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三千世界・反転(9)

第五話 「己に跪け、己よ」

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 クラレティア山脈
 外へ出ると、空から巨大なバトルアックスが降ってきて、突き刺さった地面を凍りつかせる。
「失礼致します」
 遅れて、空からやってきたエルデが着地する。ロータとエリナは即座に構え、エルデは背筋を伸ばす。
「どうやら正気ではないらしいな……」
 エリナが悪魔化しつつ呟き、エルデは右手を口許に当てて微笑む。
「正気ではない?いいえ、これ以上なく正気ですとも。なぜなら、今の私こそ、私の望む本当の私、なのですから」
 バトルアックスを地面から引き抜き、右手で持ち上げる。
「本当の、私……」
 ロータはその単語が引っ掛かったのか、小声でおうむ返しする。
「して、何のために私たちの前へ来た」
 エリナとエルデが視線を躱す。
「望みは一つ。私が、私自身に仕えるため、あなた方は目障りなのです」
 エルデは退屈そうに左手でロングスカートの埃を払う。
「そろそろ説明はよろしいでしょうか?時は金なり、今は一刻すら惜しいので」
 バトルアックスを軽く振るうと、身を切り裂くほどの冷風と共に氷の礫が飛び散る。
「マイケル!ミリルを守ることを優先して!」
 ロータが叫び、そのまま突っ込む。バトルアックスの刃とロータの拳が激突し合い、凄まじい衝撃が辺りへ撒き散らされる。刃が拳にめり込んでいき、血が滴る。
「久しぶりに……力負けした気がする……」
「左様ですか」
 ロータが拳を引っ込めて後退するのをエルデは見切り、バトルアックスを両手で持って全体重を掛けて振り下ろす。ロータは鎖の防壁を編み出して防御するが、強烈な寒気に鎖が凍りつく。そのままの勢いでエルデが壁を破り、その隙を狙ってエリナが身を翻しつつ頭上から剣閃を放つ。地面に巨大な切創が産み出されるが、エルデは瞬時に見切って、〝前進〟する。虚を衝かれたロータは反応が遅れ、エルデが左手で鋭く貫手を放つ。間一髪で顔を逸らして躱し、頬が切れる。ロータは臆さず魔法陣を纏わせた左拳をエルデの腹に捩じ込んで魔法を炸裂させ、エルデはその場でバトルアックスを放り投げてエリナを牽制し、両腕を合わせて冷気を纏った強烈な貫手を放つ。ロータは軸をずらして大きく後退し、エルデへ光の羽が雨のように注ぐ。今度はエルデも後退してバトルアックスを持ち直す。
「なるほど……数の不利を、得物を捨てた超至近距離で戦うことで補う……と……」
 エリナがロータの横に着地する。
「あそこまで近付かれると、援護が誤射に繋がる。それと、よほど連携が取れていないかぎり、味方の攻撃中には攻撃しないのがセオリーだ」
「だから……わざとエリナの攻撃を誘って私に隙を作らせ、その上で距離を一気に詰めて素手での戦闘に入った……」
 エルデは微笑む。
「そこまで事細かに説明されると、少し気恥ずかしいですね、うふふ」
 エリナが盾を構えつつ一気に踏み込み、長剣を振るう。それはバトルアックスに阻まれ、エルデの服の左袖が破けて、手持ちの大砲が姿を現す。
「ファイア!」
 その叫びと共に大砲から砲弾が吐き出され、エリナの顔面で爆裂する――瞬間にロータの鎖に体を巻き取られ、エリナは弾の爆風から逃れる。
「おや、見切られるとは」
 エルデは懐から手持ちの鉄球を取り出すと、空中へ放って大砲へ装填する。
「私は……あなたのことは、兄様のよい理解者だと思っていた……けど……」
「先ほどの言葉だけでは、戦う理由として不十分でしたか?」
「うん」
 エルデは呼吸を整える。
「私は今まで、己の選択をしたことがございません。両親に売られてから、娼婦として、ロータ様よりも小さい頃から体を売って生きてきました。ご主人様に買われてからはとても幸せで有意義な時間を過ごさせていただきましたが……それでも、私の人生というものは、誰かに生かされ続けて成り立っていました」
「……」
「ええ、もちろん、ご主人様と体を重ねた喜びは何物にも替えがたく、お嬢様の成長を見守るのは、とても嬉しゅうございました。ですがね……」
 バトルアックスの装甲が展開し、赤黒い炎が噴出する。
「悟ったのです。私は、私自身の欲求に素直になれていなかったと。故に、私は私自身に仕える。私の望み……それは心のままに、殺戮すること」
 赤黒い炎は大砲に転移し、大砲も装甲が開いて変形する。
「ロータ様の行く手に、生者はいませんでしたでしょう?それは、私が一人残らず殺したから。まあ、女性はリータ様に強引に蘇らされた上で、ご主人様から凌辱の限りを尽くされていましたが」
 エルデは軽く咳払いをする。
「さて、これで十分でしょうか?こうして私が敵意を持ってここにいるのは、趣味でも、恨みでも、悦楽でもない。ただ望んでいるだけなのです」
「もう一つだけ……どうして、そうなったの?あなたがそうなっているのと……兄様が変になったのは……原因が同じはず」
「……。さあ、なんのことやら。ご自分で道を極めた方が楽しいのでは?」
「そうさせてもらう……」
 三者が得物を構え直し、エルデがバトルアックスを振り上げるのを合図に、ロータが鎖を雨のごとく注がせる。エルデは一般人とは到底思えぬ挙動で全て躱し、斧から吹き出る炎で加速しつつ舞うように次々と攻撃を放つ。薙ぎ払われる凄絶な火炎がエリナを牽制しつつ、ロータは防御に徹する。巻き起こる紅蓮を切り裂いた狭間からエルデが大砲を構え、異常な量の火薬で射出し、鉄球が二人の至近距離で炸裂する。内部から大量の毒を帯びた鉄棘が飛び散る。
「まずいっ!?」
 ロータは鎖を握って自分に飛んできたものを弾き返し、マイケルたちの方を見る。彼はミリルを抱き寄せて地面に伏せており、棘の影響はないようだった。即座に向き直り、瞬時に鎖をエルデの胴体に巻き付け、引き寄せる。が、エルデは強靭な足腰で堪え、左手で鎖を掴んでロータの腕力と拮抗する。
「氷窟で見たときから……馬鹿力とは思ってたけど……まさかここまでとはね……!」
「ふふ、腕力には自信がございましてね……!」
 ロータが鎖を消滅させてエルデの体をよろけさせ、素早い拳の連打で魔法を叩き込み、爆発させて吹き飛ばす。起き上がったエルデの体から次々と爆炎が漏れだし、思わず体勢が崩れる。そこへエリナの召喚した光の剣がいくつも突き刺さり、渾身の一閃で更に吹き飛ばされる。エルデは大砲のアンダーバレルからアンカーを射出して堪え、着地する。
「流石はグランシデア最強の魔術師。質実剛健、身を以て体験しました」
 手元にアンカーが戻り、エルデはバトルアックスを消す。
「では、零なる神の牢獄にて」
 氷に包まれ、彼女は姿を消した。
 首筋に刺さった棘を引き抜き捨てて、ロータは呼吸を整える。
「全く……次から次へと……」
 ロータはエリナへ視線を向ける。
「大丈夫、エリナ……」
「ああ、問題ない……そちらはどうだ?随分と身を擦り合わせて戦っていたが」
「うん、思ったより、苦戦したけど……問題はない」
 二人のもとにミリルとマイケルが駆け寄る。
「二人とも、怪我はないッスか?」
 エリナが悪魔化を解く。
「大丈夫よ。それより、随分時間を取られたから急がないと」
 一行は頷き、クラレティアの山道を進んでいく。
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