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終章 未来へ

シグルド・ベルセリウス ※挿絵あり

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「狭苦しい家で申し訳ありません。どうぞおかけになって」
「はい」
 
 促されるまま、ダイニングのイスに腰掛ける。
 
 ――カルムの町役場で、「レオンハルト」「シグルド」を知る人間に出会った。
 オッシという名の老人、そしてその孫娘のサリ。
 俺はサリに乞われ、役場近くにある彼女達の家にやってきていた。
 2人はかつて、俺の実父である"シグルド・ベルセリウス"に仕えていたという――。
 
 
「お待たせしました、どうぞ」
「ありがとうございます」
 
 サリが俺の前にマグカップを置き、続いて祖父オッシと自分の分も置いてイスに腰かけた。
 見たことのない飲み物だ。コーヒーのような香りがするが、色は白に近い茶色。ミルクと砂糖が始めから入っているのか、かなり甘い。ブラックコーヒーが苦手だからこの方がありがたいが、初手でこういった飲み物が出てくるのは珍しい。
 室内の小物やインテリアも風変わりだ。マグカップ、カーテン、タペストリー、テーブルクロス、絨毯――いずれもディオールやロレーヌでは見かけない独特の色柄をしている。
 ノルデンの民芸品か何かだろうか……?
 
「……グレン・マクロード様」
「!」
 
 呼ばれたので頭を上げると、サリが目を伏せて寂しげに笑った。
 
「……それが貴方様の今のお名前。ですが……どうか今この時だけ、"レオンハルト様"と呼ぶことをお許しください」
「……はい」
 
 肯定の返事を返すと、サリの目から涙がこぼれた。
 
「……レオンハルト様……坊ちゃま、……よくぞ、……よくぞ、ご無事で……」
 
 唇を震わせながら言葉を絞り出し、サリは泣き崩れる。
 
「…………」
 
 ――一度も使ったことのない、真の名前。
 呼ばれても違和感しかない。だが、そう呼ばせてくれという彼女の申し出を断ることはできなかった。
 俺は今、彼女らの主人シグルドの遺児、"レオンハルト"をやらなければいけない――。
 
 
 ◇
 
 
「……申し訳ありません、取り乱してしまって。お伝えしなければならないことがたくさんあるのに」
「……両親のことですね」
「はい。……レオンハルト様は、事実をどこまでご存知ですか」
「新聞で"光の塾"の信徒の日記を読みました」
 
 本当は"意識の闇"を通して一部始終全てを知っているが、その説明は難しい。
 だが、これだけでも十分伝わるだろう。短いながらも一から十まで酷い事実だ――現に、サリも顔を歪ませている。
 光の塾のパオロという男が遺した日記には、ノルデン国のとある公爵の長男一家のことが記されていた。
 
 公爵の長男は銀髪であったが魔法の資質がなかった。
 彼は父の命で、魔法の資質があるが黒髪灰眼という、貴族として商品価値のない伯爵令嬢と結婚した。
 公爵は"無能のカラス"が生まれることを恐れ、息子夫婦に"繁殖"を禁ずる厳命を下した。
 だが彼らはそれに背き子を作った。
 その子は公爵が危惧したとおり、無能のカラスだった――。
 
「……それで、公爵はその子供を排除せよと光の塾の人間に命じた、と――」
「……悪魔じゃ」
「!?」
「おじいちゃん!」
「悪魔じゃ、奴らは! 人の皮を被った悪魔じゃ!」
「やめて、おじいちゃん!」
 
 焦点の合わない目でくうを見つめていた老人――オッシが突如立ち上がり、激昂する。
 
 ――ここに来る前、サリがオッシのことを「90を過ぎて、心があちこち行ったり来たりしているんです」と言っていた。
 生気のない淀んだ目に、強烈な憎しみの光が射している。
 この老人を"こちら側"に引き戻すほどの憎悪の感情――一体、何をそこまで……。
 
「申し訳ありません、レオンハルト様。祖父はあの事件の時たまたま外出していて……その時のこと、私の方からお話させていただきます。……新聞に記されていた事実よりも、さらに酷い話になりますが」
「かまいません。聞かせてください」
「はい。……あれは今から26……いえ、27年前になりますでしょうか――」
 
 サリの口から語られたのは、光の塾の者達にシグルド、ウルスラ夫妻が殺され、赤子が奪われたあとのこと。
 事件の日、オッシは食材などの買い出しのため、泊まりがけで街へ出ていた。
 サリも使用人の1人だったがその日は誕生日であったため、彼女の母とともに自分の家で休んでいた。
 
 翌日オッシが屋敷に戻ると、そこは凄惨な殺人現場と化していた。
 屋敷に入ると、心臓を刺し貫かれたメイドが倒れていた。驚き声を上げたが、誰も来ない。
 屋敷内にさらに踏み込み「誰かいないか」と叫ぶも返事はない。厨房、客室、食堂……そこら中に使用人の刺殺体が転がっている。中には彼の息子もいたという。
 パニックになりながらもオッシは、主であるシグルド夫妻の安否を確認するため彼らの部屋へ。
 だが、2人も同様に……。
 
 ――父シグルドの回想で、光の塾の人間が赤子を奪いに来た場面があった。
 争う声や泣き声がけたたましく響いていたはずなのに誰も助けにこなかったのは、そういうわけか。
 ロゴス達を部屋に迎え入れた時には、既に皆殺されていた……。
 
 ひとり生き残ったオッシはシグルド・ウルスラ夫妻、そして自分の息子を含めた屋敷の人間全員の遺体を埋葬した。
 その後、このことを報告するため、シグルドの父ルドルフ公爵の元へ向かった。
 しかし……。
 
「……ノルデンの貴族は、黒髪の無能者――"カラス"を殊更ことさらに嫌います。ベルセリウス公爵家は特にその思想が強く、祖父は門前払いされそうになりました」
 
 オッシは門番に屋敷で起こったことを説明し、ルドルフへの謁見を願う。しばらくして、騒ぎを聞きつけたルドルフが現れた。
 しかし、事件のあらまし聞いたルドルフの反応は信じられないものだった。
 
『そうか。あやつら、手はず通りやってくれたか』――。
 
 そこでオッシは全てがルドルフの差し金だったことを知る。
 あまりのことに何も言えないでいるオッシに向かってルドルフは自身の手から指輪を抜き取って投げ、『拾え。拾ったなら早く立ち去れ。ここは人間の住むところだ』と吐き捨てた。
 話の間、屋敷の門は開けられないまま。全てのやりとりは、門の鉄格子を挟んで行われた……。
 
「………………」
 
 先にサリが「酷い話になる」と前置きしていたが、想像以上に酷い話だった。
 
「……ルドルフ公爵は、今は……?」
 
 知ったところで何をどうする気もないが、聞かずにはいられない。
 それほどのことをしておきながら何も心を痛めることなく、今もぬけぬけと生きているのか……?
 
「……亡くなられたそうですよ」
「そうですか――」
「呪いじゃ!!」
「!」
 
 オッシが机を叩きながら叫ぶ。
 音の大きさに加え、「呪い」という不吉な言葉で会話に乱入されたために、肩がビクッとなってしまう。
 
「……呪い……?」
「おじいちゃん……!」
「そうじゃ、呪いじゃ、シグルド様の呪いじゃ。シグルド様はご自分で仇を取ったんじゃ」
「おじいちゃんやめて、今そんな話……」
「……サリさん。呪いというのは、どういう……?」
 
 俺が問うと、サリは目を伏せてうつむく。
 彼女は祖父を止めながらも、「呪いだ」という言葉は否定しなかった。その言葉を裏付ける出来事が何かあったに違いない。
 パオロの日記には「公爵の息子が今際の際に『呪われろ』と吐いた」と記されているし、意識の闇でもその様子を見た。
 それに……。
 
『どうしようもない悲しみと怒りを胸の内にとどめておけず、ご自分の魂を魔器ルーンにして呪いへと昇華してしまった』
 
 ……母ウルスラからも、そう聞いた。
 
「……事件のあと、公爵家に次々と不幸が起こったそうです。魔法が使えなくなったり、お子に恵まれなかったり、流れたり……。シグルド様を蔑み不当な扱いをした方は皆例外なく不幸に見舞われ、最後はひどい亡くなり方を……」
「…………」
 
「魂を魔器ルーンにして呪いへ」――それは禁呪だ。
 死の間際、父の手の甲の紋章が赤黒く光っていた。魔法なしで生きてきた父は呪いや禁呪のことなど知らず、無意識に発動してしまったに違いない。
 
『死んでしまったけれど、魂は闇に縛られたまま……』
 
 意識の闇の中で、父シグルドは光に包まれて消えていった。
 俺はてっきり、あのあと母と出会って浄化されたのだと思っていた。
 だがもしもまだ、囚われていたとしたら……?
 
「…………、サリさん。両親が住んでいた場所を教えていただけますか」
「もちろんです、少々お待ちください」
 
 
 サリが扉を開けて出ていき、しばらくして地図と高級そうな布に包まれた"何か"を持ってきた。
 その包みを一旦テーブルの端に置いたあと地図を広げ、ある地点にペンで印をつける。
 
「この辺りが、シグルド様の屋敷があったところです」
「……かなり北の方ですね」
「ええ。寒さが厳しい土地で……。でも、人のあたたかさがありましたよ。生活は不便だし、魔法は使えないけれど、みんな肩を寄せ合って暮らしていました。シグルド様もウルスラ様も、とてもお優しくて」
「…………」
「……レオンハルト様。どうか、これをお持ちください」
 
 そう言ってサリが、先ほど持ってきた包みを俺の方に差し出す。受け取って布を取ると、中から革張りの大きい冊子が出てきた。
 
「これは……?」
「写真です。シグルド様ウルスラ様、そして……貴方様の」
「……!!」
 
 冊子を開くと、右側に「愛する家族と」と書かれた紙、左側には若い男女と赤ん坊の写真が貼ってあった。
 長い銀髪を後ろでまとめた青眼の男性、そして黒髪を結い上げた灰眼の女性。意識の世界で会った2人と同じ――。


 
「……あ……」
 
 写真の台紙を持つ手を、少し前にずらした。
 あふれてきた涙がそこに落ちそうになったからだ。
 今日会ったばかりの他人の前で泣きたくなかったが、涙を止めることはできそうになかった。
 
 ――本当に、いたんだ。
 夢じゃない、幻じゃない、想像上の人物でもない。
 父と母は、確かにこの世界に存在していた……。
 
「……ありがとう、ございます。ありがとうございます……」
「レオンハルト様……どうかその言葉、おじいちゃん……オッシに言ってあげてもらえませんか。これはおじいちゃんが屋敷から持ち出してきたんです」
「…………」
 
 先ほど怒りを露わにしていたオッシは、今また虚ろな目で窓の外をボーッと見つめている。
 礼を言うのはかまわないが、俺の言葉など届くのだろうか?
 
「……オッシ、さん」
「はい、シグルド様。あのブランコ、本当にいい出来ですね。坊ちゃまが乗れるようになるのは、いつ頃になるでしょうか。待ち遠しいですねえ……」
「…………」
 
 ニコニコ笑いながらオッシが主――シグルド夫妻の思い出を語る。
 2人が屋敷に来た時のこと、「子供のためにブランコを作りたい」という主人とともに、材木を買いに行った時のこと。
 夫妻に赤ん坊が生まれた日のこと、写真を撮った時のこと……。
 
 ――オッシの後ろから、すすり泣く声が聞こえる。サリだ――顔を後ろに向けて、肩を震わせている。
 
「それとねえ、シグルド様――」
「……オッシさん。俺は、……レオンハルト……です」
 
 意を決して名を名乗ると、オッシは目玉が落ちそうなくらいに目を見開いた。
 次の瞬間、目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
 
「……レオンハルト、坊ちゃま……? おお、おおお……、大きゅうなられて……おお……」
 
 しわ深い手が伸びてきて、俺の手をがしりとつかむ。
 
「……オッシさん、写真……確かに受け取りました。今まで守っていただいて、本当にありがとうございます。それと……父と母を手厚く葬っていただき、ありがとうございました」
「……う、うう……」
 
 オッシが呻くように泣く。つないだ手の上に、涙が次々に落ちる――。
 
「申し訳ありませんレオンハルト様、……申し訳、ありません……。お守りすることができず、それどころか……私1人だけがおめおめと生き残って、私は、私は……っ!」 
 
 ――まるで一生分かのような、重く辛い懺悔ざんげの言葉。

 この人は20年以上ずっと自分を責め続けていたのか。
 襲撃の際あの場にいたのは、ロゴス――光の塾で一番の実力者だった。オッシがそこにいたとしても、きっとどうしようもなかった。
 それでも、どうしても思わずにはいられないのだろう。
 もしも自分があの場にいたなら、何かが出来たかもしれないのに……と。
 
「オッシさん、俺はこうやって生きています。もう自分を責めるのはやめてください。それと……どうかもう、憎まないでください。父も母も俺も……それからあなたのお孫さんも、それを望んでいません。どうかこれからは、ご自分のために生きてください」
 
 こんな借りてきたような言葉で、この人が長年抱いて来た憎悪と無念の心が晴れるとは思わない。
 だが、両親の写真と思い出を守り抜いてくれた彼に、少しでも恩を返したかった。ほんの少しだけでも、心を軽くしてやりたかった。
 
 オッシは何も言わない。俺の手を痛いくらいに握りしめ、ただただ泣き続けた。
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