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事件ファイル1(解決編)密室の謎
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駆けつけた警察により、現場となったアパートの一帯はすぐに封鎖された。
俺は、発見時の状況を聞き取るために待機するよう求められ、その場に立ち尽くしていた。
鑑識らしき格好をした人たちが続々と部屋に入り、写真を撮影している。
5分ほどすると、サイレンを鳴らした黒い乗用車が現場に入ってきた。
「第一発見者は?」
車を降りた長身の中年刑事が、交番の警察官に尋ねる。
「あちらです」
交番の警察官がこちらを指すと、中年刑事の表情がみるからに不機嫌になっていく。
「おい。ポンコツ。なんで、ここにいるんだ?」
低い声で、怒ったように聞く。
「おぉ。中村くんか。まだ相変わらず出世できていなさそうだな」と、正木が笑う。
「ここは殺人事件の現場だ。ポンコツ探偵の出てくるところじゃねぇぞ」
中村と呼ばれた中年刑事はあからさまに不快感を示す。
正木は得意げに「俺が第一発見者なんだから、ここにいて当然だろ」と、言い放つ。
「本当か!?」
案内した警察官に、中村刑事が問い詰める。
「は、はぃ。そのようです・・・」
問い詰められた警察官も申し訳なさそうに応じる。
「正木!お前には事件レーダーでもついてるのか!?ったく。仕方ねぇな。状況を教えろ」
中村刑事は、淡々と正木から発見時の状況を聞き取り始めた。
正木は慣れた様子で、発見時の状況を事細かく説明する。その内容はかなり正確で、正木が俺と交わした会話の内容もそのまま再現されていた・・・。
「君が、最初にドアに鍵がかかっていることを確認したのか?」
中村刑事が、急に話題を振ってきた。
「は、はい」。緊張から少し声がうわずってしまう。
「なんで、ここに訪ねてきたんだ?」と、中村刑事。
「い、一度、飲み屋で話したことがあって・・・家に来いと・・・」
俺は正木にもした言い訳を繰り返す。
「飲み屋?どこの?それはいつぐらい?」
中村刑事が質問を重ねてくる。
「結構前のことなんで、あまり詳しく覚えていないです・・・」
明らかに動揺しているのは自分でも分かった。
「なんで一度しか会っていない人間に、しかも今日、この殺人事件があった日に訪れたんですか?」
中村刑事の声は、明らかに犯人と決めつけたような勢いすらあった。
もうダメだ・・・。どうせ、下手な噓はバレる。ここで、罪を明かそう。
「あ・・・あの・・・」。俺が、少しためらいながら告白しようとした瞬間だった。
「おいおいおい。一般人に対して失礼じゃ無いか。中村くん。そんな勢いで話したらおびえてしまいますよ」と、正木が割って入った。
「そもそも、この彼がここに来た時には、すでに中の男は死んでいたんですよ。それを自分で見つけに来ますかね?」
正木が中村刑事の方を見て笑う。
中村刑事は「べ、別に犯人と決めつけている訳ではない。事情を聞いているだけだ」と、少し冷静な口調に戻る。
「死亡推定時刻は?」
正木が中村刑事に質問を重ねる。
「そこまで話す義理は無い」と、中村刑事が突っぱねる。
「おいおいおい。俺が誰だか知っているだろうに。ただの第一発見者じゃないでしょう。君らの組織の・・・。まぁここまで言えば、十分かな」
正木は、なにやら自信ありげだ。
すると、中村刑事と一緒に車を降りてきた若手の女性刑事が「中村さん落ち着きましょう。相手は警視総監の息子ですよ。下手に扱うと、また厄介な人事異動が発生しかねないですよ」となだめる。
中村刑事の額に、血管が浮かぶ。これは過去にかなり嫌な目にあったことのある顔だ。
「死亡推定時刻は昨夜の遅い時間だとみられます。正確な死亡推定時刻は検視してみないと分かりませんが・・・」
女性刑事が中村刑事に替わって、正木に説明する。
調子に乗った正木は「死因は?」と、続ける。
「鋭利な刃物で腹部上部を刺されたことによる失血死かと・・・」
女性刑事は、中村刑事の顔色をうかがいながら、答えられる範囲を探しながら語っているようだ。
「今回の殺人は、密室殺人だ。君たちの頭では解決できないだろうから、私の力をお貸ししますよ」と、正木。
黙っていた中村刑事が、怒りをかみつぶすようにして答える。
「いやいや、警視総監の息子殿。あなたのポンコツぶりは管内の警察官ならみんな知っていますよ。数々の事件があなたによって未解決のままですから。なので、ご協力は結構です」
完全にその場は2人の口ゲンカのような雰囲気になっており、俺と老人は蚊帳の外に放り出されたようだ。
「なるほど。では、中村刑事。あなたはこの密室をどう見る?」
正木も先ほどの発言に怒りを覚えたようだ。
「合鍵を持っていたのかな?それは、これから私たちで考えますよ」と、中村刑事。
「合鍵?はっ!それでは犯人には行き着かないよ」
正木の仕草も大袈裟になっていく。
正木は「現場をよく見てみたまえ。血痕はどうなっていた?玄関まで伸びていたでしょう」と指摘する。
中村刑事も「確かに血痕は伸びていましたね。それが何か?」
顔を真っ赤にして答える。
「はっはっは。君は本当に頭が悪いようだね」
正木が笑い出す。
「いいかい、中村くん。血痕をたどるのは犯人をたどる際に一番大事な要素だよ。腹部を刺された男性に凶器は刺さっていなかった。つまり、犯人は刺した後に凶器を持ち帰っていることになる。被害者は腹部を思いっきり刺されている。腹部に刺さった包丁が抜けたらどうなる?血が噴き出すでしょう。つまり血痕の線が二重になっているところの始点が、被害者が刺された場所ですよ」
中村刑事が女性刑事の方を向き、現場に向かう。
2人は現場を確認すると、すぐに戻ってきた。
「確かに玄関から5歩ぐらい入ったところまでは、血の跡が二重になってるな」
中村刑事が悔しそうに認める。
「だが、だからなんだ?被害者が痛くて動き回った跡だろう。何が言いたい?」
中村刑事が正木の方ににらみを聞かす。
「はっはっは。君は本当に頭が悪いね。この密室は、被害者本人が作り出したものなんだよ」と、正木。
えっ…。急に正木が真実を語るので、俺は心臓が止まるような思いがした。
「どういうことだ?」
中村刑事が答えを求める。
「つまり、被害者は部屋の中で刺され、逃げ出した犯人が再び家に入ってこないようにドアを閉めたということだよ」と、正木。
「それでは、何も解決になっていないだろ。誰でも犯人になり得る」と、中村が怒り出す。
チッチッチ。正木が嫌みに指を動かし、口で音を鳴らす。
「考えてみたまえ。見知らぬ人間を玄関から、5歩も部屋の中に招くかい?」と正木。
「つまり、犯人は被害者と接点のある人物だよ。それに、現場には性行為を終えたばかりの跡があった。つまり、犯人は女性ということだよ」と、正木は続ける。
しまった・・・。これでは陽子が犯人にされてしまう・・・。
その時、男の部屋の中にいた警察官が、男のスマホを持って中村刑事に近づいてきた。
「中村刑事。これを・・・」
スマホの画面を見ながら、みるみる中村刑事の表情が強張っていく。
「どうやら。今回ばかりは、お前のポンコツ推理が当たったようだな…」
しまった・・・。男のスマホには陽子への脅し文句と、部屋に来るよう求めているメッセージがあったはずだ。
「おい。この陽子って人物をすぐに探せ」と、中村刑事が指示を飛ばす。
なんてことだ・・・。俺は陽子を助けるために男を殺したのに、陽子が犯人に仕立て上げられるなんて・・・。
そう思った瞬間、信じられない言葉が聞こえてきた。
「それが・・・中村刑事。陽子という女性が、先ほどから現場にいるんです」と、中村刑事の近くにいた警察官が明かす。
「なんだと??ここにいるのか!」と、中村刑事も驚く。
噓だろ・・・なんでいるんだ?最悪のタイミングじゃ無いか・・・。
「すぐに話を聞かせてもらうぞ」と、中村刑事。
陽子は強張った表情をしていた。
「あの・・・サイフをあの部屋に忘れて・・・」と、語っている。
「昨夜、あの男とこの部屋で性行為をしていましたね?」と、中村刑事が尋ねる。
その様子を見かねた女性警察官が「ここは男性ではなく、私が・・・」と、割って入る。
隣で得意げな顔をしている正木が目に入った。
思わず殴りかかりそうになる。こいつのせいで・・・。陽子は・・・。陽子は!
このままでは、陽子が無実の罪を着せられるのも時間の問題だ。
あんな男に酷い仕打ちをされたのに、そのうえ無実の罪なんて・・・。全部、俺のせいじゃないか。やはり自白するしかない・・・。
俺は再び、罪を自白することを決めた。
「あ、あの・・・」。俺がそう言いかけた時だった。
「いや、待てよ。本当に犯人は女なのか?」と、正木がかぶせるように中村刑事に話しかける。
「今度は何だ?!」と、中村刑事が不機嫌そうに答える。
「犯人は腹部を刃物で一刺しするだけで致命傷を与えたんだろ?いくら何でも、あの細身で身長の低い女性じゃ難しいんじゃないか?」と、正木が悩むように説明する。
「は?凶器が分からないんだから、鋭利な刃物だとあり得るだろう」と、中村刑事は取り合おうとしない。
「もちろん凶器にもよるだろうが、あの女性はそんな鋭利な凶器を持って現場に行き、性行為を終えた後に男を刺して逃げたってのか?殺そうと思っていた男とそんなことをするか?不自然じゃないか?」と、正木が笑い出す。
「凶器が分からないんだから、現場で調達した可能性もあるだろう!男の部屋の包丁とか、ナイフとかありうるだろうが!」と、中村刑事はずっとイライラしている。
すると偶然、そこを通りかかったベテラン風の鑑識捜査員が中村に耳打ちをする。
「なに?それは本当か?」と、また不機嫌そうになる。
「クソが!今日はお前のポンコツ推理が当たる日のようだな。腹部の刺し傷の位置から見て、犯人の身長は170センチ以上だろうとさ。あの女性じゃ背が低すぎるな」と、中村刑事が声を荒らげる。
正木は、さらに得意げになる。
「そうなると、振り出しに戻った訳だ。もう一度、君の話を詳しく聞いておかないとな」と、中村刑事は俺の方に目を向ける。
えっ・・・今度は俺かよ・・・。
一度は容疑を逃れた気になっていたものだから、さらに動揺してしまう。
「えっ。何を話せば・・・」
「君、あの女性のことを知っているんじゃないかな?」と、中村刑事が尋ねてくる。
「え!なんでですか?」と、うろたえる。
「君の表情を見てて、知り合いのように驚いていたからだよ。やっぱり知っているんだね」と、中村刑事。
「は、はい・・・幼なじみです」と、観念したように明かす。
「そうか。君の身長は170センチの後半は十分ありそうだね」
「は・・・はい。178センチです」
当たり前だ。だって、俺が刺したんだから。
「そうか。もう少し詳しい話を警察署で聞いても良いかな?」と、急に中村刑事は紳士的な口調に変わり、有無を言わさない凄みを効かせてくる。
「ちょっと待った。中村くん。君の短絡的な考えは本当に冤罪を作ってしまうよ」と、再び正木が割り込む。
「まだ、何かあるのか!?」。いよいよ中村刑事の怒りも頂点に達しそうだ。
「部屋には5歩ぐらい入っていたんだろう?つまり犯人は知り合いということになった訳だ。もし、君が被害者だったら、性行為で汚れた部屋に一度会っただけの男を招くか?彼が呼ばれたのは今日なんだろう?」と、正木が目でこちらに問いかける。
「えぇ。休みはいつかと聞かれ、仕事が休みの日を答えると、じゃあ『この日の昼に来い』と・・・」と、とっさに話を合わせる。
「被害者の別のトラブルを当たるべきだな。被害者は金に困っていた。それこそ、悪い所から金を借りてトラブルになっていたのではないかな?」と、正木がべらべらと語り出す。
「金に困っていたってなんで分かるんだ?」と、中村刑事は不服そうに返す。
「それは君が、老人の話をしっかり聞いていないからだよ。被害者は家賃を滞納して居座るような傲慢さを持っている。彼を知っている人間が殺そうと思うなら、当然、加害者も体格の良い人間だろう。そこの彼も体格は悪く無いが、どう見ても被害者に勝てるほどの体格では無い。殺すならもっと確実な方法を選ぶのではないか?」と、正木が勝ち誇ったように笑う。
黙って正木と中村刑事のやりとりを聞いていると、もしかして・・・このまま、俺はこのポンコツ探偵のおかげで逃げ切れるんじゃ無いか・・・。そんな淡い希望の火が胸に点る。
だが、それも一瞬のことだった。
若い警察官が中村刑事のもとに近づいていき、耳元で何かを話している。それも俺の方を見ながら。
「残念だったな正木。警察をなめすぎだ。彼の近所の住人が昨晩、彼が庭で何かを埋めている様子を目撃していたようだ。一緒に来てくれるね」と、中村刑事は確信を得たように、強いまなざしを向けてくる。
俺が庭に包丁を埋めた時、誰かに見られていたのか。
やはり、警察から逃れるなんて出来るはずもない・・・。
「はい・・・」と、うなだれたように答え、素直に応じる。
警察の車に乗り込むと、なぜか正木も隣にくっついてきた。
「正木!お前は降りろ!」と、中村刑事が怒鳴る。
「いやいや、私の推理が外れる訳が無いだろう。それを確認するのさ!」と、ニヤニヤ笑う。
「はっ。いいだろう。お前に大恥をかかせてやろうじゃないか!」と、中村刑事もニヤニヤ笑う。
俺は中村刑事と正木に挟まれるように後部座席に座り、自宅まで車で向かった。
俺の自宅の玄関には、すでに黄色い立ち入り禁止のテープが貼られていた。
すでに複数の警察官が、昨晩俺の掘った穴の位置を特定していたようで、まさに今から掘り起こそうとする瞬間だった。
「何を埋めたんだね」と、中村刑事が俺の方を見て意地悪そうに聞いてくる。
もう観念して、素直に答えることにするしかない・・・。
「実は・・・」
「それは掘り起こしてみてからのお楽しみだよ!」と、また正木が割って入る。
その時、警察官のシャベルの先に硬い物がぶつかったようだ。
「何かありました!」と、警察官が叫ぶ。
「何があった?!」と、中村刑事が大声で尋ねる。
「金属製の箱のようです!」
ん?
そんなものを埋めた覚えは無いぞ。
血の付いた包丁はビニールに包んで埋めたはずだ。
「開けてみろ!」と、中村刑事がうながす。
警察官がせんべい菓子のフタを開けると、小学生の時に書いた卒業文集の冊子が出てきた。
「なんだそれは?凶器はどうした?」と、中村が怒声をあげる。
「それが・・・。これ以外は埋まっていないようです」と、警察官が応える。
「なんだと。ふざけんな!」と、ついに中村刑事がぶち切れる。
「はっはっは。やっぱり俺の言うとおりだ。捜査に協力的な民間人に迷惑をかけているんだ。あまり無闇に人を疑うものではないよ中村くん。君の今回の対応は父にしっかりと報告させてもらうよ」と、正木が高らかに笑う。
中村刑事は顔を真っ赤にしながら「ふざけんな!好きにしろ!」と吐き捨てて、捜査員とその場を離れる。
そして帰り際に「また、詳しく話を聞かせてくださいね」と、俺を思いっきりにらみつけて、そう念押しすると車に乗り込んだ。
「もう、これで君に容疑がかかることは無いと思うよ。明日には被害者とつながりがあった悪徳金融機関の強面の男を見たと言う目撃情報が出てくるはずだからさ」と、正木が得意げに言う。
このポンコツ探偵は、真犯人を前になんて間抜けなことを言っているんだ・・・。
だが、こいつの言うとおりになれば、殺人罪ですぐに逮捕されることは無いかも知れないな・・・。
まったく、この素晴らしいポンコツ探偵正木には、この事件を未解決にしてくれたお礼を言いたい気分だよ・・・。
そう思った瞬間、正木がこちらを振り向く。
「お礼なら、俺を雇った陽子くんに言ってくれたまえ。謝礼金もしっかりといただいたからさ」
えっ??
意味が分からず、言葉を失う。
正木が続ける。
「つまり、君が被害者を殺したのを陽子くんは見ていたんだよ。それで、君を助けるように頼まれたのさ」と、正木は笑いながら続ける。
「凶器を庭に埋めるなんて、何を考えているんだ。犯人ですと言っているようなものだよ。すぐに掘り起こして、こちらで適切に処分させてもらったよ。代わりに埋めた卒業文集は陽子くんのものだよ」と、ニヤニヤしながら正木は一人で語る。
俺は、混乱してまだ言葉が出てこない。
「たしかに!あいつは殺されても当然の男だった!!だが、人を殺して良い理由になんかこの世にはないのさ。もう、君に明るい未来などないよ!」
正木は独り語りを続ける。
「君は本当に短絡的だね。何も疑わなかったのかね?陽子くんが、男とそんなメッセージのやりとりをしているスマホを君にのぞかれるような失態を犯すだろうか?あの男の家まで電車で移動しているにも関わらず、素人の君が彼女に気づかれることもなく尾行できるものかね?」
正木は急に顔を寄せてきて、俺の耳元でつぶやく。
「君は陽子くんに恐ろしい秘密を握られてしまったんだよ。これからは、もう二度と彼女には逆らえない。そんなことをすれば、いつ殺人犯として警察に突き出されるかも分からない。そして怯えて暮らすことになるのさ。彼女は、本当に君が想いを寄せていたような人格な・・・」
その時、陽子が俺の自宅を訪れた。
「ありがとうございました。正木さん」と、陽子は笑顔でお礼を言った。
「今回は依頼をいただき、ありがとうございました」と、正木は俺との会話を終わらせることもなく、陽子に一声かけて去っていった。
「ありがとう。私のためにあの男を殺ってくれたんだよね?これからはずっと一緒だね」と、陽子がほほえむ。
俺は、彼女の笑顔を正視することはできなかった。
逮捕を免れた喜びや安堵という感覚もなかった。
これから残りの人生を、自分が犯した罪の大きさと、何を考えているかも分からない陽子という存在におびえて暮らすことになる・・・。
俺に残されたのは、後悔だけだった。
俺は、発見時の状況を聞き取るために待機するよう求められ、その場に立ち尽くしていた。
鑑識らしき格好をした人たちが続々と部屋に入り、写真を撮影している。
5分ほどすると、サイレンを鳴らした黒い乗用車が現場に入ってきた。
「第一発見者は?」
車を降りた長身の中年刑事が、交番の警察官に尋ねる。
「あちらです」
交番の警察官がこちらを指すと、中年刑事の表情がみるからに不機嫌になっていく。
「おい。ポンコツ。なんで、ここにいるんだ?」
低い声で、怒ったように聞く。
「おぉ。中村くんか。まだ相変わらず出世できていなさそうだな」と、正木が笑う。
「ここは殺人事件の現場だ。ポンコツ探偵の出てくるところじゃねぇぞ」
中村と呼ばれた中年刑事はあからさまに不快感を示す。
正木は得意げに「俺が第一発見者なんだから、ここにいて当然だろ」と、言い放つ。
「本当か!?」
案内した警察官に、中村刑事が問い詰める。
「は、はぃ。そのようです・・・」
問い詰められた警察官も申し訳なさそうに応じる。
「正木!お前には事件レーダーでもついてるのか!?ったく。仕方ねぇな。状況を教えろ」
中村刑事は、淡々と正木から発見時の状況を聞き取り始めた。
正木は慣れた様子で、発見時の状況を事細かく説明する。その内容はかなり正確で、正木が俺と交わした会話の内容もそのまま再現されていた・・・。
「君が、最初にドアに鍵がかかっていることを確認したのか?」
中村刑事が、急に話題を振ってきた。
「は、はい」。緊張から少し声がうわずってしまう。
「なんで、ここに訪ねてきたんだ?」と、中村刑事。
「い、一度、飲み屋で話したことがあって・・・家に来いと・・・」
俺は正木にもした言い訳を繰り返す。
「飲み屋?どこの?それはいつぐらい?」
中村刑事が質問を重ねてくる。
「結構前のことなんで、あまり詳しく覚えていないです・・・」
明らかに動揺しているのは自分でも分かった。
「なんで一度しか会っていない人間に、しかも今日、この殺人事件があった日に訪れたんですか?」
中村刑事の声は、明らかに犯人と決めつけたような勢いすらあった。
もうダメだ・・・。どうせ、下手な噓はバレる。ここで、罪を明かそう。
「あ・・・あの・・・」。俺が、少しためらいながら告白しようとした瞬間だった。
「おいおいおい。一般人に対して失礼じゃ無いか。中村くん。そんな勢いで話したらおびえてしまいますよ」と、正木が割って入った。
「そもそも、この彼がここに来た時には、すでに中の男は死んでいたんですよ。それを自分で見つけに来ますかね?」
正木が中村刑事の方を見て笑う。
中村刑事は「べ、別に犯人と決めつけている訳ではない。事情を聞いているだけだ」と、少し冷静な口調に戻る。
「死亡推定時刻は?」
正木が中村刑事に質問を重ねる。
「そこまで話す義理は無い」と、中村刑事が突っぱねる。
「おいおいおい。俺が誰だか知っているだろうに。ただの第一発見者じゃないでしょう。君らの組織の・・・。まぁここまで言えば、十分かな」
正木は、なにやら自信ありげだ。
すると、中村刑事と一緒に車を降りてきた若手の女性刑事が「中村さん落ち着きましょう。相手は警視総監の息子ですよ。下手に扱うと、また厄介な人事異動が発生しかねないですよ」となだめる。
中村刑事の額に、血管が浮かぶ。これは過去にかなり嫌な目にあったことのある顔だ。
「死亡推定時刻は昨夜の遅い時間だとみられます。正確な死亡推定時刻は検視してみないと分かりませんが・・・」
女性刑事が中村刑事に替わって、正木に説明する。
調子に乗った正木は「死因は?」と、続ける。
「鋭利な刃物で腹部上部を刺されたことによる失血死かと・・・」
女性刑事は、中村刑事の顔色をうかがいながら、答えられる範囲を探しながら語っているようだ。
「今回の殺人は、密室殺人だ。君たちの頭では解決できないだろうから、私の力をお貸ししますよ」と、正木。
黙っていた中村刑事が、怒りをかみつぶすようにして答える。
「いやいや、警視総監の息子殿。あなたのポンコツぶりは管内の警察官ならみんな知っていますよ。数々の事件があなたによって未解決のままですから。なので、ご協力は結構です」
完全にその場は2人の口ゲンカのような雰囲気になっており、俺と老人は蚊帳の外に放り出されたようだ。
「なるほど。では、中村刑事。あなたはこの密室をどう見る?」
正木も先ほどの発言に怒りを覚えたようだ。
「合鍵を持っていたのかな?それは、これから私たちで考えますよ」と、中村刑事。
「合鍵?はっ!それでは犯人には行き着かないよ」
正木の仕草も大袈裟になっていく。
正木は「現場をよく見てみたまえ。血痕はどうなっていた?玄関まで伸びていたでしょう」と指摘する。
中村刑事も「確かに血痕は伸びていましたね。それが何か?」
顔を真っ赤にして答える。
「はっはっは。君は本当に頭が悪いようだね」
正木が笑い出す。
「いいかい、中村くん。血痕をたどるのは犯人をたどる際に一番大事な要素だよ。腹部を刺された男性に凶器は刺さっていなかった。つまり、犯人は刺した後に凶器を持ち帰っていることになる。被害者は腹部を思いっきり刺されている。腹部に刺さった包丁が抜けたらどうなる?血が噴き出すでしょう。つまり血痕の線が二重になっているところの始点が、被害者が刺された場所ですよ」
中村刑事が女性刑事の方を向き、現場に向かう。
2人は現場を確認すると、すぐに戻ってきた。
「確かに玄関から5歩ぐらい入ったところまでは、血の跡が二重になってるな」
中村刑事が悔しそうに認める。
「だが、だからなんだ?被害者が痛くて動き回った跡だろう。何が言いたい?」
中村刑事が正木の方ににらみを聞かす。
「はっはっは。君は本当に頭が悪いね。この密室は、被害者本人が作り出したものなんだよ」と、正木。
えっ…。急に正木が真実を語るので、俺は心臓が止まるような思いがした。
「どういうことだ?」
中村刑事が答えを求める。
「つまり、被害者は部屋の中で刺され、逃げ出した犯人が再び家に入ってこないようにドアを閉めたということだよ」と、正木。
「それでは、何も解決になっていないだろ。誰でも犯人になり得る」と、中村が怒り出す。
チッチッチ。正木が嫌みに指を動かし、口で音を鳴らす。
「考えてみたまえ。見知らぬ人間を玄関から、5歩も部屋の中に招くかい?」と正木。
「つまり、犯人は被害者と接点のある人物だよ。それに、現場には性行為を終えたばかりの跡があった。つまり、犯人は女性ということだよ」と、正木は続ける。
しまった・・・。これでは陽子が犯人にされてしまう・・・。
その時、男の部屋の中にいた警察官が、男のスマホを持って中村刑事に近づいてきた。
「中村刑事。これを・・・」
スマホの画面を見ながら、みるみる中村刑事の表情が強張っていく。
「どうやら。今回ばかりは、お前のポンコツ推理が当たったようだな…」
しまった・・・。男のスマホには陽子への脅し文句と、部屋に来るよう求めているメッセージがあったはずだ。
「おい。この陽子って人物をすぐに探せ」と、中村刑事が指示を飛ばす。
なんてことだ・・・。俺は陽子を助けるために男を殺したのに、陽子が犯人に仕立て上げられるなんて・・・。
そう思った瞬間、信じられない言葉が聞こえてきた。
「それが・・・中村刑事。陽子という女性が、先ほどから現場にいるんです」と、中村刑事の近くにいた警察官が明かす。
「なんだと??ここにいるのか!」と、中村刑事も驚く。
噓だろ・・・なんでいるんだ?最悪のタイミングじゃ無いか・・・。
「すぐに話を聞かせてもらうぞ」と、中村刑事。
陽子は強張った表情をしていた。
「あの・・・サイフをあの部屋に忘れて・・・」と、語っている。
「昨夜、あの男とこの部屋で性行為をしていましたね?」と、中村刑事が尋ねる。
その様子を見かねた女性警察官が「ここは男性ではなく、私が・・・」と、割って入る。
隣で得意げな顔をしている正木が目に入った。
思わず殴りかかりそうになる。こいつのせいで・・・。陽子は・・・。陽子は!
このままでは、陽子が無実の罪を着せられるのも時間の問題だ。
あんな男に酷い仕打ちをされたのに、そのうえ無実の罪なんて・・・。全部、俺のせいじゃないか。やはり自白するしかない・・・。
俺は再び、罪を自白することを決めた。
「あ、あの・・・」。俺がそう言いかけた時だった。
「いや、待てよ。本当に犯人は女なのか?」と、正木がかぶせるように中村刑事に話しかける。
「今度は何だ?!」と、中村刑事が不機嫌そうに答える。
「犯人は腹部を刃物で一刺しするだけで致命傷を与えたんだろ?いくら何でも、あの細身で身長の低い女性じゃ難しいんじゃないか?」と、正木が悩むように説明する。
「は?凶器が分からないんだから、鋭利な刃物だとあり得るだろう」と、中村刑事は取り合おうとしない。
「もちろん凶器にもよるだろうが、あの女性はそんな鋭利な凶器を持って現場に行き、性行為を終えた後に男を刺して逃げたってのか?殺そうと思っていた男とそんなことをするか?不自然じゃないか?」と、正木が笑い出す。
「凶器が分からないんだから、現場で調達した可能性もあるだろう!男の部屋の包丁とか、ナイフとかありうるだろうが!」と、中村刑事はずっとイライラしている。
すると偶然、そこを通りかかったベテラン風の鑑識捜査員が中村に耳打ちをする。
「なに?それは本当か?」と、また不機嫌そうになる。
「クソが!今日はお前のポンコツ推理が当たる日のようだな。腹部の刺し傷の位置から見て、犯人の身長は170センチ以上だろうとさ。あの女性じゃ背が低すぎるな」と、中村刑事が声を荒らげる。
正木は、さらに得意げになる。
「そうなると、振り出しに戻った訳だ。もう一度、君の話を詳しく聞いておかないとな」と、中村刑事は俺の方に目を向ける。
えっ・・・今度は俺かよ・・・。
一度は容疑を逃れた気になっていたものだから、さらに動揺してしまう。
「えっ。何を話せば・・・」
「君、あの女性のことを知っているんじゃないかな?」と、中村刑事が尋ねてくる。
「え!なんでですか?」と、うろたえる。
「君の表情を見てて、知り合いのように驚いていたからだよ。やっぱり知っているんだね」と、中村刑事。
「は、はい・・・幼なじみです」と、観念したように明かす。
「そうか。君の身長は170センチの後半は十分ありそうだね」
「は・・・はい。178センチです」
当たり前だ。だって、俺が刺したんだから。
「そうか。もう少し詳しい話を警察署で聞いても良いかな?」と、急に中村刑事は紳士的な口調に変わり、有無を言わさない凄みを効かせてくる。
「ちょっと待った。中村くん。君の短絡的な考えは本当に冤罪を作ってしまうよ」と、再び正木が割り込む。
「まだ、何かあるのか!?」。いよいよ中村刑事の怒りも頂点に達しそうだ。
「部屋には5歩ぐらい入っていたんだろう?つまり犯人は知り合いということになった訳だ。もし、君が被害者だったら、性行為で汚れた部屋に一度会っただけの男を招くか?彼が呼ばれたのは今日なんだろう?」と、正木が目でこちらに問いかける。
「えぇ。休みはいつかと聞かれ、仕事が休みの日を答えると、じゃあ『この日の昼に来い』と・・・」と、とっさに話を合わせる。
「被害者の別のトラブルを当たるべきだな。被害者は金に困っていた。それこそ、悪い所から金を借りてトラブルになっていたのではないかな?」と、正木がべらべらと語り出す。
「金に困っていたってなんで分かるんだ?」と、中村刑事は不服そうに返す。
「それは君が、老人の話をしっかり聞いていないからだよ。被害者は家賃を滞納して居座るような傲慢さを持っている。彼を知っている人間が殺そうと思うなら、当然、加害者も体格の良い人間だろう。そこの彼も体格は悪く無いが、どう見ても被害者に勝てるほどの体格では無い。殺すならもっと確実な方法を選ぶのではないか?」と、正木が勝ち誇ったように笑う。
黙って正木と中村刑事のやりとりを聞いていると、もしかして・・・このまま、俺はこのポンコツ探偵のおかげで逃げ切れるんじゃ無いか・・・。そんな淡い希望の火が胸に点る。
だが、それも一瞬のことだった。
若い警察官が中村刑事のもとに近づいていき、耳元で何かを話している。それも俺の方を見ながら。
「残念だったな正木。警察をなめすぎだ。彼の近所の住人が昨晩、彼が庭で何かを埋めている様子を目撃していたようだ。一緒に来てくれるね」と、中村刑事は確信を得たように、強いまなざしを向けてくる。
俺が庭に包丁を埋めた時、誰かに見られていたのか。
やはり、警察から逃れるなんて出来るはずもない・・・。
「はい・・・」と、うなだれたように答え、素直に応じる。
警察の車に乗り込むと、なぜか正木も隣にくっついてきた。
「正木!お前は降りろ!」と、中村刑事が怒鳴る。
「いやいや、私の推理が外れる訳が無いだろう。それを確認するのさ!」と、ニヤニヤ笑う。
「はっ。いいだろう。お前に大恥をかかせてやろうじゃないか!」と、中村刑事もニヤニヤ笑う。
俺は中村刑事と正木に挟まれるように後部座席に座り、自宅まで車で向かった。
俺の自宅の玄関には、すでに黄色い立ち入り禁止のテープが貼られていた。
すでに複数の警察官が、昨晩俺の掘った穴の位置を特定していたようで、まさに今から掘り起こそうとする瞬間だった。
「何を埋めたんだね」と、中村刑事が俺の方を見て意地悪そうに聞いてくる。
もう観念して、素直に答えることにするしかない・・・。
「実は・・・」
「それは掘り起こしてみてからのお楽しみだよ!」と、また正木が割って入る。
その時、警察官のシャベルの先に硬い物がぶつかったようだ。
「何かありました!」と、警察官が叫ぶ。
「何があった?!」と、中村刑事が大声で尋ねる。
「金属製の箱のようです!」
ん?
そんなものを埋めた覚えは無いぞ。
血の付いた包丁はビニールに包んで埋めたはずだ。
「開けてみろ!」と、中村刑事がうながす。
警察官がせんべい菓子のフタを開けると、小学生の時に書いた卒業文集の冊子が出てきた。
「なんだそれは?凶器はどうした?」と、中村が怒声をあげる。
「それが・・・。これ以外は埋まっていないようです」と、警察官が応える。
「なんだと。ふざけんな!」と、ついに中村刑事がぶち切れる。
「はっはっは。やっぱり俺の言うとおりだ。捜査に協力的な民間人に迷惑をかけているんだ。あまり無闇に人を疑うものではないよ中村くん。君の今回の対応は父にしっかりと報告させてもらうよ」と、正木が高らかに笑う。
中村刑事は顔を真っ赤にしながら「ふざけんな!好きにしろ!」と吐き捨てて、捜査員とその場を離れる。
そして帰り際に「また、詳しく話を聞かせてくださいね」と、俺を思いっきりにらみつけて、そう念押しすると車に乗り込んだ。
「もう、これで君に容疑がかかることは無いと思うよ。明日には被害者とつながりがあった悪徳金融機関の強面の男を見たと言う目撃情報が出てくるはずだからさ」と、正木が得意げに言う。
このポンコツ探偵は、真犯人を前になんて間抜けなことを言っているんだ・・・。
だが、こいつの言うとおりになれば、殺人罪ですぐに逮捕されることは無いかも知れないな・・・。
まったく、この素晴らしいポンコツ探偵正木には、この事件を未解決にしてくれたお礼を言いたい気分だよ・・・。
そう思った瞬間、正木がこちらを振り向く。
「お礼なら、俺を雇った陽子くんに言ってくれたまえ。謝礼金もしっかりといただいたからさ」
えっ??
意味が分からず、言葉を失う。
正木が続ける。
「つまり、君が被害者を殺したのを陽子くんは見ていたんだよ。それで、君を助けるように頼まれたのさ」と、正木は笑いながら続ける。
「凶器を庭に埋めるなんて、何を考えているんだ。犯人ですと言っているようなものだよ。すぐに掘り起こして、こちらで適切に処分させてもらったよ。代わりに埋めた卒業文集は陽子くんのものだよ」と、ニヤニヤしながら正木は一人で語る。
俺は、混乱してまだ言葉が出てこない。
「たしかに!あいつは殺されても当然の男だった!!だが、人を殺して良い理由になんかこの世にはないのさ。もう、君に明るい未来などないよ!」
正木は独り語りを続ける。
「君は本当に短絡的だね。何も疑わなかったのかね?陽子くんが、男とそんなメッセージのやりとりをしているスマホを君にのぞかれるような失態を犯すだろうか?あの男の家まで電車で移動しているにも関わらず、素人の君が彼女に気づかれることもなく尾行できるものかね?」
正木は急に顔を寄せてきて、俺の耳元でつぶやく。
「君は陽子くんに恐ろしい秘密を握られてしまったんだよ。これからは、もう二度と彼女には逆らえない。そんなことをすれば、いつ殺人犯として警察に突き出されるかも分からない。そして怯えて暮らすことになるのさ。彼女は、本当に君が想いを寄せていたような人格な・・・」
その時、陽子が俺の自宅を訪れた。
「ありがとうございました。正木さん」と、陽子は笑顔でお礼を言った。
「今回は依頼をいただき、ありがとうございました」と、正木は俺との会話を終わらせることもなく、陽子に一声かけて去っていった。
「ありがとう。私のためにあの男を殺ってくれたんだよね?これからはずっと一緒だね」と、陽子がほほえむ。
俺は、彼女の笑顔を正視することはできなかった。
逮捕を免れた喜びや安堵という感覚もなかった。
これから残りの人生を、自分が犯した罪の大きさと、何を考えているかも分からない陽子という存在におびえて暮らすことになる・・・。
俺に残されたのは、後悔だけだった。
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