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三千世界・原初(7)
第三話 「凍った棺」
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ネビィディマヤ・トゥンマ
エリアルたちは雪原を抜けて、ようやく都市まで到着する。
「で、メイヴ。ロマノフの城ってどこよ」
エリアルがメイヴの方を向く。
「城っていうか王宮よ。だいたい、こういうのは都市の中央にあるものよ」
一行が視線を正面に向ける。そこには石造りの建物が延々と続いており、張り詰めた静寂の中で外灯がぼんやりと光を放っている。
「……いやな雰囲気だ。街全体が僕たちを待ち構えているような……」
バロンがそう言うと、エリアルが身を震わせる。
「うう、寒っ。温度以外の寒気がしてる気もするけど……」
一行は都市の入り口で話していると、薄く立ち込めた霧の向こうから燕尾服に身を包んだ竜人が近づいてくる。一行は構えるが、竜人は穏やかな笑みを浮かべており、敵意はないようだった。
「お待ちしておりました。エリアル様とそのお仲間ですね?」
やけに丁寧な竜人の態度に困惑しつつも、エリアルは頷く。
「アレクセイ様がお待ちです。私めについてきてください」
竜人は踵を返す。一行はそれについていく。静寂の中に足音だけが響き、建物からは物音や光すら漏れていない。メイヴが竜人へ訊ねる。
「ねえ、この街っていっつもこんな感じなの?」
「いえ、今日はアレクセイ様より戒厳令が発令されておりましてね。誰も外へ出るなと」
「アレクセイが……」
メイヴはバロンへ囁く。
「ここにも九竜がいるのなら、人間をここに留まらせてるのって……」
「……迅雷の時と同じ、トゥンマの人々全てを九竜の贄にするつもりか……」
二人は頷く。それから少し経って、一行は王宮へ辿り着く。
ロマノフ王宮
竜人に導かれるまま、王宮の広間へ入る。竜人が振り返る。
「皆様はここでお待ちください」
竜人は奥へ消えていった。バロンが口を開く。
「……みんな、少しいいか」
改まった態度に、エリアルとシンが身を引き締める。
「……ここに来るまでにメイヴと話していたんだが、戒厳令で市民を外に出さない理由……」
シンが続く。
「ミレニアムの時と同じように、住民を全て次元門の贄とするってことだろう?」
「……そういうことだ。この世界を守るため……とは言わないが、どうにかして止めないといけないだろう」
そんな話をしていると、奥の方からアレクセイが現れる。
「よく来たな、宙核、神子。先ほどはとんだ無礼を働いてしまった。心よりお詫び申し上げたい」
アレクセイが頭を下げるより早く、エリアルが答える。
「別にいいけど、なんで私たちをここに招いたの?」
「答えは単純だ。貴様たちが、九竜の復活を促すための、最も重要な存在だからだ」
「どういうこと?」
「こういうことだ」
アレクセイは急に抜銃し、エリアルの左胸を撃ち抜く。
「あぐっ……」
エリアルは力なく崩れ、バロンが駆け寄って抱き止める。メイヴが後ろから声を荒げる。
「なんで!?一発食らったくらいじゃどうにもならないでしょ!」
アレクセイは銃をバロンの脳天に向ける。
「愛と非情さのバランス、それこそシフルを励起させる重要なピースだ。メイヴ、貴様ならこういう時はどうするのだ?」
メイヴは急に話を振られて驚く。
「アタシは……」
「わからないか?まあ無理もあるまい……」
アレクセイは銃を納め、踵を返す。
「用が済むまではここにいてもらおうか」
そして指を鳴らすと床が抜け、四人は落ちていく。
ロマノフ王宮・礼拝堂
アレクセイはゆっくりと進み、最奥の祭壇の前で跪く。
「人も竜も、愛ゆえに狂う。貴方もそうなのでしょう、聖上」
祭壇から、黒い鎧を身に纏った狂竜王が現れる。
「そうだな。そなたには話したことがあったか」
「はい、一度だけ。奈野花を失った貴方は……」
狂竜王はその言葉を遮るように礼拝堂の最前列の長椅子に腰かける。
「意思あるものを意思あるものたらしめる要素はなんだと思う、アレクセイ」
問いかけられ、アレクセイは立ち上がる。
「揺るぎなき覚悟を持つかどうか」
狂竜王は微笑むような吐息を吐き出す。
「違う。それは強者と弱者を隔てる一つの要素でしかない。意思が産み出すのは、自らの生殺与奪権だ。懸命に生きようとするのも、ただ漠然と生きようとするのも、全てを諦めて死のうとするのも、好奇心から死のうとするのも、全ては意思から生殺与奪権が生まれるからだ。自分の命の行方を、自分で裁定する。それが意思あるものの特権だ」
狂竜王はくたびれたため息を吐き出す。
「生も死も、一つの命の形態でしかないがな。被造物であるそなたたちは死のうと思えば死ぬことが出来る。ディードぐらいだろう、この世の理から自ら外れ、己を無に還したのは。創造主は自らを滅ぼす力を持っていないものだ」
「聖上……」
「私たちはあくまでも同輩だ。そなたたちに必要以上に畏まらせぬようそう呼ばせているが……アレクセイ、そなたは私をどう思っている」
「我は貴方を尊敬している。自らの無限の命に抗い、愛したものと同じ墓穴に入ろうとしている貴方を」
「ふっ……そなたもまた、己に忠を尽くすか。揺るぎなき覚悟……それがそなたの意思だと」
アレクセイは黙って頷く。
「ここで宙核を待つとしよう。あと僅かで、この世界も役目を終える」
ロマノフ王宮・カタコンベ
バロンはエリアルを抱えたまま、カタコンベの石床に着地する。周囲には霜や氷柱が無数に見え、異常なほどの冷気が立ち込めていた。ふとバロンが壁を見ると、そこにはラータとベリエが居た。
「やあ、バロン」
「……お前たちは……」
ラータは無警戒で近寄ってくる。バロンは身構えるも、ラータはなおも近づき、エリアルへ視線を落とす。
「あらら、これは面倒なことをされたね」
エリアルの左胸から溢れ出る血液を見て、ラータがそう言う。
「……どうなっているかわかるのか」
「もちろん。君がさっきから闘気でこの傷を癒そうとしていることもね。けど無駄だ。これ、暗黒闘気でつけられた傷だよ」
「……暗黒闘気?」
「逆方向に流れる闘気のことさ。変質した魔力とも言えるね。普通、僕らの体には闘気と魔力、そして僅かなシフルが流れているだろ?だから異物である暗黒闘気に強い拒否反応を起こすのさ。尤も、シフルの扱いが上手ければ暗黒闘気すら効かないんだけど」
「……どうすればいい」
「今の状態は不当に本来の生命力の働きが抑え込まれている状態だ。本人の生命力を外部から励起させればいい。シフルを活性化させるのさ」
「……だが、そうは言っても……」
「感情の動きがあればいいのさ。痛みを忘れるほどの。例えば……」
ラータは手で合図してベリエを跪かせ、鼻を折った後思いっきり腹に蹴りを加える。ベリエは悶えるが、その表情は恍惚としており、折れた鼻が瞬時に修復されていた。
「こういう風にね」
「……」
バロンは躊躇しつつも、エリアルにそっと唇を重ねる。すぐに離れて顔を見ると、エリアルは寝ぼけ眼で微笑んでいた。
「心なんて軽いものだよ。君たちも、僕たちもね」
ラータはバロンを見つめてそう言う。
「でもまぁ、傷の侵食は治まったようだね。僕たちは先に行ってるよ」
ラータとベリエはカタコンベの奥へ去っていった。
「……なんだったんだ」
バロンはエリアルの左胸にそっと手を当て、闘気を流す。すると左胸の大穴は即座に塞がった。
「……よし」
エリアルをおぶり、バロンはラータたちを追って歩き出す。バロンは左右を注意深く確認しながら進む。多くの棺が所狭しと乱雑に置かれており、僅かな気味の悪さを感じる。
「……」
しばらく歩いて、バロンはあることに気づく。時おり、棺の中から呻き声が聞こえるのである。
「……(この冷気の中、食事も無しに人間が生きているとも考えにくい……それに、アレクセイほどの手練れならば、シフルの量で生きているか死んでいるかくらい見分けられるはず……)」
そこまで考えて、思考が止まる。
「……(わかるからわざと誤って埋葬しているのか……!九竜が開く次元門の贄とするために……!?)」
バロンは足早に棺の森を駆け抜けていく。明かりの点いた一室に出ると、そこにある朽ちた椅子……の横でベリエを椅子に座っているラータが居た。
「やあ。君の奥さんは無事かい?」
「……ああ。呼吸も安定してきている……別に妻ではないが」
「見たかい、あの棺?君も気付いただろうけど、あれは健全な竜人を棺に押し込めてるんだよ。体は九竜・雹雨の冷気で動けないけど、脳は生きてるから苦痛ではあるだろうね」
「……なんのためにそんなことを」
「このクソ女を見ればわかるよ」
ベリエはバロンへ顔を見せる。欲情しているかのように紅潮した顔からは、椅子になっている現状への喜びの念が見てとれた。
「こいつは喜んでるけど、まあ苦しみも喜びも産み出す感情エネルギーとしては結局同じだ。意図的に苦しませてシフルエネルギーを励起させ、より効率よく復活のための力を蓄えていたんだね」
「……なるほどな」
「ま、もう助けても、例え殺しても遅いよ。こいつらは随分前からこうされてるみたいだし」
ラータは踵でベリエの腹に蹴りを入れる。
「……ラータ、僕は一つ疑問がある」
「ん?何かな」
「……アレクセイは、なぜ僕たちをここに落とした。邪魔なら最初に会った時点で仕留めればよかっただろうし、利用するにしてもエリアルと僕を人質にシンとメイヴの武装を解除できたはずだ」
「そんなの簡単だろ?殺さない方が利用価値が高いからだよ」
「……そういうものか。もう一ついいか」
ラータは黙って頷く。
「……九竜は何のためにこの世界を壊していっているんだ」
「それはもっと簡単な話。貸したものを取り立てに来てるだけだよ」
「……?どういうことだ」
「九竜は人の……いや、獣も、竜ですら扱いきれないほどの強大な力だよ。それを一片でも残しておけば、今後の計画に支障が出ると思ったんだろう」
「……よくわからんが、それ以上もそれ以下もないんだろう」
「お利口だね。じゃ、先へ進もうか」
ラータがベリエから降り、先へ進む。ベリエは息を荒げつつ立ち上がって後を追う。
「……妙な連中だ」
バロンもラータの後を追って暗闇を進んでいく。
一方その頃、メイヴとシンは同じカタコンベの別の場所にいた。
「まさかあんな仕組みになっているとは。竜の考えることはわからないね」
シンが後頭部を掻きながらそう言う。
「……」
メイヴが黙っていると、シンが顔を覗き込んでくる。
「ちょぉ!?いきなり何よ!」
メイヴが飛び退くと、シンは困ったように笑う。
「いえ、君が辛気臭い顔をしていたから、何かあったのかとね。やはり、先ほどのアレクセイの問いは君にとって重大なことなのかい?」
「うぅん……わからないわ。さっきからずっと頭ん中にモヤがかかってみたいに思考が纏まらなくて……」
シンが微笑む。
「答えが出ない時は無理して悩んでも仕方がないよ」
「困ったときは神様が助けてくれる人は楽ね」
皮肉っぽくメイヴがそう言うと、シンはまた笑う。
「そう。主が助けてくれるからこそ、私たちは日々苦しみに抗い、懸命に生きるんだよ。私がこう言うのもなんだけど、我々は一元的な善行を善しとしているからね」
「ふん……じゃ、アンタの言葉を信じて考えるのをやめるわ。で、ここからどこに行けばいいとかわかる?」
「よじ登って床をぶち抜く、とかはどうだろう?」
「どうだろうじゃないわよ。人間が作った建物ならまだしも、竜が作った建物でそれはないでしょ」
「闇雲に進むのはよくないけど、でもどういう構造なのかもわからないから……」
「こう言う時は適当に進むのが一番ね」
メイヴはシンの言葉を遮って暗闇へ進んでいく。
「そうだね、それが正解だ」
シンもメイヴに続く。
「それにしても、少し北上しただけでこんな豪雪地帯に出るなんて、面白いよね」
「そうかしら?アタシの治めてたコノートもまあ雪が降るわよ」
「雪は白くて綺麗だよね」
「慣れると鳩のクソにしか見えないわよ?」
「はは、雪は非常食にはならないよ」
二人は他愛もない会話をしながら暗闇を進んでいき、偶然開けた場所へ出る。そこには壁にかけられた無数の棺があり、その中から呻き声が漏れだしていた。
「何よ、これ」
「さあ……ただ、生きている何かを棺に閉じ込めていることは確かだ」
「助けた方がいいのかしら」
「私はおすすめしないね。困っている人は助けるべきだが、埋葬されてなお生きているのなら他の都合があるに違いない」
「あっそ。そう言うところは薄情なのね」
「生き埋めにされるならそれだけの理由があったはずだよ」
「まあいいわ。先に行きましょ」
二人は棺だらけの部屋を後にする。
ロマノフ王宮・礼拝堂
「流石は宙核と言ったところか。下らん善意や好奇心に負けて棺を開いたりはしていないようだ」
アレクセイが長椅子から立ち上がる。
「聖上よ。我は貴方の計画に従い、彼らの力を測ろう」
狂竜王は頷き、アレクセイは礼拝堂を後にした。
「アレクセイ……そなたもまた、失えるものへの渇望で生きているのか……」
エリアルたちは雪原を抜けて、ようやく都市まで到着する。
「で、メイヴ。ロマノフの城ってどこよ」
エリアルがメイヴの方を向く。
「城っていうか王宮よ。だいたい、こういうのは都市の中央にあるものよ」
一行が視線を正面に向ける。そこには石造りの建物が延々と続いており、張り詰めた静寂の中で外灯がぼんやりと光を放っている。
「……いやな雰囲気だ。街全体が僕たちを待ち構えているような……」
バロンがそう言うと、エリアルが身を震わせる。
「うう、寒っ。温度以外の寒気がしてる気もするけど……」
一行は都市の入り口で話していると、薄く立ち込めた霧の向こうから燕尾服に身を包んだ竜人が近づいてくる。一行は構えるが、竜人は穏やかな笑みを浮かべており、敵意はないようだった。
「お待ちしておりました。エリアル様とそのお仲間ですね?」
やけに丁寧な竜人の態度に困惑しつつも、エリアルは頷く。
「アレクセイ様がお待ちです。私めについてきてください」
竜人は踵を返す。一行はそれについていく。静寂の中に足音だけが響き、建物からは物音や光すら漏れていない。メイヴが竜人へ訊ねる。
「ねえ、この街っていっつもこんな感じなの?」
「いえ、今日はアレクセイ様より戒厳令が発令されておりましてね。誰も外へ出るなと」
「アレクセイが……」
メイヴはバロンへ囁く。
「ここにも九竜がいるのなら、人間をここに留まらせてるのって……」
「……迅雷の時と同じ、トゥンマの人々全てを九竜の贄にするつもりか……」
二人は頷く。それから少し経って、一行は王宮へ辿り着く。
ロマノフ王宮
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「皆様はここでお待ちください」
竜人は奥へ消えていった。バロンが口を開く。
「……みんな、少しいいか」
改まった態度に、エリアルとシンが身を引き締める。
「……ここに来るまでにメイヴと話していたんだが、戒厳令で市民を外に出さない理由……」
シンが続く。
「ミレニアムの時と同じように、住民を全て次元門の贄とするってことだろう?」
「……そういうことだ。この世界を守るため……とは言わないが、どうにかして止めないといけないだろう」
そんな話をしていると、奥の方からアレクセイが現れる。
「よく来たな、宙核、神子。先ほどはとんだ無礼を働いてしまった。心よりお詫び申し上げたい」
アレクセイが頭を下げるより早く、エリアルが答える。
「別にいいけど、なんで私たちをここに招いたの?」
「答えは単純だ。貴様たちが、九竜の復活を促すための、最も重要な存在だからだ」
「どういうこと?」
「こういうことだ」
アレクセイは急に抜銃し、エリアルの左胸を撃ち抜く。
「あぐっ……」
エリアルは力なく崩れ、バロンが駆け寄って抱き止める。メイヴが後ろから声を荒げる。
「なんで!?一発食らったくらいじゃどうにもならないでしょ!」
アレクセイは銃をバロンの脳天に向ける。
「愛と非情さのバランス、それこそシフルを励起させる重要なピースだ。メイヴ、貴様ならこういう時はどうするのだ?」
メイヴは急に話を振られて驚く。
「アタシは……」
「わからないか?まあ無理もあるまい……」
アレクセイは銃を納め、踵を返す。
「用が済むまではここにいてもらおうか」
そして指を鳴らすと床が抜け、四人は落ちていく。
ロマノフ王宮・礼拝堂
アレクセイはゆっくりと進み、最奥の祭壇の前で跪く。
「人も竜も、愛ゆえに狂う。貴方もそうなのでしょう、聖上」
祭壇から、黒い鎧を身に纏った狂竜王が現れる。
「そうだな。そなたには話したことがあったか」
「はい、一度だけ。奈野花を失った貴方は……」
狂竜王はその言葉を遮るように礼拝堂の最前列の長椅子に腰かける。
「意思あるものを意思あるものたらしめる要素はなんだと思う、アレクセイ」
問いかけられ、アレクセイは立ち上がる。
「揺るぎなき覚悟を持つかどうか」
狂竜王は微笑むような吐息を吐き出す。
「違う。それは強者と弱者を隔てる一つの要素でしかない。意思が産み出すのは、自らの生殺与奪権だ。懸命に生きようとするのも、ただ漠然と生きようとするのも、全てを諦めて死のうとするのも、好奇心から死のうとするのも、全ては意思から生殺与奪権が生まれるからだ。自分の命の行方を、自分で裁定する。それが意思あるものの特権だ」
狂竜王はくたびれたため息を吐き出す。
「生も死も、一つの命の形態でしかないがな。被造物であるそなたたちは死のうと思えば死ぬことが出来る。ディードぐらいだろう、この世の理から自ら外れ、己を無に還したのは。創造主は自らを滅ぼす力を持っていないものだ」
「聖上……」
「私たちはあくまでも同輩だ。そなたたちに必要以上に畏まらせぬようそう呼ばせているが……アレクセイ、そなたは私をどう思っている」
「我は貴方を尊敬している。自らの無限の命に抗い、愛したものと同じ墓穴に入ろうとしている貴方を」
「ふっ……そなたもまた、己に忠を尽くすか。揺るぎなき覚悟……それがそなたの意思だと」
アレクセイは黙って頷く。
「ここで宙核を待つとしよう。あと僅かで、この世界も役目を終える」
ロマノフ王宮・カタコンベ
バロンはエリアルを抱えたまま、カタコンベの石床に着地する。周囲には霜や氷柱が無数に見え、異常なほどの冷気が立ち込めていた。ふとバロンが壁を見ると、そこにはラータとベリエが居た。
「やあ、バロン」
「……お前たちは……」
ラータは無警戒で近寄ってくる。バロンは身構えるも、ラータはなおも近づき、エリアルへ視線を落とす。
「あらら、これは面倒なことをされたね」
エリアルの左胸から溢れ出る血液を見て、ラータがそう言う。
「……どうなっているかわかるのか」
「もちろん。君がさっきから闘気でこの傷を癒そうとしていることもね。けど無駄だ。これ、暗黒闘気でつけられた傷だよ」
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「……どうすればいい」
「今の状態は不当に本来の生命力の働きが抑え込まれている状態だ。本人の生命力を外部から励起させればいい。シフルを活性化させるのさ」
「……だが、そうは言っても……」
「感情の動きがあればいいのさ。痛みを忘れるほどの。例えば……」
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「こういう風にね」
「……」
バロンは躊躇しつつも、エリアルにそっと唇を重ねる。すぐに離れて顔を見ると、エリアルは寝ぼけ眼で微笑んでいた。
「心なんて軽いものだよ。君たちも、僕たちもね」
ラータはバロンを見つめてそう言う。
「でもまぁ、傷の侵食は治まったようだね。僕たちは先に行ってるよ」
ラータとベリエはカタコンベの奥へ去っていった。
「……なんだったんだ」
バロンはエリアルの左胸にそっと手を当て、闘気を流す。すると左胸の大穴は即座に塞がった。
「……よし」
エリアルをおぶり、バロンはラータたちを追って歩き出す。バロンは左右を注意深く確認しながら進む。多くの棺が所狭しと乱雑に置かれており、僅かな気味の悪さを感じる。
「……」
しばらく歩いて、バロンはあることに気づく。時おり、棺の中から呻き声が聞こえるのである。
「……(この冷気の中、食事も無しに人間が生きているとも考えにくい……それに、アレクセイほどの手練れならば、シフルの量で生きているか死んでいるかくらい見分けられるはず……)」
そこまで考えて、思考が止まる。
「……(わかるからわざと誤って埋葬しているのか……!九竜が開く次元門の贄とするために……!?)」
バロンは足早に棺の森を駆け抜けていく。明かりの点いた一室に出ると、そこにある朽ちた椅子……の横でベリエを椅子に座っているラータが居た。
「やあ。君の奥さんは無事かい?」
「……ああ。呼吸も安定してきている……別に妻ではないが」
「見たかい、あの棺?君も気付いただろうけど、あれは健全な竜人を棺に押し込めてるんだよ。体は九竜・雹雨の冷気で動けないけど、脳は生きてるから苦痛ではあるだろうね」
「……なんのためにそんなことを」
「このクソ女を見ればわかるよ」
ベリエはバロンへ顔を見せる。欲情しているかのように紅潮した顔からは、椅子になっている現状への喜びの念が見てとれた。
「こいつは喜んでるけど、まあ苦しみも喜びも産み出す感情エネルギーとしては結局同じだ。意図的に苦しませてシフルエネルギーを励起させ、より効率よく復活のための力を蓄えていたんだね」
「……なるほどな」
「ま、もう助けても、例え殺しても遅いよ。こいつらは随分前からこうされてるみたいだし」
ラータは踵でベリエの腹に蹴りを入れる。
「……ラータ、僕は一つ疑問がある」
「ん?何かな」
「……アレクセイは、なぜ僕たちをここに落とした。邪魔なら最初に会った時点で仕留めればよかっただろうし、利用するにしてもエリアルと僕を人質にシンとメイヴの武装を解除できたはずだ」
「そんなの簡単だろ?殺さない方が利用価値が高いからだよ」
「……そういうものか。もう一ついいか」
ラータは黙って頷く。
「……九竜は何のためにこの世界を壊していっているんだ」
「それはもっと簡単な話。貸したものを取り立てに来てるだけだよ」
「……?どういうことだ」
「九竜は人の……いや、獣も、竜ですら扱いきれないほどの強大な力だよ。それを一片でも残しておけば、今後の計画に支障が出ると思ったんだろう」
「……よくわからんが、それ以上もそれ以下もないんだろう」
「お利口だね。じゃ、先へ進もうか」
ラータがベリエから降り、先へ進む。ベリエは息を荒げつつ立ち上がって後を追う。
「……妙な連中だ」
バロンもラータの後を追って暗闇を進んでいく。
一方その頃、メイヴとシンは同じカタコンベの別の場所にいた。
「まさかあんな仕組みになっているとは。竜の考えることはわからないね」
シンが後頭部を掻きながらそう言う。
「……」
メイヴが黙っていると、シンが顔を覗き込んでくる。
「ちょぉ!?いきなり何よ!」
メイヴが飛び退くと、シンは困ったように笑う。
「いえ、君が辛気臭い顔をしていたから、何かあったのかとね。やはり、先ほどのアレクセイの問いは君にとって重大なことなのかい?」
「うぅん……わからないわ。さっきからずっと頭ん中にモヤがかかってみたいに思考が纏まらなくて……」
シンが微笑む。
「答えが出ない時は無理して悩んでも仕方がないよ」
「困ったときは神様が助けてくれる人は楽ね」
皮肉っぽくメイヴがそう言うと、シンはまた笑う。
「そう。主が助けてくれるからこそ、私たちは日々苦しみに抗い、懸命に生きるんだよ。私がこう言うのもなんだけど、我々は一元的な善行を善しとしているからね」
「ふん……じゃ、アンタの言葉を信じて考えるのをやめるわ。で、ここからどこに行けばいいとかわかる?」
「よじ登って床をぶち抜く、とかはどうだろう?」
「どうだろうじゃないわよ。人間が作った建物ならまだしも、竜が作った建物でそれはないでしょ」
「闇雲に進むのはよくないけど、でもどういう構造なのかもわからないから……」
「こう言う時は適当に進むのが一番ね」
メイヴはシンの言葉を遮って暗闇へ進んでいく。
「そうだね、それが正解だ」
シンもメイヴに続く。
「それにしても、少し北上しただけでこんな豪雪地帯に出るなんて、面白いよね」
「そうかしら?アタシの治めてたコノートもまあ雪が降るわよ」
「雪は白くて綺麗だよね」
「慣れると鳩のクソにしか見えないわよ?」
「はは、雪は非常食にはならないよ」
二人は他愛もない会話をしながら暗闇を進んでいき、偶然開けた場所へ出る。そこには壁にかけられた無数の棺があり、その中から呻き声が漏れだしていた。
「何よ、これ」
「さあ……ただ、生きている何かを棺に閉じ込めていることは確かだ」
「助けた方がいいのかしら」
「私はおすすめしないね。困っている人は助けるべきだが、埋葬されてなお生きているのなら他の都合があるに違いない」
「あっそ。そう言うところは薄情なのね」
「生き埋めにされるならそれだけの理由があったはずだよ」
「まあいいわ。先に行きましょ」
二人は棺だらけの部屋を後にする。
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アレクセイが長椅子から立ち上がる。
「聖上よ。我は貴方の計画に従い、彼らの力を測ろう」
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可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
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