが、大口を虚ろに開けてこちらを見ていた。アルバは吸い込まれるようにクローゼットの前に立つ。同じようなゴシックドレスが何十着も掛けられており、アルバはおもむろに手から炎を産み出してそれらを燃やす。クローゼットから離れ、自分用の机を見る。卓上には、ジオラマのような西洋風の家の模型が飾られており、獣人を象った人形が何体か並べられていた。
「幸せは……傷つくことを嫌っては、掴めない……お母さん、私は……命を擲つことになったとしても、あなたを……お父さんと共に、葬るべきだったのかも……しれませんね……」
 アルバは模型を燃やし、自室を後にする。
 次にロータの部屋に入ると、大量の書庫から漂う埃臭さに懐かしさを覚える。淡々と歩を進め、机の上に置かれた本に目をやる。
「〝銀白獰猛吹雪の禁異本フィンブルヴェトルアボミネイションアルギュロス・グリモア〟……ヴァナ・ファキナの力を高めるために、人の作り出した神々を封じ込めた……お母さん、あなたが……お父さんただ一人を愛していたことは、よくわかっています……けれど」
 アルバは禁異本を手に取る。
「ストラトスくんにとって、母を失った朧気な記憶だけが、生きる活力だった。……。君と違う道で向かい合って、君と永訣を……迎えるのが……私の、生まれた、意義……」
 禁異本がアルバに吸収され、右腕が焦げのように乾いた鱗に包まれて竜化する。
「滅びの最中にこそ……人間の真髄があるはず……」
 アルバはロータの部屋を後にして、レイヴンの部屋に入る。乾いた精液の臭いが鼻につくが、彼女は構わずキャビネットに置いてある写真立てを手に取る。手に取った写真立ての横には破壊された写真立てがあり、嵌め込まれた写真にはセレナたちが写っていた。アルバは手に取った写真立てに視線を戻し、それに写る自分とレイヴン、ロータを見る。
「ヴァナ・ファキナがどうあろうと関係ない……もうこんな悲劇を産み出すのは、終わりにしないと……」
 写真立てから写真を取り出すと、ビリビリに引き千切る。
「親が子の健康を願うのは……それは子が自分の所有物であると……勝手に思っているから……」
 アルバは部屋を出て、四騎士の下へ戻る。四騎士は再び立ち上がり、彼女の方を向く。
「気は済んだか?」
 ホワイトライダーが尋ねると、アルバは頷く。
「私はようやく……自分の想いを……この手に戻しました……ストラトスくんに誘われ……グラナディアさんによって開け放たれ……正史のロータさんに背を押され……やっとこの手で掴み……この足で進む道を見つけました……」
 その言葉に、レッドライダーは微笑み(?)を浮かべる。
「それは良いことじゃな。儂らがお主をここに連れてきた意味もあったというものじゃ」
 ペイルライダーが続く。
「ところで曙の鎖よ。決意を新たにした君に、その服は窮屈ではないかね?」
「ええ、まあ……」
 ペイルライダーが虚空から衣服を産み出す。それはフードのついた頽廃的な雰囲気を放つローブだった。
「お気に召したかな?」
「着替えてきます」
 アルバはローブを受けとると、手近な部屋に向かった。
「ペイル……」
 ブラックライダーが若干非難するような視線を向けると、ペイルライダーは微笑みを返す。
「いいだろう。美少女はどんな衣装でも可愛い、それこそジャージでも素晴らしいが、相応しい装束と言うものがあるものだ。我らで言う、この鎧のようにな」
「これは……我が王に頂いた……大切な鎧だ……僕に相応しいのは……当然だと言える……」
「そういうことだ」
「……?」
「私は美少女に最適な衣装を作ることに関しては極めて自信がある!」
 詰まらない会話を繰り広げていると、着替えを終えたアルバが部屋から出てくる。
「おお……!」
 ペイルライダーが歓喜の声を上げる。その後頭部をブラックライダーが叩き、ホワイトライダーが笑い声を上げる。
「よく似合ってるぜ、曙の鎖。ちょっとは身軽になったんじゃねえか」
 アルバはローブの裾をひらひらさせてくるくる回る。
「そう……ですね……私は、寝る時以外はあの服を着てたので……」
 レッドライダーが続く。
「我々はこれでお暇させてもらうのじゃぞ。これより先の運命には、己の手で立ち向かえ」
 そう言い残し、四騎士は消え去る。アルバは左手につけた指輪を見て、笑みを浮かべる。
「君がいるから……私は……前を進める……!」
 アルバは玄関を扉を開け外へ出ると、周囲が光に包まれる。

 プロテロ・連結部
 光を抜けると、そこはいつもの劫の連結部であり、シャフトの前には、ディキンソニアが仁王立ちしていた。
「来たか」
 ソニアの視線は相変わらず鋭いが、アルバは目を逸らさずに向かい合う。
「ソニアさん。私は……覚悟を決めました。あなたたちと共に、私は真に結審を結びます」
「……。ならばよし。我ら六罪の具現者、貴様のために力を捧げよう。だが、その前に……」
 ソニアは右足を掲げて、独特な構えを取る。
「貴様の力、試させてもらう」
 左足だけで摺り足のごとく接近し、素早く踵落としを放つ。アルバは右腕で真正面から受け止める。凄まじい衝撃でアルバの足は床にめり込むが、力負けすることなく拮抗する。左手に魔力を纏わせて強烈な波動を放ち、ソニアは力を逃がすように身を翻し、独楽のように高速回転して突撃する。横に呼んだ鎖で力を逃がすように往なし、間髪入れずに鎖を縦に召喚し、ソニアは後方に回転しつつ飛び退く。
「ついに迷いを捨てたようだな」
「私は、マリさんに言われたように……誰かの思惑で動く、人形でしかなかった。でも……今は、これが誰かの思い描いたポートフォリオの一部だったとしても、自分の意思で進み続けます」
「ふん……ところで、貴様。今は通信は回復していないな?」
「なぜ……そんなことを……?」
「こちらが聞いている」
「あの幻覚の中から……通じていませんが……」
「よし」
 ソニアは戦闘の構えを解く。
「貴様も感じているはずだ。この零下太陽の底から感じる、慣れた気配を」
「はい……ヴァナ・ファキナは、間違いなくこの下にいます」
「貴様をここまで導いた、ミカ・スギハラだが……奴には十分な警戒を払え。何者にも、本性と言うものがある。その清濁は別としてな」
 そして彼女は背を向ける。
「ではな。最後の戦いにて集合するとしよう」
 ソニアはそのまま、虚空へと歩み去っていった。
「もう恐れるものはない……全て打ち砕いて、進むのみ……」
 アルバは身を翻しながらシャフトへ飛び込む。
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